とうとう 心配していた事が起こった・・・・。


「何で私だけ・・・・学校にもう行きたくない・・・」と、


期末テスト中だというのに泣いてばかりで勉強も出来ない状態だ。


いつも朝迎えに来る子達2人が登校中無視をしてくるというのだ。


始めは機嫌が悪い時と良い時がある程度にしか思っていなかったが


学校に着くなり他の子達の所へ走って行き娘を置いて行く様になったそうだ。


それだけではない、クラスへ行ってもその仲間達が娘を見るなり


ヒソヒソ話をしはじめるそうだ


対抗策といえば、こっちも睨み返すしかないらしいが、


娘としては今まで仲良くしていた子達が手の平を返したような態度に


学校では睨み返して強がっているが、


本当は凄くショックで溜まらないそうだ。


中学では4学区の生徒がこの中学に集まるのだが、


その無視が娘の地区の子達だけでなく、


他の学区の子達にまで拡がっているらしい、


それまで友達?と思って遊んでいた同じクラスのその子が


うちの娘に近寄らないほうがいいと吹聴して回っているらしい、


殆んど食事もとれないでいる娘を切なくて見ていられない・・・・・。


その話を聞いた時、血圧が上がるのが自分でも判るほど体が熱くなり、


怒りで身体がぶるぶると震えてくる。


学校へ連絡するが、


「お互いの意見の違いがあると悪いので」と逃げ腰の態度に苛立つ。


相手がそんな事していないと言えばそれっきりなのである。



その吹聴している子は、入学当初 クラスの男子生徒から容姿の事で


散々苛められ泣いていたのを、娘が見かねて先頭をきって先生に報告し、


それからその子は苛められなくなったというのを娘の担任教師から聞く。


それを仇で返してくるとは・・・・


キーを打っている今も怒りが込み上げてくる、と同時にそんな状況の中、


ひとりクラスで耐えている娘が不憫でしかたがない・・・・・。


この2.3日ではなく5月の終わり頃から始まったそうだ、


その間娘は自分なりに修復をしようと必死だったに違いない・・・・


その事を私達には気付かれないように・・・・。


中学校であった楽しい会話で我が家の食卓を笑わせていたのに・・・・・・


それも娘にはもう限界だったようだ・・・・・。



それを思うと身体がいくつにも裂かれる程に胸が痛くなる。


それで娘が楽になるのなら何でもしてくれ という気持ちにまでなる。



妻もいてもたってもいれなくて、学年がひとつ上の子の親に相談をすると、


こんな事を言われたそうだ、「中間テストの成績よかったんじゃないの?」と


中間テストでは順位は言わなかったが、学力テストの結果が返されてきて


希望者のみ順位を教えてもらっていた。  


殆んどの生徒が自分の順位を聞きに言ったと聞いていたが、娘に対する行為は


丁度その頃と言えばその頃である。


そのお母さんが、


「先輩に好かれてる子、男子と仲良くしている子、勉強の出来る子」


対象になるといっていたが、


何とも理不尽な・・・・。


今週の月曜日小学校の卒業アルバムが出来てきたと云って娘が中学校から貰ってきた、


学校出入りの写真屋が取り溜めた写真をその生徒一人ひとりに作りあげていた


数ある写真の中から間違わないで選ぶのも大変だろうなぁと感心しながら、


