前回の続き。

そのように我々が決めている段級が
他の大会で認定されている級と
5級ぐらいずれてしまって
本当に困っているわけです。

将棋でも級位者の差はかなりありますね。

でも、これはいつまでも私たちだけが
こだわって維持していても無意味で
大多数がそうなってしまったのだから
少し合わせなければいけないなと
思ってずらしたわけです。

これは少々苦渋の決断だったのではないかと推測します。

日本棋院はこれを取り組まなければいけない
と思っていて、なかなか機会がないのですが、
私も声を上げていかなければ
いけないなと思っているところです。

日本将棋連盟もそういう意識があるのではないかと思っています。

どうやったら各地域の段を
揃えられるでしょうか。
私の感覚ですと、
プロと打って3子で
そこそこいい勝負になる形になれば、
それが6段という基準で考えています。

一筋縄ではいかない問題ですね。

解決までの道のりは遠いですが、それでもプロ棋士の方がちゃんと文章化して下さっていることは意味が大きいと思います。

ところが、碁会所の六段と言われる方に
5子ぐらい置かして負けてしまうような
強いおじさんがいたりします。
その方は碁会所だと11段とか
言ったりするそうです。

すみません、ここの部分だけ、急に分からなくなりました。

えーと、「碁会所の六段」という方と「強いおじさん」という方がいるのですね?

「強いおじさん」は「碁会所の六段」と対局する際に、「碁会所の六段」が5子ぐらい置くことを認めているわけですね?

そして、その対局を開始したら、「強いおじさん」が負けてしまうわけですね?

えーと、「碁会所の六段」は、(本当は文脈が違いますが) 先ほどの基準だと、プロ棋士相手に3子置いて互角ですよね?

プロ棋士ですら対局時に「碁会所の六段」が3子置いたら互角なのに、アマチュアの「強いおじさん」の対局時は「碁会所の六段」側が5子置いてしまったら「強いおじさん」が勝てるはずがないと思うのですが。

私の誤読ですかね?

だから、なるべく段と級を合わせよう
ということをやりたいのです。

はい、とても重要なことだと思います。

多分、日本棋院もやらなければ
いけないと思っているけど、
もうお手上げ状態で
やる方法がないということに
なっているのではないでしょうか。

多分そうだと思います。

根本的な問題として、ELO rating のように母集団の rating 分布を無視して勝敗ごとに rating を上下させる方式は、cluster の粒度にもよりますが、だいたい破綻してしまうと思います。

将棋のプロ棋士のように日本全国で単一の cluster があるだけなら (そして年間に1人何十局も対局が組まれているなら) ELO rating はそれなりに使えると思います。

しかしアマチュアの世界は cluster の粒度がとても小さく、しかもお互いに交流することで rating 基準を統一化する流れもとてもできにくいです。

こう言っては何ですが、(ELO rating に近い) 日本アマチュア将棋連盟の rating の仕組みは、どう頑張ってもうまくいかないだろう、と考えています。

ELO rating (とその亜種) を採用している限りこの問題は解決できない、というのが私の考えです。少なくとも Glicko rating のような仕組みを採用しないとどうにもならないと思います。

とりあえず、私は今困っています。
習い事として通ってくる生徒たちに
「僕は何級ですか」と言われた時に
答えることができません。

これは正しい反応だと思います。

結局、〇〇という囲碁の場ではあなたは〇級です、ということしか言えません。これは将棋も同じです。(物理学で、観測者によって物体の速度は異なって観察される、ということと同じです。)


囲碁の場合は有段者の棋力差が大きいのだろうと思われますが、将棋の場合は級位者の棋力差が大きい気がします。

特に、「将棋の一番下の級は10級」などという考え方をする人が少なくなかったことの影響が大きいと感じています。この発言がどれほど多くの子どもから将棋に対する興味を奪い、将棋人口を減らしたか。

…あー、昔息子とその友人を連れて行った将棋大会で上記の発言をした運営員がいて、そのせいでひどい目に遭ったことを思い出してしまいました。

囲碁の三村智保九段、この発言のため今まで私はあまり良い印象を持っていなかったのですが、表題記事を読んで印象が変わりました。以下、引用します。

免状があるのは
基本六段ぐらいまでです。
八段になると、全国大会で
活躍するような方や
県の代表になるような方です。

「免状があるのは基本六段ぐらいまで」は多分書き間違いでしょう (七段以上に免状が発行されない、なんてことはないはず)。正しくは、一般の方が囲碁の場で免状持ちの方を見かけるのは基本六段ぐらいまで、と思われます。

