昨年度の日本棋院の赤字は4600万円だったそうです。

芝野龍之介三段の2023年の呟きを元に、棋力下位層の年収を150万円と仮定すると、今すぐに30人が引退すれば日本棋院は何とかなるのでしょうかね。(実際には年金の問題があるので無理だと思いますが…。)

でもこれは、棋戦数と棋戦収入がこれ以上減らず、囲碁人口も今のまま維持して、プロ棋士の年収分布も今のままでよい、という前提で考えています。実際には今後も減る可能性が非常に高いですし、それに合わせて身を切るだけでは間に合わない気がします。


「『かつてバチバチでしたが…』日本棋院と関西棋院 苦境の囲碁界、再統合はあり? なし?」という記事からの引用です。

囲碁界を取り巻く環境はタイトル戦の休止や縮小が相次ぐなど厳しさを増す。日本棋院の深刻な財政問題も待ったなしだ。そうした危機感を背景に、両棋院の統合も取り沙汰される。瀬戸九段は、棋士の収入や採用などで制度の違いがあり、なかなか実現には至らないが、「一緒にやっていこうという可能性は大いにあるのでは」と言う。

これが法人合併を意味するなら、私は悪手であるように感じます。

関西棋院の実情を知らないので頓珍漢なことを書いてしまったらすみません。日本棋院は財団法人の会計に年金を組み込んでしまっているようなので、その部分を持ったまま法人合併をすると新法人も同じ問題を抱え込んでしまい早期に破綻するような気がします。

日本棋院は財団法人ですから、正味財産が一定額を下回れば自動的に解散となります。あと何年の猶予があるかわかりませんが、それまでに関西棋院と相談して新法人にする (または関西棋院の法人格を残して日本棋院のプロ棋士が移籍する) のが最善策じゃないかなあ、と考えています。関西棋院にとっては迷惑な案かも知れませんが、このまま日本棋院が消滅してその所属棋士全員がプロでなくなる事態は避けてほしいです。

文字起こししている site がありました。

孫引きになりますが、「子供達へ沢山の子供達に囲碁に触れてもらう機会ができるように努力して行きたい。」という発言があり、私は期待しています。


新理事長の発言ではなく上記 note 記事本文からの引用になりますが…

2年間のリミットという事で、「65歳以上は定年」など一定のルールに基づいてドラスティックに改革できるリーダーが必要です。

うーん、私はこの意見に賛同できないです。

今まで定年が設定されていなかった日本棋院に定年を設定したら、日本棋院の内側では大改革に見えるのかも知れませんが、本質を見誤っている気がします。

まず最初に、囲碁界が何人のプロ棋士を支えることができるか、という数値があるはずです。(まあ、プロ棋士の年収分布の設計にも左右されるので、人数がきっちり確定できるわけではないのですが、その話は脇に置いておきます。)

そして、その人数に合わせて「強い棋士は〇人」「若手棋士は〇人」「(左記以外の) 女性棋士は〇人」のように設計するのが正しい姿だと思います。

正直に言うと、もし定年制を導入するなら「65歳」では高すぎるように思います。


この記事を書いていて昔の町内会長 (私より2代後の会長) を思い出しました。

役員のなり手が少ないから業務を減らさないといけない、という感じで町内会の業務削減案を出してくれたのですが、私の体感的にはその案は業務を2割くらいしか減らせていない感じでした。

考え方が逆なんです。「この町内会の会員が『供出してもよい』と考える労務量を積算すると〇〇くらいだから、それを町内会の実際の業務に振り分けよう」が正しいやり方だと思います。

オモコロの「実家に途中だけあった漫画座談会」という特集で、興味深い表現がありました。(元特集はなかなかに面白いので、全部読むことをオススメします。)

