私がプロ棋士集団に期待することの原点は『ヒカルの碁』のこの頁にあります。

囲碁界の外部者である私が言うのはよくないかも知れませんが、社会的地位においても棋力においても、囲碁のプロ棋士には「高み」を維持していただきたいです。

一番弱い現役プロ棋士であっても棋院の通勤圏内で自立して生活できるくらいの年収であってほしいし、年収中央値のプロ棋士には「普通の会社に勤めるよりも稼いでいる」と言ってほしいです。中央値が250万円を下回ると推測されるようなプロ集団であってほしくないです。

rating において、上位30人のうち日本所属者は1人しかいないのに、下位30人のうち日本所属者は26人みたいな、そんなプロ集団であってほしくないです。

勘違いしないでいただきたいのですが、私は、囲碁のプロ棋士の人数をそのままに待遇を改善しろと主張しているのではありません。プロ棋士の人数を絞り込むことで「棋士の高み」を維持してほしいのです。

ちゃんと計算したわけではありませんが、日本の囲碁のプロ棋士の人数を30人くらいに絞り込めば中国や韓国と比べて見劣りしない棋力分布になると思います。棋戦の数は少々減るかも知れませんが、年収の中央値はかなり上がるでしょう。それでこそ「棋士の高み」が維持される、と考えています。


囲碁界は囲碁の普及度に合わせてプロ集団の規模を変えるべきだと考えます。

同様に、将棋界は将棋の普及度に合わせてプロ集団の規模を変えるべきだと考えます。

『ヒカルの碁』を読んだ方なら、この場面をよく覚えていることでしょう。

こういう不正行為 (ごまかし) のことをチート (cheating) と呼びます。

この不正行為をした三谷少年は、自力でこういう技術を身に着けたのか、それとも誰かに教わったのか、それはわかりませんが、もしこういう不正行為を教える囲碁教室があったら、そこは「チート囲碁教室」と呼ばれるのがふさわしいでしょうね。

(わざわざ説明するまでもないことですが、cheating には「強い」などの意味は一切含まれていません。)


様々な方の『伍と碁』の感想を読んでいたら、第1話に出てくる囲碁教室を「チート囲碁教室」と呼んでいる感想があって、ちょっと悲しくなってしまいました。

「チート囲碁教室」というものは、上記のような不正行為の技術を教える教室です。

『伍と碁』は (私が読んだ範囲では) チートなど一切出てきていない健全な漫画だと思います。

INTERNET で調べ物をしていたら、忘年会幹事の話題が目につき、ついそっちに目が行って色々読んでしまいました。

1つ目の呟き

そしてやってみて初めて理解した。

・人数調整は地獄
・急なキャンセルで店に頭を下げる
・直前で席が埋まる
・料理の好みは全員違う
・誰も手伝ってくれない

なんか、将棋大会・例会の運営と似ている気がしてきました。

特に、人数調整が地獄なのが似ている気がします。

…いえ、ちょっと違いますね。忘年会と異なり、人数が予定より減る分には問題ありません (参加申し込みしていた人が来なくて不戦敗となっても誰も運営に文句を言いません)。一方、人数が増えた場合は調整が極端に難しくなり、それに失敗すると恐らく何年間も (または何十年間も) 非難されるでしょう。

2つ目の呟き。赤字・青字は私。

私は限界まで全員に気を使うのに、一部参加者はそれが当たり前になって幹事を粗末に扱うのが出てくるの。幹事は参加者に尽くして当然、幹事の存在は二の次、些細なミスを「次回に生かして下さいね」と採点される。やってらんない

この「幹事」を「大会運営」に置き換えたらちょっと将棋界と似ているかも知れません。

因みに、「大会運営の存在は二の次」を英語混じりの言葉で表すと「選手ファースト」となります。「選手センタード」(選手になるべく配慮する) とは異なる概念です。


この blog をお読みの皆さんが職場の忘年会 (20人~35人規模) の幹事をするとしたらどういうやり方にしますか?

  • 店はどうやって選びますか? 日程はどうやって決めますか?
  • 参加者は事前申込にしますか? それとも店だけ確保して当日申込にしますか? 35人で店を予約して20人しか来なかったら、15人分はあなたが負担しますか?
  • 「参加する」と言っていたのに当日来なかった人がいたら、その人の分はあなたが負担しますか?
  • 忘年会の途中で帰宅する人のお金を確実に徴収することはできますか?
  • 参加者が店に集まってから実際に忘年会を開始するまで、何分間くらいが許容範囲だと思いますか?

