伊勢に行きたい
伊勢路が見たい
せめて一生に一度でも
【家族日帰旅行】で
”お伊勢参り”
妻と息子「男三兄弟」の5人家族が珍しく一緒に揃った【家族日帰旅行】。
息子たちは成長し家族で行動することもなくなってしまったので、「せめて一生に一度でも」と思い立ち”お伊勢参り”に行って来ました。
今回は、[第3章]の旅レポをご紹介したいと思います。
[第1章]まえがき~昼食まんぷく食堂
[第2章]近鉄宇治山田駅、JR伊勢市駅
JR伊勢市駅~山田上口駅 電車移動
今回の計画で一番の砦だったのがこの移動。
<パパ添乗員流>旅の計画では、JR伊勢市駅11:56発を逃すと、次は13:50発と2時間待ちとなってしまい、この後の計画がパー(;゚Д゚)
最悪1駅なので歩けないこともないが、2km徒歩30分の時間ロスは大きい。
なんとか6分前 11:50に到着してしばしホームで待ちます。
ディーゼルエンジンの轟音が遠くから聞こえ、
JR東海参宮線・亀山行き普通ワンマン車2両編成が入線してきました。
3分乗車、一駅先の無人駅である「山田上口(やまだかみぐち)駅」に到着。
1917年(大正6年)までは「筋向橋駅」という名でした。
今は新しそうな駅舎ですが、なんだかバス停のよう。
ちなみに交通系ICカード対応の簡易改札機も設置されていなかったので、退場記録がない状態で退場となってしまいました。
結果的には、のちほど有人駅で「伊勢市駅入場、山田上口駅退場」という旨を伝えて「伊勢市駅入場」を取り消し現金決済で事なきを得たのですが、これってあくまで口頭申請となるわけですからキセル乗車が可能ですよね?
無人改札で簡易改札機もない駅がどれくらい存在するのかはわかりかねますが、これは早期対策が必要なのではないでしょうか?
JR参宮線・山田上口(やまだかみぐち)駅 → 筋向橋
500m 徒歩7分
元「筋向橋駅」だっただけに、目的の伊勢街道・筋向橋まではすぐに到着。
地図の赤線が四日市日永追分~宮川の渡し(桜の渡し/現宮川橋)を経て続く、伊勢街道のルートとなります。
そして、大阪玉造稲荷神社~奈良~柳の渡し(上の渡し/現度会橋)を経て繋がる伊勢本街道の終点が筋向橋となります。
筋向橋(すじかいばし)
宮川の支流・清川に架けられていた筋向橋。
1970年(昭和45年)、清川は地中に埋設され暗渠になったので、欄干のみ一対で残っています。
1849年(嘉永2年)建立の銅製擬宝珠
1928年(昭和3年)にコンクリート橋に付け替えられた際もこの擬宝珠を引き継ぎ、清川が暗渠化されてもなお今も生き残っているという景観保護の精神が嬉しいですよね。
説明板に描かれた浮世絵を見ていると、当時の光景が想像できます。
コンクリート橋になっても暗渠になっても、筋向橋としてこれからも歴史を刻んでほしいものです。
「西側は俗社会、東側は聖域」と言われ筋向橋が結界となっていました。
筋向橋を渡り、正真正銘の”おかげ参り”の始まりです。
江戸時代、筋向橋を渡ると御師(おんし)のお出迎えが待っています。
「御師(おし)」とは寺社に所属する神職者で、正確には「御祈師(おいのりし)」の略称ですが、
同じ漢字を書きながら読みが違う「おんし」について少し触れたいと思います。
伊勢参拝を勧誘した、つまり今の旅行代理店、ホテル、そして伊勢神宮出張所を兼務したものと考えて頂くとよいと思います。
筋向橋の北東方向には、旧宇治山田市の地名由来となった山田村がありました。
その村に下級神職であった多くの御師(おんし)の住まいがあったのだそうです。
旧御師(おんし)丸岡邸
