信じるに値する価値
人は誰も、信じるに値する何らかの価値を持っているからこそ、生きることができるのでしょう。
その価値は、人それぞれに異なるので、場合によっては、自分の大切にする価値が、周りの誰からも理解されない場合もあります。
人には理解されなくても、自分なりの価値をきちんと大切にできるようになったとき、人はしっかりと自分の足で立ち、自分の道を歩くことができるようになるのかなと、今日は寝る前に、そんなことを考えていました。
心が落ち着いていても、落ち着かなくても、値打ちは一緒。
「心が落ち着いていても、落ち着かなくても、値打ちは一緒」
これはタイのお坊さん、アチャン・チャーさんの言葉です。
目標となるのは「心が落ち着いた状態」のはずだから、逆説的なんだけど、「心が落ち着 いていなくちゃダメ!」という執着を引き起こさないためには、
「心が落ち着いてるのがいい」のでもなく、「心が落ち着かないのがダメ」なわけでもない
ってことをしっかり体験的に理解する必要があるんですよね。
これがちゃんと分かったら、瞑想の初心者卒業と言えるかもしれません。
ぼくはまだまだ初心者です。
心の落ち着き
心の落ち着きを、ある高い水準で実現できたら、それだけで周りの人に幸せを分け与えることができる。
だから、他のことは気にせずに、自分の心が落ち着いているかどうかだけを気にかけていれば、それはそれで十分なのだ。
#今日の気づき
だから、他のことは気にせずに、自分の心が落ち着いているかどうかだけを気にかけていれば、それはそれで十分なのだ。
#今日の気づき
活力の低下を防ぐ経済的な精神指針
昼寝から目が覚めたら、ちょっと生きてるのがめんどくさい気分になっていました。
ぼくの場合ありがちな話なのですが。
それでそのあと買い物に出て、道を歩きながら考えたのは、そのようにウツウツとした気分であっても、周りの世界や自分の心の中には、どこかに「輝き」が隠れていて、見いだされるのを待っているってことだったんです。
インドの世界観では神がこの世を、「創り、維持し、破壊する」という三つの役割を持つのですが、同時にその維持の中には世界の本質を「隠し、顕示する」という役割もになっていると考えます。
ですからぼくたち人間は、神によって隠された本質を探求し、神の助けによって本質を再発見する必要があるわけです。
人が人生の意味を考え、自分なりの人生の価値を探し求め、幸せに生きたいと願うことを、神話的世界観としてうまく表しているな、と思います。
とはいえ、気分が低空飛行しているときには「人生の意味」なんてめんどくさいことは、考えられるわけもないですから、そういうときは自分の「生きる力」が低下していることを素直に認め、ゆっくり休むのが肝心です。
深呼吸を三回するだけでも、ある程度のエネルギーは回復できるでしょうし、散歩をするなり、歌を歌うなり、自分なりのやり方でエネルギーの流れを整えてみたらいいでしょう。
そして何よりも予防のためには、日頃から精神エネルギーの無駄遣いをしないように、経済的な精神生活を送るように心がけることも大切です。
無意識のうちにしている、選り好み、毛嫌い、自分を否定したり、正当化したり、あるいは他人を批判したり、避難したり、そういったさまざまな感情的もつれが、精神エネルギーを浪費し、生きる活力を奪っているのです。
こうした悪いクセを簡単に治す方法はありませんが、自分がどんな場面でどんな想いをいだいているかを、少しずつでも確認していくことができれば、段々と心のもつれは解けていきます。
とまあそんなことで、こんな文章を書くことで、今日は自分の気持ちを落ち着けることができました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
それではみなさん、ナマステジーっ♬
現実は制御された幻覚?
今日はこちらの動画を見ました。(transcriptのタブから日本語字幕選べます)
以下は、facebookで書いたコメント。
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偽物の左手に、本物の左手と同じ感覚刺激を与えておくと、偽物に危険が生じたときに、反射的に本物が逃げ出す実験、話には聞いていましたがもう一つイメージが湧かなかったのですが、この動画のおかげではっきりくっきり把握できました!
倫理的基盤が弱いので、慈悲の瞑想を練習しようっと。
今日は、瞑想関連の検索をしていて、背内側前頭前野(はいないそく・ぜんとうぜんや。長い!)という脳の部位に関心が向かう。
ぼくはこの部分の機能が弱いようで、倫理的な判断を「頭では正しく行える」のに「心理的に受け入れられず、非倫理的行動をとりがち」な模様。
慈悲の瞑想(自分を許し、自分に思いやりを持って接する。そして人にも同じようにすることを頭の中でよくイメージする)を練習することで、脳のこの部分を鍛えることができるので、少し心がけてみようと思いまーす。
※脳は鍛えることができるんです、筋肉と同じで。頭の中でイメージするなどで、脳の部位を使うと、その部分の容積が増えて、機能の増強ができるんです。知ってましたか?