本当に今の娯楽の種類はとても多いと思います。

「娯楽への飢え」とは、とても的を射ている表現だと思います。

「娯楽がなさすぎた時の感覚」ってのは私もわかります。

まあ、私が子どもの頃は電子遊戯が普及しだした時代なので、私より年上の世代とは感覚が違うかも知れませんが、いずれにしても娯楽が限られていた時代でした。


で、自分が子どもの頃の感覚で将棋普及活動をやっても、かなりうまくいかないのではないかと思います。

例えば自宅に将棋盤と駒があったら「本将棋」「回り将棋」「挟み将棋」「将棋崩し」というように4つの娯楽があると数えることとします。

この blog をお読みの皆さんが子ども (小学校低学年) の頃、自宅にいくつの娯楽がありましたか? 友人宅まで広めたらいくつですか?

例えば自宅に携帯電話があったら、その携帯電話上で無料で導入できる娯楽の種類を娯楽の数と数えることとします。言い換えると、AppStore や GooglePlay 上に存在する「無料ゲーム」の数だけ娯楽があるということです。

携帯電話を触らせてくれない家庭の子であっても、その友人が携帯電話を使えて、一緒に遊ぶことがあれば、やはり娯楽の数が多いと言ってよいと思います。

質が悪い娯楽は自然と排除されると仮定しても、大量の娯楽が残るでしょう。そうすると、競技人口が多い娯楽だけが選ばれやすくなります。


これは私の推測ですが、25歳以上の人は、自分の子ども時代を基準に将棋を普及させようとしてもうまくいかないのではないかと思います。(25歳未満なら、自分の子ども時代を基準にしてもそう悪くないと思います。)


25歳以上の人は将棋の普及活動をしても失敗する、なんてことを言いたいのではありません。

必要なことは、今の子ども達がどういう環境にあるのか、をなるべく把握することです。

私の息子が子どもの頃は Splatoon や Minecraft にはまっていました。そういう娯楽に将棋がどうやって対抗するか、を考えなければいけません。

「将棋を続けよう」という意思決定をしていない入門者が将棋の場にやってきた時に、ちゃんと勝ち負けして楽しめるようになっていますか? Switch の電源を入れたら手軽に Splatoon が遊べるように、将棋の場で待ち時間が短くなるように充分な工夫をしていますか?


「どう頑張ってもできないこと」も多いと思いますが、それでも、将棋界ができることってまだまだあるような気がします。

『伍と碁』第62局の冒頭頁、私が好きな構図でした。

話もいい (ずっと興味深い) のですが、画力があるというか、何か私を惹きつけます。

画は仲里はるなという方なのですね。

個人的にはかなりオススメな漫画です。

当日申込制と事前申込制の比較のため、最初に条件を揃えておこうと思います。地域によって条件は異なると思いますが、以下の条件で考えてみてください。

  • 会場は公民館。会場の机と椅子はガッチリ移動させて将棋ができる配置にしないといけない。
  • 1つの団体が1か月で借りることができる部屋・コマ数には原則として上限がある (ただし開催日が近づいてきて空き室が多ければ追加で借りることができる)。
  • 公民館を借りる関係上、参加者全員の氏名と連絡先は運営側が把握しておかないといけない。
  • 参加者 (子ども) は自分の氏名が正確に書けるとは限らない。
  • 参加者の氏名を正しく掲示できないと後からかなり強く非難される。(経験あり)
  • 受付開始から第1局開始までは35分以内。受付終了から第1局開始までは15分以内。(なので、9時25分受付開始、9時45分受付終了、10時00分第1局開始、とします。)
  • 参加申込用紙を会場で記入させた場合、受付前に記入者がものすごく滞留する。
  • 事前申込者が欠席しても対局相手を不戦勝にしてよい。

実参加者50人として、運営員は何人必要ですか?


