信頼できる唯一の情報源 (Single Source of Truth=SSOT) という考え方がありまして、まあ完全に実現できるものでもないのですが、将棋に関する情報について「日本将棋連盟がある程度実現すべきだろう」と以前考えておりました。

しかし、日本将棋連盟の金銭規模や力量を考えると「難しいかな」と思うようになってきました。

で、今考えている仕組みは、各支部なり各大会主催者なりが自分の責任範囲で情報を整理して公開し、それを集める形でできる範囲で情報を蓄積する、という形です。

網羅性は落ちるのですが、それでもそれなりの割合で将棋の情報が蓄積できる未来もそこそこありそうだと思っています。


その在り方として私が参考にしているのが General Transit Feed Specification という書式です。これは CSV の形式に則った公共交通機関の data format であり、実はそこそこの日本国内交通機関がこれに則って情報を公開しています (検索, 地図)。またこれのおかげで世の中の路線検索・乗り継ぎ案内が可能になっています (全てとは言いません)。

将棋の場合も、最初に定めるべきは data format です。まあ、 YAML か JSON あたりを基盤にして最低限必要な項目を定めて、その tools と共に公開していけば、いずれはある程度統一されるだろうと思っています。

それを私がやるのか、それともやってくださる方が出てくるのか、それは現時点ではわかりません。ただ、もうそろそろ確立しておかないと、将棋界の年齢分布的な問題に対応できなくなる気がしています。(すいません、わざと曖昧に書いています。)

体感ですが、残されている時間は2~5年くらいだと思います。この機会を逃しても将棋界がなくなることはないと思いますが、将棋界の省力化・情報集積化が進まず、運営員の苦労はなかなか減らず、(現在の町内会役員のように) 運営員のなり手が見つかりにくくなると考えています。


私が考える将棋界情報の理想形は、hosting できない組織が SaaS を利用して情報をやりとりし、hosting できる組織は 上記の data format を介して情報をやりとりする、という形です。

すみません、私の今の能力ではその詳細を記すことができません (記す時間がとれません)。

いつの間にか「プリキュア」の時期になっていました。

将棋に興味を持ち始めた小学校低学年男児、の付き添いでやってきた妹がいる場合、プリキュアの話題で緊張を解いてくれることが多いです。

そのため私は、この時期になるとプリキュアの第1話だけ早送りでざっと眺めます。


今年の特徴だけざっと記しておきます。

  • 2026年のプリキュアは探偵もの。
  • 変身・攻撃道具は時計。指で針を動かす。
  • 第1話に出てきた主人公は紫と赤 (というか桃色)。

あなたが成人男性の場合、以下のような点に留意しておくのがいいかと思います。

  • 無理に話しかける必要はないです。とても暇そうにしている場合 (なおかつ保護者も打つ手がなさそうな場合) だけ、対応を考えればよいです。
  • もし話しかけるなら、保護者がすぐ目の前にいる状況が望ましいです。とても内気な子は知らない大人から話しかけられることを恐がりますが、それでも保護者が近くにいれば保護者の陰に隠れることができます。
    (また、保護者がいない状況で話しかけると、不審者との区別がつきません。)
  • 目の高さは、子どもの目の高さにほぼ揃えてください。
  • プリキュアの知識は、子どもがプリキュアのおもちゃを持っている時だけ使えます。「あ、この時計、見せてくれる? もしかしてこれ、指でツーってやって離したら、ドーンってなるやつ?」みたいな感じです。なお、自分でおもちゃを手に取ったりせず子どもが手渡してくれるのを待ち、おもちゃを持っても本当に操作したりせず数cmくらい指を浮かせて操作するフリをし、また子どもがそのおもちゃをあなたからいつでも奪い返せるような位置で持ちます。