私はそもそもお酒の場が好きではないのですが、もし忘年会幹事になったら以下のようにやると思います。

  • お店はこちらで数店舗だけ候補に挙げ、「私の代わりにあなたが幹事になれば、別の店を選ぶことができます」と言います。
  • 日程は候補をいくつか挙げ、参加の可否だけを最初に集計し、日程が確定したら事前申込の受付を開始します。
  • 多分、2~4週間前を参加申し込み締め切りにして、「締め切り日を過ぎたら参加費が発生しますが、自分の代わりに参加する人を自分で見つけてきたら参加費は発生しません」とします。
  • お金は原則として現金ではなく PayPay などで集めます。tracability が全然違います。(現金過不足が発生したらとても大変です。)
  • 現金のやり取りがなければ、参加者が店の前に集まってから座るまで10分間くらいでしょうか。まあ、職場の人はみな大人ですから、子どもと違って少々待たされても大丈夫かと思います。

色々と責任を分散しているのが分かりますでしょうか。

店選びで自分の提案をしたい人は私の代わりに幹事を引き受けなくてはいけません。幹事を引き受けないなら、店について文句を言うことができません。(店選びについて私の責任がなくなります。)

参加申し込みには締め切りを設けているので、参加申し込みをするかどうかは参加者の責任です。また、締め切りを過ぎたら参加費が発生することを明言しているので、参加を取り消しても参加費は負担することとなり、幹事が負担することになる可能性はありません。

お金のやりとりは tracability を重視しているので、基本的に現金過不足が発生しません。


将棋大会の運営も、基本的な考え方は似ているとおもいます。

systematic な運営をすることで責任を分散する、という方針がとても大切です。

その方針の根幹をなすのが、完全事前申込制です。(当日申込制でも運営できる地域はそれでもいいと思いますが、それだけの力がない地域は完全事前申込制しか選べません。) 事前申し込みもせずに当日いきなりやってきた人が参加できなくてもその人の責任です。事前申込した人が当日やってこなくてもその人の責任です (不戦敗になるだけなので、他の参加者は誰も文句を言いません)。いずれにしても運営の責任にはなりません。

当日申込制は、そういったあたりのことについて全て運営側が責任を持つ方法です。20人分しか予約していない忘年会を当日申込制にして、実際には35人やってきた場合、溢れた15人を12月の屋外で (2次会まで) 2時間待たせますか? 当日申込制にするということは、そういうことです。

実際、過去に私の県では、50人程度の部屋しか確保していなかったのに70人くらいの参加者が来たことがあります (その時は私は運営に携わっていませんでした)。たまたま公民館の空き部屋があったのでそこを借りて対応していましたが、もし空き部屋がなかったら幹事のあなたはどうしますか? 溢れた20人に対して「お前たちは将棋大会に参加することができない」と言い放ちますか? 当日申込制にするとは、そういうことです。

忘年会幹事も、将棋大会運営も、いかに責任を分散していくか、人数などの変動要素をいかに事前に確定させていくか、がとても大切です。大会運営員の人数も限られ、みんな平日の勤務で時間に余裕がない中で大会運営準備をしているのです。その上で更に当日申込制を望むことは、(忘年会幹事を粗末に扱うことと同様) 大会運営員を粗末に扱うことと同じです。大会運営員が「やってらんない」と感じるのも必然でしょう。

当日申込制を実施する力がない地域で当日申込制を採用したら、その地域の将棋界が廃れていくことは間違いないと思います。少子化と娯楽多様化が将棋界衰退の2大要因だと思いますが、当日申込制はこれに次ぐくらいの大きな衰退要因だと考えています。

私が当日申込制にとても強く反対する理由は以上です。幸いなことに、今の私の支部の役員には当日申込制を主張する人はいません。

私の市の公民館の制度は県内最悪で、利用したい日の4週間前になるまで利用可能かどうかが確定しません。

支部の例会・教室の案内は、上記が確定してから割と早めに出しています。少々のずれはありますが、まあぴったり4週間前に案内を出すことができているとすれば、参加受付開始から例会・教室開始まで672時間あるわけです。

例会・教室の参加申し込みは前日の23時59分まで受け付けています。ですので、(教室は10時開始なので) 参加受付開始から参加受付終了まで662時間あるわけです。因みに、参加取り消しは例会・教室開始直前まで可能なので、「参加できる可能性がありそう」と思った時点で申し込んでおいて、行けなくなったら cancel すればいいだけの話です。もっと言うと、人数超過は大迷惑だけど無断欠席は殆ど影響がないので、cancel し忘れたってさほど問題がないのです (もちろん、早めに cancel してくれればその枠が開いて他の人が参加できる可能性が出てきますが、まあ、そこまできっちりしてなくてもいいかな、と思っています)。

