観光で永平寺に行ったことを書き、修道院での生活について書いてきました。旅日記のつもりで始めたのですが、戦線が拡大しました。来年はスペイン巡礼に行く予定なので、その旅日記の練習として始めたブログです。信仰について考えるのは当然かもしれません。

 

中世の聖人で、アッシジの聖フランシスコという人がいます。フランシスコには美しい話がつき纏います。曰く、鳥の言葉で鳥に説教をした。曰く、「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。」で始まる「平和の祈り」の作者はフランシスコだった。とか、明らかに間違いとされる伝説が広く出回っています。聖フランシスコは、人から勘違いされる傾向があるように思います。

 

小鳥に話しかけるフランシスコ: フランシスコのブログ

 

フランシスコは素朴な人で教育もなく司祭でもありません。裕福な家に生まれ、若いときは享楽的な暮らしをしたそうです。20歳を過ぎたあたりで、何らかの神秘体験があり、人柄が変わったように瞑想的になり、当時は伝染が恐れられていた癩病患者への奉仕をするようになりました。

 

フランシスコと仲間たちは、財産を売り払って貧民に施し、働いている人を見かけると手伝いを申し出て、報酬としては麦や食べ物といった現物のみを受け取りました。現金は忌み嫌ったそうです。フランシスコは「旅のための袋も、替えの衣も、履物も杖も、持って行ってはならない」というイエスの言葉を忠実に実行したそうです。さらにはベッドで寝るな、教会の床に寝ろなどという無茶も言っています。(イエスは、杖は持って良いと言ったともされます。) 「清貧の人」と呼ばれます。

 

不思議なことに、貧しい禁欲生活でもフランシスコと共同生活をしたいという若者が多く現れ、たちまちのうちに数千人の会員が集まります。フランシスコ会です。貧しい暮らしをする聖フランシスコにお金を寄進する人も多く、フランシスコ会は大金持ちとなりました。聖フランシスコの死後ですが、修道会の持っている現金を、15%の金利で貸すようになります。当時の金利は40%を越えていたので15%は超低利です。

 

聖フランシスコがエジプトに出張伝道に行っている間に、早くも理想は崩れ始めます。帰って来た聖フランシスコは、修道士が立派な石造りの僧院に住み、葡萄園と同じ価値があるとも言われた高価な本で勉強しているのを見て激怒し、屋根に昇って瓦を剥がしたそうです。フランシスコには、平和とか友愛といった美しい言葉がつき纏います。しかしフランシスコは「平和の人」といよりは「激しい人」だったような気がします。

 

禁欲を求めて集まった修道士たちも、暖かいベッドに寝て、美味しいものを食べたいと感じるようになり、フランシスコは疎んじられるようになります。修道会を統率する能力の限界を覚った聖フランシスコは、自分が創った修道会から退き、少数の賛同者と貧しい生活をして死んでいきます。

 

聖フランシスコは「太陽の賛歌」のような詩才に恵まれ、歌も上手だったそうです。禁欲的ではあっても愛される人だったのでしょう。私は会社勤めをしてきましたが、個人の営業成績は優秀なのに、部長になった途端に能無しという例がよくありました。私もそうでした。聖フランシスコも修道者としては素晴らしいが、大組織の長としては問題アリアリ。

 

金を嫌い、厳しい禁欲を求める聖フランシスコの許に多額の金と多くの若者が集まったことは皮肉です。聖フランシスコの個人的魅力の他に、当時の社会状況もあったと言われています。

 

人間には、「暮らしは質素に」とい価値観が刷り込まているようです。インドのガンジーも、貧しい暮らしでファンを増やしました。(ガンジーが本当に清貧だったかは疑問です。寝るときは、若い女の子を二人侍らしていたそうです。) フランシスコ会が勃興した13世紀の人たちには、「清貧」が強くアピールする下地があったのかもしれません。

 

人間には多くの欲望があるけれど、大切なことに集中するためには、過剰な欲望は抑えた方がが良いでしょう。禁欲は手段であって目的ではありません。

 

禁欲とは別に、苦行というものがあります。体操の選手が三回転宙返りをすると「凄い!!」と喝采しますが、人間離れした苦行をする修行者を見て「立派だ!!」と感激して拝む人も多いようです。お釈迦様は悟りを得るために激しい断食しましたが、心身が衰えるばかりでした。「こんな修行に意味はない」と考えたお釈迦様は断食を止め、村娘のスジャータから施されたミルク粥をたべました。

「琴の弦はきつく締めすぎると切れてしまうが、緩く締めると音が悪い。琴の弦は、適度に締めるのが望ましい」というスジャーターの歌を聴いたお釈迦様は、中くらいの道=中道を目指します。

 

聖書にも「肉体の苦行は立派に見えるが、人間の欲望に対しては、何のききめもない」とあります。(大意)コロサイ人への手紙2章20~23節

 

