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「信長一人称」

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「猿? 禿鼠? 奇才?」 第二部


 しばし、思案が行き詰まった時、家臣を集めて、ひとつ、お遊びで催し物を行う。

 家臣も、城下の民も、浪人も、老いも、若きも、身分・性別・年齢を問わずに、希望者は誰でも参加できる、実戦形式の騎馬戦大会を行う。

 これは遊び事であるので原則として、全て寸止め方式で、真剣の使用は不可。単騎の参加から、組を作っての参加も有り、である。

 あまりにも力の差が開き過ぎていると、余の、本来の、目的が見えてこなくなるので、部門をいくつかに分ける事にしていた。

 余の本来の目的は、余以外の者の知恵も欲しかったのである。余、以外の者が何か僥倖をもたらしてくれるのではないかと、そこに期待した。

 その為に、切磋琢磨するような環境であれば、真剣さが増して、必死になることであろう。はじめから勝負をあきらめるような、土俵に上がることさえあほらしく感じるような事では、愚かな意識下で、良き発想が生まれはしないであろう。そうしない為に、遊びの中でも、ある程度の緊張感を持たせるために、実力を拮抗させようと、大まかではあるが、似通った力関係で、部門分けすることにした。

 武士や浪人などの戦う事を生業としている者の、剣士部門。

 農民、漁師、猟師、商人、職人、僧、などの一般の部。

 五十以上の老人の部。

 女性の部。

 幼少の部。

 四つの部門に分け、それを、更に細分化して、単騎形式・団体形式・馬使用形式・素手のみで武器を使用しない形式、といった具合である。

 更に、新戦術発評会も同時に行った。

 これは今まで使われた事のないであろうおもしろきものであれば、良い、というもので、紙で説明もよし、口頭で説明もよし、模擬実演もよし、と表現方法は各自に任せて、余が審査を行い、面白いと評価できれば良いのである。実戦で使えそうだ、と思えれば良いのである。これには、飛び道具として、手裏剣も鉄砲も使う内容であってもよいのである。

 何でも良いのである。

 下手に制限を設けてしまうと、そこに縛られ、固執してしまう。そうすると、出てくるはずの名案も生まれてこない恐れが生じてしまう。更に、本来の目的は、余の発想と違うものを得たいのであるのだから、余がやたらと制限を設けてしまうと、それだけ、余の発想に近づけてしまう事になるのである。

 余が、作戦作りに使う思考は戦国武将色が強くなってしまう。当然、他の、余所の、敵となる武将らも同じである。そうしてくると、基本は同じものになり、実戦においても、基本を進化させただけに過ぎず、似通ったもの、究竟、頭数の勝負になってしまう。

 そうならない為に、奇抜と思われる一計が欲しいのである。制限を排除し、束縛から解き放つことで、余は、新たな作戦と戦術を得ることができるのである。



 この興行は街の一大行事の様なものになり、大いに賑わった。町の活性化になった。

 応仁の乱以来、常に争いともめ事とが絶えない、戦国と呼ばれる時代ではあるが、…、いや、だからこそ、時に、心に平和が欲しいのである。余も、庶民も、そこは同じであろう。たまに、楽しみが欲しいのである。民に笑顔が見られた。常時、戦と生活に追われている大人衆、老い衆が子供の様に無邪気になった。天真爛漫に、戯れる事に集中出来ている様であった。



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