高段免状の取得難易度が将棋とかなり異なっている気がしますが、今回の論点ではないので触れません。

〔子供大会では〕
参加者している1級とか初段の子に
勝つから初段の認定をされるのですが、結果
置き石5つ分も違ってしまっているのです。

これはまずい方法ですね。(子ども大会の参加者など) 小さな集団の中の勝ち負けで段級位を決めると、母集団から乖離しやすくなります。もっと具体的に言うと、A 市の子ども囲碁大会に10か所の囲碁教室の子が参加してきて、そのうち1つの教室の段級位認定が甘かったら、その子ども囲碁大会の段級位認定も引っ張られてかなり甘くなります。

子供同士の成績だけで決めていると、
どんどんずれていきます。
これが全国的に起きているのだと思います。

三村九段もこの問題の原因を推測していますね。

因みに、子どもか大人かは本質的な問題ではなく、cluster の問題です。例えば、ある碁会所に来ている人の大部分が、1年間に碁を打つ日のうち5割くらい遠方県へ行っている、というような状況ならこういう問題はほぼ発生しません。ほぼいつも同じ碁会所・支部に行く、という状況だとこの問題は発生します。

なので先生役の人が対局をして調整をします。 まだ認められないということになれば、 少なくとも初段は許可しません。 級までは少し大目に見たりもしますが。

これは大切なことですね。

すみません、時間がないので続きは後日。

Ameblo の題目文字数制限があるようで、表題記事が正しく表現できず、すみません。前回取り上げた記事の続き記事です。

-「囲碁はビジネスに効果的」という表記の信ぴょう性
む「実際に一つ例を見てもらおう。日本棋院HP「囲碁の魅力と効用( https://www.nihonkiin.or.jp/news/release/1_117.html  )からだ。」
H「突っ込みどころが満載なのですが・・・。むらゆうさんは今までのビジネスで、囲碁の経験のおかげと感じたことはありますか?」
む「一切ない。むしろ、ビジネスの経験が囲碁に役立っている。逆算思考は、院生や大学生時代には無かった。」
H「社会的権威のネームバリューに依存も感じ、囲碁自体の良さが伝わりません。また、彼らが囲碁起点で成功しているかのような見せ方ですが、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスの名前を使う事に問題は無いのでしょうか。」
む「許可を取ってるか否かは分からないが、純粋に嫌だろう。私は「囲碁やってる人は数字に強いんですね」と仕事で言われると腹が立つ。「いいえ、証券会社時代に日々ノルマで激詰めされた経験が活きてます」と即修正している。」
H「広告内で、"役立ちます"と断定している点にも不信感を持ちます。ご法度じゃないですか。」
む「この手の誇大広告が常態化している。自分が発信したいことにフォーカスしてしまい、目的や閲覧者視点が無いからだ。そういった考え方が必要な事自体を、理解していないに違いない。」

これは同感です。「囲碁の魅力と効用」を読んで惹かれる方もいると思いますが、逆効果もかなりあると思います。

まあ、実は将棋界もそういう面がありまして…例えば、この方は割とそういう書き方の著書が多いように感じます。

H「囲碁界に美人はいないんですか?」
む「残念ながら。一般的には普通か普通以下が、美人と騒がれる。」

えーと、主観の話になってしまいますが、囲碁界も (そして将棋界も) 美人はいると思います。

ただ…引用末尾の「一般的には普通か普通以下が、美人と騒がれる。」という傾向があるような気がします。

個人的な意見ですが、将棋界も囲碁界も、美醜の話題には触れないほうがよい気がします。

宣伝手法として美醜を考えることは、分からなくはないですが、それよりも男女比の方がものすごく重要な気がします。子どもの将棋大会で男児ばかり写っていると「将棋は男向けの娯楽なんだ」という印象を与えそうです。


表題記事、全面賛成はしませんが、「外部からどう見えるかの検証は大切だ」と感じました。

表題記事より。

普及をテーマに掲げる事業者は多い。事業とするのであれば、徹底的にマーケットのポテンシャル・価値を最初に洗うはず。そのデータを持ってる事業者は?事業者同士で共有はされているか?
また、既存の囲い込みだけでは「普及」にはならない。新規流入についてはどうか。ビジョンを「普及」と置くならば、自分ができる範囲で「新規流入」「既存のリピート率」「新規・既存離脱〇%以下」等のゴールを設定・管理している事業者はいますか?