なお、男児向けの話題として「スーパー戦隊」「仮面ライダー」も第1話を見ておくのが有効かな、とこれまで考えていたのですが、将棋の場に来てくれた男児 (弟) の場合は本将棋やどうぶつしょうぎに興味を持ってくれることが多く、「スーパー戦隊」「仮面ライダー」の話題が役立ったことは今までにありませんでした。

加藤一二三元名人の話題に関連して。

1つ目の呟き

トレンド入りしてる野沢雅子さんの詳細を確認するときの感情全員同じ説

2つ目の呟き

ひふみんより年上ですからね(^^;

不謹慎ではあるけど、考えなければならないことです。

将棋界も多分同じで、県内の将棋界の方々が5年後・10年後・15年後にどうなっているかは常に念頭に置いておく必要があると思っています。


…ということを書いていたら、将棋界の方々のこれまでの個別の軌跡を文章化していただきたいという構想を以前持っていたことを思い出しました。将棋領域について (自費出版によくあるような) 自伝を書いてもらい、県内でそれをまとめて、後世の人が「昔の将棋界はこういう感じだったのか」と想像できるような、そんな冊子を作りたいという気持ちです。

条件が揃えばできるんですよ。県内の将棋界の皆さんが GitHub を使えて markdown で文章を書けるなら、それらを集積して Vivliostyle あたりで電子書籍にして、紙書籍が欲しい人は on-demand で印刷する、というだけなら、大した手間でもないです。

でもまあ、GitHub と markdown の2つは敷居高いですよね…。

加藤一二三 元名人 がお亡くなりになりました。


私は加藤一二三元名人の現役時代をほぼ知りません。息子が将棋に興味を持ち始め、私が順位戦などの仕組みを知り始めた頃には、加藤一二三元名人はC級2組でがっちり負け越しするくらいの成績でした。

でも、私が加藤一二三元名人を「すごい」と思うのは、現役時代の成績ではなくて、将棋の知名度増進についての貢献です。

(私はうまく定義できませんが) 仮にでも将棋界の impact factor という指標を定めたら、(現時点で) 1番は藤井聡太六冠、2番は羽生善治永世七冠、そして3番が加藤一二三元名人になるのではないかと思います。


TV 番組でいじられてもいつもニコニコしていたのがとても印象的でした。いつもニコニコしている棋士は他にもいると思いますが、名人位経験者であれだけ親しみやすさが世間に表れた方って他にはいない気がします。

多分、番組制作側から見たら扱いにくい方だったと思います。喋り出したら止まらないし、持ち時間というものもあまり念頭に置いてないように見受けられるし、加藤一二三元名人が出演するだけで進行に余裕を持たせたり周りの出演者が気を使ったりということもあったのではないかと思います。

ですが、そういう点が込み込みでもあれだけ TV 番組に出たのは、加藤一二三元名人の心の在り方が他の人を惹きつけていたからだ、と考えています。

将棋という領域で見れば、名人位を経験したくらいにものすごく実績がある。一方、カラオケのように、一般人の平均より劣る面もある。その落差が人の目をひく。なおかつご本人は照れとか恥ずかしさのようなものがないように見えるので (ありのままにさらけ出しているように見えるので)、TV を視聴する側としては晴れやかな気分で見ていられる。加藤一二三元名人が出演した TV 番組を見た時の視聴者としての感覚がうまく表現できませんが、何というか、ある種の爽快な楽しさがあるのです。

まあもちろん、加藤一二三元名人のことが性格的に受け付けられない方もいるとは思いますが、世間的にはかなりの impact があったものと思います。


2021年には棋童戦の実行委員長も務めているのを見て、本当に将棋のために尽力している方なのだなと思うとともに、年齢面・体力面からは同様のことを何年も続けていただくのは厳しいだろうなあと思っていました。

公的には「加藤一二三九段」と呼ぶのが一般的だと思いますが、私は敬意をもって「加藤一二三元名人」と呼ばせていただいています。名人1期で自動的に九段になりますが、九段の方全員が名人位を経験しているわけではないので、「元名人」とお呼びしたいためです。

