これまで、仏教とキリスト教とを比べることで、人間はなぜ神を信じるのかについて考えてみました。今回は、私が仏教に関心を持った切っ掛けをお話します。

 

私の祖父は新潟県出身の蕎麦屋でした。昔は、田舎から東京(江戸)に出て来る人たちは、出身地によって職業が分かれる傾向があったそうです。新潟は蕎麦屋、富山は風呂屋、相模は鏡職人といった感じです。

 

富山県は浄土真宗の土地です。浄土真宗は子供を間引くことを禁じているため人口が過剰になります。そこで田んぼを貰えない次男・三男は県外に丁稚奉公したり、行商に出るのだそうです。富山の薬売りは有名ですね。村の誰かが風呂屋の丁稚奉公に出ました。風呂屋は掃除や水汲み薪割と人手が要ります。働き者だったので主人から「村の者をもっと連れて来てくれ」と言われて、風呂屋は富山県人を招き入れたので、江戸の風呂屋は富山県人ばかりになりました。いま、東京のラブホテルのオウナーは富山県人が多いそうです。風呂屋を廃業して、跡地をラブホテルにする富山県人が多いそうです。どちらも裸商売です。

 

同じことは各地で起こり、私のお祖父ちゃんも、新潟県人を頼って上京し、暖簾を分けて貰って横浜で蕎麦屋を営んだらしいです。新潟なので、家の宗教は浄土真宗でした。でも我家のは浄土真宗というよりは、死者崇拝という感じでした。仏壇があって、半年に一回くらい坊さんが来て、私は仏壇にはお祖父ちゃんが住んでいると思ってました。

 

長い前置きですが、私と仏教との関わりはその程度です。大学生のときに仏教の本を幾つか読みましたが、全く分からなかったです。分からなくて当然だと思います。他のところで書きましたが、日本には「仏教」という宗教は存在しないからです。

 

就職して5年目ぐらいに仕事の関係でインドに出張に行きました。仕事の合い間にタジマハールとか見て回り面白かったです。そこで次の年、結婚したばかりの家内をつれてインドを2週間まわりました。(新婚旅行はバリ島にいきました。) 途中、ボンベイ(今のムンバイ)の西のデカン高原にあるオーランガバードに寄りました。

 

オーランガバードからタクシーで1時間くらい?のところにエローラの石窟寺院はありました。近くの小学校の女の子たちが遠足に来ていたようです。岩山の中腹で私たちは出会ったのですが、細い道なので、数百人の女の子が列を作ってこちらにやってきます。日本人を見たことが無いのでしょう。楽しそうにお喋りをしてた子たちが、数メートル先で私たちに気づき「変な動物!」「見てはいけないものを見た!」という感じで、こちらをジッと見ながら表情を凍らせて通り過ぎて行きます。次から次とその繰り返しで聊かまいりました。

 

エローラは岩山の中腹に30ばかりの石窟が穿たれた

 

 

初期の仏教は己の救済だけ追究する内向的な思想であったという。そのため瞑想室のような閉空間を必要とした。僧房僧院のことで、修行僧がここで生活しながら瞑想を行なった。

Under construction

 

さて、

 

次は、シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil, 1909-1943) ユダヤ系フランス人ですが、良心の方針でユダヤ教の教育は受けていません。全く無名のままに死にましたが、生前に書き溜められていたメモが死後に出版され、大評判になりました。 

 

この人の生涯とか政治思想とかは、ここでは重要ではないようです。ただ、彼女の言葉を幾つか並べてみたいと思います。

 

〇「キリストの超自然の部分は、かれが流した血の汗であり、人間の愛にたいする潤おされることのなかった渇きであり、苦しみを免がれさせたまえとの祈りであり、そして神によって見捨てられたという感じである。」

〇「「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 この言葉にこそ、キリスト教が真に神的ななにものかであることを示す正しい証が見出される。」

〇「われわれのために用意されている「神的なもの」は、真四角に切り込まれた、死んだ角材と、そこにつるされている一人の男の死体だけである。われわれは、神とわれわれとの関係の秘密を、われわれが死すべき存在であるという事実に求めなければならない。」

〇自分が死ぬ前には、十字架にかけられて、「わが神よ、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」といわれたあのキリストと完全に同じ状態にされていたい。その特権を うるためなら、わたしは天国と呼ばれるものは全部よろこんで捨て去ってしまおう。 

〇神がわれわれを愛したもうから、われわれは自分を愛さなければならないのである。この動機がなかったなら、だれが自分を愛することができようか。こうした廻り道を経なければ、人間は自分を愛することができないのである。

〇神を否定する人の方が、おそらくは神により近い

〇たましいはただ、神の方にむかって、生命のパンに飢えていると泣き叫ぶだけでいい。一瞬のたえまもなく、疲れも知らずに、赤ん坊が泣き叫ぶように・・・。今から、死の瞬間にいたるまで、わたしのたましいの中には、永遠の沈黙のうちにはてしなく叫ばれるこの叫びのほかには、どんな言葉もなくなってしまえばいい。

〇われわれが目指す対象は超自然の世界であってはならない。あくまでもこの世でなければならない。超自然というものは、いわば光そのものである。光を対象とするとわれわれはそれを低下させることになる。

〇芸術においても、学問においても、優秀な作品、平凡な作品を問わず、二流の作品は自己の拡大であるが、第一級の作品、すなわち創造は、自己の放棄である。

 

sicut cervus

Sicut cervus a 4 - Sitivit anima mea a 4, Giovanni Pierluigi da Palestrina. Puerto de la Cruz (youtube.com)

 

 

 

 

 

 神が、神概念から解放されることを望む

 

神を信じる人は、無神論者よりも、神を信じない

 

エックハルト 

 

否定神学 

 

⑥-1「信じる」で、信仰の始まり、そして現代は多神教社会だと述べました。

⑥-2「再度、信じる」で、トランスと「てんかん」について述べました。

⑥-3の今回は「信じる。まだまだ続行中!!」です。

 

信仰は実践であり、祈ることが信仰への近道であることを書きました。そして、信仰の「外堀を埋める」ようと、「人格」探す人間の習性、「因果関係」に基づき原因を求める人間の習性、分業により成り立っている現代社会、トランス状態とてんかん、などなどについて書きました。

 

ここでは、信仰の在り方を見るための例として、パスカル、マザー・テレサ、そしてシモーヌ・ヴェイユを見てみましょう。

 

先ずはブレーズ・パスカルです(1623年 - 1662年)

 

天気予報に良く出てくるヘクトパスカル。これは気圧の単位で、圧力の研究に功績のあったパスカルに因んだものです。 パスカルは17世紀の数学者、物理学者、思想家、ジャンセニスト。日本だと徳川家光の時代、フランスだとルイ13世とかリシュリュー枢機卿の時代です。ベルばらの少し前の時代。

 

パスカルは理系人間で文系の著作は多くありません。変わり種の業績としては、乗合馬車の事業化があります。それまで、馬車とは金持ちが乗るものでしたが、乗合にすることで、金持ちでなくても乗れるようにしたそうです。私たちが利用しているバスの先駆けです。数学のできる人なので、採算計算に手腕を発揮したのでしょう。

 

大変に頭の良い人でした。信仰についても理知的に説明しています。

 

 パスカルは、神がいるかいないかは、人間の理性では分からない。信仰とは賭けなのだ、と言っています。

 「神がいる」と賭けて、その通りだったら天国の至福が得られる。賭けに反して神がいなくても、何も損はしない。負けてもともとだ。

 ためらわずに、神があると賭けたまえ。

 

この「信仰の賭け」は一見して問題があります。

・神が存在したからと言って、天国の至福が与えられるとは限らない。

・間違った神を信じたら、本当の神から罰せられるかもしれない。

・賭けに負けたら、教会に毎週行ったり、献金したり、お祈りしたりしたことは無駄 

 になるので、「損はある」。

 