すぐに想像がつくと思いますが、当日申込制の場合は9時45分~10時00分の時間帯に作業量の spike が発生します。それもかなり巨大な spike です。9時25分~9時45分もかなりの修羅場になります。

運営員の事前打ち合わせをかなり綿密に実施しても、10人じゃ足りないと思います。それだけ人数がいても、申込用紙に書かれた氏名が読み取れないとか、「お母さん、電話番号ってなにー?」とか、すぐに発生すると思います。申し込みが済んだ人とこれから申し込む人とで会場がぐちゃぐちゃになり、受付終了時刻近くになって「どうしてもっとちゃんと案内しないんだ」と文句を言われることもあるでしょう。

事前に人数が確定しないことも大きな問題です。過去に、定員の4割増しの参加者が来た大会も見たことがあります。当日急遽公民館に頼んでもう1部屋借りたようですが、その手続きをしてもう1部屋会場を用意する分だけ更に子ども達を待たせることになります。「やむを得ない」では済まない問題です。

事前申込制なら、運営員が4人いれば回せると思います。

なにしろ、氏名や連絡先は事前申込されているのですから、会場で記入してもらう必要がありません。申し込んだ字が間違っていてもそれは申込者の責任ですから、「対局表に転記する際に氏名に気を遣う」ということもありません。参加人数が事前に確定しているのですから、対局表 (の枠) も会場配置も事前にきっちり計画を立てることができます。


当日申込制は、運営側にものすごく過剰な負担を強いる仕組みとなっています。もちろん、それに対応できるだけの人員が容易に確保できる地域や、将棋活動がものすごく盛んで公民館側の理解を得やすい地域なら、実現できなくもないと思います。

しかし、おそらくは日本の大部分の地域では事前申込制じゃないと運営員の後継者が充分に見つからないだろう、と推測しています。


それだけ運営側に負担をかけて当日申込制を採用しても、その利点は「参加者が大会当日まで参加手続きをしなくても済む」という点だけです。たったそれだけの利点を実現するために、将来の運営員の後継者を減らしている、というのが今の将棋界の現状だと認識しています。

異論もあるでしょうが、私は「当日申込制こそが将棋界を衰退に導く」と本気で考えています。


これだけ娯楽の種類が増えた現在の日本社会で、新聞では「8がけ社会」という言葉が何度も登場しています。

保護者の立場から見ると、将棋界の各種運営って他の娯楽と比べて「なってない」んです。子どもが将棋を大好きだったらこの「なってない」運営にも我慢して付き合いますが、そうじゃなければ将棋なんて選ばずに他の娯楽を選ぶでしょう。でもそういう保護者は、将棋界に不満を述べてから他の娯楽に移行するのではなく、何も言わずに将棋界を離れていきます。

そういった動きは、将棋界の内側から観測していても分かりません。そして「将棋人口がなぜ減っているのかわからない」と嘆くことになるでしょう。


将棋界が注目すべき家族は、祖父母や叔父叔母も含めて将棋指しが1人もいない、でも小学校低学年の子が将棋に興味を持ち始めて将棋の場にやってきた、という家族だと思います。そういう家族が、子どもの娯楽として将棋を選んでくれるかどうか、が重要です。

とりわけ、1~2回将棋の場にやってきてその後来なくなった家族と接点があれば非常に参考になると思います…が実際には無理ですね。


娯楽において、将棋の好敵手って何だと思いますか? 囲碁とか麻雀じゃないですよ。私の息子の世代だと、Splatoon とか Minecraft とかにゃんこ大戦争とかです。待ち時間もほとんどなしに手軽に始められます。

そういう意識がなければ、娯楽における将棋の立ち位置も把握できないと思います。そうすると、将棋大会で子ども達を長時間待たせても平気になるのだろう、と考えています。

一旦将棋の話題から離れます。

あなたが、web 上で入場券を発売する system を構築する場合、server を何台用意しますか? (抽選制ではなく先着制とします。)

例えば、WORLD BASEBALL CLASSIC 2026 の場合、2025年10月1日10時00分00秒に発売開始で、少なくとも40万件以上の購入 access があったようです。

