小さな悟りを求めて -12ページ目

おごりの気持ちが消えない限り。

ブッダの様々な教えにしても、涅槃という「究極の境地」にしても、ある人にとっては大切であっても、別の人にとっては知ったからといってどうということもない「お話」でしかない。 

そんなふうに相対化して考えてはいるのだが、瞑想の練習をして手に入れた自分の「理解」が、何か重要なものであるかのように勘違いして、人に自慢でもしたいような気持ちになっている自分がいる。 

「慢≒おごりの気持ち」が消えない限り悟ることはできないとは、お釈迦さまもよく言ったものである。

エゴを超えられるか?

☆エゴを超えられるか?
 

通常のヒトの意識はエゴの水準にとどまっている。 

我が身の快適さを求め、不快を遠ざけようとするだけの状態だ。 

その現実をはっきりと認識することができれば、エゴと情動に振り回されることなく、人間関係の編みの目を逃れ、広い視野を持って、自分だけのためでなく、周りの人のこともきちんと考えた上で、判断を下すことができるようになる。
 

とはいえ、エゴに基づく行為がもたらすドーパミン的な満足の高揚感は「何ものにも」変えがたい。 

エゴの殻を脱ぎ捨てられるかどうかは、ドーパミン回路の欲望原理を捨てて、セロトニン系の安らぎを求める動機が生じうるかどうかにかかっている。 

#今日の気づき

コメントできず

ネットの接続が悪くコメントできないでいます。
ごめんなさーい!

利他主義の空間を創る

資本制社会には、極めて深い根底に、利己主義が組み込まれているので、表面的な民主制によって「全体」を変えることはできない。 
できるのは、あなたがエゴを捨て、他者を傷つけることをやめることだけだ。
そうすれば、あなたの周りに利他主義の空間を作り出すことはできる。 
#今日の気づき

母にまつわる思い出を書いた。

noteに記事を書きました。


[全文無料] サイパンへの旅で母にもらった笑顔|としべえ2.0β @tosibee #note https://note.com/tosibuu/n/n12b674a1aa86

大人だけど子ども

本当の大人になるためには、いつも子どもであることを忘れてはならない。#今日の気づき



そんな言葉が浮かんできました。


みなさんはどのくらい、大人ですか。

どのくらい子どものままですか。


今ここの現実に満足する

不満なく生きられる人はいない。
 けれど意識のあり方を変えれば、いくらでも不満を減らし、今ここの現実に満足して、幸せな人生を送ることができる。
お釈迦さんの言ってるのは、結局そういうことになるようです。

#ネット事情悪く、コメントなかなか見れません。悪しからず!

☆怒りという難しい感情との上手なつき合い方

怒りのうちでも、近い関係の相手に対するものは、どうしても「自分は悪くない、相手がこんなふうだから」と、エゴの働きで自分を正当化してしまいやすい。 

そこを「また正当化してるな。相手が悪いわけじゃなくて、ただ因果の連鎖が起こってるだけだな」と確認を重ねていったら、だんだん怒りに振り回されることが、減ってきました。 

それから、怒りのエネルギーを直接相手にぶつけず、別の安全な場所で安全な形で発散するのも、とても有効です。

心の玉を磨く

ゴータマさんは、完全な悟りに至れば、苦しみはなくなると説いた。
そしてそのためには心を完全に浄化すればよいと。
この心の浄化というのは「くもっている玉を磨く」というような話です。
自分の心のくもりを磨いて少しずつきれいにしていく。
一旦磨いてきれいになった部分も、気をつけなければまた汚れてくもってしまうので、また磨く。
時間はかかりますが、そんなことを繰り返していると、だんだん澄み渡った心になっていくんだなと、この頃は少し実感が出てきたところです。

☆入り口はどこにでもある。

☆入り口はどこにでもある。

「このままの人生でいいんだろうか」
「もっと毎日を充実させたい」
あるいは、
「もうこんな人生イヤ!」
「なんで世界はこんなことに……」

いろいろな想いによってあなたは、この世界の違う面を見たいと思うようになります。

その方法が、精神的な価値の探求であれ、仕事のスキルアップなどの現世的価値の追求であれ、今よりも善く生きたい、善い世界に生きたい、という気持ちには変わりがありません。

物質主義的な価値観に染まり、現実のくすんだ世界に諦めの気持ちしか持てなくなると、「価値の追求」なんてばかばかしいとか、そこまでは思わなくても、そんなこと気にしてる余裕はないよ、とか思ってしまうこともあるでしょう。

でも、生きている以上あなたには、今とは違う新しい世界を見る力があります。

その潜在的な力を活性化させるためのきっかけは、至るところにあります。

引き出しの奥深くにしまってあるその「力の種」は、水を与え、養分を与えない限り芽吹くことはありません。

気まぐれにたまに水をやるだけでは、十分に育つこともないでしょう。

けれども一旦その種が、肥沃な大地に蒔かれることがあれば、あなたが思ってもみない速さで成長し、時ならぬ恵みをもたらしてくれる可能性だってあるのです。

あなたは無数の「力の種」を心の奥の引き出しにしまったまま、長い間忘れて日々を送ってきたのかもしれません。

けれどもふとしたきっかけで、そのことを思い出し、その種の秘密の力の可能性に想いを巡らすとき、新しい世界への入り口があなたの目の前で開かれることになります。

入り口はどこにでもあるのです。思い切って入ってみないことには、別の世界を知ることはできないのです。

あなたが不安や怖れを捨て、「自分にはできない」という考えを一旦手放して、その入り口に一歩足を踏み入れるとき、「力の種」が目を覚まし、その中に眠る未来の巨樹が芽吹きを始めるのです。

無数の種が一つずつ芽吹いてゆき、いつかそのうちの一本でも空の高みへと枝を伸ばしていく姿を想像すれば、やがて来る花と実りの季節への想いが、あなたの中で静かに踊り始めることになるでしょう。

数え切れない入り口の先の、枝分かれしていくたくさんの道行きを、あなたが楽しみながら辿るとき、どこかであなたとわたしの道が交わるときが来るかもしれません。

そのときはお互いがどんな道を辿ってきたのかを、ゆっくりと語り合おうではありませんか。

北インドの農村部の小さなヒンドゥー寺で、鳩が鳴いて一日の始まりを告げています。

今日もあなたの一日が素敵なものとなりますように。

それではみなさん、ナマステジーっ♬