多くの神学者や哲学者が「神の存在証明」を試みています。「神がいるかどうか、人間には分らない」というところに出発点を置くところがパスカルの面白いところです。

 

この賭けの比喩が妥当かどうかより、パスカルは信仰を理性の問題ではなく、「心の問題」として考えていたことが重要だと思います。

 

パスカルには大変仲の良い妹がいました。彼は妹に向かって、こんなことを言っていたそうです。

 

「自分は神に全く見離されており、神の方からの招きを何も感じない。全力をつくし 

 て神に向おうとするが、自分を最善のものに向わせる力は、自らの理性と精神であ 

 って、神の霊の働きではない。自分のまわりのものに執着のなくなった今、もし以

 前と同じように神を感じることができるなら、どのようなことも可能なのだが。」

 

妹にこのようなことを言ってから2か月後、あることがパスカルに起きました。彼はそのことを誰に話すことなく、一枚のメモに認めました。

 

パスカルが39歳で死んだとき、パスカルの着ていた上着に縫い付けられていたメモが発見されました。そこには、1654年11月23日の夜十時半ころより零時半ころまで、という日付とともに、下記の言葉を含む「覚書」と呼ばれる文章が記してありました。(全文は下に貼りました。)

 

「火」 

  

「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、哲学者の神ではない。確実、確実、直感、喜び、平安。イエス・キリストの神」

 

あなたは哲学者や学者の神にあらず。
感動、歓喜、平安!
ああ、イエス・キリストの父なる神よ。
あなたが私の神となってくださったとは!」

 

「永遠の命とは、唯一のまことの神である貴方と、貴方の遣わしたイエス・キリストを知ることです。」ヨハネによる福音書 / 17章 3節

イエス・キリスト。イエス・キリスト。
わたしは彼から離れ、彼を避け、捨てて、彼を十字架につけました。
しかしこれよりのち、私が彼から離れることが永久にありませんように。
福音書に記されたあなたこそ、実在の神です。
ああ、全き心。快い自己放棄。
イエス・キリストよ。」

 

これは神秘体験だったのでしょう。このメモを読むだけでも迫って来るものを感じます。

 

パスカルの同時代人であるデカルトも神秘体験について書いていますが、そちらには説得力を感じません。「無理してんじゃないの━?」と言う感じです。

 

 

 

パスカルの次に、マザー・テレサを見てみましょう。

 

マザー・テレサについては、ここで紹介するまでもありません。ノーベル賞を受賞したカルカッタの聖女です。マザーの生涯が神の光に照らされたものと私たちは考えますが、晩年のマザーは、神が自分から離れていくという感覚に苦しめられたそうです。 

 

マザーの言葉を聞いてみたいと思います。

 

「神に望まれない、拒絶されて空虚であり、信仰も愛も熱意もないのです。人々の魂にも魅力がなく、天国の意味も皆無で何もない空間のように思います。」「暗闇の深さを表わす言葉がありません」「神に対する思いは痛いほどあるのに、闇はさらに深くなっています。私の心の中には何という矛盾があるのでしょう。内面の痛みはあまりに強いので、すべての評判にも人々の評価にも何も感じません」。(1956年のペリエ神父への手紙)

 

「わたしはたったひとりです。闇はそれほど暗く、わたくしは孤独です。望まれず、放棄された者。愛を求める心の孤独感は耐えられません。わたくしの信仰はどこへ行ったのか。心の奥底にも、空虚と暗闇以外には何もありません。神よ、この未知の痛みは何と辛いのでしょう。その痛みは絶え間なく続きます。(1959年7月、ピカチー神父への手紙)

 

宗教学では、このような心の状態を「霊的渇き」Spritual Drynessと呼びます。霊的枯渇状態とも言います。

 

ここでは「暗闇」と言う言葉が何度も使われています。キリスト教世界でも屈指の神秘主義者と考えられている十字架のヨハネも暗闇について話しています。神に近づく人は霊的渇きや暗闇を体験するそうです。

 

私たち一般人は、「曇り空」の下で光を見ているのではないでしょうか? ところが、神に近づいた人は、神の光を直接浴びている。ー 太陽を直接見ると、輝きの強さに目が眩んで暗闇を見ているかのように感じる。神が、後ろ姿しかモーゼに見せなかった理由もこれだと思います。出エジプト33-20

 

イエスさへ、十字架上では「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」「私は渇く」と言っています。

 

大阪教区の和田幹男神父は次のように述べています。「命としての神を渇望しながら、この神によって突き放され、心引き裂かれる思いでいる。 それが郷愁として、神による見捨てとして、残酷な不在として体験されている。 この神の不在を嘆けば嘆くほど、その実、心のもっと深いところで神の現存の意識が芽生え、成長し、あらためて神への信頼が増幅する。 人間の心の中における神の不在の意識も、実は神の現存の一つのあり方ではないのか。」「神は水のように、命にとってはなくてはならない方である。水はあまりにも身近かなものであって、その有難さがわからない。 しかし、水がなくなると、これが不可欠なものであることがわかる。これは渇きの中で、渇きの苦悩の中でわかるもの。神もそのような方だということ。」

 

 

 神が、神概念から解放されることを望む

 

 

 

 

 

 

パスカルの覚書(下に、パスカル自筆のメモの写真があります。)

 

1654年11月23日の夜十時半ころより零時半ころまで

 

アブラハムの神、イサクの神、ヤコプの神よ。
あなたは哲学者や学者の神にあらず。
感動、歓喜、平安!
ああ、イエス・キリストの父なる神よ。
あなたが私の神となってくださったとは!
キリストの神がわたしの神。
わたしは、あなたを除くこの世と、その一切のものを忘却します。
福音書に示された神こそ実在の神です。
わたしの心は大きく広がります。
正しき父よ、世はあなたを知りませんでした。
しかし、私はあなたを知ります。
歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙!
私はあなたから離れ、命の水の源を捨てていましたが、
わが神よ、あなたは私を捨てたりなさいませんでした。
どうか私が、これより後、永久にあなたから離れませんように。
永遠の命とは 、まことに、唯一の真の神であるあなたと、
あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることにあります。

イエス・キリスト。イエス・キリスト。
わたしは彼から離れ、彼を避け、捨てて、彼を十字架につけました。
しかしこれよりのち、私が彼から離れることが永久にありませんように。
福音書に記されたあなたこそ、実在の神です。
ああ、全き心。快い自己放棄。
イエス・キリストよ。
私はあなたとあなたのしもべたちに全く従います。
わたしの地上の試練の一日は永遠の歓喜となりました。
わたしはあなたの御言葉を、とわに忘れません。アーメン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シリーズ①で永平寺に行ったこと、

②で修道院に行ったこと、

③では聖フランシスコについて

④では祈りについて考えたので、

⑤では歌、

⑥-1前回は「信じる」で現代社会は多神教的だと述べました。

⑥-2今回は、「信じる、再び、」です。

 

前回では、「信じる」とは、人間が自然界を生きる進化の過程で身に付けた手段だが、現代人は多くの前提を信じることを迫られ、神への信仰が疎かになっている、と書きました。

 

私は若いころから「死について考えることは大切だ」「死を考えない人間は、生きているとはいえない」とか聞かされてきました。でも、死について考えたことはありません。

 

東日本大震災が起きたときは、高層ビルの35階で、香港の取引先と電話会議をしていました。あまりにも揺れが酷いので「地震だから会議は中止だけれど、これで最後かもしれない」といって電話を切りました。香港には地震がないので、何のことだか分からなかったみたいです。女の子が声を上げたり、ファイル棚が倒れかかったりと大騒ぎでしたが、私は窓の外を見ながら「このビルは途中でポキンと折れるのか、ズドンと倒れるのかどちらだろう?」などと考えていました。「こんなところで死ぬのは嫌だな」とは思いました。鈍いのかもしれません。地震の最中よりは、終わってからの方がビルは左右に大きく揺れ続けました。

 

 ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを 在原業平

 

 思ひおく まぐろの刺身 河豚と汁 ふっくりぼぼに どぶろくの味  新門辰五郎

 

神への信仰と、死への恐怖は密接に関わっています。しかし、寿命が30歳であった昔とは異なり、人生80年の現代では「充分に生きた。もう死にたい」という人も多いようです。「永遠の命」とか言われても迷惑です。  

 

宗教は、人生の苦難とも関わってきました。お釈迦様は王族の息子として産まれました。あるとき、城の東門を出ると老人が、西門には病人が、南門では死者を見て、人生の苦難を知りました。北門を出ると修験者がいたので、出家を決意したそうです。(四門出遊)

 

永く平和が続き、社会保障も整備され、治安も良く、だれもが(消極的には)親切な日本では人生の苦難や不安も少ないです。「地上の天国」は現代の日本で実現していおり、「神様要らないよ」という感じもします。イエス様も、マルクス様も、いまの日本を見たら「天国だ」「理想郷だ」と言うでしょう。

*養育費の取り立てが制度化されておらず、女性の職場復帰も難しいので、シングルマザーは大変だと   

 思います。

 

神さまの出番は減っているようです。アメリカでも信者は減っていますが、まだ神を信じることが主流のようです。競争社会には救いが必要なのでしょうか? 中国も変化の激しい社会であり、宗教への関心は高いようです。

 

それでも、私には「何かを信じたい」という欲望は確実にあります。神を信じることのない人生は随分と辛いだろうと思います。教会では、私のような人を「神に招かれている」と呼びます。これって矛盾してますね。「私には信じたいという欲望がある」と言ったのに、「私が欲しているのではなく、私は招かれている」と言うんですから。この論理の逆転はすべての宗教に共通すると思います。他に説明のしようがないのでしょう。

 

「神を信じたいなどという欲望はない」という人は、神に招かれていないのでしょう。でも忙しいですし、面白いことも沢山あるので、招かれていても気がつかない人も多いと思います。

 

呼ばれています いつも

聞こえていますか いつも

はるかな遠い声だから 

良い耳を、良い耳を 持たなければ  典礼聖歌

 

神無しで生きられるなら、その方が良いでしょう。教会に毎週行くなんて時間の無駄です。私は、聖歌隊の練習もあるので、日曜は丸つぶれです。良い暇つぶしです。

 

さて、

 

これからは、信仰の持つ超自然的な面を考えてみます。多くの宗教者が神秘体験や、神憑り経験を報告しています。これは一体なんなのでしょう?

 

聖書によると、イエスは一人静かに祈る人で、神憑り(がかり)の人ではないようです。私の知る限り、お釈迦様も神憑りを経験したことは無いようです。モハメッドは「神の声を聴いた」と言っていますから神憑りがあったのかもしれません。

   

新約聖書で神憑りがあったのはパウロです。入信するまではキリスト教徒を迫害していましたが、ダマスカスに向かう途中で強い光を浴び「なぜ、私を迫害するのか?」というイエスの声を聴いて落馬しました。(この時、パウロの目から「ウロコが落ちた」そうです。この表現は聖書オリジナルです。)

 

パウロは持病があったようで、「高ぶることのないようにと、肉体に一つのトゲを与えられた。」と言ってます。この棘とは「てんかん」だと言われています。

 

てんかんは側頭葉の病気です。側頭葉を刺激すると、普通の人でも発作を起こすそうです。また、1秒間に20~50回程度の光の明暗を体験すると、てんかんに似た発作を起こすことがあります。ポケモン放送中に、子供たちが発作を起こすという事件がありました。パウロは「強い光を浴びた」といっているので、ポケモン体験をしたのかもしれません。

 

てんかんの中でも、Geschwind症候群という症状があり、その特徴は

 

●神秘的、宗教的、哲学的関心が高い 

●強迫的、過剰に書く(過剰書字) 

●粘着的言動と迂遠 

●怒りや攻撃性が現れやすい 

●性的欲求の低下まれには同性愛 

●認知の強化

 

これを見ると、宗教家や神学者・哲学者は全て、てんかんの患者に見えてきます。トマス・アクィナスやプラトンは、羊皮紙と羽ペンで驚くほどの量の本を書いています。

 

パウロも膨大な書簡を書いているし、文章は粘着で迂遠です。またキリスト教徒を迫害したぐらいだから攻撃的です。「結婚しない方が良い」とあっさり言っているので、女の人には関心なかったようです。

 

画家のゴッホは、上の症状の全てが当てはまるそうです。若い時は神学校に通っていたし、有名な「耳切り事件」は暴力性の表れかもしれません。

 

てんかんについては、慈恵医大の須江洋成先生の「てんかんの精神医学的問題」のP30~37をご参照ください。ネットで見れます。箇条書きなので読みやすいです。ゴッホの部分は特に興味深いです。

 

という訳で、宗教家の神秘体験は「てんかん」かもしれません。だからといって、「宗教なんて、てんかん患者の妄想に過ぎない」という訳ではありません。「ゴッホの絵なんて、てんかん患者の幻視に過ぎない」と言わないのと同じです。ゴッホの絵は、てんかんによって研ぎ澄まされた感性の産物なのでしょう。

 

ハンディーを乗り越えた人が、常人のなしえない仕事をすることはあります。パウロもてんかんという「体のトゲ」を通して神の声を聴いたのかもしれません。

 

「神秘体験はてんかんの症状」と決まった訳ではないですが、神秘体験や神憑り体験も、医学的に説明できるかもしれません。神が医学的な現象を用いて、私たちにメッセージを送っているのです。処女が妊娠するんだから、てんかんが神秘体験でも驚くにはあたりません。

 

中世のスコラ学では、「神は、聖書という書物と、自然という書物、二つの書物を書いた」と考えたそうです。進化の過程で人間に植え込まれた「原因を知りたい」という願望も、てんかんの症状を通しての神秘体験も、神が人間を招くために書いた「自然」という書物の一部なのでしょう。

 

神秘体験とは与えられるものであって、私たちから求めるものではない、と以前に書きました。神憑り(かみがかり)になるつもりが、悪魔憑き(あくまつき)になるかもしれません。苦行とか荒行も、側頭葉の発作を促す効果があるのでしょう。コカインなどの薬物を用いることもあるそうです。

 

神秘体験とかトランスとは、宗教のスパイスかもしれません。ある程度はあって良いものです。スパイスを掛け過ぎて激辛にすると、私などはお腹が痛くなります。

 

信じるって難しい課題です。解き明かしたという気が全くしません。次の⑥-3「信じる、まだ続行中!!」でファイナル・アンサーを目指します。

「お寺に行きました」「修道院に行きました」という作文に始まり、祈りと信仰について書いてきました。

 

シリーズ①で永平寺に行ったこと、

②で修道院に行ったこと、

③では聖フランシスコについて

④では祈りについて考えたので、

⑤は歌について

⑥の今回は、信仰=信じる、について考えてみます。

 

「信じる」とは何か? これを説明することは大変難しいです。そもそも「信じる」とは理屈ではなく実践です。言葉を並べても核心に至りません。

 

じゃあ実践とは? 癩病患者と一緒にご飯を食べたり、私財を投じて山谷のドヤ街に宿泊施設を作ったりという実践は立派過ぎて真似できません。毎日寝る前に30分お祈りするのも大変です。聖人伝とか読んでも、「この人たち変なんじゃない?」と言うほどの熱心さでついて行けません。

 

シリーズ④でお話した、「信仰のない私に、信仰を与えてください」と寝る前に3回唱えて祈ることが、信仰を理解するための近道です。

 

これで、お仕舞い。。。。にしても良いのですが、信仰の外堀を埋めるようなことごとを書いてみたいと思います。人類はどうして神を信じるようになったのか? 現代社会での信仰とは? 「神からの御告げを聞いた」というような神秘体験とは何か? といった事々です。

 