そのアルバムを娘と一緒にを見ていた、入学式の写真から学年行事の写真、


娘が運動会の赤組の応援団長をした写真や修学旅行の楽しそうな写真。


最後は卒業式の写真で終わっていた。


あの時は凄く娘が楽しそうでそれを見ているだけで私達も幸せでした、


そんな思いの詰まった卒業アルバムを、娘はどんな気持ちで


見ていたのかと思うと今も涙がとまらなく流れます、


出来るなら娘と代わってあげたい・・・・・


私ならどんなに辛くても耐えられます。


代わってあげれないこの辛さ・・・・・・切ないです。


昨日小学校で授業参観日があり私達夫婦で5年の兄ちゃんと3年の妹の授業を見てきました、


私は娘の帰りを待つのに一足先に帰ってきましたが、そこで中学校帰りに小学校に現れたそうです、


娘を無視している子達5.6人が・・・・ それも平然とした様子で。


3年の妹は、その子達に対してずっと睨んでやったそうです、


「こいつ達が姉ちゃんを苛めてる奴らか」って、


妹まで心配していたのかと思うと嬉しくて胸が熱くなりました。


今日は娘も妹から勇気を貰い、学校へ行っています。



帰ってくるまで心配でなりませんが・・・・・。


気をつけて帰ってきてほしいです。







とうとうこの日がやってきた・・・・。

卒業式・・・・。

朝からみんなソワソワしている、下の子供達は

一足先に学校へ向かった、卒業する姉ちゃんと私達は

その一時間後に集合するようにと、お便りを貰ってきていた。

妻は化粧に必死だ、とてもではないが今の格好は

誰にも見せられたものではない

娘は中学校の制服を早々と来て用意していた、いつもより何となく

おとなしい、そのまま部屋に入ってピアノを弾き始めた、

落ち着かない様子・・・曲は「SUMMER」

今日のこの日に相応しい曲に感じるのは私だけなのか、目頭が熱くなる。

6年間いや、生まれてからの娘を自分の頭の中でスライドショーのように

思い浮かべてみた。

小学校生活の、この半年間、娘の嬉しそうな顔が見られたのが一番うれしい、

娘なりのがんばりに胸が痛くなる。

そんな娘が今日卒業証書を貰う・・・・。

妻の用意が整い、出発。

いざいざ学校へ こんな時期だというのに今日は吹雪だ。

学校へ着くと娘が友達を見つけ車から降ろしてくれと騒ぐ、

車を止めると友達のほうへ一目散に走っていった、

妻と目が合い安堵のため息をお互いについた。

受付をしているといつもの先生達も今日は緊張ぎみの様子で待合室を

案内してくれた、そこで30分ほど待たされて式場である体育館に入ると

在校生達が歌の練習をしていた、その歌を聞くだけで目頭が熱くなる、

昨日から少し悩んでいた事があった、一番前の席に座るとカメラ位置としては

最高の場所だろうが、万が一、泣くことになると何処からでも見られてしまう・・・

涙のこと等あっさり忘れていた、一番前の席に着くと私の横には教師達の席が


こちらを向く形で座っていた、一瞬昨日の事を思い出し、後ろの席を探したが

順番に席が埋まってきて泣いたらバレバレじゃな~い、まいったぁ・・・


なんて思いながら時間が刻一刻と迫ってくる。


会場も静まり返っている。

カメラも準備オッケー!さぁ~来い!

