以前の記事「もしかしたら世代の実情も見えてないのかも知れない」に関連して。

1つ目の呟き

逆にある程度年齢を重ねると、未婚の女性を腐るほど見るけど、奥さんがいない男性ってあんまり見なくなりますね。20代後半から逆転していく。

2つ目の呟き

うーん
未婚男性の方が多いし20代後半以降も逆転は起きない

これって、初見だと「2つの呟きのうちどちらかが正しくない」って感じますが、実際には両方とも正しい可能性があります。

1つ目の呟きは「奥さんがいない男性ってあんまり見なくなりますね」であって「奥さんがいない男性ってあんまりいませんね」ではありません。つまり、そういう人が可視化されていないということです。


将棋を通して日本の生涯未婚率の低下に寄与することは難しいと思いますが、今後に備えていろいろな人の居場所を増やしておきたいです。

勝つための将棋ではなく、入門者・初心者の子どもと対局するときの将棋の話です。

プロ棋士や高段者はかなり先の方まで読んで盤面の形勢を制御していると思います。

で、私のように棋力が低い者の場合、先の方まで読めないので、とりあえず自玉の囲いを薄めにしておくと、終盤で「1手違い」を演出しやすくなるのではないかな、と考えるようになりました。

前にも書いた気がしますが、私は本当は振り飛車をやってみたいのにいつも居飛車にしています。振り飛車にするとすぐに美濃囲いになってしまいます。入門者・初心者にとって、対局相手が美濃囲いにしたら攻めるのが大変だと思うのです。

金矢倉も結構固いので、私は土居矢倉を愛用しています。

で、相手の子が攻めてきたら「んー、このまま放っておいてもまだ大丈夫かな、そろそろ危ないかな、どうかな、うん、放っておいて攻めてみよう」とか呟いて、囲いを薄めに保つようにしています。そうすると、相手の子の棋力が低くても勝てる機会 (私が負ける機会) が残るように思うのです。


こちらの囲いが薄くても攻めてこれない入門者が相手だと、囲いに使っていた金銀も攻めに回したりします。相手の棋力に合わせて囲いの厚さを変えると、私のように将棋が弱い人間でも結構うまく入門者・初心者の相手ができる気がします。


因みに土居矢倉は、相手の子がある程度強いと (手数をかけて) 金矢倉に組み替えることができるので、その点でも重宝しています。


ふと思ったのですが…入門者・初心者の子との対局も棋譜を採っておいて、その子の序盤の指し方によって私がどんな風に指しているか、分析してみる価値もありそうな気がしてきました。

時々、7六歩・7八銀 を指したまま角周辺を放置したりします。将棋を習っていない小学生がうっかりしてよくやる手を再現しています。

こちらの呟きより。

「流行りの音楽とか知らねー」とかも
中学生が言ったら「尖り」だけど
40歳が言ったら「ただの加齢による無知」だもんね

これは結構怖い話だと感じています。

小学校高学年の頃は、流行りの音楽はある程度知っていた気がします。でも今は殆ど分からないのです。

まあ、その根本原因は「自分の可処分時間を音楽に投入する気にならなくなった」ということなんですけどね。

流行りの音楽を知ることは人生の義務ではないけど、別の世代・別の分野の人と共通の話題を持ちやすくなるだろうなあとは思います。

こんな呟きを見つけました。

語彙の豊かさについていつも思い出すこととして、私の友人が私の使った「過渡期」という言葉に対して「カトキって何?聞いたことないわ」と言ってきたのにびっくりして説明をしたところ、次会った時に「過渡期って言葉知ってから会社でめちゃくちゃ聞くようになったわ」と言ってきたエピソードがあります。

これは「ジョシュアツリーの悟り」そのものですね。

将棋でも、概念が言語化されると認識しやすくなります。

子ども達が将棋を通して様々な概念を学ぶ楽しさを知ってくれることを願っています。

将棋と関係ない話題ですが、なかなか興味深い話題だと思うので取り上げます。

発端の呟きはこちら

一部のグルメ系の人たちにマジで物申したい。自分たちがやってる行為が結果的に店を苦しめてる、ということを自覚してほしい。

この呟きには居酒屋の写真が添えられています。

ソフトドリンク、お水で長居をされるお客様が増えたため、廃止致しました。30分毎最低1杯制とし、お連れ様含め飲まれない方はお会計を出すのでご退店お願いします。ご理解ください。

で、これに関して非酒飲み側の意見を整理した note 記事もあります。


2つ目の呟き

居酒屋なのに飲まずに居座る客が目立ちます。ビール一杯で2時間とかも。居酒屋グルメがSNSで広がり、飲めなくとも行ってみたいという気持ちもよく分かります。しかし定食屋と違い特に個人経営の居酒屋は飲んでもらうことで成り立つビジネスです。例えソフドリでも数杯飲んでお金を落とすことが大切。

