
寒い季節、魚を煮た翌朝、煮汁が一部固まっていることがある。その塊を煮こごりと言いますよね。でも、最近は煮魚しない家庭が多いようだから、このキッチンマジック知らない人の方が多数派なんでしょうね。和食だしね。出汁ねなんて言ってしまっても、日本語通じなかったりね。
この煮こごりを、料理の副産物としてではなく、主役として自家製で売っている店が八王子にあります。本物が。スーパーなどで、キノコとか入った偽物が売られていることかある。妙に甘かったり、嘘くさい味がする。まさか寒天とかゼラチン使ってないよね。
寒い季節限定の味は、小田原屋という魚屋さんで売っています。一枚400円。好きな形に切ってもいいね。自然の味かな。八王子駅へ向かう西放射線通りの入り口の近くにお店かあります。売り切れの時は諦めなくてはいけないけどね。
そうだ、このマジックの正体は、コラーゲンだって。身体に良いのかな?
今年の新年は、前のブログに書いたように、複雑な思いで迎えた。今まで過ぎていった時間の速さと、自分がやることができなかった事の多さを思ったりした。暮れには、地域腎友会の中の患者会の会長が病院で亡くなった。限られた命を意識してしまう。明日は、今年初めての透析である。患者会の仲間をはじめ、たくさんのおめでとうの挨拶を交わすだろう。案外、現場にいる時の方が、生きている実感を感じるものである。「戦友たち」と一緒に今年も元気で生きていこうと素直に思える。
とはいえ、深刻なことを考えているようで、今年もしっかりと福袋を買った。元旦に宅急便で届いた。少しは格好も付けなくては。後、何度福袋を買うことになるのかなんて考えることなくね。
以前、知人をずっと待つ話を書いたその記事を読んだ人から、何故そんなにして待てるのかと聞かれた。友人である人間というものを信じたいからと答えたいのだが、自分の満足感のためだと答えておいた。自分の残された寿命の一部を友人のために使うと言えることが、友人に対する最大の非難になることも承知しながら。
今日、その時の知人と同席だという友人から会いたいとメールがあった。6時に車で迎えに来てくれると約束した。7時になっても連絡すらなかった。その間は、やりたいこともできない宙ぶらりんの時間の経過。こちらから、断りのメールをいれた。彼らには、音声通話はできない。1時間後、彼から激怒しているとのメールが来た。何故そうなるのか。僕は、短時間でも命を無駄にしたんだよ。君たちのために。
コミュニケーションって、かくも難しいものなのか。
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除夜の鐘を聞きながら、特に感動もなく新しい年を迎えた。
子どもの頃、世界の巨木のことが書かれていた本を読んでいた。その長い寿命に比べて、自分たち人間の寿命の短さを知り、夜の暗闇の中で死の恐怖を覚えた。どうする事も出来ない怖さ。子供には、自分が木に生まれ変わって長く生きながらえたいと願う事のみであった。
でも、大人になって分かった事。それは、全てのものに終末が訪れること。しかし、一つの終末が次の新しい誕生につながる事。不死は不自然であること。不死は底知れない孤独に生きる事を意味すること。
現代人の寿命は、古代、いや江戸時代の人間のそれよりもはるかに伸びている。また、交通手段の発達で、短時間に移動できるようになった。その分、過去の人よりも実質的に寿命が長くなっている。
透析患者の平均寿命は、健常者のそれよりは短いという。しかし、かつては慢性腎不全は死を意味していたのを、今は医療の進歩で生きながらえている。生かしてくれる社会に対して、与えられた命をどう活かしていくのかは、又、別の大きな問題である。免疫力の低下や合併症で、高齢者になる前にこの世界から去っていく仲間と何度お別れをしたか。また、しなくてはならないか。
かつて、その寿命の長さを羨んだ木の絵本を読んだ。生きている化石と呼ばれるイチョウの絵本を。イチョウは、多くの生物の進化と滅亡を見てきた。自分自身の個体をしての存在の危機の時代も乗り越えて視てきた。それは、種としてのイチョウの目を通してであるが。
イチョウの木の絵本を子ども達に読んでほしいと思いつつ、自分の残された命の事も思ってみた。新年を迎えたものの、そんな自分の年齢を意識せざるを得ない。
