伊勢に行きたい
伊勢路が見たい
せめて一生に一度でも
【家族日帰旅行】で
”お伊勢参り”
妻と息子「男三兄弟」の5人家族が珍しく一緒に揃った【家族日帰旅行】。
息子たちは成長し家族で行動することもなくなってしまったので、「せめて一生に一度でも」と思い立ち”お伊勢参り”に行って来ました。
今回は、[第4章]の旅レポをご紹介したいと思います。
[第1章]まえがき~昼食まんぷく食堂
[第2章]近鉄宇治山田駅、JR伊勢市駅
[第3章]筋向橋、旧御師丸岡邸、伊勢神宮外宮
伊勢神宮外宮の参拝を終え、県道32号伊勢磯部線・外宮前交差点の信号を渡り、外宮→内宮直通の臨時バスに乗り込みます。
三重交通・三菱ふそうエアロバス
車内はほぼ満席、乗車後まもなく発車したので、8割程度乗車されたら出発されるのかもしれません。
10分少々乗車して、内宮前停留所で降車します。
2月とは思えないポカポカ陽気で、歩いていると汗ばむほど気温も高く参拝日和でした。
伊勢神宮内宮
五十鈴川に架かる宇治橋西詰には、宇治橋大鳥居(外側)
20年前は外宮旧正殿に使われ、ここに移設し20年、次に東海道42番目桑名宿の「七里の渡し」の一の鳥居に移設され、60年サイクルでお役御免となる大鳥居。
十返舎一九『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんは、お江戸より東海道を巡って四日市日永追分より伊勢街道を南下し伊勢神宮を目指しました。
内宮宇治橋に辿り着いた二人は、「自然と涙が溢れ出た」というフレーズはこの聖地で生まれました。
私も2022年4月1日伊勢街道マラニック80kmで宇治橋大鳥居(外側)に到着した際、涙こそ出なかったものの、足を引きずり疲労困憊で意識朦朧となっていましたが、ランナーズハイに似た幸福感が湧き出て来てことを思い出させます。
宇治橋は右側通行なので、五十鈴川上流側を見ながら進みます。
右に見えるのは「木除杭(きよけぐい)」といって五十鈴川の増水や氾濫の際、流木が橋脚へあたることを防ぐ効果があります。
有名な宇治橋の擬宝珠・・・と思い撮影しましたが、私の勘違い。
ブログ編集に伴いおさらいしていると、下流側参拝の帰り右側通行で2つ目の欄干にある擬宝珠に触れるとまた参拝に訪れる事ができるとされているのですが、
こちらは上流側参拝の2つ目の擬宝珠であります。失礼しました。。。
宇治橋が架かっているあたりの川底は石畳が敷かれていて一段高くなっているのがわかります。
続いて、明神造りの宇治橋大鳥居(内側)
20年前は内宮旧正殿に使われ、ここに移設し20年、次に東海道47番目関宿の「東追分」の一の鳥居に移設され、同じく60年サイクルでお役御免となります。
ここお伊勢さん検定で出題されますので、しっかりと覚えて下さい。
※ 画像は、伊勢神宮公式HPより引用。
宇治橋大鳥居(内側)を潜ると右折、五十鈴川に並走するように参道を進みます。
このあたりはかつて上級神職の方々のお住まいがあった通りだそうです。
火除橋を渡り、右手に手水舎があります。
がしかし、”ツウ”はここでは手を清めません。
正宮への参道が左カーブに差し掛かったところ、右に下っていくと五十鈴川御手洗場があります。多くの”ツウ”の参拝客が来られているのが写真でもおわかりいただけると思います。
倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神を伊勢の地に祀った要因の一つとして五十鈴川の清流があまりにも美しかったからだと言われます。
今は冬季なので水量は少ないような印象。
南下してきた進路を東に変え、参道を進みます。
大きな大木がところどころに立っていて歴史の深さを感じられます。
そして、石段の先に正宮。
これより撮影禁止となるのでしっかりお詣りさせていただきます。
授与所では、御札と御朱印を授かりました。
ようやく手にした天照大御神の御札を帰宅後、早速三社神棚の中央に祀らせていただきました。左に崇敬神社・大神神社(おおみわじんじゃ:桜井市)、右に氏神神社・石上神宮(いそのかみじんぐう:天理市)を祀っています。
御朱印は自作したオリジナル御朱印帳の最初のページにファイリングさせていただくことにします。自画自賛ですが、なかなか使い勝手が良い御朱印帳です。
おかげ横丁
【家族日帰旅行】も終盤に入り、自由時間ショッピングタイムとしました。
時刻は14時過ぎですが、おはらい町通りは上り方面下り方面共に多くの参拝者で賑わっています。
息子たち三兄弟と別れ、15時に猿田彦神社鳥居下で集合としてめいめいが思い思いに散らばっていきました。
内宮門前町かつて下級神職の御師(おんし)が多く住んでいた宇治村です。
外宮門前町・山田村に住む御師(おんし)については、[第2章]でご説明しましたので、ここでは割愛したいと思います。
こちらは妻と二人、夫婦水入らずのデートを楽しむことにしました。
とりあえず一息ついて甘酒を飲むことに。
伊勢唯一の蔵元「伊勢萬」でつくられる地酒「吟醸おかげさま」の甘酒、”飲む点滴”と言われる甘酒が身体に染みわたります。
横書きの大きな看板には金色で「創業4年 赤福」と書かれてあります。
1707年(宝永4年)300年以上も前なのですね。この建物は明治初期建造だそうで、築140年なのだそうです。
おはらい通りのほぼ真ん中に位置する「おかげ横丁」には、たくさんの参拝客で賑わっていました。
江戸時代の高札場を復元した掲示板。
これなんだかわかります?実は十二支のおみくじなんです。
自分の干支のくじを引くようですが、このまま十二支置物として飾りたいですよね。
江戸時代にはこんな御面が売られていたのかな?
起こさないで下さい♪
あわてない あわてない ひと休み ひと休み💤
伊勢神宮に神具を納めておられる伊勢宮忠さんによる「神恩感謝伊勢太鼓」のパフォーマンスが始まりました。
集合時間3:00が近づいてきたので、息子たちとの待ち合わせ場所、猿田彦神社に向かいます。
次回、
伊勢神宮
おかげ参り
[第5章]
に続く。。。