実は私の支部でもこれまでの「新規流入」「既存のリピート率」「新規・既存離脱〇%以下」すらちゃんと統計をとっていないので、私も偉そうなことは言えません。

ただ、幸いなことに私の支部はずっと事前申込制で運営しているので、全ての回の参加申し込み情報が残っています。そのため、やる気になれば上記の数値が算出できます。近いうちにやってみようと思います。(この blog では結果を公表しない予定です。)


もし私の支部が当日申込制だったら、そういう統計情報すら算出できなかったでしょう。まあ、毎回参加している役員なら肌感覚で悪くはない精度の把握ができるかも知れませんが、それは他人に伝えにくく共有しにくいことです。

2025年5月19日に私は「日本棋院が英断」という記事を書きました。

「どうせ現役棋士も大量に首を切らないといけないし採用枠も縮小しなければいけないのだから、どちらを先に実施してもよい」と考えていました。

そして、9カ月以上が経過しました。未だに現役棋士の首を切る話が発表されていません。

まあ、1年経過までは待とうと思います。


ただ、以前も書いたと思いますが、現役棋士を8割削減しても日本棋院が存続できるか微妙、9割削減すれば確実に存続できる、と考えています。

しかし、年金会計が分離されていないようなので、実際にはそれが足枷になっているのでしょう。


5年後、10年後の囲碁界に日本棋院は存続しているのか。それとも新日本棋院ができるのか、または関西棋院だけが残るのか。

日本棋院がなくなるまでの期間は、次の囲碁界の準備期間だと考える方がよさそうでしょうか。

3強 (一力・井山・芝野) が次の囲碁界の方針を決めてくれれば、恐らく日本の囲碁界はその方向に進むと思います。他のプロ棋士には、sponsors を引き寄せる力がないように思います (女性棋戦などを除く)。

ちょっと驚かすような題目をつけました。

通常、保護者を抑制することなんてないのですが…時々、子どもの対局なのに結構口を出してくる保護者がいます。

何とか頑張って我が子に正解を選ばせたい、というような気持が強いのだと思いますが…多分逆効果だと思います。


入門者にとって、将棋が「数多くの選択肢から数少ない好手を見つけ続けなければならない遊戯」だったら、多分やる気をなくすでしょう。

入門者にとっての将棋は、「数多くの選択肢のうち基本的にどれを選んでもよくて、まあ悪手がちょっとだけある遊戯」であってほしいです。

将棋は、誰かに指示された手で勝っても嬉しくなくて、自分で考えて指した結果として勝つことが嬉しい遊戯です。自分の能力が相手を上回ったから勝てた、自分の読みが相手より深かったから勝てた、という嬉しさがかなり含まれているものだと思います。


そりゃまあ、藤井聡太六冠と対局するのであれば、殆どの手は悪手でちょっとだけ好手がある程度でしょう。

でも、入門者は藤井聡太六冠と対局するのではありません。大事なことは、同程度の棋力 (同程度と思わせるくらいの棋力) の相手と対局することです。

私が入門者と対局するときに意識していることは、「この子の学級で将棋が流行った場合の級友の棋力」をちょっと弱めに再現することです。(あ、でも、王手放置はしないように気をつけています。最後は詰将棋状態になるのが理想です。)

入門者の級友の棋力を再現するなら、入門者が指す手のほとんどは別に悪手じゃないです。もっと言うと、大駒を損したって何とかなる可能性が高いです。


せっかく子どもを連れてきてくれたのですから、保護者自身を否定することはしたくない、でも保護者の発言は打ち消したい、という気持ちになるので、そういう保護者への対応を考えています。

まあ、「将棋は自由だから、どんな手でもいいよ、自分で考えることが大事だよ」みたいなことを対局中に何度も発して、保護者による正解志向を何とか打ち消すようにしています。

