先月の初めに痛めた両足首は、いたってゆっくりではあるが回復しているようだ。イベント最終日とその翌日が最悪で、歩くたびに痛みを感じながらやっとの思いで移動していた。僕の部屋は2回にあるので、階段の乗り降りが痛みの復習であった。バス停でバスを待つ間、強い風が吹いていた時、立って踏んばるのが一苦労であった。自分は、内部障害者で障害者ではあるものの、足の問題が発生して以降は、歩行に支障をきたす別の障害者の状態に近くなった。このことは、障害者にとってのバリアフリーの問題など、色々な大切なことを気付かせてくれた。ノンステップバスの乗降時の足の負担の軽減などは、実際に経験しなければそのありがたみはわからなかったであろう。

 駅や公民館の階段を利用するときに、階段の高さや奥行きが歩行の困難な人間にとっては、重要な意味を持っていることも、身を持って知らされた。

 街中の舗装された歩道も、一軒平らに見えても、歩行中足が引っ掛かることも再認識した。当初は、下手につまずいて、身体のバランスを保つためにその都度、足首に激痛が走った。

 不自然な格好での歩行は、腰をはじめ身体の各所にゆがみから来る苦痛をもたらした。問題なく歩ける少し前の自分が懐かしかった。横断歩道を渡るのも、早歩きができないときは、その距離が長いほど、危険な行為となる。無理な姿勢の歩行は、通常の歩行に比べて、身体を何倍も披露させることも実感した。

 こんな調子で、嫌でも障害者にとって暮らしやすい街づくりのことまで志向せざるを得なくなった。

 杖をついている人、無理な動きで歩行している人、車いすの人などが目に付いた。

 早く普通に歩きたいというのが今の望みである。痛みには強いようであるので、我慢しながら、少しずつ早歩きができることを確認しながら、色々と用事をこなしている。

 今回の体験は、近いうちに役に立ちそうである。見込みのない継続する痛みほど辛いものはない。いつまでと分かれば、我慢しやすい。でも、一生それとお付き合いする障害者の気持ちは、ほんの少しでも理解できたのであろうか。「人間とは歩く動物である」、そんな言葉もあったっけ。でも、人間は、共感できる動物であるんですよね。

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JR東日本、iPadのテレビ電話機能を使った遠隔手話通訳サービスを試行導入
JR東日本は6月4日、タブレット端末を用いた遠隔手話通訳サービスを、山手線内のインフォメーションセン..........≪続きを読む≫
 最近は、東京圏内の電車に乗っても、次の停車駅や運行情報等を知らせる電光表示や、液晶画面を見る機会が多くなった。聴者にとっても、外国語表示の時は外国人にとっても便利なサービスである。

 今回のニュースは、iPadを使った遠隔手話サービスを、JR東日本が機関と場所を限定して試行導入するという注目すべきニュースであった。この記事のタイトルを見たときは、通訳依頼者が自分のiPadを使用するものと勘違いしてしまった。

 要点は次のようなものであった、

サービスの試行導入期間は2013年6月17日から2014年3月31日までの予定。
山手線の東京や上野、新宿など7駅の総合案内カウンターやインフォメーションセンター計12カ所(JR東京総合病院なども含む)。
手話通訳を希望する人が来た際、「iPad」のテレビ電話 機能で手話通訳のオペレーターを呼び出して通訳してもらう。

この試みが成功して、本格的導入となり、多くのサービス期間にも採用されると良いのであるが。
 透析クリニックには、原則徒歩で行きます。片道25分位かかります。クリニックで、健康保険から透析食が提供されていた時は(他の難病患者よりも優遇された扱いを受けていた訳です)、往路も気分次第で色々な道を通っていました。春は、桜の開花の進展を見ながら桜堤の川沿いの道を歩いたりしていました。色々な行き方は、何らかのささやかな発見をもたらしてもくれました。
 透析食の提供が認められなくなってから以降は、透析中に食べる昼食用のお弁当を買うために、毎回、街中のオリジン弁当に寄るようになりました。ということで、往路は決まった道順になってしまいました。それでも、小さな発見などはあるのですが、それ以前よりは楽しみがすくなくなりました。