参加を申し込む側にとって、672時間と662時間は大きな差ですか? 運営する側にとっては、準備時間が10時間なのか0分なのかはとても大きな差です。

私の支部が主管する大会だと、申し込みは前々日の23時59分まで受け付けています。上記の例に従えば638時間あるわけです (実際には公民館長への特別な申込文書を提出して認められればもっと早く動けます)。大会準備が10時間では足りないので、34時間 (2晩) の準備時間を作っています。それでも、「そんな準備時間は0分まで削ってその分を参加者の申込猶予時間に回せ」と言って当日申込制を要望しますか?


以前も書きましたが、私の息子が初めて参加した県内の将棋大会ではとても長い時間待たされ、これが原因で私は将棋界に対して悪い印象も持っています (運営以外ではよい印象が多いです)。そして、私たちが待たされた最大の原因が当日申込制であったことは明白でした。

私は、「将棋という遊戯は面白いのに、こんな運営ではもったいない、何とか改善して将棋を普及させたい」という思いで今まで運営に関わってきました。ですから、当日申込制を採用することは、私のこれまでの活動がほぼ全否定されることに等しいと感じています。

もちろん、当日申込制を採用する力がある地域、「当日申込制でも運営員をやります」という人数が集まる地域ならそれでもよいと思います。ちゃんと受付開始から対局開始まで短時間で終わらせることができ、参加者の氏名を決して間違えずに表記でき、初めて子どもを将棋大会に連れていく保護者が事前に知っておくべき資料がちゃんと事前公開されていて将棋大会にその案内がちゃんと載っている、などの状況なら、アリだと思います。

私の地域では実現不可能です。今後 (例えば15年後) も県の将棋界を残すには事前申込制の導入が不可欠だ、という強い思いがあります。

図々しいとは思いますが、新日本棋院を作るならこんな方向性の方がいいのではないか、と勝手に夢想します。今までの日本棋院の方向とはかなり違うと思います。

  • 1年間でプロ入りできる人数は1人だけです。日本将棋連盟よりもはるかに狭き門です。
  • 女流特別採用棋士、外国籍特別採用棋士、女流特別採用推薦棋士、英才特別採用推薦棋士、というような抜け道は一切ありません。
  • 年間の採用枠ではなく、プロ棋士として存在できる枠として定員最大10人の「新人枠」があります。10年以内に「通常枠」または「女性枠」に移行できないとそこで強制引退です。
  • 「通常枠」の大きさは棋戦や囲碁界の規模によって変動します。新日本棋院設立時は、その時点の棋聖、及びその時点の棋聖 S, A 所属者、合計15人です。囲碁人気が大きくなって新日本棋院の収入が増えれば、「通常枠」も増えます。
  • 女性限定棋戦を望む sponsors がある間は「女性枠」を設けます。定員は女性限定棋戦の収入に左右されます。女性の場合、「新人枠」や「通常枠」から外れても「女性枠」に入ることができます。「女性枠」での生き残り方法は、基本的には棋力です。(「女性枠」が男性差別であることは認識していますが、現代日本社会では女性の方が囲碁普及に効果的だと思いますので、仕方ないと考えています。もちろん、sponsor がつけば「男性枠」を設けてよいと思います。)
  • 旧日本棋院のプロ棋士だった者のうち「新人枠」「通常枠」「女性枠」のいずれにも入れなかった者はアマチュア扱いとなります。特例として、新日本棋院発足から5年間は大会参加費無料とします。
  • 原則として全ての棋戦でアマチュア参加枠を設けます。対応する「アマチュア〇〇戦」の優勝者だけがプロ棋戦に参加できます。
  • アマチュア棋聖戦で優勝して最終的にプロ棋聖戦で「通常枠」に入った (残った) 場合、本人の希望によりプロ編入することができます。
  • 年間を通して最優秀だった院生1人のみが「新人枠」に入ることができます。また、2位の院生が女性でかつ「女性枠」に余裕がある場合、「女性枠」に入ることができます (「女性枠」は毎年誰かが入れるとは限りません)。院生以外の場合はアマチュア棋聖戦を通してプロ編入を目指してください。
  • sponsors になっていただける企業は、「新人枠」「通常枠」「女性枠」のうち1つ以上を棋戦対象者として選んでください。3つ全てを選ぶと「全棋士参加棋戦」を名乗ることができます。
  • 上記の3つの枠全てを棋戦対象者として選んでも全部で〇人なので、対局料負担はかなり安く済みます。その分、優勝賞金を増額していただけると幸いです。
  • 新日本棋院は年金制度を内包しません。プロ棋士の皆さんは国民年金や国民年金基金に加入することとなります。