そして信仰者の在り方の模範というかケース・スタディとしてパスカルと、シモーヌ・ヴェイユを見てみます。

 

1回では収まりきれないので、3回か4回になると思います。

 

動物の中でも象や猿は仲間を葬りますが、象の宗教はないようです。ネアンデルタール人は死者を葬ったとも言われますが、宗教があったかは諸説あって良く分かりません。ネアンデルタール人は体が大きく力が強かったので自然界を一人乃至は数人で生きていました。ネアンデルタール人の喉は開けっ放しで、息継ぎが出来なかったそうです。息継ぎが出来ないと息を意志のままに制御できないので、クロールとを歌うことできなかったようです。そして言葉を操るのも苦手だったようです。

 

私たちサピエンス族は、体が小さいので一人では自然界を生き抜けません。30人ほどの群れを作って生きてきました。群れの人間関係に対処するために知性を発達させ、自意識を持つに至りました。人間関係ほど、脳に刺激を与えるものはありません。(アダムとイブが、食べることを禁じられた「リンゴの実」を食べたことが「原罪」の始まりと、キリスト教では考えています。原罪とは自己意識だと思います。それまで、人間は自分自身を見つめることは無かった。リンゴを食べて、自分自身を見つめたら、裸であることに気がついた!と言う訳です。これは機会を改めて述べたいと思います。) 自己意識こそ知性の始まりであり、人間の争いのもとです。

 

自然界は不思議に満ちています。でも、人間ほどの不思議はありません。何を仕出かすか分からない。何を考えているのか分からない。全く見当もつきません。とりあえず、私の目の前にいる人間には、統一的な意思を持つ「人格」というものがあららしい。その人格が考えたり、欲しがったり、企んだりしているらしい。他人に「人格」があるんだから、私にだって「人格」があるはずだ。このようにして人間は、人格というものを措定したと、テレビでおなじみの養老先生が言ってました。

 

(他に人格を見出す)→(自分にも人格があるだろうと想定する)という順です。

(自分の人格を見出す)→(他にも人格があるだろうと想定する)という順ではないところが面白いです。

 

私たちは、岩の崖や、木の幹に、人間の顔のような絵柄を見出します。自動車の正面やロボットにも人の顔を見出します。私たちは人格を探しているようです。動物に怯えるのは、邪悪な人格を感じるからでしょう。犬には良い人格を感じるので安心です。自然界で見出した様々な顔が「人格」となり、アニミズム、そして多神教に繋がるのでしょうか。人間とは、自然界や社会に、自分たちを越えた「意図」を想定する修正があるようです。世界は混沌としていますが、「人格」や「意図」を想定すると、少しは整理された気がします。

 

それとは別に、人間(ホモ・サピエンス)の特徴は「因果関係に基づく物語」で世界を理解することです。お腹が痛くなると「昨日のキノコが原因だ」と後悔する。洪水や日食、台風等々があれば原因を推測します。群れでの集団生活では、「誰の仕業か?」が重要なテーマです。嫌なこと、素晴らしいことを見ると、「誰がしたんだろう?」と責任を追及します。複雑な世界情勢を見て「ディープ・ステートのせいだ」という陰謀論などは、その延長でしょう。「原因を突き止めた」と安心したいのです。

 

人格という観念なしに人間関係を乗り切るのは大変です。因果関係という観念なしに世界を理解するのも同じく大変です。

 

原因の原因、その遥か彼方にある究極の原因=何かの結果ではないものを、アリストテレスは「不動の動者」と呼び、それこそが神であると考えました。

 

「神は超越者である」というのは、神には因果関係が適用されない、という意味でしょう。神は無限なので、どこまで行っても神の原因はないということになります。

 

これって、私には、ただのネーミングに見えます。「原因の原因のその先は良く分からないから、神という名前の、良く分からないものを置いておこう」というのと同じではないでしょうか? このアリストテレスの考えは後世に多大の影響を与えているので、私ごときが安易に否定できるものではないのですが。。。

 

ちなみに、ソクラテスも、プラトンも、アリストテレスも神を信じていました。「良く分からないから信じない」という態度ではありません。

 

余談ですが、東日本大震災のとき、仙台に住む9歳の少女が「どうして、こんなことが起きるのでしょうか?」とローマ教皇に手紙を書いたそうです。 ベネディクト16世の返事は「私も『なぜ』と自問しています。いつの日かその理由が分かり、神があなたを愛し、そばにいることを知るでしょう。私たちは苦しんでいる全ての日本の子供たちと共にあり、祈ります」とあったそうです。

 

この少女は、地震を起こした原因がある筈だ、そして、その原因は人格、意図を持っているはずだ。教皇なら教えてくれるかもしれない、と考えたのでしょう。

 

デルフォイの神託は、分からないことを「分からない」と言えるのが賢者である、とソクラテスに教えたそうです。「私も『なぜ』と自問しています。」と言ったベネディクト16世も、分からないことを「分からない」と言える賢者のようです。神秘とは「人智では計り知れない」ということです。人間には分らなくても、「神は知っている」と考えるのが信仰です。

 

これまでを纏めると、

①「人格」を求める私たちの習性。

② 因果関係による説明を求める私たちの習性。

③ 限りある人智の彼方にいる神を求める習性。

 

この三点が信仰を産んだといえそうです。もちろん、ほかにも要因はあるでしょう。

 

話題を替えて、

 

社会の在り方を見ると、人間社会は「信じる」ことなしには成立しないと思います。

 

現代人が大好きなお金。ただの紙切れです。紙切れには何の価値もないのに、価値があると信じています。共同幻想です。「金なんて幻想だから要らない」という人を見たことありません。人間がお金の価値を信じることを止めたら、社会は成り立ちません。お金という「紙」への信仰が必要なのです。

 

金の亡者が集うウォール・ストリートにも信仰があります。「人間は際限なく金を欲しがる」という信仰です。日本の会社の社長のように、たった1億円の給料で満足している奴は人間失格です。「金への限りない欲望を持たない人間が、一生懸命働く筈がない。」「もっと高い給料を欲しがるインド人を連れてくれば一生懸命働くだろう」というのがハゲタカ・ファンドの信仰です。

 

世界の平和は核兵器により守られています。この理論は、「金正恩もプーチンもトランプも、死ぬのは嫌なはずだ」「核攻撃を行えば、核による反撃を受けて自分も死んでしまう。誰でも死ぬのは嫌だから、核は持っても先には使わないはずだ」という信仰です。プーチンやトランプは自己愛が強そうです。この二人の間では核抑止理論が通用するでしょう。プーチンから見れば、「平和を保つのに必要なだけの武器があれば良い」と言っている日本などは、国家として失格です。ウクライナと同じで踏み潰して良いのです。アメリカの核の傘があるから遠慮しているだけです。

 

2022年12月9日にインド・中国の国境で両軍が衝突しました。双方とも核保有国なので、核を使ったら共に皆殺しになります。そこで近代兵器は使わず、石を投げ、こん棒で叩いて20人が死にました。こっちの方が痛そうです。ここでは、核抑止理論が見事に機能したわけです。核抑止理論への信仰は1945年から80年間は有効に機能しています。この信仰がなければ、世界には戦争が多発しているでしょう。

 

お金も核抑止理論も間の欲望と信仰が創り出したナラティヴです。80億の人々が生きている世界が、機能不全や綻びを生じながらも機能しているのは、ナラティヴを「信じる心」があるからだと思います。

 

ユヴァル・ノア・ハラリが「サピエンス全史」でいうように、宗教、貨幣、国家、人権、法律、正義、イデオロギー、果ては自然科学もすべて虚構のナラティヴです。お金が共同幻想ですが、私たちが信じている限り有効です。信仰無くして、この世は成り立ちません。

 

現代人は神への信仰から遠ざかっています。先進国での信者は確実に減っています。現代人は「分業への信仰」に基づき生きています。複雑化する社会、高度な科学、一人の人間は全てを把握できません。原発の電気で灯りを点け、ワクチンで病気を防ぎ、乱高下する株と為替、仕組みの全く分からないコンピュータ。都市生活は分業によって成り立っていますから、神さまにお願いしなくても、それぞれの分野の専門家が何とかしてくれます。もはや神さまにお願いする余地はないのかもしれません。

 

現代社会で生きていくには、八百万の神々を信じるよりも、もっと沢山のことを信じなければなりません。現代社会は多神教なのです。唯一の神は忘れ去られつつあります。唯一神ヤハウエが十戒の第一に「わたしのほかに神があってはならない。」と刻ませた所以でしょう。

 

混沌とした世界を理解するために、人間は「人格」や「原因」を求め、究極の答えとして神を信じるようになった。現代人は多くのを前提を信じるよう強制されているので、神の居場所がなくなっている。

 

という感じでしょうか?