現在の伊勢市は、江戸時代度会府(わたらいふ)として伊勢国内の天領を管轄するための地域でした。明治維新後、度会県(わたらいけん)となり1876年(明治9年)三重県に編入され、三重県宇治山田市が誕生しますが、1955年(昭和30年)行政区域はそのままで市名変更、「伊勢市」が誕生しました。
旧伊勢街道(現県道22号伊勢南島線)を東向き外宮方向に進み、
少し北に入ったところにかつて御師を務めた丸岡邸 <地図>
最盛期には内宮宇治村・外宮山田村併せて800人以上の御師が居たと言われていますが、
現存している御師宅はこの丸岡邸のみとなっているのだそうです。
1872年(明治4年)に御師制度が廃止されましたが、現在も丸岡氏は子孫繁栄され一般住居としてお住まいになっておられるのだそうです。
伊勢神宮外宮(豊受大神宮)
正式名称は、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)。通称「外宮(げくう)」。
創建: 古墳時代419年(雄略天皇22年)
内宮の創建は、11代垂仁天皇26年と言われているので、21代雄略天皇までに10代天皇が即位されていることとなり484年後であったと推測されます。
主祭神: 豊受大御神(とようけのおおみかみ)
堀川に架かる火除橋(北御門)を渡り、裏参道よりお詣りさせていただきます。
※ 画像は、伊勢神宮公式HPより引用。
緑に包まれた参道を進んで行き、北御門口鳥居を潜ります。
前回2013年まで正宮が置かれていた古殿地(こでんち)
次回、第63回伊勢神宮式年遷宮の日程は、2033年が予定されています。
2033年以降は20年間、現在の古殿地に御正宮(ごしょうぐう)が祀られるということになります。
式典遷宮(しきねんせんぐう)とは・・・
奈良時代より約1300年脈々と続いている伊勢神宮ならではの式典で、20年に一度正宮を造り替えられるのです。
古殿地となっている場所は、1993~2013年の20年間、外宮正宮があった場所で次回2033年には再び正宮が造営されるのです。
使用される建材もすべて境内より伐採採取されたものを使い、いわば自給自足で材料を準備することができるのです。
古殿地の左側には、2013年からの正宮。つまり2033年まで正宮として祀られます。
これより先は撮影禁止区間となります。
神宮では私幣禁断とされているので、賽銭は原則しません。
しかし、賽銭をする参拝者が後を絶たたないようで、簡易的な木箱に白布を貼っただけの賽銭箱を設置されていました。
正宮の参拝を終え、授与所に向かいます。
御朱印を授かり、帰宅後オリジナル御朱印帳にファイリングしました。
左頁には自身で編集した概要を纏めています。
堀川に架かる火除橋(表参道)を渡ります。
外宮表参道口、1対の大常夜燈の迫力に圧倒されます。
1対をワンカットで撮影しようとすると遠景撮影となります。
ほぼ計画通りの時間帯に外宮の参拝を終え、次に内宮に向かいます。
前職メーカー勤務の際、お客様のアテンドで会社近くにあった法隆寺によくお連れしていたのですが、移動中の車内での会話で、
「法隆寺は小中の修学旅行で来たことがあるので懐かしいです。確か東大寺から歩いて来たと思います」
奈良県民の大半が大笑いすること間違いない会話でしょう(/・ω・)/
法隆寺と東大寺はおおよそ20km離れていて、余程の健脚であれば”歩く”ことも可能でしょうけど、小中の修学旅行生に歩かせたら・・・ それはそれで良い思い出になるのかも(笑)
外宮 → 宇治橋鳥居 を正規ルートの伊勢街道だと、峠越えがあり
4.4km 徒歩約1時間
我々家族5人一行は、三重交通バスに乗って移動することにしました。
次回、
伊勢神宮
おかげ参り
[第4章]
に続く。。。