ここまでやれば、「囲碁界は将棋界よりも厳しいのです。囲碁のプロ棋士は、本当に限られた人しかなれない特殊な職なのです。」のような宣伝が可能になると思います。そうすれば、news value も大きくなるでしょう。

全棋士参加棋戦を開いても対象者は30人~40人くらいなので、sponsors にとっても負担がかなり小さくなると思います。また、俊英戦のような棋戦も組みやすくなります。それでいて「囲碁のプロ棋士は本当にすごいのだ」という印象も維持でき、また優勝賞金さえ高ければ「囲碁のプロ棋士は儲かるのだ」という印象を作り出すこともできます。


んー、図々しすぎる妄想ですかね? 社会から尊敬される囲碁界であってほしい、という気持ちが前面に出すぎたかも知れません。

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まずはこちらの記事

その点「藤井聡太29連勝」は
こちらからアピールする必要はひとつもなかった。

「1990年の野茂英雄」「1994年のイチロー」
「1995年の羽生善治」のように、
「その界隈を見ていない人でもわかる大記録」と
「その人自身の個性」が組み合わさった時の盛り上がりは
勝手に膨らんでいくことがわかりました。

当時を知る人ならわかると思うのですが、社会は常に単純で分かりやすい話題を欲していて、そこに当てはまるほどの実績と個性があると本当に勝手に知名度が上がっていきます。

日本社会から見た「単純で分かりやすい話題」の座は基本的に1~2席くらいしかなくて、少し前だと野球の大谷選手がその座についていたと思います。

羽生善治永世七冠もそうなのですが、藤井聡太六冠は日本社会 (の多くの人) から「頭脳がよい人」の典型として見られていて、上記の座に就いていたことがあります。(上記の座よりはすこし落ちるかと思いますが、加藤一二三元名人も実績と愛嬌で知名度が上がりました。)


こうしてみると、中学生で将棋のプロ棋士になった5人のうち2人はその話題が日本社会を席巻するほどの活躍をし、更に1人、それに近い知名度を持つに至った、と言ってよいかと思います。

言い換えると、将棋界から「中学生棋士が誕生しました」という話題が出てきた時、その4割は日本を席巻し、6割は充分な知名度を得るに至った、ということです。

人々の目からすると、「中学生棋士が誕生しました」という将棋の話題は本当にすごい話題である可能性が高く、TV などでも取り上げる価値が充分にある、ということになります。


藤井聡太六段は、「プロ入り直後から29連勝」「プロ入り後1年1カ月で全棋士参加棋戦優勝」「プロ入り後3年5カ月で全棋士参加タイトル戦優勝」という記録を出しました。TV などからすれば news value が大きい話題を生み出す人物となったわけです。

ここで、留意してほしいことがあります。「中学生棋士が誕生しました」という出来事そのものは (やろうと思えば) 日本将棋連盟のさじ加減でどうとでも実現できることですから、news value はあまりありません。大事なことは、日本将棋連盟が「中学生棋士が誕生しました」と言ったら、その人物はかなりの高確率で news value を生み出す、ということです。


藤井聡太現六冠のプロ入り決定の2年3カ月後、日本棋院は仲村菫現三段のプロ入りを発表しました。

私はこの時、「ああ、日本棋院は囲碁界の威信を傷つけることになりそうだ」と感じました。

誤解ないように記しておきますが、仲村菫現三段は実際に強いと思います。

ただ、世間は「藤井聡太の二番煎じ」と感じたでしょう。(仲村菫現三段に責任はありません。)

「藤井聡太の二番煎じ」ではない、と世間に認識してもらうには、藤井聡太六冠以上の活躍が必要です。具体的には「プロ入り直後から30連勝以上」「プロ入り後1年1カ月未満で全棋士参加棋戦優勝」「プロ入り後3年5カ月未満で全棋士参加タイトル戦優勝」のうち2つくらい実現できれば、二番煎じではないと感じてもらえたと思います。

しかし実際には、仲村菫現三段は2連勝すらできず2局目で負けています。全棋士参加棋戦でも1度も優勝していません。news value としてはとても小さいと言わざるを得ません。