まあ、少なく見積もってそのうちの8万件くらいが2025年10月1日10時00分00秒から1秒間の間に access してくるものとしましょう。

1台の server (RAM 32GB) で同時に1000人の申し込みを捌くことができると仮定すると、80台の server が必要になります。

でもこれが「10月1日から2週間の間にお申し込みください、その中から抽選いたします」となれば、1日3万件くらいの申し込みを捌く感じになります。その半分くらいは19時~21時に集中するかもしれませんが、人間が操作している間は server に負荷はほとんどかかりませんので、1台~数台の servers で足りると思います。


同時 access 数について両者を graph にすると、先着制では2025年10月1日10時00分00秒から access の棘 (80台の servers を必要とする棘) が発生します。これを spike access と呼びます。

抽選制の場合、spike access はほぼ発生しません。


将棋大会の運営人員も、似たような側面があります。

具体的には、当日申込制か事前申込制かで運営作業量の spike に違いがでてきます。

続きは次回。

以前も取り上げたかもしれませんが、故新井田基信氏の blog 記事より。

第1回の北海道オール学生選手権。〔中略〕113名の参加があった。付き添いも含めると150名近い人数。〔中略〕今度は今度で受付、抽選が終わらない。予定から1時間後の11時に開始。よく私がいうことだが、予定開始時間から15分以内に始まらない大会はまともではない運営であることが多い。運営者として失格。

大会運営に携わる身として、「予定から1時間後」に開始はかなりまずいという評価に同意します。

この大会は大学生の大会らしいのでまだいいのですが、もしこれが子どもの大会だったならもっと問題です。保護者として子どもを将棋大会に連れて行った経験があれば分かると思いますが、子どもはそんなに待つことができません。

より正確に言うと、有段者とか1桁級位者くらいなら待てる子の比率も高いと思いますが、それより棋力が低い子は待つのがかなり苦痛です。

で、保護者は将棋と他の娯楽とを比較して、貴重な週末を1日潰す覚悟で将棋大会に来ているわけです。なのにそんなに待たされたら、数ある娯楽の中で将棋以外を選ぶようになるでしょう。

将棋大会が、将棋普及の足を引っ張る結果となるわけです。


理想は…受付終了から15分以内に第1局開始、くらいでしょうか。

次回は、会場設営開始から第1局開始までの時間の作業を検討しようと思います。

「初心者お断りの碁会所に対して 」という note 記事から引用します。

囲碁を始めたきっかけをお聞きすると実は数年前に1度独学で勉強されていました。その時に続かなかった理由が「碁会所に行ったら初心者お断りと言われ敷居が高いと感じて…」しまったそうです。

地域差があるので一概に論じることはできないのですが、その地域の囲碁界で「初心者お断り」の場が多かったら、囲碁の普及に失敗するでしょうね。


上記は囲碁の例ですが、将棋もそういう傾向がある気がしています。

なお、「初心者お断り」の場と同様に、「お断り」はしないながらも初心者・入門者の相手をできる人がほとんどいない場も、普及には悪影響かなと思います。

(なお、勝手ながら、駒の動かし方が分からない人については今回の考察の範囲外とさせてください。)


あなたが住んでいる地域の将棋の場はいくつありますか? そのうち初心者・入門者をちゃんと受け入れている場 (初心者・入門者でも楽しめる場) はいくつありますか?

それぞれの将棋の場は、どの範囲の棋力帯を担っていますか? その担い方は、地域全体でみて理想的ですか?


これは私の支部内で共通の認識ではなく私個人の考えなのですが、私の県からは大阪の研修会に通うことができるので、二段くらいの子に対して支部ができることはあまりないと (研修会での経験の方が棋力向上にとって重要だと) 考えています。また、15級以上の子は支部例会がない週末でも関西将棋会館に行くことができるので、棋力向上の側面で考えれば支部例会よりも関西将棋会館の方が割合が多いと考えています (支部例会が月1回しかないため)。

