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京都の公立学校に通う母娘が、
卒業式と入学式で「君が代」を
歌うことを強制しないよう、
文部科学省に要請したという記事が
『週刊金曜日デジタル』に
掲載されていました。
式典は個人の思想・信条表明の場ではない!
母娘は、自分たちが外国にルーツを持つことや、教職員が「君が代」を歌わないと処分される現状が「思想・信条の自由」の侵害であると主張しています。
対応した文部科学省の職員は、「文科省としては国旗国歌法制定時から内心には立ち入らないが、他方日本人として国旗国歌を尊重する態度が外国の国旗国歌を尊重する態度につながることから、その指導は必要であるという立場です」述べたそうです。
ちなみにこの母娘と文科省を仲介したのは、京都選挙区選出の倉林明子参議院議員(共産党)でした。
近年、少なくなってきたこの問題ですが、まだまだ日教組や共産党はやってくれてるようです。
母娘は文科省に対し
①「日の丸・君が代」を強制され非常に嫌な思いをした
②国旗国歌法制定時に政府は「強制しない」と答弁していたのに不起立の教職員を処分するのは「思想・信条の自由」の侵害
③親子は外国にルーツがあり、これからのグローバル社会に「日の丸・君が代」強制は逆行している
と訴えています。
①については、そのかたの個人的な感情なのでなんともいえませんが、私の個人的な印象は、卒業式や入学式など公の場にふさわしいものだと思っていますし、厳粛な気持ちを共感する人たちがほとんどのような気がします。
②については、公立学校の教職員であれば、教育委員会の指示に従わなければ処分を受けるのは至極当たり前のこと。
組織に属して碌を食んでる以上、民間はもちろん公務員ならなおさらのこと。
①②とも、式典(セレモニー)の場は個人の思想・信条を表明する場ではないので、それぞれがどんな思想・信条を持っていようとも、形式に則った行動が求められるのはとうぜんではないでしょうか。
③については、「グローバル社会」とは、国や地域を越えて相互に関連し、影響を及ぼし合う、全世界を対象とした社会のことを指しているものであり、それぞれの国や地域を大前提にした考え方です。
「国歌・国旗」がそれに逆行するというのは、「グローバル社会」という言葉を恣意的かそうでないかはともかく、大きなミスリードです。
※ミスリードは、誤った情報や誤解を引き起こすことを意味します(左翼の常とう手段)。
また、「外国にルーツ‥」に至っては、わたし自身外国生活の経験がないので、正確なことは分かりかねますが、たぶん多くの国で、公式セレモニーに「国歌・国旗」が用いられていると思いますし、その国以外にルーツを持つ人の感情をひとつひとつ考慮することは不要だと考えます。
それとも、この件の仲介者・倉林明子参院議員の信奉される思想のもとでは、国家機関に対してこういう申し立ては許されているんでしょうか?
たしか、共産主義とは「上意下達」の組織で、上意に反したものに下されるのは「粛清」のはずだった気がしますが、私の勘違いですか?
ぜひ伺いたいものです。
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