色々と web 上の記事を見て歩いて、browser 上でこんな写真が残っていました。元記事が分からないので、link せずに URL だけ載せます。

https://livedoor.blogimg.jp/onecall_dazeee/imgs/c/8/c83e5f0d.jpg

統計上こういう方が存在することは理解できるのですが、感覚的には「それなりの割合になるのは今から15年後くらい」と思っていました。

この方の外見だと、私が街中で見かけてたとしても「こういう経歴の方だ」と想像できないです (普通の人生を送ってきた方だと思い込んでしまいます)。

各世代に対して私が持っている解像度はまだまだ低いんだなあ、と痛感しました。


将棋普及に関して、私の主戦場が子ども世代であることは今までもこれからも (多分) 変わりません。

一方で、独身者・高齢者・ひきこもり、といった方々に対しても将棋の場が居場所の1つになりうるようにしたい、という気持ちもあります。

特に、今の日本は生涯未婚率がかなり高くなっているので、いずれ独身高齢者の比率もかなり高くなります。「そういう社会に対応できる将棋界にしたいなあ」という気持ちがあるものの、「そういう社会は今から15年後くらい」と思っていたわけです。


振り返ってみると、幼稚園から大学院までは経験しているので、園児・児童・学生・院生の気持ちはまあ分かります。私自身は将棋をやってこなかったけど子どもを将棋教室や将棋大会に連れて行ったので、大多数の保護者 (自身に将棋経験があまりない保護者) の気持ちも分かります。

でも、私は就職してから結婚まで1年未満だったので独身の方の気持ちはあまり分かりません。まだ勤労世代なので定年退職世代の方の気持ちもあまり分かりません。


「未婚男性の『男余り430万人』の実態~もはや若者ではなくおじさん余りへ」という記事がありまして、そこに年齢別の男余り人口が載っています。

いやあ、数値の上ではこういうことはわかったつもりになっていたんですよ。でも、先述の URL (写真) と数値が結びついていませんでした。

私自身は、15年後の将棋界や50年後の将棋界を想定しているつもりだったのに、私自身の解像度が低すぎました。

15年後の私は「日本がこんな風にまでなるとは思っていなかった」「将棋界がこんな風にまでなるとは思っていなかった」と呟いているかも知れません。

以前、3大都市圏の中心駅から片道500円以下の地域に住んでいる人にはそれ以外の地域の将棋事情が分からないのではないか、みたいな記事を書いた記憶があります。

逆に、私には東京の人の感覚が分からないのではないか、という懸念を今日持ちました。


きっかけは以下の呟きです。

東京に出てビックリしたことのひとつ、デート相手の男性が裕福な生まれ育ちをアピールしてくること…!
関西では「ボンボンであること」はダサいことなので、ボンボンであると自分から話してくる男性たちの意図が分からず困惑した笑

私は関西出身ではありませんが、感覚はこの呟きに近いです。

「ボンボンであること」自体はダサいとまでは思いませんが、それを自分でしゃべってしまうことはとてもダサいと感じます。私の人生で、実家が太いことを自ら話してきた人は1人もいないです。

こんな呟きもありまして。

東京のマンションがもう一世代の努力で買うのはほぼ無理になってきてるから、実家の太さがガチで重要になりつつあると思うけど、この感覚は東京に住まんと分からんと思う。俺も田舎に住んでた頃は親なんて関係ないと思ってた

統計的には分かるんですよ。東大の入学者の親の年収分布がかなり上方に振れている資料は見たような気がします。

だからこそなおさら、実家が太いという話を自らすることはダサいと思うのです。


将棋の普及についても、自分の県についてはそこそこ分かっているつもりですが、東京での将棋普及について私はあまり分かっていない可能性が高そうな気がしてきました。

「重症ナッツアレルギーの男性、機内で「ナッツ控えて」要望の動画が3000万再生 賛否の声が拡大」という記事を読みました。

元投稿 (英語) を読んでいないので日本語記事からの引用になります。

重度のナッツアレルギーを持つロンドン在住のアートディレクター、ダニエル・ケリーさん(32)が、機内で客室乗務員に「ナッツを食べないようアナウンスしてほしい」と依頼した動画が3000万回以上視聴され、大きな議論を呼んでいる。アレルギー当事者にとっては“命に関わる”行為である一方、「乗客にそこまで求めるべきか」を巡って賛否が激しく対立した。
ケリーさんがEasyJet機内でアレルギーアナウンスを依頼する様子を投稿すると、動画は3,000万回以上再生され、海外メディアにも取り上げられた。
コメントは大きく二極化した。
賛成意見:「命の問題なのだから当然」「私も次から勇気をもってお願いする」
反対意見:「自分はナッツを食べたいから我慢しない」「プライベートジェットに乗れ」「自己中心的だ」