なので、支部の役割は初心者・入門者の子ども達の棋力を15級まで引き上げることかな、なんて考えています。

ああもちろん、「強くなりたい」という意思を持っている子限定です。「楽しみたい」が中心である子は、将棋の場にきて楽しんでくれたらそれで充分です。


日本国内には、研修会に通いたくても気軽に通えない地域も多いでしょう。そういう地域で「将来奨励会に入りたい」という子が将棋の場にやってきたら、五段まで棋力が向上できる場を用意してあげる使命が出てくるかもしれません。

まあ、棋力帯の上限の話は脇に置いておいて、棋力帯の下限をどこに設定するかに焦点を当てたいです。


将棋普及について巨視的に考えると、都市圏単位で見た際に「初心者お断り」な将棋の場 (および初心者・入門者が楽しめない将棋の場) は 10%~20% くらいあってもいいかと思います。

でも現実には、かなり多くの将棋の場が「初心者お断り」だったり初心者・入門者が楽しめなかったりするのでは、と危惧しています。

別な切り口で言うと、参加者の半分以上が有段者である将棋の場 (というか支部や community) って、衰退の途上にあるのではないかと感じています。…いや、都市圏規模によってはそういう場もあっていいのですが、そういう場の割合が多すぎるのではないかと感じています。


私の考えが正しいのかどうか、15年~30年くらい経ったら結果が出るでしょう。

今までにも何度も引用しましたが、再度、故新井田基信氏の発言を引用します。

よく言うのだが小学生から高校生までが常に5人いればその支部は存続する。
しかし一人もいなければ、その瞬間から10年で半壊、20年で確実になくなる。
おそろしく長寿の町でなければ。さあ、あなたの支部はどうだろうか?

ここを読んでいる方に質問です。理想的な将棋普及が実現できた場合、『レジャー白書』で将棋人口は何人と記載されると思いますか? (1年間に1度以上将棋に触れる人は何人になると思いますか?)

願望ではなく、実現可能そうだと思われる数値で考えてほしいです。

私は「もしかしたら1000万人を超えることができるかも知れないが、2000万人を超えることは無理だろう」と推測しています。


次の質問です。

理想的な将棋普及が実現できた場合、その棋力分布はどういう感じだと思いますか?

将棋を習っている子が0人の小学校で最強の子が20級くらいだとして、20級未満が〇%、15級未満が〇%、という感じで考えていただきたいです。

私は、20級未満が 80%~95% くらい、15級未満まで広げたら 85%~98% くらいかな、と考えています。…というか、それくらい裾野が広くないと将棋の普及に成功した状態とは言えない気がします。


最後の質問です。

あなたの県の将棋の支部や communities は、どれくらいの棋力帯を担っていますか? それは理想的な状態と言えますか?

続きは次回に。

こんな4コマ漫画を見つけました。

全て手に入れた…
金も…地位も…
だから何か新しい遊びがしたい…

私はお金を多く稼ぐことにあまり関心がないのでこういう大金持ちになる可能性はほぼないのですが、まあ、宝くじにあたるみたいな感じで数億円くらいの余剰金を手にすることがあったら、多分将棋の普及に使うだろうなあ、と考えています。


自分が金持ちになる空想って楽しいので、「じゃあどうやって将棋の普及を推進しようか」ってなるのですが…お金をかけてもあまりうまくいく気がしないのです。

例えば、将棋大会を開くことを検討してみます。…でも、思い浮かぶのはとある市の大会運営でして、「人件費で〇万円、会場費で〇万円」みたいに考えると、「ああ、こういう将棋大会を立ち上げても継続できないなあ」と思います。私が金持ちだったら私が生きている間は大会を続けられるでしょうか、私の死後は続けられないように思うのです。

…というような考察を進めていくと、結局重要なのはお金じゃなくて仕組みだなあ、という結論に至りました。

まあ、お金も少々は必要なんですけどね。


そうすると、私がお金持ちであってもなくても、やることはあまり変わらないなあ、と思います。

結局、私自身が将棋の普及にどれくらいの労力を投入するか、が重要だと認識しています。