「信長一人称」
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「桶狭間の合戦まで」 第十九部
信盛が血相を変えて部屋に入ってきた。
余を殴りかからんとばかりに猛進する。信盛を岩室らがしがみつき、抑えた。
「殿ぉっ! 殿ぉっ! 殿ぉっ!」
信盛が喚き散らした。野生獣の様であった。涙も鼻水も、恥も外聞も、おとなげも遠慮も、品も格も、何もかも投げ出して、喚き散らした。
(ふっ。信盛よ。それだけ元気があれば、まだまだ戦える。おぬしも、実はまだまだ戦いたいのであろう、そうであろう)
「殿ぉっ! 殿ぉっ! 殿ぉっ!」
「黙れ、信盛!」余は一喝入れた。「…、…。今日の奇譚は明日の正統! 平べったい通念などはぶち破れ!」
信盛は黙ったが、目を見開いたままであった。そして、吐息のような弱弱しい声を、口から、ようやく、漏らす様に、
「殿、…、…。信盛も連れて行ってください。信盛もご一緒させてください。信盛も、殿と一緒に地獄でも、その先にでも、お供させていただきます。殿がお荷物と思われようとも、信盛はしがみついて離れませぬ」
「…、…」
「…、…」
「ふっ、悪病神め。地獄でも、その先でも、とは縁起が悪い。必ずや、生きて帰ってくるぞ。義元の首をぶん切って、尾張に持ち替えるぞ」
「はい」
信盛は涙と鼻水を汚らしく顔一面に塗りたくったまま、笑みを浮かべた。
「信盛。とっと準備をいたせ。余は先に行く。ついでじゃ、この小僧も一緒に連れてきてくれ」
信盛は一つ頷いて、急ぎ足で部屋を出た。小僧も信盛について部屋を出た。
余と岩室らは急いで整えさせた湯漬けをかっ込んだ。
「皆、味わうでないぞ。仕事に喰え(仕事と思って喰え)。味わうなどという感情を戦の前に持ってしまうと、死ぬか生きるかの勝負の瀬戸際で、あぁ、あの時の湯漬けはうまかったなぁ、などと思い、諦めの思考が先行してしまう。それではいかん。せめて、うまい湯漬けを食うまでは死んでなるものか、勝って、国に帰ってうまい湯漬けを食うまでは何が何でも死なないぞ、そう思え。親の敵も、食の恨みも、すべて義元にあると思え。さぁ、湯漬けは食したかぁ! さぁ、いざ、行かん!」
余は食べあけた茶碗を床に打ちつけた。
「がしゃん!」
派手に茶碗の割れた音を確認した後、岩室らも、威勢よく、食べあけた茶碗を床に叩きつけた。
「がしゃん!」
余は出陣した。岩室ら五人だけがついてきた。信盛の後続は熱田神宮で待つことにした。しかし、もし、竹千代がこれ以上の仕掛けを繰り返せば、余の気は長い方ではないので、信盛ら後続部隊を待つことなく、余を含め、たった六騎でも攻め入ってしまうかもしれない。いくらなんでも、それは無茶がありすぎる。だから、信盛よ、早く、一刻も早く、熱田に来てくれ。そして、竹千代よ、余が貴様を攻めようとしないためにも、もう、これ以上、手を出さないでくれ。この戦に、これ以上、関与しないでくれ。うまく事が運んでくれれば丸く収まる。頼む、うまくいってくれ、頼む、頼む、頼む、…、…。
余は馬を走らせながら、普段は、神も仏も信じぬ、と豪語しているのに、こんな時ばかりは、願い事をしている様な己が嫌になった。
この、負けに傾いている弱い気持ちを払拭したい為に、日頃から好き好む「敦盛」を念じることにした。
そうすることで、雑念を取り除き、そこから、勝ち気な思考に切り替えられるかと思った。
「人間五十年、
下天のうちにくらぶれば、
夢幻のごとくなり。
一度生を受け滅せぬ者のあるべきか」
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