先月の初めに痛めた両足首は、いたってゆっくりではあるが回復しているようだ。イベント最終日とその翌日が最悪で、歩くたびに痛みを感じながらやっとの思いで移動していた。僕の部屋は2回にあるので、階段の乗り降りが痛みの復習であった。バス停でバスを待つ間、強い風が吹いていた時、立って踏んばるのが一苦労であった。自分は、内部障害者で障害者ではあるものの、足の問題が発生して以降は、歩行に支障をきたす別の障害者の状態に近くなった。このことは、障害者にとってのバリアフリーの問題など、色々な大切なことを気付かせてくれた。ノンステップバスの乗降時の足の負担の軽減などは、実際に経験しなければそのありがたみはわからなかったであろう。
駅や公民館の階段を利用するときに、階段の高さや奥行きが歩行の困難な人間にとっては、重要な意味を持っていることも、身を持って知らされた。
街中の舗装された歩道も、一軒平らに見えても、歩行中足が引っ掛かることも再認識した。当初は、下手につまずいて、身体のバランスを保つためにその都度、足首に激痛が走った。
不自然な格好での歩行は、腰をはじめ身体の各所にゆがみから来る苦痛をもたらした。問題なく歩ける少し前の自分が懐かしかった。横断歩道を渡るのも、早歩きができないときは、その距離が長いほど、危険な行為となる。無理な姿勢の歩行は、通常の歩行に比べて、身体を何倍も披露させることも実感した。
こんな調子で、嫌でも障害者にとって暮らしやすい街づくりのことまで志向せざるを得なくなった。
杖をついている人、無理な動きで歩行している人、車いすの人などが目に付いた。
早く普通に歩きたいというのが今の望みである。痛みには強いようであるので、我慢しながら、少しずつ早歩きができることを確認しながら、色々と用事をこなしている。
今回の体験は、近いうちに役に立ちそうである。見込みのない継続する痛みほど辛いものはない。いつまでと分かれば、我慢しやすい。でも、一生それとお付き合いする障害者の気持ちは、ほんの少しでも理解できたのであろうか。「人間とは歩く動物である」、そんな言葉もあったっけ。でも、人間は、共感できる動物であるんですよね。
駅や公民館の階段を利用するときに、階段の高さや奥行きが歩行の困難な人間にとっては、重要な意味を持っていることも、身を持って知らされた。
街中の舗装された歩道も、一軒平らに見えても、歩行中足が引っ掛かることも再認識した。当初は、下手につまずいて、身体のバランスを保つためにその都度、足首に激痛が走った。
不自然な格好での歩行は、腰をはじめ身体の各所にゆがみから来る苦痛をもたらした。問題なく歩ける少し前の自分が懐かしかった。横断歩道を渡るのも、早歩きができないときは、その距離が長いほど、危険な行為となる。無理な姿勢の歩行は、通常の歩行に比べて、身体を何倍も披露させることも実感した。
こんな調子で、嫌でも障害者にとって暮らしやすい街づくりのことまで志向せざるを得なくなった。
杖をついている人、無理な動きで歩行している人、車いすの人などが目に付いた。
早く普通に歩きたいというのが今の望みである。痛みには強いようであるので、我慢しながら、少しずつ早歩きができることを確認しながら、色々と用事をこなしている。
今回の体験は、近いうちに役に立ちそうである。見込みのない継続する痛みほど辛いものはない。いつまでと分かれば、我慢しやすい。でも、一生それとお付き合いする障害者の気持ちは、ほんの少しでも理解できたのであろうか。「人間とは歩く動物である」、そんな言葉もあったっけ。でも、人間は、共感できる動物であるんですよね。