将棋普及への貢献に対する感謝の意を表明します。

前回の blog 記事の続きの話題です。もしかしたら以前も書いた話題かも知れません。

私が子どもの入門者相手に角交換をあまりやらない理由は、(前回の blog 記事の用語を用いると) 子どもにとって大量の思考資源の投入が求められることになるためです。

私と同程度かそれ以下の棋力の人にとっては、角交換すると考えなければならないことが一気に増え、それに伴って思考資源の投入量がかなり増えます。相手が角を持っている以上、常に角の打ち込みを気にしなければならない状況になります。

私は、勝つために将棋を指しているのではなく、子どもが適度な思考負荷で将棋を楽しめるようにしたいので、大抵の場合は角交換を避けます。

まあ、棋力が低い私が推測しているだけですから、子どもにとっての本当の思考負荷量なんてわからないのですけどね。でも、子どもの思考負荷を推測しながら将棋を指すことは、私にとってはかなり楽しい娯楽です。

いつも読ませていただいているカクザンさんの blog で興味深い話題が取り上げられていたので、この blog でも取り上げたいと思います。

blog でご指摘の通り、難しさって考慮すべき要素だと思います。

計算機の世界だと「計算資源」という言葉を使ったりしますが、まあとにかく、限られた時間で形勢をどこまで見通すかという話は、投入できる計算資源がどれくらいあるかにかなり直結していると思います。

人間の場合、「計算資源」というより「思考資源」みたいな言い方をするほうがいいかも知れません。

プロ棋士だって、0分+5秒 の対局と 8時間+60秒 の対局では読みが変わる (というか悪手の確率が変わる) のではないでしょうか。


で、定跡とか手筋とか詰将棋の解き方を知っていると、僅かな思考資源で先の方まで見通しやすくなる、ということが将棋の本質の一部な気がします。

入門者だって、「次の1手に10年間かけてもいいよ」と言われたら、結構な量の思考資源を投入してそれなりの手が選べると思います。ただ、ルール以外に何も知らない状態から10年間分の思考資源を自分1人で投入しなくても、先人たちが投入して編み出してくれた定跡なり手筋なり詰将棋の解き方なりを利用することで (身につけることで) 成果が利用できる、というわけです。このあたり、現実の事象を元に法則を導出する科学技術の発展と相似なように思います。(原始時代から現代までの全ての科学技術上の発見を自分でやらなくても先人たちの積み重ねが利用できます。)


AI は、人間に比べてはるかに多い計算資源を投入できるのですから、その投入量を前提に先読みします。AI の推奨手は、それを元に何らかの法則や感覚を抽出して身に着けることができる人にとっては参考になると思いますが、それができるだけの棋力がない人にとっては (AI と同程度の計算資源を投入することは無理ですから) あまり参考にならないのだと思います。


AI の設定によって弱い AI を作れないかな、と考えて試してみた経験が私にもあります。

でも、うまくいきませんでした。読みの深さとか node 数とかの制約を強くしても、人間っぽくならないのです。

私の棋力自体が低いのでうまく説明できないのですが、例えばどんなに制約を強くしても AI は遠見の角を見落とさないのです。しかし、人間の入門者・初心者は遠見の角をよく見落とします。入門者・初心者は、盤面全部を見渡すことが難しく、自分の思考の焦点が当たっている局所は思考に入ってくるものの遠い駒はなかなか思考に入ってきません。


いずれ、将棋 AI の研究が進んでいって、入門者・初心者にとっての思考負荷などを元に入門者・初心者っぽく振舞う AI ができるかも知れません。例えば遠見の角はその距離によって〇%の確率で見落とす、なんていう AI もできるかも知れません。

でも、そういう AI を作る人はすぐには表れない気がします。今の AI は、思考の最初に合法手を絞り込んでから思考するので、遠見の角を見落として王手放置で負けるなんてことができないのです。

