将棋教室に行く大人の方って、級位者が多い気がします。そういう私も、私の息子が世話になった指導員のところへ稀に有料指導を受けに行っています。

これって、有段者の方にとっては「お金を払ってその棋力か」って思うかもしれませんが、級位者の行動原理としては多分妥当です。


おそらく、「大会で優勝したい」のような動機を持っている方ってほぼ皆無だろう、と推測しています。「勝率を上げたい」くらいは思っているかもしれませんが。

将棋界の人と繋がりがある方ならともかく、多くの大人は将棋界の人との繋がりすらないと思います。そういう人が「将棋を指してみたい」と思ったら何から手を付けるか。

市販の棋書は色々ありますが、私が見た限りでは、入門者が手にして挫折せずに学べる棋書は少ないです。すみません、言語化することは難しいです。

そうすると、1回2000円とかを払ってでも将棋教室に行く方が1回あたりの「成長を感じる度合い」の期待値が大きくなります。多分、ハズレがかなり少ないです。

んー、軽い気持ちで今回の話題を書き出しましたが、これ、将棋界の marketing としてちゃんと書き出す方がよい気がしてきました。

泉佐野市に「さの将棋まちば」という場所ができたようです。

無料会員制とのこと。

Google Street View で見ると、あまりパッとしない建物なのですが、これは賃料 (または維持費) を安く済ませた結果ではないかと推測します。賢い方法です。

泉佐野市がうらやましいです。

この blog を読んでくださる方の大部分はすでに将棋界の中に入っている方だと思うので、ここに書いても仕方がない話なのですが…

支部への問い合わせについて、すぐに回答があることを期待せず、1週間は待ってください。


支部によって状況は異なるので一般化はできませんが、私が所属する支部は役員全員が本業を抱えています。(支部会員自体、勤労者と学生しかいません。)

将棋が最優先である生活をしている役員は1人もなく、将棋は、各役員が抱えている色々な事の中でそう高くはない優先順位を持つ1つの事にすぎません。

例えば私は、通勤中に駅から職場まで (または職場から駅まで) 歩いている間に音声入力を利用して支部役員内の連絡をしたりしています。もし「毎日定時で帰宅できて、持ち帰り仕事もなくて、土日はきっちり2日間休めて、それらの自由時間の大部分を将棋活動に充てている社会人」とか「定年退職して毎日暇な定年退職者」とかを想定しているなら、それは大外れです。


本音を言うと、本業が忙しい時期は1週間でも厳しいです。1日間~2日間くらいで返事ができたら上出来です。

将棋界の人的資源は無限ではありません。そういう中で活動をしているので、「私への応対の優先度を上げろ」という類の要求は将棋界内部の人的資源を浪費するだけであることをご理解ください。

数年前、『体育科教育』という雑誌の2019年3月号にヒャダインという方が寄稿していました

体育という授業が体育嫌いをどんどん生み出している現状はよく分かります。


将棋は学校の科目に入っていないのでそこまで深刻ではないと思いますが、それでも将棋大会などの将棋の場が将棋嫌いを生み出している現状はちゃんと見ておく必要があるように思います。

前出のヒャダイン氏の寄稿を将棋に置き換えたらどういう文になるのか、(勝手に置き換えて) ちょっと検討してみようと思います。


僕は体育の授業が大嫌いです。体育の教師も大嫌いです。

→僕は将棋の場が大嫌いです。将棋の愛好家も大嫌いです。

なぜあなた達体育教師は僕達にクラスメイトの前で恥をかかせようとするのでしょうか? 手本のように上手に出来なくてまるで死にかけの虫のようにバタバタと手足を動かす僕をクラスメイトが笑う。

→なぜあなた達将棋愛好家は僕達に仲間の前で恥をかかせようとするのでしょうか? 手本のように上手に指せなくてまるで死にかけの玉のようにバタバタと駒を動かす僕を仲間が笑う。

「被害妄想が強いね」そう思いましたか? いいえ。あなた達にはわからないのです。だって経験したことがないから。体を上手く動かせる人間にはこの感覚は死んでもわからないでしょう。惨めな劣性の烙印を押される感覚。授業で恥をかかされるのです。