 

これは「私が作った物語」なので、ほかにも多くの説明があると思います。

 

再び、信じる ② シリーズ「神様と仏さま」その⑥ー2に続きます。

 

 

 

 

 

シリーズ①で永平寺に行ったこと、

②で修道院に行ったこと、

③では聖フランシスコについて

④では祈りについて考えたので、

⑤の今回は歌です。

 

修道院では歌います。アウグスティヌスという飛び抜けて重要な6世紀の聖人は、「よく歌う人は二倍祈る」と言っています。

 

下の写真は、グレゴリオ聖歌の楽譜です。五線譜ではなく四線譜です。落書きみたいなのは、9世紀に書かれたネウマという指示記号です。四角い音符は11世紀に書かれました。

 

神さまがアダムを創ったとき、土を練り固めて泥人形を作り、鼻から息を吹き込みました。土も神さまが創ったものです。人間とは「神が作った土から成る体と、神の息吹である霊によって出来ている」ということになります。(魂は体から来るもので、霊とは違います。馬や犬には魂はあっても、霊はありません。) 体と霊、二つで一つです。

 

死んで体が滅びれば、霊魂も活動停止。「最後の審判」で体が復活すれば霊魂も復活します。ですから、いまの時点で、死んだ人の霊は天国にはいません。天国にいるのはイエス様とマリア様だけです。(ヨセフ様はどうしているのか知りたいところです。)

 

言葉と心を用いての祈りは「霊の祈り」、肺と声帯を使い歌うことは「体の祈り」です。そして祈りを歌うことは、「霊の祈り」と「体の祈り」が一致することです。 先に挙げたベネディクト戒律には、「わたしたちの心が声と一致しますように。」とあります。ut mens nostra concordet voci nostrae.

 

「宗教は心の問題」と思われがちです。旧約聖書の天地創造では、山や川、生き物、人間の体を作ったのが神です。神は「見えるもの、見えないものの創り主」です。 人間は「心と体」でワンセットなので、「宗教は心と体の問題」です。

 

体の事情だけを優先すると、喰いすぎ、飲みすぎ、愛のないセックスになります。 体を「汚れたもの」と考えて、心だけを重視しすると、オカルト、極端な禁欲主義、プラトニック・ラブになります。初代教会と激しく対立したグノーシス、そしてマニといった古代宗教は、「清いのは心、体は汚れている」と考え、セックスと食べることに対し極度に禁欲的だったそうです。

 

カトリックはピンクが嫌い


歴史を見ると、教会は極端な禁欲には意外なほど激しく反対しています。カトリックでは「体も心も大切」。神は「産めよ増えよ」と言っています。アメリカで子供が多い家族はたいていカトリックです。ところが歴史を見ると「禁欲大好き」という例が多く見られます。体を苛める禁欲には、やってる感があるのでしょうか? 

 

前回、エンドルフィンの話をしましたが、歌うことで、血液中のテストテロンが低下し、性欲を抑えられるという研究があります。修道院とか、軍隊とか、昔の学生寮とかでは歌が盛んだったのには、そういう理由もあったという説を読みました。

 

中世の終わりごろまでは、教会音楽といえば写真を上げたグレゴリオ聖歌でした。グレゴリオ聖歌は斉唱です。二部合唱や四部合唱ではありません。中世のロマネスク建築は、石の壁が厚くて窓も小さくて残響が長いので、斉唱でもエコーのように響いたそうです。

 

グレゴリオ聖歌の歌詞はラテン語、旋律はメリスマと呼ばれ複雑で歌いにくい。加えて羊皮紙に書かれた楽譜は貴重です。一人一部なんて行き渡りません。暗記する必要があります。専門の聖歌隊しか歌えませんでした。

 

中世の終わりごろにゴシック風の教会が建てられました。壁が薄くステンドグラスの窓が大きくなり、エコーのような反響がなくなりました。人工的にエコーを掛けようということになり、「カエルの歌」のように幾つもの旋律が響き合う多声合唱曲が作られました。宗教改革を始めたルターは音楽の才能もある人で、一般の信者をも交えた讃美歌を充実させました。このころには、紙の楽譜も出回り始めます。

讃美歌はプロテスタント、みんなで歌うので親しみやすい曲が多いです。カトリックは聖歌。今はカトリック教会でも、皆で歌いますが親しみやすさという点ではプロテスタントに一歩譲ります。)

 

16世紀ごろ(日本だと、戦国時代の終わり)、カトリック教会もプロテスタントに対抗して新しい歌を作ろうということになりました。ルネッサンス音楽です。日本ではあまり知られていません。youtubeでパレストリーナとか、ヴィクトリアとかとか検索してみてください。美しさに陶然とします。

 

よく「音楽の父、バッハ」と言います。器楽曲についてはその通りでも、合唱曲ではバッハより100年ぐらい前が最高峰です。文化史家の竹下節子さんは「バッハは、バロック・ブラザーズの末息子」と呼んでいます。バッハが偉大であることは間違いありませんが、バッハの時代になって技術が進歩し、良い音のする楽器が作られたという要因も大きいです。ストラディバリウスはバッハと同時代の人です。

 

グレゴリオ聖歌について書きたいのですが、考えがまとまらないので、何れかの機会に。

 

一言だけ  聖歌は神を称えるものです。ホールに集まった人々から拍手喝采を浴びるために歌うのではありません。オペラ歌手のように、高音部を華やかに響かせて美声を誇ってはいけないのです。神にほこる


ちょっと疑問なのは、「踊り」です。旧約聖書の登場人物はよく踊ります。ダビデは、「聖櫃」を見て嬉しさのあまり裸で踊って、奥さんに「みっともない」と家から閉め出されてしまいました。

※聖櫃とは十戒が刻まれた石板を納めた石の箱です。ハリソン・フォードが見つけた「失われたアーク」です。 アークヒルズ「Akasaka Roppongi Kaihatsu」はこれに掛けたのでしょう。

 

ところが新約聖書になると人は踊らなくなります。イエスが踊ったり、修道院でシスターが踊っているというのは考えにくいです。明治から後の日本の男は踊りませんが、江戸時代のお侍さんたちは踊っていたし、織田信長も踊ってました。踊りは思ったより重要かもしれません。

 

カトリック教会は熱狂的な信仰表現を嫌う傾向があります。全くの私見ですが、教会は、踊ることによって得られるトランス状態を嫌ったのではと思っています。アレルヤ唱に続いて多くの続唱 (Sequentia)が作られましたが、過度に装飾的であるという理由で多くが廃止されています。近年では「怒りの日」(Dies iræ)が「レクイエム」から除かれています。もともとのDies iræは静かな曲でしたが、モーツアルトやヴェルディの作曲したものは、劇的に過ぎると思います。

 

進化論で有名なダーウインは、「歌などと言う、生きて行くための役に立たないものが、何故あるのか進化論では説明できない」と言っています。ところが、最近の研究では、歌うことは、ダーウインが想像した以上に人類の進化に大きな影響を及ぼしているようです。

 

