小さな悟りを求めて -15ページ目

ちょっとえげつない話で失礼します。

こんなことを書くと驚かれるかもしれませんが、「てめぇは△△して□□してしん○まえ」みたいな暴言を頭の中、怒りにまかせて発していた時期があります。
夫婦関係というのは難しいもので、しかも長く外国暮らしで間に入ってくれるような人もいませんし、どうしても時々互いに激突するようなことが起こるわけです。
そんなときはとにかく一旦離れるのが肝心なのですが、離れたからといって心の中の怒りの嵐は簡単にはおさまってくれません。
そこで頭の中、暴言を発してガス抜きすることが必要だったのです。

今は瞑想のおかげで、そんなに感情が激しくならないうちに距離を取ることができるようになったので、強い言葉での荒療治は不要になりましたが、時おり起こる小衝突のときには、ぐっと全身に力を入れて頭のなか真言を唱えるとか、いろいろ工夫して、お互いにひどく傷つけ合わずにすむようにまあまあ何とかやってます。

とまあ今日はぼくなりの「怒りとのつき合い方」のお話でした。

自分をいたわり、人にも優しく

自分のすべての欲求を押し潰さず、いたわりの念を持って接する。人に迷惑をかけない限りは充足すればいい。自分に対して、そのようにいたわりの気持ちで接することができるようになればなっただけ、人にも優しく接することができるようになる。#今日の気づき

エゴを落としてゆく

人生の質を充実させるためには、自分が何を考えているかをはっきり意識する必要がある。いま考えていることはエゴを増長させるものか、エゴを落とすことにつながるものか。エゴを増長させる考えが減っていけば、その分幸せが近づいてくる。#今日の気づき

ハリドワル、ガンガーの朝。



写真中央はうちの奥さんです。

無常・無苦・無我を心の中でつぶやく

心の中で「無常(アニッチャー)・無苦(アドゥッカ)・無我(アナッター)」と唱えると、なかなかよい瞑想ができることに気づいた。
(普通は「無常・苦・無我」だが、「苦」を「無苦」に置き換えている。深い気づきが続けば、「苦」は生じなくなるため)

露店でカリー・ラジュマ・ライス

露店でカリー・ラジュマ・ライス、20ルピー、約30円。
インドにカレーという料理はないとも言われるが、北インドでは、黄色いとろっとしたカレー的汁料理があり、カリーと呼ばれる。南インドの言葉が英語化した料理名が、再輸入されて現地化したのだろう。
茶色い方はラジュマと呼ばれる金時豆のカレー。
二種類をミックスしてくれるが、好みでどちらか一方を選んでもよい。


自我(エゴ)を殺すな。

自我(エゴ)を殺そうとしてはいけない。エゴはあなたの自然な一部なのだから。
かといってエゴを膨らませてもいけない。エゴを膨らませば、周りとの軋轢が産まれるのだから。
自分のエゴの働きに気づいたら、「あ、ここでエゴが動いているな」とただ確認だけすること。そうすればエゴにエネルギーを与えないで済む、エゴは膨張をやめる、いずれしぼんでいってフラットで落ち着いた自己と一つになる。純粋な自己は、慈愛の心を知っている。
#今日の気づき


甘やかな嘘

Oshoさんという、インドのグルがいる。
般若心経を題材に自説を展開する、彼が書いた本が図書館にあったので読んだことがある。

20年以上まえの話だ。

なかなかいいことが書いてあるのだが、一ヶ所とても気になるところがあった。

「悟りに至るための道はこれしかない」と自分のやり方を絶対化していたのだ。

方便としてめあっても、そういう絶対がは好きでないので、この人はぼくに合わないな、と思った。

彼の本を読んだのはそれきりだが、その後もネットなどで見かけ、彼の言葉を読む機会は多い。

けれども、「ためになることを言ってはいるが、肌に合わない点が散見される」という初めに感じた印象は、変わることがない。

批判の気持ちを手放す

仏教の教えの核心の一つに「批判する気持ちを手放すこと」がある。
……という記事を書こうかと思いつつ、書けないでおります、はい。

「無常・苦・無我」=「予測・満足・制御の不可能性」

「無常・苦・無我」を「予測・満足・制御の不可能性」に読み直してみました。