多忙を理由に、近頃はブログをほとんど投稿していませんでした。投稿用に写真も撮っておいたものも、無駄にするのも嫌なので、その中のものを利用して描こうとぞ思います。

 5月は2日から6日まで、ゴールデンウィーク中ずっと地元のイベントである古本まつりに参加しました。5月と10月の年2回に開催されているこのお祭りも、今回で第8回となりました。私たちの八王子市腎友会も、障害者団体として実行委員会からお誘いを受けてから、ずっと参加させていただいております。かなり初めの頃からの参加となるのでしょうか。少しずつですが、市民の方にも、内部障害としての透析患者の存在を知ってもらえる良い機会となっています。テントの中で、色々なものを販売していますが、お客様と、商品を買っていただけないお客様も含めて、お話しすることもまた楽しみとなっています。

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 開催中、世話役さんや患者会の仲間からいろいろと差し入れがあります。今年は、こどもの日がありましたので、柏餅を食べることができました。

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 開催中に行われるコンサートに出演しているおやじバンド?"TAXIのベーシストは、わが八腎会の会長であります。八腎会は八王子市地域腎友会の略称です。



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 今回のイベントで、両足首を痛めてしまい。今日現在も歩くのが大変です。でも、少しずつは、カタツムリの歩みなみに改善しているようです。本当は、整形外科で診察・治療を受けた方が良かったのですが、透析患者になると、他科の受信が嫌になることが多いです。一つは、毎回、自分が透析患者であることを告げなくてはならないのと、透析患者故の治療の厄介さに出くわすこともあるからです。入院などということになりますと、生活の不自由さが増しますし、入院する施設に透析室があることが必要です。それに、入院は極力したくないというのが、患者の本音でしょうか。


 最後にこんな写真も撮っていたので、紹介します。もらいものですが、八王子のお土産になりそうです。
生姜というのは、毎年9月に行われる「生姜まつり」にちなんだものでしょうか。地域のコミュニティバスの「はちバス」の絵が描かれています。はちの関係で、かりんとうにはちみつが入っているのでしょうね。

 八王子のお土産って、一体何がふさわしいのか考えています。最近は、高尾山の人気と相まって、新しいお土産も登場していますが、以前からある「高尾せんべい」に匹敵するものはないのかな?モミジの形をした瓦煎餅なのですが、結構好きです。

 このニューフェイスのかりんとうは、地元の生姜が原料となっていますが、昨年のしょうがブームを経て、しょうがの味が好きな人にはいいのかもしれません。しょうがの苦手な人にはどうでしょうか。

 関西の茶店で、甘酒を飲んだ時に、生姜が入っていました。僕は、甘酒が好物ですが、生姜を入れると全く違った飲み物になってしまいます。東京ですと、神田明神の甘酒が有名ですが、生姜は入っていません。また、これから暑い季節には、冷やし甘酒も登場します。と、八王子から話が飛んでしまいましたが、この辺で筆を置きます。
でも、平凡なブログだな。

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 最近は、賢く老いる=スマート エイジングなる言葉が提唱されていることを知った。自分自身も、人生の後半に達している。透析患者の平均余命が、健常者よりも短いことを考えたりして、「老い」の「自然な」需要ということを簡単ではないことだよな考えている。
 肉体的老いの疑似体験なら、過去を現在味わっている。過去というのは、慢性腎不全による透析導入時のことであった。シャントを作ってからの導入直前の入院中の外泊の時。東京宮内の病院から、郊外にある自分の家まで帰る時、尿毒症の症状からか、家路のつく行動の辛いこと。駅の階段を息を切らせて登っていく行為。電車の中で、席に座れなくて、つり革にうかまりながら長いこと立ち続ける辛さ。ふと、自分が年をとるということは、肉体的にこうした場外が継続することかと痛感して、納得したようだった。

 そして、今回は先日の地元のイベントでの無理がたたって、足首の痛み、それも両足のそれが、3週間目にも持続している。確かに、わずかずつではあるが、良くはなっているようであるが、自分の体重を支えてある子ことが痛みの連続となっている。イベントの時に休むことなく重いものを持って、長い距離を連日歩き続けたことで、症状がこじれたようだ。痛み止めの飲み薬とシップで何とかしのいでいるが、透析クリニックへの往復や、患者会関係の用事などで、足を休める時間もない。しかし、こうしたことが老いや障害を少しでも実感できること、痛みを通じて自分の身体と対話できること、少しでも軽快する兆候を見つけること等、意味ある行為に存在意義を見出すほかあるまい。