→「被害妄想が強いね」そう思いましたか? いいえ。あなた達にはわからないのです。だって経験したことがないから。将棋を上手く指せる人間にはこの感覚は死んでもわからないでしょう。惨めな劣性の烙印を押される感覚。対局で恥をかかされるのです。


体育は教科として学校教育に組み込まれているのでここまで恨まれていますが、将棋は学校教育にも組み込まれていなくて普及度も低いので、そこまでではないです。

しかし、日本将棋連盟の米長会長時代は学校教育に将棋を組み込んでもらうことが目標でしたし、本当に将棋をもっと普及させたいなら考えなければならないことだとも思います。


この話は、勝利至上主義、「将棋は勝てなければ意味がない」のような考えの将棋の場 (特に将棋教室) を全体の何割にするか、という将棋界の設計の話であるように思います。

以下、順番に考えていきます。(私の意見なので、異論があっても構いません。)

まずは専門棋士。冷徹な勝負の世界を人々に見せることで成り立っている世界なので、勝利至上主義でいいと思います。

続いて奨励会。奨励会員の 100% が専門棋士になることを目標としているでしょうから、勝利至上主義でいいと思います。

研修会は…どうなんでしょうね。私は研修会の実態をあまり把握しておりません。ただ、日本国内の数都市にしか存在していないので、基本的に勝利至上主義でいいような気がします。

問題は、支部や将棋教室です。

これは個人的見解ですが…ある県に支部や将棋教室が10個あったら、そのうち1~2個くらいは勝利至上主義であってもいいような気がします。しかし、多くの支部や将棋教室は将棋文化の普及に主軸を置いておく方がいいだろうと考えています。

全ての支部や将棋教室が勝利至上主義になったら、将棋文化はかなりの速さで廃れていくのではないか、と予想しています。より具体的には、大人の将棋愛好家の数はさほど変化しないけど、将棋の場にやってきた子が少なくない割合で1~2回で将棋を嫌いになってやめていくようになる (そしてその filtering で生き残った者だけが将棋界の構成員になる) と考えています。

前出の体育教育と似たような構造です。(体育には勝敗がはっきりしない種目もありますが、将棋は勝敗がはっきりするので、勝利至上主義の場が子どもに一旦嫌われるともう2度と将棋にかかわってくれなくなる気がします。)

答え合わせは30年後に。

今回は「子ども受け」の要素について考えてみたいと思います。


以下の場面を想定してみてください。

  • 将棋の場に参加している人数が奇数、あなたが抜け番
  • 男子小学生が参加中、その妹 (幼稚園年長) は将棋をしないので手持無沙汰にしている
  • あなたはその妹さんの相手をしてあげることにした

こういう場面って、得意・不得意がかなり現れると思います。


私はこういう場面は得意な方なのですが、「何をどうしたらこういう場面が得意になるか」を言語化することは難しいなあ、と感じています。

要素の1つに「子どもから見て得体が知れない状態をなくす」ということがあると思います。行動原理が理解できる、と言い換えてもいいかも知れません。(行動が予想できる、という意味ではありません。)

「ああ、この人はこういうことに反応するのだなあ」という理解です。…いや、この説明もあまり精確ではない気がします。


では、前出の場面があまり得意ではない人に、「子どもから見て得体が知れない状態をなくす」ように助言したとします。そうすると、前出の場面が得意になるでしょうか。

多分、すぐには得意にならないのではないかと思います。


こちらの行動原理 (≒関心の範囲) を把握してもらうには間投詞がかなり役立つように思います。また、私の発話を子どもに理解してもらうにはできるだけ統語構造を単純にすることが望ましく、その表現技法として CSS の音声 property が参考になるように思います。(演劇をやっている人はこういうことが得意な気がします。)

…と書いてみたものの、これで前出の場面のコツが充分に書き表せたかというと、まだまだ書き表せていない気がします。


前出の場面のコツを対局に持ち込むと、対局中の私のしゃべりになります。本当は将棋は静かに対局すべきものだと思いますが、対局中の私の思考を対局相手 (子どもの入門者) に知ってもらいたくて、私はよくしゃべります。