3つ目の呟き

居酒屋さんからもさんざんお話聞きます。安価で提供してくださってるお店ほど、お酒を飲むことが前提なのは言わずもがな当たり前なのに、そんなこともわからない人が沢山いて、、
お酒飲まない人も楽しみたい!って気持ちもわからんでもないですが、場所が違うよって思います。

私は非酒飲み側です。

「非酒飲み側」全員の意見を代表するわけではないですが、そもそも「飲めなくとも行ってみたいという気持ち」なんてないです。

自分1人だったら、居酒屋なんて入らないです。いや、昼食の時間帯に居酒屋が開いていて、「lunch menu を掲示しているから、飲まずに食べるだけの客であっても店舗を無駄にせずに営業したいんだろうなあ」という場合には数回入ったことがあるので、絶対に入らないわけではないのですが、夜の時間に自ら選ぶことは決してありません。

なのに居酒屋にいることがあるのは…懇親会を「飲み会」と称して酒飲みが居酒屋ばかり選ぶからです。

他の人と交流はしたいけど、そもそも居酒屋の食事があまり好きではなく、食事だけでもかなり高いのに同席の酒飲みの金額まで割り勘されて、あまり愉快ではありません。

「お酒飲まない人も楽しみたい!って気持ちもわからんでもないですが、場所が違うよって思います。」という意見は、非酒飲み側ではなく、懇親会の店としていつも居酒屋ばかり選ぶ酒飲みに言ってほしいです。

因みに、30分毎に飲み物の注文が必要だと明示する冒頭の店は好感が持てます。多くの居酒屋がこういったことを明示してくれれば、酒飲みも懇親会会場に居酒屋を選ぶ頻度を減らしてくれると思います。

今回の話は、将棋とは無関係な地域差の話です。

こんな呟きがありまして…

以前、伊集院光さんがラジオで『津軽海峡冬景色』は「上野発の夜行列車」と歌い出すのにいきなり降りたところ(つまり青森駅)から始まるから気持ちがまだ上野駅にいてついていけてない、というバグが発生する」と言っていてなるほどと思った。

2つ目の呟き。この方、もしかしたら北海道民かも。

いや北海道に行く人が青森で連絡船に乗り換えてる情景でしょ

別になんもバグってないけど

あなたや伊集院にとっては「青森の時点で」既に遥か北に感じてしまうのかもしれないけど、普通この歌詞を聞いて意識が上野に残ったりはしません

「普通」とまでは言いませんが、こう言いたくなる気持ちもわかります。

3つ目の呟き

関東あたりの人で東北という時点でかなり「北に帰る」とイメージしてる人だとそうなるのかも
単に北海道出身者が上野から青森まで帰ってきて、これからいよいよ津軽海峡渡って北海道に入る場面だと思うと、バグ感はまったくないような

関東出身だとそういう感覚なのでしょうか。

何度も陸路で帰省している札幌出身の私としては、東京や上野出発だとしても青森まできて「やっと半分」という感じです。

ちなみに、11:35 青森港発の船便に乗れる時刻を検索したら、こんな感じでした。

06:38 上野発 はやぶさ1号

09:49 新青森着

15:25 函館港着

16:40 函館発の特急北斗17号に間に合えば、20:36 に札幌に着きます。

東北新幹線を使っているから青森までの所要時間は昔より短いですが (そして昔は青森駅で船便乗り換えだったはず)、まあ、札幌に住んでいたらこういう感覚です。(なので今は殆どの人が航空便を使います。)

部活動の話に再度触れます。


最初に、部活動に関する私の立場を示しておきます。

  • 学校は、教育上の問題がある内容の部活動を除き、部活動の結成を全て認めないといけない (学校内における結社の自由)
  • 部活動は、部員 (部員が店員である場合は保護者も含む) が全て運営しないといけない
  • 部活動の指導・引率は学校・教員の業務ではない
  • 部活動に指導が必要な場合、部員が相応の報酬を用意して指導者を探さなければならない (教員はこれに応じる義務はない)
  • 部活動の場所として学校の施設の利用希望が出てきた場合、学校はなるべく格安で応じることが望ましい
  • 部活動の書類作業は学校が請け負うことが望ましい

たとえば「私たちは競技カート部を作りたい、そのために入部希望者10人を集めました」という生徒がいた場合、その費用は学校が負担すべきでしょうか。(すみません、カートの世界をよく知らないで書いています。)