体育館の扉が開く、卒業生が入場してくる、担任のあとに続いて・・

娘が先頭だカメラに捕らえながらその姿を追う、でも直視できない。

顔を上げると涙が溢れそうになる、ここで泣いたら卒業生の親

第一号になっちまうから堪える・・・・何とか山は越えたようだ。

まいった・・・最初からこれでは先が思いやられる。


式が粛々と始まる中、娘の授与の時が来た、涙を堪えれば堪えるほど


咽び泣きそうになる・・・厚めの汗拭き? タオルを用意してきて正解だった


顔半分をそれで覆うと少々のしゃくりも鼻水も吸収してくれる・・・・。


卒業証書を貰った娘が微笑みながらステージから降りてくる、


授与が終わると思い出を歌にこめて卒業生が歌う


もうタオルを口元から離すことが出来ない状態になっている・・・。


この9年間いじめでどれだけ娘、私、女房で苦しみ泣いてきたことか・・・・


こんな苦しみを味わなくても普通に卒業を迎える子供達がいる中で


遠回りだったけど、やっと落ち着いたこの状況、


この卒業式は夢を見ているくらい


嬉しかった。


幸せだった。


本当に、本当にこのままでいて欲しいと


何十回、何百回と願いました・・・・・。



今日も長女の友達が朝から遊びに来ている、

何を話しているのか私の所までは聞こえて来ないが

楽しそうだ。

卒業式が間近になればなるほど、小学校生活を惜しむかのように遊んでいる、

学校がある日でも放課後、

教室で女の子達だけで遅くまでワイワイ話をしているみたいだ。

仕方ないか。

 今日中学校の制服が届いた、娘は大喜びで制服を着て家族中に見せて回って

いた、袖もスカートの裾も大きかったが嬉しそうだった。

私も通った中学の制服だが、

あの頃の憧れていた女の子が脳裏に浮かんだ
今日はこの時期の恒例の行事、「六年生を送る会」略して六送会と云っ

ていた。

内容はと云うと、各学年で催し物を発表するのだが、劇、合奏、合唱、ダンス

と色々楽しませてもらえる、

長女が1年生の頃から六送会を見に行き、長男、次女と

ビデオに撮り溜めてきたのが、長女のは今年で最後だ、

他の親達が陣取っている真ん中のビデオ撮影席から離れいい場所を取った。

 いよいよ始まるのだが、生憎1年生はインフルエンザで学級閉鎖となり

2年生の次女の劇からだ、村人に扮するのに昨日浴衣を持っていっていた、

楽しそうに村人を演じていた、

4年生の長男はゴリエの曲に乗ってダンスを踊っていた

これが今日イチかな、周りの反応が一番よかったかな、

最後に6年生がディズニーのキャラクターをグループ事に分かれ

面白おかしく演じていました、見納めです。

それでもかなり楽しむことができました。

其々学年が終わる毎に六年生へのメッセージを一言ずつ言うのだが、毎年聞い

ている事なのに、今年は違った。

涙腺が緩みっぱなしで、涙が止まらない。

前述したいい場所を確保したというのは、私が涙を誰にも見られたくないと云

う思いがこういう事にも上手く作用したようだ。

ここ何日も準備を始めてきて、今日が祭の当日。

朝も早くから「さいの神」の柱となる竹を切り出しにいく、今年は例年にも

まして積雪量が多くそこを踏み固めながらの竹の切り出しに息があがる。

会場となる公園もお客さんも入れない程の積雪で除雪が最優先となっていた、

今後の作業にどのような影響を及ぼすのか心配だったが何とか夕方には

時間も押してはいたが、間に合いそうだ。

夕方5時、いよいよ祭りが始まる。

 先発隊は子供神輿から始まる、これは育成会の私が担当だ、雪の為か子供達も

足元が悪い中、「会場に着けばお菓子が貰えるぞ」のかけ声のもと

約1キロの道のりを大きな声を出させながら? 練り歩いた。

 会場には地元自衛隊の演奏の中、甘酒やふるまい餅、各旅館から出店してい

る鍋も目玉のひとつだ、クラムチャウダー、キムチ鍋等、

会場は良い匂いが立ちこめていた。


 雪祭りの出し物は、今の子供神輿、次によさこい、

メインはたいまつを持ったランナーが1.5キロの温泉街を走り

会場であるこの公園迄来て高さ6メートルの「さいの神」に点火と

なり、同時に花火があがる手筈となっている。

白い雪原にたいまつを持った若者達の100人からなる姿は勇壮で

それが会場への「さいの神」を取り巻く、何ともいえない美しさだ。

最後の花火まで無事おわった。

 祭りが終わり、焼け落ちた「さいの神」の火が落ち着くまで見張りを

するのは消防団なのだが、無事終わった安堵感に浸りながら火を見ていると

いつの間にか火の周りには、消防団の先輩OBたちが集まってきて

火を囲んでいた。

 何を語るでもなく、ただじっと火を見ている姿が印象的だった。

今日は長女の12歳の誕生日だ。

今年中学生になる娘に今日のこの日は私にとっても

特別な思い出になると思う。

保育園の時、娘の円形脱毛症から・・・。

保育園3年、小学校6年の計9年間、娘が過ごしてきた学校生活に

楽しさは提供されなかった、

そう世間で云われるようにいじめという奴が此処にもはびこっていました。

でも娘はその階段を一つ一つ経験するうちにいい方向に

大きくなっていってくれました、

その頃からクラスの子供達の自覚する意識も手伝ってくれて、

去年の2学期が始まった頃から娘に対してのそれは姿を消しました、

「学校今が一番楽しい !」って聞いた時の私達夫婦の感動は今も忘れません、

ただひとつだけ、今の状態が・・・これ以上にならなくていいから

「このままでいてくれっ」と毎日思っていました。

今日学校から帰ってくるなり大きな袋を開けて、

クラスの子達から貰ったプレゼントを見せてくれました、

中にはプレゼントをあげていなかった子達からも貰っていました。

何ともいえない嬉しい気分で一杯です。

 それで私達から娘へのプレゼントですが、ホールケーキと

ドリカムの「何度でも」のCDシングルと大塚愛のLOVE JAMでした。

私も思います、今の私がいちばん幸せと・・・・。
昨日のショックから一夜明け

今日は地元の消防団の新年会だ、

毎年消防団といえばハチャメチャな飲み方をし、コンパニオンや芸者達の

嫌われの的となっている。

私達も例外でないが、チョコの恨みを今日ここで ! !

