ショスタコーヴィチの時代 ㉚
1944のピアノ三重奏曲第2番と、弦楽四重奏曲第2番の作曲初演のあと、独ソ戦は勝利に終わり、平和が訪れます。その勝利を祝って作曲されたのが、交響曲第9番ということになります。実際作品はそう単純なものとは言えず、ショスタコーヴィチの周辺に新たな火種を起こすこととなりました。
【CDについて】
作曲:ショスタコーヴィチ
曲名:交響曲第9番変ホ長調 op70 (27:53)
交響曲第10番ホ短調 op93 (48:09)
演奏:クルツ指揮(op70)、ミトロプーロス指揮(op93)
ニューヨーク・フィルハーモニック
録音:1949年(op70)、1954年(op93) MONO
CD:MPK 45698(レーベル:CBS)
【曲と演奏について】
大戦中に第7番と第8番の二曲の交響曲を作曲したショスタコーヴィチに対して、終戦、勝利という時期となると、それを祝う第9交響曲への期待が高まってきます。ショスタコーヴィチも大規模な合唱交響曲を作曲していることを公言。第9番という記念碑的な番号であったこともあり、周囲の期待は最高潮に達しました。そんな中で公開されたのは、新古典的で軽妙洒脱なこの交響曲です。特に政府は肩透かしを食らわされたと感じ、これが遠因となって、ジダーノフ批判に発展することとなります。
実際にショスタコーヴィチは大規模な作品の作曲に着手はしましたが、それらは放棄され、その一部は他の作品に転用されました。元の曲の断片は存在も発見され、録音もされていますが、現状の第9番は全く異なる音楽なのだそうです。(まだ、聴いていません)
さて、このCDには第9番と第10番の2曲が収録されていますが、この2曲は作曲年代も大きく異なるものであり、第10番の方は、またいずれ記事を書くとして、今回はさらっと聴いてみます。第9番は、バレエ音楽で有名になったエフレム・クルツの演奏で、作曲後4年経過した、1949年のものです。作曲後あまり時間が経過していないこともあり、原曲をストレートに表現したものだと思います。各パートが丁寧に表現された、しっかりした演奏でもあり、2012年にやっと日本でも発売されました。
第一楽章は、若き日のショスタコーヴィチがよく作曲していたバレエ音楽などの軽妙さを思わせます。このタイプの音楽は、交響曲のような看板曲への挿入は行われていなかったと思いますが、ここではストレートに登場します。過去への回顧か、あるいは「プラウダ批判」でもボルトなどの西洋かぶれした曲の転用がやり玉に挙がっていたこともあり、このタイミングで出してくるのはどういうことかなどと、意味を考えてしまいます。第二楽章はクラリネットのソロがとても憂鬱です。対して低弦に現れる音が不気味に暗雲のように曲を覆っていきます。この音楽は一つのポイントになりますね。
第三楽章、第四楽章と明るくもあり、虚しさも感じる短い音楽が続いて、シンプルな雰囲気の第五楽章で華々しく閉じられますが、この三楽章には、内容に大きな揺れも感じられ、あちこちに憂鬱感やためらいのようなものもあり、単純には計り知れないものがありそうです。最後は思い直したようにパット盛り上がってシンプルに終わり…という雰囲気です。この曲の中身をどう考えるかはそれぞれだと思いますが、あちこちで二重性のある表現をしているショスタコーヴィチですので、何かあるぞ…と思ってしまうのは条件反射みたいなものかもしれません。曲自体は隙の無い構築感のある、ショスタコーヴィチの素晴らしい名曲だと思います。勿論素直に勝利の喜びを感じると考えるのも、ありかとは思いますが…。
現代のこの曲の表現の一つ。こういう風に聴こえるものかと驚くくらい、美しいのですが、このシンプルに演奏される第1~2楽章と、第3~5楽章の鬼気迫る表現の対比には、何かを感じずにはいられません。
ミトロプーロスの第10番についても少しだけ…。この演奏は、作曲の翌年のアメリカ初演時の4日後にセッション録音されたものとのこと。内容は音質は別にしても、しっかりと引き締まった迫力のある演奏だと思います。第10番が非常に明快かつ機能的に表現されているのではないでしょうか。初演当初から、こういう風に演奏されていたと思うと、そもそもこの曲の持つパワーを再認識する次第です。
購入:不明、鑑賞:2024/02/04(再聴)
過去記事のリンクは、第二次大戦時の交響曲を象徴する第7,8番で。第9番を入れた三曲で戦争三部作と言われたこともあるようですが…