山あり谷あり、波乱の人生ドンブラコ!
ようやくたどり着いたあこがれの年金生活‥
夢見た悠々自適の年金生活は、
なぜか幽遊自虐の年金生活にさま変わり‥
だがしか~し転んでもただでは起きないのが団塊育ちのいじましさ!
つかんだ節約テクニックを
余すとこなくご披露いたしましょ~ぅ
こちらからどうぞ
江戸時代に行われていた参勤交代とは、
各地の大名が一定期間江戸に滞在し、
その後地元に戻ることを繰り返す制度で、
この制度によって大名の経済力を弱めて
幕府に逆らえないようにするためだと
思っていました。
ところが、この考えは
どうやら違っていたようです。
目的は「幕藩体制」の維持!
1983年(40年以上前)の東京大学の入試問題に下のような問いが出題されていました。
参勤交代が、大名の財政に大きな負担となり、その軍事力を低下させる役割を果たしたこと、反面、都市や交通が発展する一因となったことは、しばしば指摘されるところである。しかし、これは参勤交代の制度がもたらした結果であって、この制度が設けられた理由とは考えられない。どうして幕府は、この制度を設けたのか。戦国末期以来の政治や社会の動きを念頭において、5行(1行30字)以内で説明せよ。
この出題文には、「参勤交代は確かに大名に経済的な負担をかけ、彼らの軍事力を低下させたが、これはあくまで結果であって、制度本来の目的とは考えられない」と明記されています。
生成AIが描いた「参勤交代」のイメージ。
江戸と明治、西洋と日本が混じった奇妙な画像です?!
(AIには参勤交代の知識はないのかな?)
実際、徳川幕府は大名が参勤交代に無駄な費用をかけることを防ごうとしていました。
三代将軍の徳川家光は、1635年に参勤交代の規模を縮小するよう命じているほどです。
では、徳川幕府が目指した参勤交代のホントの目的とは、なんだったのでしょう?
幕府が目指した参勤交代の本当の目的は、「武士の主従関係を確認し、社会の秩序を保つこと」だったのです。
権力争いに明け暮れた戦国時代を経て、ようやく開いた徳川幕府。
その体制(幕藩体制)を維持するために、考えられたのが参勤交代制度だったのです。
参勤交代に似た慣習は、徳川幕府以前から存在していました。
あまり知られていませんが、鎌倉時代や室町時代にも、家臣が主君のもとに出仕する儀式があり、安土・桃山時代にもあったのです。
家光は、この古くからの慣例を正式な制度として定めたのですが、家光の思惑とは違い、大名が各自の権威を示すためのイベントになってしまったのです。
大名たちは、大勢の従者を連れて江戸に行き、華やかな行列をつらねましたが、これが結果として財政の負担となり、大名の経済力が落ちてしまったのです。
現在の歴史学では、参勤交代が大名の力を削ぐための制度だという考え方は否定されていて、今の教科書にはまったく出ていないそうです。
参勤交代については、あくまで武士の慣習の維持(主従関係の再確認)が目的であり、経済的な負担は結果として生じたものだということが、ホントのところのようです。(出典サイト:Japaaan)