私たちはなんとなく、人類は先ず初めに言葉を話すようになり、その次に、言葉を使って歌うようになったと考えています。動物にも言葉があることようですが、歌を歌う動物はたくさんいます。鯨の歌は有名ですし、象も私たちには聞こえない低周波で数十キロ先にいる仲間と会話をしているそうです。そして鳥たち。動物の世界では歌うことは珍しくありません。

 

大昔の人間は一日中歌っていたのではないか? 朝起きると「朝の歌」。男たちは勇ましい狩りの歌。女たちは子守や洗濯歌。ご飯を知らせる歌。歌うことでコミュニケーションをとっていたのですが、全部歌うのは面倒なので、歌の冒頭の部分やサビを取り出して「狩り」「朝」「洗濯」「ご飯」といった単語となったのではないかというのです。

 

サピエンス族は歌うのに都合の良い喉を持っているので、良く歌い言葉を発達させた。喉があまり良くないネアンデルタール人やイルカや犬は、頭は良くても歌や言葉を発達させることが出来なかったので、知能の発達も遅れたというのです。

 

ヨハネ福音書には「初めに言葉があった」とありますが、「初めに歌があった」というべきかもしれません。

 

 

次は「信じる」について考えてみます。

 

続く

ふ 


伸ばしていました髪を切りました。

若い人の間で長髪が流行したのは1960年代。ビートルズの影響、ベトナム戦争に反対する学生が、兵隊さんの短髪GIカットに対抗して伸ばしたことがきっかけだそうです。堺屋太一が、この世代を「団塊の世代」と呼びましたたが、世界的にはベビーブーマーと呼ばれる世代です。
 
団塊の世代の大学進学率は20~30%。ゆとりのある家の子でないと大学に行けなかったんですね。女の子は、大学といっても短大が多かったようです。

私は「団塊の世代」より10才ほど下の「新人類」世代です。まだ学生は髪を伸ばしていました。就職活動をするので髪を切りました。あの頃は「就活」という言葉はなかったです。「就職が決まって、髪を切った」というセリフは1975年にヒットした「いちご白書をもう一度」にあるもので、作詞は荒井由実です。
 
私より数年下の「バブル世代」は、髪を伸ばしてなかったように思います。
 
就職が決まって髪を切ったので、早期退職が決まって髪を伸ばしました。人から「ヘアー・ドネイションしたら?」と言われて、「そういうのがあるんだ」という感じで、何回かドネイションしています。
 
この年で髪を伸ばしていると、人から「どうして??」と言われることもあり、「ヘアー・ドネイションするから」というと、誰もが納得してくれます。
 
30人くらいの髪を集めて、一人分のカツラができます。いまの人はウイッグと呼ぶようですが。
 
ドネイションするには31センチの長さが必要ですが、私は35センチで切りました。長いと女の子のカツラに使われるようです。私のようにパーマも染色もしていない髪をヴァージンヘアと呼びます。 爺の髪でヴァージンですか? 照れますねえ。
 
髪の毛は1年に12センチ伸びるので、35センチ伸びるには3年かかります。
 
次回は3年後ですね。 近ごろ、「あと何回できるだろう?」なんて考えるようになりました。
 
髪を切ってくれた美容師さんは22歳くらい?   こんな若い女の人と話したのは、久しぶりです。
 

 

永平寺に行ったこと、修道院に泊ったことを書きました。そして聖フランシスコについて書きました。 今回は祈りと音楽について書きます。

 

修道院では祈ります。沈黙のうちに祈ります。クリスマスには「東方の三博士」が、イエスの誕生を祝って贈り物を持ってきました。黄金、乳香、没薬などなど。 没薬はミイラを作るものです。赤ちゃんの誕生祝に、お線香や骨壺を持ってくるようなもので、マリアは不審に思ったはずです。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らせていた」 マリアは黙っているんです。私なら「どうして??」と言ってしまいます。

 

質問したり意見を述べることは良いのですが、どうしても自己主張が紛れ込んでしまいます。自己主張なしに考えを巡らし祈る、黙することになります。「アーメン」とは「その通り」という意味です。私たちは「論破の時代」に生きていますが、疑問があっても一旦は「その通り」と答え、マリアは相手の考えを知ろうとしました。

 

永平寺の只管打坐は、「ひたすら座って考える」ことらしいですが、手掛かりなしに考えることは、大変難しいと思います。そもそもキリスト教には「修行して悟りを啓く」という発想がありません。仏教が「修行する宗教」なら、キリスト教は「信じる宗教」です。修道院とは祈りを通じて信仰を深める場です。仏教は、お釈迦様や道元が編み出した修行法の有効性を信じる宗教かもしれません。

 

キリスト教では、イエスが教えた祈りの言葉「主の祈り」や、キリスト教の教義を短くまとめた「ニケア信条」を唱えます。自分の言葉で祈ることは稀です。カトリックでは15世紀頃から、マリアを讃えるアヴェマリアを唱えます。女子修道院では、一日に数百回のアヴェマリアを唱えます。

 

  アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
    主はあなたとともにおられます。
    あなたは女のうちで祝福され、
    ご胎内の御子イエスも祝福されています。
    神の母聖マリア、
    わたしたち罪びとのために、
    今も、死を迎える時も、お祈りください。

 

同じ祈りの言葉を何回も繰り返していると、その言葉の意味をあれやこれや考えたり、全く関係ないことを考えたりしている自分がいます。自分の声が、他人の声のように聞こえたりします。「パブロフの犬」現象かもしれませんが、アヴェ・マリアを唱えると心も祈りモードになるようです。祈りは、人間と神との対話です。祈ることは務めではなく、神と出会える恵みです。一生懸命に精神集中しなくても、繰り返せば体が一緒に祈ってくれます。

 

一人で祈っても良いのですが、数名と語らって祈ることもあります。一緒に祈ってくれる人がいる恵みに感謝します。「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる。」マタイ18章20節

 

アヴェマリアを唱えたり、ミサでお祈りしていると、幸福感に包まれます。脳科学では「エンドルフィンが分泌された」と説明されます。エンドルフィンは、「幸せホルモン」ともいわれ、幸福感を増す脳内物質です。高橋尚子さんが「走っていると幸せ」になるランナーズハイも、この働きです。ミサの中で、歌ったり、他の人たちと同じ動きをしたり、親しんだパターンの儀式をしているとエンドルフィンが分泌されます。ただし、脳内物質は研究の途上であり「素人が理解した面白い話」程度に思っていた方が無難なようです。

 

「ひろさちや」という仏教学者が、祈りには「請求書の祈り」と「領収書の祈り」があると言っています。初詣で、健康とか、大学合格とか、「彼女ができますように」と祈るのは請求書の祈りです。朝日や夕日に向かって拝む人は、感謝の気持ちを込めた領収書の祈りをしているのでしょう。世の中には願い事をする人が多いので、神さまも仏さまも請求書の山に埋もれて、首が回らないのではと心配です。

 

とは言っても、私も請求書の祈りはします。ただ、具体的なお願い事は少なめにして、寝る前に祈ります。

 

「信仰のない私に、信仰を与えてください。」

 

お気づきでしょうが、この祈りは矛盾しています。人は神を信じているから祈るのであって、信仰を持たない人が祈るはずはないです。 しかし、神は無から有を生じせしめる力を持っています。お願いすれば、気前よく分けてくれます。お試しあれ! 