 まあ、試練だと思って後ひと月ほどは我慢できそうだ。透析開始の穿刺の痛み同様に、自分の実在を実感させる痛みなんだよな。などとうそぶく己かな。

 本日は、患者会の全体の食事会。アルコールは飲まない予定であったが、仲のよいおばあちゃんが焼酎の水割りを用紙してくれた。断るのもなんだからと、初めての体験。あまりおいしくはないが、コップに1敗を飲んでしまった。まあ、こんなものかと自分だけ納得。

 ほとんどやらない人前でのカラオケもやってみた。演歌の海の中で浮き上がるような自分の選挙区。これもまあいいやと、自分だけ納得。

 患者会の役員は、サービス業に徹することである。この透析社会に名誉職などありはしない。ただ、会員の皆様が楽しんでいただければ幸いなりである。その上で、患者の透析ライフを充実するための身近な行政や政治家さんへの働き掛けをしようよ。自分へのエールでした。

 一杯の酒に酔いもせで、人に酔う。

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さて、どちらに進もうかな。

 本日は、サークルの新年度の会員の継続手続きに出かけ他。(12日)。最近は、腎友会の手伝いもあり、幽霊会員状態。手話では、手を体の前下の方にだらりと垂らした幽霊のポーズをしてから、会員と表現する。透析患者は、機械によって生かされているので、時々半分幽霊状態などと冗談を言っていることにイメージが飛ぶ。
 サークルの会場から、父親の入院している病院まで歩いていく。10分くらいで病院の裏口に到達する。晴れてはいるが、風の冷たい日であった。

 近頃、透析患者のターミナルケアの話が出ているが、自身では最後まで生きる意志が勝るような気がする。最期の最後まで、あがき続けるのだ。自殺行為は、怖くてとても出来そうにない。

 子供の頃、メタセコイアやバオバブなどの巨木が羨ましかった。死の恐怖に打ち勝つために、何百年も生きることのできる木になりたいと思っていた。夜の暗さの中で。子供ながら、いずれ訪れる死が無性に怖かった。

 今は、この時代、この国に人間として存在できたことに感謝している。適度の忙しい毎日を過ごしている。負荷も適度には必要なようだ。おかげで、演劇を見たり音楽を聴いたりしに劇場へ行く機会が減ってしまったことは残念であるが。有限の時間を生きるための選択も必要なこととはわかっているのであるが、おっと、仕方ないか。

 
 火曜日は区内の大学病院の通院日。診察カードを午前中に機械に読み取らせてから午後の診察までと上野公園に急ぐ。
 今年は桜の開花が早かったし、先日の春の嵐でお花見は期待できなかった。

 ミケランジェロと七支刀と神様、それに人類の時空を超えた旅のテーマの3つの展示を短時間でめぐる。僕自身も、時空旅行を経験する。国家神道以前の神道こそが日本人の心にとって意味あることのようだ。縄文時代に遡る自然への信仰こそが意味のあることなのだろう。権力が消し去った神々の姿を知ることは困難であるが。

 科博のそばの桜は、葉も目立ちながら、盛んに花びらを散らしていた。名残の桜、通り過ぎる人に見せる姿の思いやりかな。



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 父親の入院の手続きなどで、1日に2回病院に行く。午前中の帰り道、八重桜の通りを歩く。ソメイヨシノの後に来る締めの桜。ピンクを中心に花の色は、白から紅に近いものまである。
 父親は、ターミナルケアの段階に入った。

 我々透析患者も、いつかは自分の意思で透析医療と延命治療を受けることを止める時期が来る。毒入りのワインを飲むローマ人のイメージが頭に浮かぶ。結局は、尊厳死という自殺なのだろうか。どちらにしても、人は死を受け入れなくてはいけない有限の存在なのだ。科博の展示のテーマでは、個人を超えた人類の歴史が、種としての存在が語られていた。

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 毎年、早々と咲く桜の小木は、すっかり緑の季節に移っていた。通行人は、花の時期とは違って、生命力の盛んとなるこれからの緑の時代の桜の木は立ち止まることのない、気にもならない風景としか認識しない。桜の時間のごく一部しか興味を示さない。視界に入っても、見えないこととして処理している。
 桜だけではない。いつも、何か大切なものを、情報を存在していないものとしょりしているのだ。私たちの心。

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 疲れた心身にも、意味ある風景が語りかける。生きている私に。