私は苦行なんて嫌だし意味がないし、ちょっとした質素なら良いとして、栄養失調になったり、石の床で寝るのは嫌です。でも、永平寺で脚気になるような食事しか出さないのを見て、「厳しい修行をして偉い! 立派だ!!」と言う人もあるようです。

 

写真は、フランシスコ会の本部があるアッシジの土産物屋で買ったフランシスコ会士の像です。まるまると太っています。こういう方が好きです。

 

 

聖フランシスコはイエスの清貧を強く意識しています。しかし聖書を見ると、イエスはいろんな人に招かれ食べたり飲んだりしています。金持ちからも招かれています。売春婦も含めて多くの女性に囲まれ、「大食いで大酒飲み」と悪口を言われています。着ていた服は、縫い目のない単衣織で、お洒落だったようです。清貧一途であった訳ではなく、一緒にいて楽しい人だった筈です。

 

下の絵は、カラヴァッジョの「エマオの晩餐」です。カラヴァッジョは欲望の赴くままに生きた人なので、断食なんて嫌だったはずです。赤い服を着たイエスは丸々と太っています。

カラヴァッジョ エマオの晩餐

 

聖フランシスコの死後、修道会は潤沢な資金と、聖フランシスコを慕う若者らの参加が続き現代にいたります。聖フランシスコの遺した清貧を継承するか否かでは、文字通り血みどろの権力闘争を行っています。その結果、厳格な禁欲を排した「中庸の道」に方針転換しています。

 

スジャータの歌を聞いたお釈迦様は、極端な禁欲も放縦な生活も好ましくないと考え、両者の中間にある「中道」を唱えました。フランシスコ会の「中庸の道」と、言葉も考え方も似ています。

 

フランシスコ会からは多くの優れた人、立派なひとが生まれました。聖フランシスコは、「学問は人を傲慢にする」といって学問を嫌い、修道士が勉強することを禁じようとしましたが、パトバの聖アントニオの説得もあり、多くの学者が輩出されました。また、功名心に駆られた亡者のような人が暗躍し、アジアでは多くの犠牲を生じました。聖フランシスコが見たら「こんな筈ではなかった」と嘆くでしょう。

 

永平寺の修行僧がお寺の跡取り息子で、1年の修行で生まれた寺に戻り結婚して、葬式仏教の主催者となっている現状を見たら、道元は「こんな筈ではなかった」と嘆くと思います。

 

一方、修行僧が栄養失調で脚気にりながら、睡眠を削って働くブラック修行をしていると知ったら、お釈迦様は「中道に反する。こんなの仏教でない」と言うでしょう。

 

お釈迦様も、フランシスコも道元も、宗教ブランド・キャラとしては現代まで残っていますが、その理想が活かされているか疑問です。

 

イエスが今の教会を見たら、何というでしょうか? イエスは分からないですが、初代教会のペテロやパウロが今の教会を見たら、「2000年の長きにわたって、忠実に教えを守っていて偉い」と褒めてくれると思います。

 

「キリスト教は多様性を認めない一神教」だという人がいますが、その通りです。2千年にわたって多様性を認めず同じ信仰内容を守り続けています。統一教会やモルモンのように新たな展開があると、キリスト教として認知されず「排除の原理」が働きます。つまり、統一教会やモルモン教は異端ということになります。

 

仏教は多彩な進歩・展開を続けていますが、それも「仏教の多様性」として認められるようです。2500年間にわたり「何でもアリ」を繰り返したので、現代の日本仏教をお釈迦様が見たら、「俺とはなんの関係もない」というでしょう。

 

日本では、仏教もキリスト教も共通の問題を抱えています。信者の少子高齢化です。20年ぐらいしたらキリスト教は日本から消滅するかもしれません。仏教の檀家も減っており、Amazonでお坊さんを配達してくれるそうです。永平寺でブラック修行を経験した跡取り息子たちもAmazonで葬式に呼ばれるのでしょうか? 私の親戚は戒名だけで50万も取られました。ちなみにキリスト教で葬式をすると、教会には20万円でOKです。信者でなくても相談可です。

 

次回は 祈り、歌について書きたいと思います。

 

P.S. 1

余談ですが、フランシスコは所有を否定し、修道会が不動産を所有することを禁止しました。それでもフランシスコ会に不動産を寄進する人が多いので、フランシスコ会は妙案を思いつきました。寄進された不動産を、フランシスコ会が右から左に司教様や教皇様に寄進するのです。そうして所有権を放棄した上で、不動産を借り受けます。これは金融の世界でSales and Lease backと言われるもので、粉飾会計の古典的な手法です。学問なんてすると、こういう誤魔化しを考えるようになるんですね。

 

「日本は平和国家なので核兵器は持たない」と言っておきながら、世界最大の軍隊を持つアメリカと安保条約を結び核の傘の下に入るというのも似た論理です。Deny and Rental Armyでしょうか。

 

無所有にしても、平和国家にしても、無茶苦茶な理想を掲げると、何かを誤魔化して現実と折り合いをつけることになるという実例ですね。