王手放置もできるような AI も、作る気になれば作れるはずですが、そういうものを作るよりも強い AI を作る方が話題的な需要が大きいでしょうから、やっぱり王手放置 AI はあまり期待できなそうです。

原典はこちら、これのまとめ記事はこちら。まとめ記事の方が読みやすいです。

興味深かったので、いくつか取り上げようと思います。

C2に着目している時点で >>1はファンのうちライト層ではなくコア層である
コア層はファン全体に占める割合が小さいので
ビジネスモデルを考える上で重視に値する消費者ではない

ライト層のほとんどはC2棋士なんてほぼ知らないし
そもそもC2の存在を認識したこともなければ
名人戦の予選の仕組みすら理解していない可能性が高い

要するに大半の消費者は興味がない

大半の消費者にとって興味を持ってもらえないC級2組を日本将棋連盟がプロとして保持する価値があるか、という点に尽きるかと思います。

将棋界がプロ棋士を何人まで支えられるか、という数値が最初にあり、それに合わせて日本将棋連盟の規模が拡縮するのが正しい在り方だと思っています。

新四段を年に4人も量産するからいけない
引退した人数分しか補充しないようにすればよろし

私も1年間に4人は多すぎると思っています。なお、新四段の人数を調整する代わりに降級点付与人数を調整する方法でもプロ棋士全体の人数調整は可能なので、どちらで対処してもいいかと思っています。

まあBとCをそれぞれ2つに分ける意味もないしな
ABCDEFでいい

これも私は同感です。順位戦の階級は1次元配列なのに英字と数字で表現する意味がないです。

ただ「S級」のような恥ずかしい名称がなくてよかったです。電子殻がK殻から始まる理由のように、万一さらに上位の級を作らざるを得なくなっても必ず英字の順序が保持されることはとても大切でして、幸いなことに順位戦は「A」「B」「C」という正しい順序で表記されているので、その点は安堵しています。

降級点とかフリクラとかぬるいことしてないで、
昔みたいに即降級・三段リーグに陥落にすればいいんだよ
頭の悪い奴らはすぐ引退させろいうけど そんなことしてたら 棋士を目指す人はいなくなり 将棋界は終わるわ

前者の意見に対する反論が後者です。私の考えは後者に近いです。一旦プロ棋士になったら最低10年くらいはプロ棋士でいられる期間が保証される方が望ましい気がします (その意味で「フリークラス」はよくできた仕組みだと思います)。プロ棋士の最低報酬額がいくらなのか知りませんが、仮に500万円だとしたら、10年間で5000万円。日本人の生涯賃金から考えると、これくらいの最低報酬がないとプロ棋士を目指す人が激減するような気がします。

普及の仕事がもっとあればいいんだけど、儲からないからな。
指導対局とかサイン会とか開いても市場が狭すぎるしな

これは本当にその通りだと思います。例えばC級2組や「フリークラス」のほぼ全てのプロ棋士が平日昼間に指導対局の場を用意してもちゃんとその枠が埋まるなら、普及のためにプロ棋士を増やしてもいいと思いますし、逆にそこが埋まらないならそれに合わせてプロ棋士の人数を調整すべきだと思います。

現行制度だとC級2組は59人を超えると減少圧力が働く。
フリークラスを除き順位戦参加人数が142人を超えると減少圧力が働く。
だからもう少し増えたところで頭打ちになる。

この「減少圧力」という考え方はよい考え方だと思います。というか、こういう量的な把握ができなければまずいです。

あとは、何人を閾値に減少圧力を働かせるか、という制度設計かと思います。

囲碁も将棋も両方見るがどっちも一時期より明らかに数字が落ちてきてるよ
A級順位戦の視聴者数も前はもっと多かったし
藤井の王将戦の午前無料の放送ですら5000人ちょっとがピークだった
囲碁だって同じ国際棋戦の応氏杯決着のときはピークが6000人いた