これは「ナッツアレルギーの方」と「それ以外の方」との負担の問題だ、というのが私の考えです。


まず、「命の問題なのだから当然」という意見には私は賛同できません。この考えを押し進めていくと「ナッツアレルギー患者ファースト」になるでしょう。つまり「それ以外の方」は「ナッツアレルギーの方」の主張をなんでもかんでも受け入れないといけない状態、「ナッツアレルギー患者」の主張を必ず「ファースト」として扱わなければならない状態です。

仮にこの世の中に「小麦粉アレルギー」「米アレルギー」「野菜アレルギー」がありそれらの患者が同一の航空便に乗るとして、72時間以内にそれらを食べた人が同じ機内にいる場合に発症するとしたら、その航空機の乗客は全ての搭乗72時間前から絶食しなければならなくなると思いますが、それは妥当だと思いますか? 私はそうは思いません。妥当な着地点だと思えないからです。


一方で「プライベートジェットに乗れ」という意見にも賛同できません。「ナッツアレルギーの方」の負担が大きすぎると感じるからです。


私が妥当だと感じる着地点は例えば以下の扱いです。

  • 「ナッツアレルギーの方」は、搭乗1週間前までに航空会社へ申告することで、「ナッツ フリー」な機内の実現を期待できる
  • 上記申告時点で航空便を予約済みの乗客には、今回「ナッツアレルギーの方」が登場するため機内で「ナッツ」を食べることができない旨のお知らせが届く
  • 上記のお知らせを受けた乗客は、追加費用を負担せずに他の便に変更することができる (その際の費用は「ナッツアレルギーの方」が加入している保険から支払われるよう法制化する)
  • 上記申告時点以降に航空券を予約しようとする方には機内で「ナッツ」を食べることができない旨のお知らせが表示される (この条件を承諾した場合のみ航空券が予約できる)

これなら、「ナッツアレルギーの方」の不安も解消できるし、「それ以外の方」も機内で「ナッツ」を食べることができない心づもりができるし、それでは困るという方も便を変更できます。変更費用を保険が負担する仕組みにするのも妥当ではないかと思います。

「ナッツアレルギー患者ファースト」ではなく、できる範囲でなるべく「ナッツアレルギー患者」に配慮する社会がよい社会だと思います。

「ナッツアレルギーの方」と「それ以外の方」との負担をどう分けるかという問題は、将棋の大会参加者と運営側との負担をどう分けるかという問題に似ていると思います。なるべく「ナッツアレルギー患者」に配慮する社会、なるべく大会参加者に配慮する大会が望ましいという主張なら、大いに賛同します。

こちらの note 記事より。

そしてビビることに、日本棋院や関西棋院が運営している囲碁サロンでは「日祝休業」などと書かれています。私のようなカレンダー通り勤務のサラリーマンは日祝こそがネット碁とは別でリアルで打ちたいなと思う曜日です。そして囲碁教室も「日祝休業」です。
そして、平日の囲碁サロンの営業も10~18時などと書かれています。
とどめに初級者教室は「木曜13時~」などとアナウンスされています。
囲碁界はサラリーマンを歓迎していないのではないか、という疎外感を感じます。

最初にこの記事を読んだ時、「いやいや、流石にそんなことはないでしょう」と思いました。しかし、調べてみると日本棋院関西棋院も指摘通りなのです。

これはとてもびっくりしました。今でもとても信じがたいです。これは、「囲碁界は平日昼間に暇な高齢者しか相手にしていませんよ」と宣言しているようなものです。あまりにもひどい。

今まで私は、できるなら日本棋院に存続してほしいと考えていましたが、これを見て考えが変わりました。こういう組織が囲碁界の中心にいては、日本の囲碁界はどうやっても立て直せないと思います。武宮陽光理事長がどれくらいの能力を持っているのか知りませんが、どれほど有能であってももうどうしようもない (手遅れな) 気がします。

以前にも書いたと思いますが、一力遼・井山裕太・芝野虎丸の3強、有能な経営者1人、棋力上位者10人、棋力上位女性10人、棋力上位若手10人、最低限の従業員、のような構成で新日本棋院を立ち上げるのが最善手だと考えています。