私の思考を知ってもらうだけではなくて、子どもの思考の焦点を誘導することもあります。

こわい呟きを見つけました。

うちの親は「食いっぱぐれと失業のない生業に就職する」のが理想の戦前生まれだったので、バブル期前後の若者の「正社員になりたくなくてバイトで食いながら好きなことしてたい世代」がいまだにずっと続いていると信じていて、頼むから外で言わないで、氷河期の人いるから、と頼み込んでいます

私は支部内でほぼ最年長ですが、「バブル期」の方々って私よりも更に年上…。

そういう私も、あと20年くらいしたら社会に対する認識が追いつかなくなってくるのだろうなあ、と考えると少々怖いです。


いずれ下の世代から「あんな世代に将棋界を任せられない」と言われるかもしれません。

今回も将棋とはあまり関係がない話題です。

勉強と学習って全く異なる概念なのに、混同している人が結構いて、私は昔から「何だかなあ…」と感じています。

お店などで

客「1万8000円じゃあ私の予算を超えてしまいます。もっと勉強してくれませんか?」

店員「わかりました。勉強して、1万5000円で売ります。」

ってのが正しく勉強です。

ちゃんと解説している blog 記事もあります。(以下、強調は私)

『日国』にも引用されているが、それは、

 「或利而行之、或勉強而行之、及其成功一也〔或(あるひ)は利して之(これ)を行ひ、或は勉強して之を行ふ、其の功を成すに及んでは、一(いつ)なり〕」(中庸)

というものである。「或勉強而行之」は、あるものはむりに努めてこれ(「道」と「徳」のこと)を行うという意味である。

「強いる」という動詞の「強」が入っていることからも分かるように、無理なこと、嫌なことを無理やりやるのが勉強です。そしてそれは、先ほどのお店の例で分かるように、学習行為とは限らないのです。


なので、こういう呟きを見ると、日本語が正しく使われていないことにがっかりします。

愚痴講師先生の言う通り。「勉強=苦行、前向きに取り組む子ども(家庭)なんかいるわけない」って決めつけてるんだよなぁ。のびのび自発的に学ぶという現象を想像すら出来ない。

いえいえ、定義として、勉強は苦行です。前向きに取り組む子どもがいたら、それは学習をしているだけであって、(定義上) 勉強ではありません。

自発的に学ぶのは学習であって、勉強ではありません。

一旦整理します。

  • 勉強状態に該当する学習行為 (イヤイヤやらせられ、苦行に該当する学習行為)
  • 勉強状態に該当しない学習行為 (自発的な学習など)
  • 勉強状態に該当する学習以外の行為 (店舗における割引など)
  • 勉強状態に該当しない学習以外の行為

という4つがあって、勉強と学習は直交概念なのです。


私は学生のころから (少なくとも高校生のころから) 言っているのですが、私は学習が好きなのであって、勉強は好きではありません。というか、定義上、勉強が好きな人間は存在しません (性癖として苦行が好きな人を除きます)。「勉強が好き」と発言した時点で、それは勉強ではなく勉強以外の何かなのです。

学習と勉強は全く違う概念ですから、混同しないでください。

多くの場合、学習は楽しい行為です。しかし、それが勉強状態に該当するかしないかは環境がかなり影響すると思います。

多くの子ども達にとって、将棋が「勉強状態に該当しない学習行為」であってほしいと願っています。

囲碁界に対しても将棋界に対しても失礼なことを書きます。

どちらも、長期的には競技人口の減少に歯止めがかかっていません。

その上で、「今の囲碁界の姿は数十年後の将棋界の姿ではないだろうか」と考えて囲碁界に注目しています。

競技人口が少なくなった時にどういう方策が有効で、その結果として何が得られるのか。先行事例として参考になります。


失礼ついでに、鉄道会社の話をします。

阿佐海岸鉄道という会社があるのですが、この会社、設立してから34年間ずっと連続赤字だそうです。年間の収入が1600万円程度なのに年間赤字が8000万円以上出ています。