おそらく相当なペースでボリューム層である爺世代がしんでいると思われる
身近でもどんどん逝ってる

この分析がどこまで正確なのかは分かりませんが、将棋界は強い危機感を持たないといけないと考えています。

大会や例会を運営する側の人数も減るでしょうから、今から運営効率化を進めていかないといけません。

また、普及活動も大切だと思います。

余談ですが、将棋その他の催事の経験上、普段から将棋に関わっているわけではない人が将棋の催事に参加するには、「当日申込制」よりも「事前申込制」の方が何倍も申込数が多くなると感じています。先週末も、とある催事がほぼ「当日申込制」で人数が集まらず中止になった経験をしています。全く同様の催事を昨年計画した際は「事前申込制」で何倍も申し込みがあったので、普及のためにも「事前申込制」がとても重要であると感じています。

私の息子が将棋に興味を持ち始め、保護者として将棋の場に連れて行き始めた頃を思い出しても、「当日申込制」の場所に連れて行くなんてことはかなり心理的敷居が高いということを痛感しています。「事前申込制」の場だから初めてでも参加できるのです。

午前は4人1組で2勝通過・2敗失格、その2勝者全員で昼休みに抽選し、午後は勝ち上がり式 (single-elimination)、という大会運営が確率上の問題を抱えていることを示しなさい。

hint: 参加者が21人の事例を用いると簡単。


大学入試風に書いてみました。

問題が易しすぎるので説明はいらないと思います。

簡潔に言うと、午前に不戦勝込みで勝ち上がってきた人が、午後に有利枠に入った場合、優勝に必要な実勝利数について最大で2勝分の差がでる、ということです。そのような事例になる確率を計算し、それを元に各参加者の優勝可能性を計算し、その標準偏差が理論上の最小値であるかどうかを論じれば正解です。

この方式の場合、午前に不戦勝込みで勝ち上がってきた人が午後に有利枠に入らないように昼休みの抽選を区分しないといけません。


実務としては、午前の不戦勝込みの勝ち上がり者が発生する場合の数、午後の有利枠の数、といった変数を元に優勝可能性の標準偏差を求め、それが本当に理論上の最小値であるかどうかを検討することになります。

参加者が21人、と限定しても結構大変な作業です。

私の支部が主管したある大会で (当然事前申込制です)、大会の何日前にどれくらいの申し込みがあったのか、調べてみました。

大会参加者の半分が申し込みを終えたのは、大会の27日前でした。

言い換えると、大会の27日前には大会参加者数の確率分布の標準偏差が半分に減った (それだけ当日の人数が読みやすくなり、大会準備がとても楽になった) というわけです。厳密に言えばそうとも言い切れないのですが (大会申込日と参加者特性は恐らく独立していない)、大雑把には標準偏差が半分に減ったと把握してよいかと思います。

当日申込制だと、大会参加者数の確率分布が当日受付まで狭まっていきません。


言うまでもないことですが、不確定要素が減れば減るほど、大会運営者は効率的な大会運営ができるようになります。

非効率な大会運営をしていたら、運営員のなり手がいなくなる (後継者が見つからなくなる) と思います。

その点で、事前申込制を採用することは運営の上でも後継者探しの上でもものすごく重要です。


今までにも書きましたが、本当に重要なことなのでまた書きます。

(県にもよると思いますが) 当日申込制を希望することは、その県の将棋界を潰すことです。

自分の県の県大会が当日申込制で運営されているなら、その方式に従って申し込めばよいです。しかし、自分の県の県大会が事前申込制に移行してきているなら、恐らくそれは当日申込制ではもう持ち堪えられない状況でしょう。そういう状況でも当日申込制を要望することは、運営員を潰すことと同じです。

単なる人手としての運営員ならあまり負担が変わらないかもしれませんが、大会運営の責任者になったら、事前申込制と比べて当日申込制の負担がものすごく大きい (運営していられない) ということがよくわかると思います。