と言いたいが私個人としてもうひとつ特別な日でもありました。

その消防団は年齢が40を迎える歳に晴れて卒団となる訳で、

こんな事を言うと歳がばれてしまうのですが、今日がその日なのでした。

東京から田舎に帰ってきてからなので16年間居たことになるのでしょうか、

今思うと

火事の現場に恐怖で動けなかった事や、近所の痴呆のお爺さんが行方不明で捜

索しに山へ入って道に迷ってしまった事、(その爺さんは30キロも離れた土地で

ハウス栽培しているメロンを食べて居る所を無事発見されましたが)先輩たちか

らドジ呼ばわりされていたのにいつの間にか後輩たちに消防ポンプを教えるま

でになっていたり・・・今日は自分でも少し感慨深い気分になります。

宴席は静まり返り、私の卒団の一言から引き続き乾杯の音頭へと移る中で首尾

よし の筈が、やっちゃった・・・・

万歳と乾杯と混ざって両方言ってしまって、張り詰めていた空気が一気に

ドッと言う笑いに・・

乾杯の大杯の酒がやけどをするくらいの熱燗が注いであって笑いの中

目を白黒しながら飲み干すと会場もいつものように荒れた宴席に

切り替わってしまいました・・・

静かな宴席よりも私にはこの方が似合っているし

こうなりゃ私も・・・・・「おんな呼んでブギ」の世界へ突入・・・。

でも楽しく終わるはずが、最後に些細な事で仲間とけんかに・・・、

とんでもない記念の日になってしまいました。

明日からそいつに逢ったらどんな顔すればいいのかなぁ・・・

いい歳して何やってんだろ・・・・・


バレンタインデー

と聞くと男性なら少しは心が躍るでしょう。

私も例に漏れず心ばかりの期待をしていました 期待をすると云っても、

今の私には妻と子供達からのプレゼントを受け取るのが精一杯なの

ですが・・・  

その日は家に帰るのが遅くなり、家に着く頃にはチョコレートの事も忘れてい

ました、ゴミ箱のチョコの紙くずを見て再度 バレンタイン  の事を思い出

す、 家族が寝静まりかえった我が家で私ひとりだけ残り物で食事を済ませ、

次の日に「パパこれ」「あなた、はいチョコ」と言われるのを 期待しながら

床に就きました。  

次の日は、22日の祭り為の準備がこれから何回かに分けてあり今日は

その初日、その為に仕事もできない状態が続くがそれも仕方が無い、

その日も朝からバタバタしていて家を後にする。    

準備会場では昨日愛するひとから貰ったであろうチョコを持ってきて自慢げに

食べている輩もいた、 それを見て私もチョコの事を妻に聞くの忘れていたなぁ

なんて思いながら作業を。    

夕方家に着くと小4の息子が、昨日貰ってきたチョコを食べながら ゲームをし

ていた、いくつ貰ったかを聞くと自慢するでもなく

「4つかな・・あ っ、5つかな」とコントローラーを操作している、

私が中学の頃からチョコの話が出てきた記憶があるのだが、

こんな私でも高校生の頃は最高で16個貰った経緯があり、過去の栄光を未だ

引きずっているのも確かである、 そんな私故この時期になると子供相手でも

むきになっている自分がいるのが悲 しいサガだ。

息子がゲームに夢中になっている隙に愛の手作りチョコを失敬する・・・

人の物ながら大変美味しい。息子がそれに気付き「なんだよ・・・父さんのチ

ョコは?」 と聞かれ、未だ貰っていない前日からのあらましを聞いているの

か いないのか、ゲーム中の息子に話していた、「母さんが昨日買っていた

よ」 それを聞き今晩かなぁなんて期待が膨らんだ、 食事中の会話で息子

のチョコの話を切り出しても妻は何も言ってこない、

娘たちは何処で食べたのか幾つかのチョコの品評をしている、

「ん?」頭の中でクエスチョンが並び始め、これはオカシイ・・と

食器洗いを している妻に遂にチョコの話を切り出してみる、

返事は簡単だった・・・・

「棚の上に上げておいたのに、手付けていないから要らないのかと思

って子供達(ふたりの娘)と食べちゃったぁ、なぁんだ 言ってくれれ

ばいい のに・・・・」

・・・・・・たべた?

それを聞いていた息子が小っちゃなチョコを私にくれた、美味しかった。

翌朝、ゴミ箱を見ると確かにチョコの空き箱がいい香りをさせながら 捨てられ

ていました。

父さんが高校生の頃はな ! !・・・・・・・。