脳の機能と性差 -- 雑多な情報の中に、つながりが見えてくる
今日の漫談のオチは、「女性のほうが男性より恐怖や不安を感じやすく、それには脳の構造的性差が関係している可能性がある」 というものです。
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今のぼくは、facebookとtwitterが主たる情報源で、もっぱら日本の方の書いているものを見ています。
瞑想・精神・脳科学、社会・環境・政治のような話題が多くなりますが、その中で気になったものを検索して調べたり、そして日本語では情報が限られるので、このときは英語をだいぶ使います。
最近おもしろいなと思うのは、こうして雑多な情報を調べているうちに、自然とその情報の中につながりが見えてくることがあるんですね。
今回学んだことは、「脳の機能と性差」のことなのですが、きっかけは前の記事に書いたテイラー博士の動画をfacebookで見かけたことでした。
テイラー博士の人となりを検索して調べているうちに横道にそれて、女と男の認識の違いのことを調べ始めました。(奥さんとの関係を改善したいという欲求のなせる技です)でいくつかページを読んでたら、ジョン・グレイというアメリカの作家の話が出てきたんですね。
この人は「男は火星人、女は金星人」という本を書いていて、つまり男と女は生まれた星が違うほどに考え方が違う、というわけです。
この本、二十年ほど前に読んで、印象深かったのですが、内容はほぼ忘れてます(←ぼくの場合よくあるパタン)。検索したら原書のpdfがあったので、拾ってきて少し読み始めました。
で、このジョン・グレイ氏がtm瞑想のマハリシ・マヘッシ・ヨーギと近い人だなどということも今回知って、おもしろいつながりを感じるのですが、この人が「女性の脳は不満や不安を感じやすい」と言ってるんですね。
こういうステロタイプな説明は「ふーん、そうかもしれないな」くらいに聞き流すのですが、それがおとといの話で、今日になったら、ツイッターで「恐怖と不安は、脳の機能的には区別が難しい」という話を見かけました。
恐怖は、
・対象がはっきりしていて(虎だ、恐い!)、
・危険が去れば消える一時的なもの(虎がいなくなれば恐くない)、
それに対して、不安は、
・対象がはっきりとせず(なんとなく不安)、
・長く持続する(対象がはっきりしないから、解消しにくい)、
と説明はできるんだけれど、fMRIなどの技術で脳の活性化している部分を調査すると、危険も不安も「分界条床核」と「扁桃体」という2つの部位が活性化していて、区別がつかない、というんです。
扁桃体は「怒り・恐怖・不安」をはじめ、さまざまな感情を司る脳部位として有名なのですが、「分界条床核(ぶんかいじょうしょうかく)」というのは初めて聞きました。
それでこれを、元の英語の nucleus of the stria terminalis から調べていたら、「分界条床核は性差が大きく、女性のほうが男性より、不安や恐怖を感じやすい」可能性がある、という記事を見つけたのです。
とまあ、男のぼくからすると、どうしてうちの奥さんはいつも不平や不満がこんなに出てくるんだろう、と思ってしまうのですが、「女性というのは、そういうものなんだ」と割り切って考えることも大切です。
もちろんこれは「集団として見たとき、女性は……」という話ですから、人によってはおとこでも不満たらたらな人もいれば、女でも不満一つ言わない人もいるわけです。
そっち側も分かった上で、改めて、こちらの器の大きさに応じて、きちんと奥さんから流れ出てくる言葉を、ビートルズの「アクロス・ザ・ユニパース」よろしく、淡々と聴いてあげたいものだと思うのでした。
とまあ、以上書いた流れに、偶然の中の必然的つながりみたいなものを、少しでも感じでいただけたとしたら、どうでもいいような話を長々と書いた甲斐があったというものです。
それではみなさん、ナマステジーっ♬
この世の輝きはどこに?
https://youtu.be/LjNGaGaJLVs
上のアメリカの脳科学者の自身の脳卒中体験の話をビデオで見て(日本語字幕付き)、次のようなことを思いました。
「幸せ探し」とも通じる感じで、今知覚している世界や自分の中のどこに輝くものがあるのか、注意力をそういう方向に使ってみようかなと思っている。