 復路、つまりは帰り道は、今でも気分次第でコースが決まります。でも、放射線通りは、様々なイベントが行われることが少なくなく、お店めぐり同様に、愛が向きやすい所となっています。私たちの市内のじん十回の参加する古本まつりも、この放射線で行われます。

  
 今年の5月の古本まつりは、重たいものを持って長い距離も無理して毎日歩いたり、休みなく身体を動かす時間が多かったために、両足首を痛めてしまったことは、前にも書いたことです。無理は禁物です。
 本当は、楽しかった参加経験をブログに載せたかったのですが、足の不調とか他の用件立て込んでいたことなどで投稿できませんでした。
 投稿用の写真の中に、犬や猫の里親探しのテントにいた猫ちゃんの写真があったので、今回載せておきます。このにゃん子も無事里親が見つかったのでしょうか。

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 古本まつりの最終日は、家路を小さな子どもよりも歩くのが遅く、痛む足を傷めつけながらやっと帰宅しました。翌日、クリニックで痛み止めの飲み薬と張り薬をもらい、ドラッグストアでサポーター靴下を購入入試ました。体重を足首で支えた上に、軽くない荷物を持ってその後もあるか無くならなければなたなかったので、回復は遅々としたもので、今日現在でも、以前ほどではありませんが、痛みをこらえて歩き回っています。とはいえ、当初は、強風の日にじっと立っているのも困難で、それ以後は、クリニックの行き帰りは、バスを利用しています。しかし、クリニックのそばのバス停で降りられません。オリジン弁当の近くのバス停で降りなければならず、そこからクリニックまで苦行が続きましたが。

 昨日の土曜日は、放射線で「環境フェスティバル」が行われていましたので、それを見ながら徒歩で家まで帰ってみようかと思い立ちました。少しは、足の状態も良くなっていたので、試してみたかったわけです。


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 放射線を歩いているときに、自分の名前を呼ぶ声がしました。同じサークルの女性でした。彼女のさんかしているグループでは、食器の利ユース活動を様々なイベントで展開しているとのことで、ブログで紹介してよということなので、ここに載せておきます。「リユース食器ひなげし」というグループです。今回の環境フェスティバルには、このような環境活動に熱心な団体がブースを出していました。

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 さて、帰宅時の状況は、足の痛みでしたが、以前よりは少しは改善していたので、当初の回復の予定1カ月よりは、多少時間がかかりそうですが、また、帰りの寄り道を楽しめる可能性が高まったようです。
 男という種族は、大人になっても子供の時の心を大事に抱えているケースが少なくないようだ。自分も含めてである。模型作りから色々な物の収集まで、趣味の世界を超えた強いこだわりや自己主張が感じられるのである。当然、対象への熱狂ぶりは部外者の理解を受け入れることを拒否する程である。

 私は、植物を育てるのが好きである。それも、変わった植物がである。サキュレントと呼ばれる多肉植物の中の異形の一群。今では、さほど珍しくはないエアプラントと称するチランジアの仲間も、世の中に普及する前は、サキュレントの愛好家が、個人輸入してまで育成に苦労していた時代があった。

 食虫植物のグループも、私の関心を引く一群であった。扱う種は多様で、モウセンゴケの仲間から、つぼ型のウツボカズラやサラセニアなど栽培法も違った植物の集まりである。ウツボカズラなどは、冬越しには音質等の設備を必要とするし、低温に強いものもそれぞれの湿度とか、日当たりとかの環境面の整備が必要で、長く育てるのは、思った以上に困難である。

 食虫といっても、B級の特撮映画やSFのように、動物のように動き、強烈な消火液を吹き掛ける訳でもない。トリフィドなどのイメージはフィクションだけの話で、捕虫の仕組みはいたって悠長で偶然性にも強く支配されるものである。葉緑素を持っていて光合成をする種類などは、捕虫せずとも生きていけるだろうに、進化の上での能力の獲得は理由が良く分からない。