さらに、2026年5月下旬からずっと全線運休中です。

しかも…個人 blog からの引用になりますが…

高齢者を中心とする地元の方は皆さん路線バスを利用しており、DMVを日常的に利用される方はほとんどないものと思われます。

という推測も多分当たっているでしょう。

こう言っては何ですが、これだけ赤字を出しながら営業を続ける鉄道会社ってのは、他の鉄道会社の参考になっているのではないかと思うのです。阿佐海岸鉄道はこの路線しかないので、「(大阪の御堂筋線のような) 別路線の黒字によって当該路線の赤字を埋める」なんてことも不可能です。

別のところでヨイショ記事っぽいものも見つけました。

DMVの視察を目的に訪れるビジネス客や観光客も増えていることから、「DMV目的の利用者」を別途加算し、年間75,000人の利用客を見込みました。ちなみに、2019年の阿佐海岸鉄道の年間利用者数は52,983人ですから、おおよそ4割増える計画です。

また、収支予測では約5,400万円の赤字と予測。これまでの約6,848万円(2012~2019年の平均)と比べて、1,400万円以上改善すると見込んでいます。

一見すると、DMVを導入しても赤字に変わりありません。しかし、車両自体が観光資源になるDMVなら、観光客などの増加にともなう経済波及効果が期待されます。協議会では、その効果についても予測。おみやげの販売、飲食、宿泊など、地域にもたらされるトータルの波及効果は、約2億1,400万円と推計されました。

ちなみに、DMV導入事業に要した費用は、約16億3,200万円です。イニシャルコストに年間赤字額を含めても、経済波及効果によって約10年で回収できる計算です。

いやいや、経済波及効果ってのは利益じゃなくて収入 (というかお金が動いた金額) だから、「回収」なんて概念には決して結びつかないんですよ。

思い込みが激しくて現実が見えなくなっているのかなあ、と心配になります。

数値自体も現実離れしていて、実際には年間赤字自体が1000万円以上拡大しています。


私は交通機関の専門家ではないので頓珍漢なことを書くかもしれませんが、固定費とか変動費とか輸送効率で考えると、適した交通機関ってのはかなり限定されるはずです。

恐らく、複々線鉄道 > 複線鉄道 > 単線鉄道 (電化) > 単線鉄道 (非電化) > monorail > 路面電車 > 普通の bus > on-demand bus というような関係になっているでしょう。都市圏人口に合わない交通機関を選択すると、ものすごく赤字を垂れ流すことになります。

さらに、DMV という珍しい乗り物によって遠方から観光客を呼び込むことを期待しているようですが…他の交通機関が使っていない乗り物を採用すると、保守費用がバカ高くなるはずです。

地元の人が阿佐海岸鉄道を殆ど利用していないと仮定するなら、阿佐海岸鉄道の株主である徳島県・海陽町・高知県・美波町は観光客のために毎年8000万円以上ものお金を垂れ流している、と言っていい状態な気がします。

鉄道って、かなりの規模の都市圏じゃないと成立しにくいです。大量の貨物輸送需要があるとか、国土防衛のために防衛費で維持するとか、そういう事情があれば旅客が少なくても成立する可能性が高いですが、そうでなければ多額の固定費ばかりかかる存在になります。


この記事を書いた理由は、日本棋院と似たような立場にある気がしたからです。

都市圏人口に合わせて交通機関を選ぶように、日本棋院は囲碁界規模に合わせて棋士数を調整すべきと感じられます。

先日の将棋教室で、ある方が初めて教室を手伝ってくださいました。

教室開始前、私から「基本的に子どもに負けてあげてください」とお願いしました。

教室終了後、「負けるのが難しい」という感想をいただきました。自分の勝ち筋が見えるとどうやって負けるかが難しくなる、とのことでした。

そうなんですよね。相手の子にバレないうちに自分の形勢を少し悪めにもっていくのがコツで、終盤になると (相手の子の棋力によっては) こちらがワザと悪手を選んでいるのがバレてしまいます。


教室終了後の話題、2つ目。

子ども対応で私が参考にしているのは、県内の将棋団体のある方です。

で、その方の名前を出したら、今回将棋教室を手伝ってくださった方も知っていました。


教室終了後の話題、3つ目。

県内の支部の今後、具体的には今から15年後くらいのことを話しました。