「rental でいい、走行を楽しみたい」というのではなく、「ガチで競技で勝ちにいきたい、そのために1人1台の専用車が必須」という前提で考えてみてください。

10人分だと初期費用は多分8桁になると思いますが、それを学校が負担するのはおかしな話だと思います。部員 (またはその保護者) が負担すべきでしょう。

これに限らず、全ての部活動の全ての負担は、部員 (とその保護者) が負うべきだと思います。言い方は悪いですが、「金がなきゃ諦めろ」というのが当然だと思います。


1つ目の呟き

北越高校のレンタカーバス事故問題。娘の部活動も遠征多かったから、年間十数回貸切バス使ってたけど、部費(年10万)だけじゃ補いきれずに年度後半は都度払いしてたな(1人2,000円)
もちろん全ての遠征をバス借りてたらえらいことになるので、近場は「移動班」なる保護者部隊5〜6人がワンボックスを出して送迎もした。公共交通機関使うこともあった。

「金がないから遠征しなきゃいい」って一言で済ませてしまえばそうなんだけど、必要だから遠征するんであって、必要だと思えば親は金を出すんだよ。

「必要」という言葉はちょっと強すぎるとは思いますが、まあ、遠征の成果に対して「出費してもいい」と親が感じるからお金を出すのです。

要は、競技の種類と「どれくらいお金を出してもよいか」の感覚とで、年間の出費が決まるわけです。


2つ目の呟き

ちなみになんで年間10万も部費払ってて足りないねんって思われるかもしれないので補足しておくと、部活の特性上荷物が多くてバス以外にもトラック必須だったのでトラック代もかかるのよ。
部費の使い道は移動費だけじゃないしね。

3年間でいったい部活に幾ら費やしたかな‥(遠い目)

年間10万円が高いか安いかは競技の種類によるでしょう。

将棋部が1人年間10万円かかったらそれはかなり高額でしょう。

でも例えば ski 部だと、私の出身大学では「年間100日滑りなさい」と言われていて (今もそうかどうかは知りません)、そこから更に上に行くには日本が夏である間に南半球に行って練習することになるので、年間10万円ではとても足りません。(これを実践していた方、私の知り合いだけで3人います。)

勝つための部活動なのか、楽しむための部活動なのか、それを決めるのは部員であり、学校ではありません。「勝つための部活動」を選んだ場合にかかる金銭的負担・労力的負担を選択するのは部員 (やその保護者) であり、学校ではありません。


3つ目の呟き

娘の部活動は保護者の負担がかなり多くて、子供の送迎班以外にも、様々な班があって、会計も保護者がやってた。
面倒くさいなと思うこともあったけど、バスの手配(見積、支払い)を顧問に任せずに保護者が数人が担うことで、中抜きや不正が起こり得ないシステムだったし、顧問も部活指導だけに注力できたから結果的には良かったんだろうな。
送迎班だけに負担をかけず、それぞれの家庭がなんらかの形でなにかを負担してた。もちろん入部前にその説明をされた上で納得した家庭が入部してるから、多少の愚痴は言えどもみんな頑張ってた。

顧問が教員なのか外部の方なのか分かりませんが、その点以外は正しい部活動の在り方だと思います。


4つ目の呟き

遠征費を抑えて保護者の負担を少なくする。そんな理由でやってる所はたくさんあると思う。

こうなってくると保護者にも一定の責任はあるのでは…

大いに賛同…などころか、責任の多くは保護者にあると思います (高校生である部員に安全管理の責任を負わせることは難しいです)。


記事「≪“白バス”暴走事故≫「会計担当は別にいた」と訴えていた部活顧問は事件後にボロボロ泣いて…「遠征での事故は珍しくない」顧問の過重労働と費用問題も」より。

しかし10日の記者会見で、部顧問の寺尾宏治氏は、昨年度に蒲原鉄道に発注した12件の請求書のうち3枚に「レンタカー代、人件費」と書かれたものがあったと明かし、「それをちゃんと確認せずに私からは会計担当者の方に渡してしまい見逃していた」と説明した。

これは過失かも知れませんが、私はこの顧問の方を責める気になりません。

部活動でどこに遠征するのか、その交通手段に何を採用するのか、それはどのような法的制約がありどのような危険性があるのか、学校に来た「バス」が「緑ナンバー」かどうか、そういったことを選択したり確認したりするのは部員 (およびその保護者) です。教員の業務ではありません。

手間をかけずに安全性だけ求めるのなら、相応の部費を負担すればよいことです。勝手に推測しますが、年間30万円~100万円くらい出せば1年間に何度も遠征があっても旅行会社などに丸投げできると思います。

金銭的負担を極力減らしたいのなら、相応の労力を負担すればよいことです。保護者が集まって労力を提供すれば、それなりに安くなると思います。

どちらも嫌なら、活動を減らせばよいことです。

すべて、その選択権は部員に (未成年なので保護者にも) あります。「遠征は減らしたくない」「高い金は払いたくない」「労力も出したくない」「学校が責任を取れ」の全てを要求するような態度が学校・教員を苦しませる元凶だと思います。