 値段的にも、花屋でも手に入れやすいのが「ハエトリソウ」である。北米原産ということだが、現地ではどう生えているのか興味深いが、本日はハエトリソウをめぐる記憶の断片である。
 二枚貝が口を閉じるように、ハエトリソウは虫を2枚の葉が閉じることで捕虫する。葉の外側にはギザギザが付いているので、閉じたときに牢獄の鉄格子を形成する。この2枚葉は、良く見ると表面に突起物が見える。陽は、虫がこの開かれた状態の葉の上で移動するときに、センサーに触れると葉が閉じる仕組みなのだ。この突起物をピンセット等で刺激すると、虫がいなくても葉を閉じる。この動きは、食虫植物の中では、早いものと言ってもい。しかし、無駄にセンサーを刺激するいたずらは、植物体の生育には良くないことなので、やらない方が良いとの指摘をどこかで聞いたことがある。

 ハエは愛されることのない虫である。ある時、生きているハエを捕まえてきて、ピンセットでつまみながら、ハエトリソウの上に押し付け、牢獄に閉じ込めた。実験のつもりの行為であった。ハエトリソウは、虫を牢獄に閉じ込めても、虫が腐敗分解するまでは、自らの栄養源とはできないようだ。この辺が、食虫植物の現実的な悠長な姿といっていい。

 さて、件のハエトリソウ、何日か経ってからとんでもないことになっていた。罠に閉じ込めたハエは卵を持ったメスであったので、その死骸からウジが湧いていたのである。かくて、そのハエトリソウは捨てられる羽目となったのである。ハエに復讐されたのである。私の記憶の中の一片でした。お粗末さま。

 昔から、旅の風に誘われて人々は旅することを望んだ。しかし、生まれてから一生を、故郷を中心とした狭い世界の中で過ごした人々も少なくなかった。庶民にとって、現在のような発達した交通手段のない時代は猶更であった。都に上ろうとしても、徒歩で時間をかけた上、危険を冒す覚悟も必要であった。旅の途中で、失命することも、また珍しくもない過去の旅路。巡礼の旅も、また自分の命を神仏に捧げる覚悟を要求したのであろう。日常生活から、一瞬でも非日常的世界へ旅立つ誘惑に心惑うこともあったのであろう。人は旅が長ければ長いほど、行き先が遠ければ遠いほど、自分の限られた寿命を削り取らなくてはならなかった。それでも、旅の風が人を旅立させようとする。


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 文明の発達は、人々の平均寿命をも延ばした。そして、旅をすることも、昔とは比べ物にならないくらい安易なものとした。かつて何日もかけて旅した目的の地までも、今では一日もかからずに行くことができる。外国へ行くのも、何カ月も必要としない。人は、短時間で長距離を進むことができるようになった。そのことは、目的地に到達するまでの時間分だけ、人々の寿命を犠牲にすることを要求しなくなったことを意味する。エベレスト登山にも、観光化の要素が芽生えているという。旅行に要する時間の短縮化は、相対的に人間の寿命を延ばしたことになる。

 などと、出不精だった私の戯言を書いてしまった。


 でも、最近は近場であっても旅に出るようになった。人の齢はちりのごとしと実感してのことかも。透析患者なので、旅行透析をすれば長期も海外も旅行を体験できる。しかし、手続きの面倒臭さと、金欠ゆえ遠くに行きたいとは思えない。海外旅行などは、健常者のパック旅行よりも割高な料金のほかに、現地での透析費用も加算しなくてはならない。

 遠くの友人が、わが町までも来てくれて旅に誘ってくれるのも、かつては想像もしなかったこと。

 先月は、山中湖周辺を旅した。その時に利用した富士登山電車の写真が撮ってあったのでアップしてみる。これ以上、長文になるのも興ざめなので、写真中心でいこう。ただし、この登山電車の乗客に対するもてなしの心に触れることは、短い時間ながら価値あることであった。写真の中に、障害者に関係した情景も写っていた。視覚障害のこどもも楽しめる「触れる絵本」も何げなく置かれていた。


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