 

ちなみに、南無阿弥陀仏は領収書の祈りだそうです。「助けてください。お願いします。」という請求書の祈りではありません。「あみだ様、有難う」という喜びの言葉です。キリスト教でも、人間が自分の意志で神に祈るのではなく、神からの招きに答えて人は祈ると考えます。「貴方が私を選んだのではない。私が貴方を選んだ」ーヨハネ15.6

 

キリスト教の祈りの中心は、神への賛美と感謝です。賛美とは「神とは何であるか」を述べること。感謝とは「神からもらったもの」を述べることです。領収書ですね。神は良いことづくめで悪いところが一つもないので、「神とは何であるか」を述べれば賛美となり、神がしてくれることも良いことづくめで悪いことは一つもないので、「神からもらったもの」を述べれば必然的に感謝になるのです。

 

しかし納得できないことも多いです。病気とか戦争とか津波とか猛暑とか。津波にも、私たちには理解できない意味があるのかもしれません。マリアのように沈黙を守り「想いを巡らす」ことが信仰です。

 

「津波にも意味がある」というと、「ある筈ないだろう」という声が聞こえてきます。私もそう思います。でも、津波に意味がないのなら、津波で死んだ人たちは意味のない死を遂げたこでしょうか? 宗教を信じるとは、「人の命など無価値で意味はない」という底なし沼のような虚しさからの逃避かもしれません。

 

逃避だとしても、私は底なし沼から救いを求め祈らずにはいられません。祈ることが、「救い」そのものです。勘違いかもしれません。

 

閑話休題。祈りの方法には「黙想」と、「観想」があります。

 

黙想(Meditation)とは、聖書の一場面を繰り返し読み思いを巡らすことです。禅宗でも、曹洞宗は無念無想ですが、臨済宗はいろいろ考えることにより悟りを目指すそうです。

 

一方、言葉やイメージといった手がかりを用いない祈りは観想(contemplation)と呼びます。私には良く分からない境地です。キリスト教にも観想の伝統はあり、16世紀に生きた「十字架のヨハネ」は観想を通じて神との合一を目指していました。永平寺を開いた道元は「無念無想」と言っているので、観想かもしれません。

 

しかし、キリスト教はあくまでイエス・キリストを通して神に至る道ですから、イエスをバイパスして、神を目指す神秘主義はキワモノです。神秘体験とは向こうから来るもので、こちらから求めるものではありません。神秘を求めることも欲望の一種であり、強く求めると勘違いにハマる危険もあります。神さまは、私たちをこちら側に置いてくださったのだから、置かれた場所で咲くことが本来の姿だと思います。

 

キリスト教神秘主義は、禅関係の人たちから評価されているようです。またカトリックの信者や聖職者で禅を組む人もいます。観想と禅は、互いに通じ合うのかもしれません。

 

キリスト教は救われることを信じる宗教です。祈る人は既に救われています。浄土宗でも念仏を唱える人は既に救われています。どちらも厳しい修行をしなくても救われます。イエスは「私の軛(くびき)は軽い」と言っているし、親鸞は念仏を「易行」と呼んでいます。それに比べると禅宗は重くてつらい「難行」のようです。

 

次回は、歌うことについて考えます。

 

続く

 
自分で作ったベーコンは、売っているものと比べて格段に美味しいと聞きました。
 
以前より燻製料理の面白さは聞いていたので、試して見ることにしました。 YouTubeを見ると色んな作り方が載っていますが、おもに「定年親父の燻製日記」を参考にしました。
 
先ず、豚バラのブロックを600gほど買い、肉の重さの4%の塩、その半分の砂糖を刷り込みます。ローリエやローズマリーも加えて、キッチンペーパーで包み冷蔵庫に入れます。キッチンペーパーは毎日取り替えて水分を除きます。
 
塩の浸透圧で、微生物から水分が抜き取られ消毒されます。これを、冷蔵庫で2週間熟成させることで美味しくなります。
 

 
結構カチカチになります。
 
塩漬けしたバラ肉を流水に6時間ほど浸けて塩抜きします。肉の端を切り取りフライパンで焼いて味見をします。噛み締めて塩分が微かに感じられるくらいが良い塩梅です。  プロのコックさんは、生のまま味見するとか‼️
 
 
塩抜きした肉を、何回もキッチンペーパーで包み水を除きます。このとき、Amazonで売っている「ピチット」が水抜きに便利です。冷蔵庫に入れて3日間ほど乾燥させます。
 
いよいよ最終工程になります。まず、80℃のオーブンで60分加熱乾燥します。素人なので、豚🐽は念入り加熱します。
 
さて、Amazonで買った燻製機と桜チップスの登場です。ネットには「段ボール箱の燻製機でもできる」とありますが、火を使うので感心しません。豚からにじみ出た油に🔥着火することもあります。カセット焜炉でチップスを燃やします。
 
 
今回は塩サバと、豆腐も一緒に75度で2時間燻します。温度計を見ながら、チップスを増やしたり、交換したりします。これで出来上がりです。
 
 
冷蔵庫で1日ほど寝かすと美味しくなります。
 
出来上がったベーコンは脂肪分まで美味しいです。というよりか、脂肪が美味しいです。燻製にはウイスキーが最高です。太るとか、健康に悪いとか考えず、美味しいものを食べて、美味しい酒を飲みましょう。
 
数え年で70歳を古稀と呼びます。これは唐の詩人・杜甫の「酒債は尋常行くところにあり。人生七十古来稀なり」(酒代の付けは私が普通行く所どこにでもある。七十年生きる人は古くから稀である)から来た言葉だそうです。
 
杜甫がこの詩を作ったのは40代、死んだのは58歳。70歳まで生きなかったんですね。 詩の意味は「70歳まで生きることは滅多にないんだから、酒ぐらい好きなだけ飲もう」という感じでしょうか。
 
メディチ家最盛期の当主ロレンツィオ・デ・メディチが、謝肉祭のために書いたという「酒の神・バッカスの歌」 
 
青春とは、なんと美しいものか
とはいえ、みるまに過ぎ去ってしまう
愉しみたい者、さあ、すぐに
たしかな明日は、ないのだから  
(塩野七海訳)
 
彼も43歳で死んでいます。
 
痛風も借金も恐れず、ベーコンとウイスキーを好きなだけ楽しもうと思います。
 
ちなみに、杜甫は酒と牛肉を食べ過ぎて死んだという噂があります。もう一人の大詩人李白は、酒に酔って水面に映る月を捕まえようとして、舟から落ちておぼれ死んだとか。ロレンツィオ・デ・メディチの死因は、贅沢病とも言われる痛風です。
 
嗚呼。
 
 

 

観光で永平寺に行ったことを書き、修道院での生活について書いてきました。旅日記のつもりで始めたのですが、戦線が拡大しました。来年はスペイン巡礼に行く予定なので、その旅日記の練習として始めたブログです。信仰について考えるのは当然かもしれません。

 

中世の聖人で、アッシジの聖フランシスコという人がいます。フランシスコには美しい話がつき纏います。曰く、鳥の言葉で鳥に説教をした。曰く、「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。」で始まる「平和の祈り」の作者はフランシスコだった。とか、明らかに間違いとされる伝説が広く出回っています。聖フランシスコは、人から勘違いされる傾向があるように思います。

 

小鳥に話しかけるフランシスコ: フランシスコのブログ

 

フランシスコは素朴な人で教育もなく司祭でもありません。裕福な家に生まれ、若いときは享楽的な暮らしをしたそうです。20歳を過ぎたあたりで、何らかの神秘体験があり、人柄が変わったように瞑想的になり、当時は伝染が恐れられていた癩病患者への奉仕をするようになりました。

 

フランシスコと仲間たちは、財産を売り払って貧民に施し、働いている人を見かけると手伝いを申し出て、報酬としては麦や食べ物といった現物のみを受け取りました。現金は忌み嫌ったそうです。フランシスコは「旅のための袋も、替えの衣も、履物も杖も、持って行ってはならない」というイエスの言葉を忠実に実行したそうです。さらにはベッドで寝るな、教会の床に寝ろなどという無茶も言っています。(イエスは、杖は持って良いと言ったともされます。) 「清貧の人」と呼ばれます。

 

不思議なことに、貧しい禁欲生活でもフランシスコと共同生活をしたいという若者が多く現れ、たちまちのうちに数千人の会員が集まります。フランシスコ会です。貧しい暮らしをする聖フランシスコにお金を寄進する人も多く、フランシスコ会は大金持ちとなりました。聖フランシスコの死後ですが、修道会の持っている現金を、15%の金利で貸すようになります。当時の金利は40%を越えていたので15%は超低利です。