そういうことを言う保護者が多いと、学校はどんどん保守的・消極的な態度となり、生徒が「将棋部を作りたい」と言ってもすぐに却下する学校となるでしょう。


部活動に関して、私が学校に求める点は以下の通りです。

  • 教育上の問題がある場合を除いて、どんな部活動も認めてください。
  • 勝つための「第1〇〇部」と楽しむための「第2〇〇部」に分裂することになっても、両方とも認めてください。
  • 書類の窓口となってもらえると助かります。特に「〇〇高校〇〇部」宛の郵便物の受け取りをお願いしたいです。
  • 世の中には形式上だけでも「〇〇高校〇〇部」所属じゃないと参加できない大会があります。その書類作業はお願いしたいです。
  • 部活動の場として、学校施設を格安で貸していただけると助かります。
  • 部活動の指導はしていただかなくても大丈夫です。
  • 部活動の監視はしていただいても構いません。ただし監視費用は学校でご負担ください。
  • 遠征に出る場合、移動手段の選定、依頼先の選定、安全性の確認などはすべて保護者会が実施し、その責任を持ちます。ただし、保護者会は法人化しておりませんので (権利能力なき団体ですので)、その実在性を学校が証明していただけると助かります。言い換えると、旅客会社との契約は保護者会長になりますが、この保護者会長が学校の生徒の保護者であることを証明していただきたいということです。
  • 歴代の部活動資料を学校で保管していただけると大変助かります。

こういうのが正しい部活の在り方だと考えています。

今、私の職場で DX が進められています。

関わっていると、「〇年前にこの点をちゃんと決めていたら今ここまで大変じゃなかったのに」なんていうことが出てきます。

まず何よりも、data がちゃんと揃っていないとものすごく非効率だ、ということを実感しています。


将棋界も、今のうちちゃんときめておくべきことがあると感じています。そうしないと〇年後に後悔するだろう、という感覚があります。

そして何といっても、全ての起点は事前申込制です。これが実現されないと将棋界発展のための data がまともに集まりません。

…ちょっと語弊がある書き方をしてしまいました。事前申込制にしなくても、非効率に労力を大量投入できるなら data は集まります。でも、そんなことをやっていては後継者は集まらないのです。(まったく集まらないというわけではなく、逃げ切れなくて後継者をやらされる人も少しなら見つかるでしょう。)

例えば、将棋大会の会場規模 (定員) がどれくらいの確率で足りそうか、大会の何日前にどれくらいの精度で分かりますか? Swiss 式で手合いを組む際に「対局済みの組み合わせ」を選んでしまう確率はわかりますか? 参加者の氏名を誤って表記し、かなりきつい論調で参加者から責められる可能性はどれくらいですか? 各参加者は過去に何回、同一の大会・例会に参加していますか? いつ頃から「この支部が主催・主管する大会・例会に参加しよう」と判断したとみられますか? その客観的資料はすぐに提示できますか? 長年支部役員をやっている人の経験値ではなく、支部役員を引き継いだばかりの新人がすぐに分析に取り掛かれるくらいに資料は整理されていますか?


旧態のままでもまだ何とかなる地域もあるかと思いますが、それは、会場に恵まれている地域か、将棋人口が多くて (非効率であっても) 大量の労力投入で力押しできる地域か、新たに将棋界に入ってくる人が殆どいなくて参加者が固定化している地域か、のいずれかの可能性が高いと思います。そして、そのいずれであっても、将棋普及のための data にはかなりの不足があるだろうと予想しています。


data 収集の観点からだと当日申込制は「お話にならない」のですが、そもそもどれくらいの data を集めるのが望ましいかという観点がない方にこれを理解してもらうのはとても困難だとも感じています。そして、そういう方が当日申込制を要望すればするほど、運営側は手間ばかりかかって data も集まらなくなり、将棋普及のための marketing が思うように進まなくなり、後継者もどんどん見つけにくくなっていくと思われます。

その答え合わせは20年後くらいでしょうか。私の直接の知り合いである方は、20年後に私に質問してみてください。

標題記事より。

教室を開く前、まず「本当に需要があるのか」を確かめたかった。
だから開業準備の段階で、無料の将棋セミナーを開いてみた。
宣伝もほとんどなかったが、何人かの子どもが集まってくれた。

そのセミナーの中での出来事だった。

将棋を初めて知る子どもが、
駒の動かし方を覚えて、
初めて「王手」をかけたときの顔。

あの顔を、今でも覚えている。

目が、輝いていた。

私が将棋普及に力を入れたい原点もこれに近いものがあります。


人生の楽しさの半分は子ども時代の経験だと考えています。

今後は負けて辛いこともあるだろうけど、まず子ども達に将棋を楽しんでもらいたい、という気持ちがあります。