昨年の後半から、透析時間が5時間に延びた。その事には感謝している。どれほどか分からないが、生きる時間が延びる可能性が、確率と言ったらよいのか、少しは高まったのである。感染症には要注意であるが。でも、先の事は分からない。今を生きる事の繰り返しだよね。充実した生活を送ることだよね。1人でも心が通じる人で出会って、社会にも少しはお返しが出来たらいいよね。などと思ってみる。
今年の透析は、明後日からである。元旦から2日間、家でのんびりできるのは、透析を導入してから初めてである。そんな折だから、余計な事を考えてしまうのであろう。無常という事は、受け入れねばならないことだが、生への欲が抵抗を試みる。それも仕方ないこと。あらがって、諦めないのである。明らかになっているのに、諦めないということ。子供の頃の暗闇の中の恐怖は、今だって消え去ったわけではない。
個人として生まれて、個人として故人になるか。しかし、人らしく生きるために、生きている間は、自分以外の人と共に、生きる事の共有を図りながら、楽しく、時には激しく生きていくのが人間であろう。社会や集団で生きていくのは、個人主義の延長である。利己主義ではないから、そこには、共感や優しさや温かさを生まれてくる。現代は、コミュニティが崩壊してしまって、個人主義よりは利己主義がむき出しになってしまったが。新しいコミュニティを作る事、それも、現代人の生きている意味なんだよね。
透析患者団体も社会の縮図だから、自分のために共に生きようとする人が少なくなっている。まずは、その新しいコミュニティが出来たらいいな。課題を持って生きる事が、仲間を作って生きる事が、暗闇に灯をもたらしてくれそうである。
ケセラセラとか、Let it be.という事が出来るのは、友人や仲間がいるからだよね。
素直に、新年おめでとうと言えばいいんだよね。
結局、取り留めのない事を書きながら、元旦の時間はあと少しを残すのみである。
昨年の12月の「ふとっちょソックス」の展示から。八王子のいちょうホールで行われました。
浮いているような顔のない少女のひとがたは、現代人を象徴しているようでした。でも、この浮揚感から離脱して、自分の足でしっかりと大地に立てること、それが希望です。(作品は、「あじさい」さんのものです。)
今年は巳年です。空の雲の描いた蛇の写真です。
- 12月の定番は、音楽はベートーベンの第9.演劇は「森は生きている」。バレーは「くるみ割り人形」なんだろうな。
映画は、当然ディケンズ原作の「クリスマス・キャロル」である。(小説は、このディケンズの作品だが、他にオー・ヘンリーの「賢者の贈り物」など他にも色々とあげる事が出来そうである。)
透析の間は、5時間という時間があるので、DVDを観てから、本を読んだり、うとうとしたりしている。
そして、クリスマスの前後の番組が「クリスマス・キャロル」である。映画として作られたものに、テレビ番組用のものを含めると、結構、色々な監督が撮っている。どれでも良いから、借りてきて透析中に観ることにしている。なお、この作品のパロディというか、喜劇化というか、「3人のゴースト」というアメリカ映画があるが、これもラストの方は泣けるのである。この泣けるというのが、この作品群の特徴、僕にとっての特徴であるのだ。キリスト教徒ではないが、というもののキリスト教には惹かれる要素が多いのであるが、この話は、いつも僕の涙線のつぼを押すのである。1人で部屋で観ている時は、ぼろぼとと涙を流しているが、この感覚、ある意味で終わった後の爽快感があるのである。なお、この作品以外にも、僕はある種の物語の仕掛けにめっぽう弱いのであるが、その辺の事はいずれまた。年齢を重ねるごとに、涙線がゆるむというのは本当のようである。事実、若い時と比べると、すぐに涙があふれる体験が多くなっている。
さて、問題は、透析室でこの作品を観ることにある。前半部でも注意しないと涙が出てくる。ストーリーが頭の中に入っているので、物語の伏線の所も要注意なのである。透析しながら、泣いているのがスタッフに見つかったら、何を言われるか分からない。透析がつらいんですかなんて聞かれたら最低だし、第一、泣いているのは人様には見られたくないからね。
しかし、透析の間の時間つぶしのDVD鑑賞に、今の時節は「クリスマス・キャロル」は欠かせない。少しは心がきれいになったような気が観終わってからしばらく続くしね。
涙の処理に困りながら、なんとかごまかしながら今年も観よう。
関係ないようだけれども、ケツメイシの「涙」も大好きな曲ですよ。
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