 

聖フランシスコがエジプトに出張伝道に行っている間に、早くも理想は崩れ始めます。帰って来た聖フランシスコは、修道士が立派な石造りの僧院に住み、葡萄園と同じ価値があるとも言われた高価な本で勉強しているのを見て激怒し、屋根に昇って瓦を剥がしたそうです。フランシスコには、平和とか友愛といった美しい言葉がつき纏います。しかしフランシスコは「平和の人」といよりは「激しい人」だったような気がします。

 

禁欲を求めて集まった修道士たちも、暖かいベッドに寝て、美味しいものを食べたいと感じるようになり、フランシスコは疎んじられるようになります。修道会を統率する能力の限界を覚った聖フランシスコは、自分が創った修道会から退き、少数の賛同者と貧しい生活をして死んでいきます。

 

聖フランシスコは「太陽の賛歌」のような詩才に恵まれ、歌も上手だったそうです。禁欲的ではあっても愛される人だったのでしょう。私は会社勤めをしてきましたが、個人の営業成績は優秀なのに、部長になった途端に能無しという例がよくありました。私もそうでした。聖フランシスコも修道者としては素晴らしいが、大組織の長としては問題アリアリ。

 

金を嫌い、厳しい禁欲を求める聖フランシスコの許に多額の金と多くの若者が集まったことは皮肉です。聖フランシスコの個人的魅力の他に、当時の社会状況もあったと言われています。

 

人間には、「暮らしは質素に」とい価値観が刷り込まているようです。インドのガンジーも、貧しい暮らしでファンを増やしました。(ガンジーが本当に清貧だったかは疑問です。寝るときは、若い女の子を二人侍らしていたそうです。) フランシスコ会が勃興した13世紀の人たちには、「清貧」が強くアピールする下地があったのかもしれません。

 

人間には多くの欲望があるけれど、大切なことに集中するためには、過剰な欲望は抑えた方がが良いでしょう。禁欲は手段であって目的ではありません。

 

禁欲とは別に、苦行というものがあります。体操の選手が三回転宙返りをすると「凄い!!」と喝采しますが、人間離れした苦行をする修行者を見て「立派だ!!」と感激して拝む人も多いようです。お釈迦様は悟りを得るために激しい断食しましたが、心身が衰えるばかりでした。「こんな修行に意味はない」と考えたお釈迦様は断食を止め、村娘のスジャータから施されたミルク粥をたべました。

「琴の弦はきつく締めすぎると切れてしまうが、緩く締めると音が悪い。琴の弦は、適度に締めるのが望ましい」というスジャーターの歌を聴いたお釈迦様は、中くらいの道=中道を目指します。

 

聖書にも「肉体の苦行は立派に見えるが、人間の欲望に対しては、何のききめもない」とあります。(大意)コロサイ人への手紙2章20~23節

 

私は苦行なんて嫌だし意味がないし、ちょっとした質素なら良いとして、栄養失調になったり、石の床で寝るのは嫌です。でも、永平寺で脚気になるような食事しか出さないのを見て、「厳しい修行をして偉い! 立派だ!!」と言う人もあるようです。

 

写真は、フランシスコ会の本部があるアッシジの土産物屋で買ったフランシスコ会士の像です。まるまると太っています。こういう方が好きです。

 

 

聖フランシスコはイエスの清貧を強く意識しています。しかし聖書を見ると、イエスはいろんな人に招かれ食べたり飲んだりしています。金持ちからも招かれています。売春婦も含めて多くの女性に囲まれ、「大食いで大酒飲み」と悪口を言われています。着ていた服は、縫い目のない単衣織で、お洒落だったようです。清貧一途であった訳ではなく、一緒にいて楽しい人だった筈です。

 

下の絵は、カラヴァッジョの「エマオの晩餐」です。カラヴァッジョは欲望の赴くままに生きた人なので、断食なんて嫌だったはずです。赤い服を着たイエスは丸々と太っています。

カラヴァッジョ エマオの晩餐

 

聖フランシスコの死後、修道会は潤沢な資金と、聖フランシスコを慕う若者らの参加が続き現代にいたります。聖フランシスコの遺した清貧を継承するか否かでは、文字通り血みどろの権力闘争を行っています。その結果、厳格な禁欲を排した「中庸の道」に方針転換しています。

 

スジャータの歌を聞いたお釈迦様は、極端な禁欲も放縦な生活も好ましくないと考え、両者の中間にある「中道」を唱えました。フランシスコ会の「中庸の道」と、言葉も考え方も似ています。

 

フランシスコ会からは多くの優れた人、立派なひとが生まれました。聖フランシスコは、「学問は人を傲慢にする」といって学問を嫌い、修道士が勉強することを禁じようとしましたが、パトバの聖アントニオの説得もあり、多くの学者が輩出されました。また、功名心に駆られた亡者のような人が暗躍し、アジアでは多くの犠牲を生じました。聖フランシスコが見たら「こんな筈ではなかった」と嘆くでしょう。

 

永平寺の修行僧がお寺の跡取り息子で、1年の修行で生まれた寺に戻り結婚して、葬式仏教の主催者となっている現状を見たら、道元は「こんな筈ではなかった」と嘆くと思います。

 

一方、修行僧が栄養失調で脚気にりながら、睡眠を削って働くブラック修行をしていると知ったら、お釈迦様は「中道に反する。こんなの仏教でない」と言うでしょう。

 

お釈迦様も、フランシスコも道元も、宗教ブランド・キャラとしては現代まで残っていますが、その理想が活かされているか疑問です。

 

イエスが今の教会を見たら、何というでしょうか? イエスは分からないですが、初代教会のペテロやパウロが今の教会を見たら、「2000年の長きにわたって、忠実に教えを守っていて偉い」と褒めてくれると思います。

 

「キリスト教は多様性を認めない一神教」だという人がいますが、その通りです。2千年にわたって多様性を認めず同じ信仰内容を守り続けています。統一教会やモルモンのように新たな展開があると、キリスト教として認知されず「排除の原理」が働きます。つまり、統一教会やモルモン教は異端ということになります。

 

仏教は多彩な進歩・展開を続けていますが、それも「仏教の多様性」として認められるようです。2500年間にわたり「何でもアリ」を繰り返したので、現代の日本仏教をお釈迦様が見たら、「俺とはなんの関係もない」というでしょう。

 

日本では、仏教もキリスト教も共通の問題を抱えています。信者の少子高齢化です。20年ぐらいしたらキリスト教は日本から消滅するかもしれません。仏教の檀家も減っており、Amazonでお坊さんを配達してくれるそうです。永平寺でブラック修行を経験した跡取り息子たちもAmazonで葬式に呼ばれるのでしょうか? 私の親戚は戒名だけで50万も取られました。ちなみにキリスト教で葬式をすると、教会には20万円でOKです。信者でなくても相談可です。

 

次回は 祈り、歌について書きたいと思います。

 

P.S. 1

余談ですが、フランシスコは所有を否定し、修道会が不動産を所有することを禁止しました。それでもフランシスコ会に不動産を寄進する人が多いので、フランシスコ会は妙案を思いつきました。寄進された不動産を、フランシスコ会が右から左に司教様や教皇様に寄進するのです。そうして所有権を放棄した上で、不動産を借り受けます。これは金融の世界でSales and Lease backと言われるもので、粉飾会計の古典的な手法です。学問なんてすると、こういう誤魔化しを考えるようになるんですね。

 

「日本は平和国家なので核兵器は持たない」と言っておきながら、世界最大の軍隊を持つアメリカと安保条約を結び核の傘の下に入るというのも似た論理です。Deny and Rental Armyでしょうか。

 

無所有にしても、平和国家にしても、無茶苦茶な理想を掲げると、何かを誤魔化して現実と折り合いをつけることになるという実例ですね。