言い換えると、「日本棋院が大騒ぎしても、それは注目するに値しない」という認識を世間に (そして TV 局などに) 植え付けただけに終わったとも言えるでしょう。


関西棋院も同様で、 藤田怜央現初段が9歳4カ月でプロ入りしたという news を出してきましたが、プロ入り後3年以上経つのに未だに公式戦の年間勝ち越しすらできていない状況です。(藤田怜央現初段に責任はありません。)


日本棋院も関西棋院も、囲碁界の威信をかなり傷つけたと思います。

ただ、とにかく話題作りをして囲碁の知名度上昇・普及をしなければいけなかった日本棋院・関西棋院の状況も理解できるので、一概に批判する気にはなれません。

 

大会や例会で事前申込制にするということは、事前に準備する時間を確保できるということです。これを駒組みに例えるなら、こういう準備ができるということです。(私の棋力が低くて、この程度の駒組みしか思い浮かびませんでした。もっと良い駒組みがあってもご容赦ください。)

一方、当日申込制にするということは、何人参加するか受付終了時刻まで確定せず、人数が確定してからごく短時間で完璧な (誰が見ても確率的な指摘が出てこない) 準備をしなければならないということです。これを駒組みに例えるなら、準備時間が不足してこれだけの兵しか招集できなかったという感じです。

どちらが勝ちやすそうですか?

大会や例会の運営側に充分な力があって当日申込制を採用しているなら、私が口をはさむことではありません。しかし、運営側にその力がないのに参加者が当日申込制を希望することは、後者のような開始局面を強いていることと同じです。そして、後者のような局面から対局を開始して負けても、その責任は運営が背負うことになります (すごくきつい批判を大会後も受けることになります)。

そんな状況でも大会運営・例会運営を引き受ける人はどれくらいいますかね? 私なら絶対に引き受けません (というか、支部役員そのものをやめます)。

地域によって異なると思いますが、充分な力がない地域で当日申込制を望むと、その地域の将棋文化は緩やかに、そして確実に衰退していくでしょう。

人口減少や電子遊戯の普及など、将棋界が衰退する要因になりうるものは色々あると思いますが、その中でも当日申込制はかなり大きな要因の1つです。

こちらの呟きから引用。

待ち時間が長すぎるのでもっと短くして子供も見れるコンテンツにする。
漢字の駒はやめてアンパンマンとかちいかわの駒で対局する。
とかどうでしょう?

前者、観る将にとっては Abema.TV の fischer 戦などがあるかと思います。ただ、指す将にとっては将棋大会の待ち時間は長すぎますね。これは指摘通りかと思います。

私の息子が初めて参加した県大会、午前9時開始としか案内がなくて、それが第1局開始時刻だと思って (受付に時間がかかることを想定して) 8時半前に到着するように会場に行ったら、実際に第1局を開始したのが午前10時頃だった、という経験は忘れません。子どもを長時間待たせることがどれだけ普及の妨げになっているか、将棋界は知るべきだと思います。そして、大きな要因の1つが当日申込制です。運営能力が不充分な場合に当日申込制を採用することがどれだけ害悪なのか、将棋界はもっと思い知るべきです (運営能力が充分であれば当日申込制でもよいと思います)。

後者は、駒自体はすでに色々ありますね。

こちらの呟きから引用。

地元にはシルバー男性の将棋サークルしかなく、初心者が気軽に指せるところがない。小学生も将棋をやらないそう。将棋に興味のない子ども達への普及活動が、長い目で見て将棋が生き残る道かなと思ってます。

これは本当にその通りで、しかもその多くが有段者だったりすると、かなり末期に近いと思います。

子ども達への普及活動は本当に重要で、でもそういう活動がうまくできていないように思います。

「このままだとまずい」という危機感はよく聞くのですが…。

こちらの呟きから引用。

いやいや、プロなら何も言わずに優しく対応してくれるから大丈夫、私はプロ相手なら19枚落ちでお願いしますと言います

素晴らしい呟きです。19枚落ちで指導を受ける人もいるよ、と発信することに価値があります。

ついでに言うと、将棋を始めたばかりの子なら19枚落ちでも勝てません。私の支部の将棋教室では、19枚落ちの更に下、「19枚渡し」という項目を対局票に入れてあります。上手の駒19枚を下手の駒台に置いて対局を始めます。

(なお、どんな入門者でも「19枚渡し」なら確実に勝てるのかどうか、確証がありません。今までのところ、「19枚渡し」でも勝てないという子は見たことがないですが、そういう子もいるかも知れません。)