ラッキーボーイ (児童図書館・絵本の部屋)/スーザン ボウズ
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 この本を読むのは二度目である。映画にしろ、絵本にしろ、1回目で終わることが多いが、もっと回数を重ねて見たり、読んだりすることは意味のあることである。忘れっぽいので、ストーリーがあやふやだったり、見落としたところを再発見することができる。また、時間の経過で、別の視点から作品を観ることができたりする。
 でも、人生、時間が限られているから、そうたくさんはできない。

 この本をはじめて読んだときに、近所に似たような境遇の犬がいた。めったに散歩にも連れて行ってもらえず、ノイローゼのようにただ時間があれば、鳴き続けていた。一度リードが外れて外に出ていとことがあったが、家から離れようともしなかった。

 あれから、数年経っているが、相変わらず、気が向いたときは鳴き続けている。あんな境遇でも、長生きしているのが不思議なくらいである。犬なりに、心というものがあるのであるなら、心を病んでいるに違いない。

 さて、絵本の犬も、当初は家人から見捨てられていた。彼の世界は、塀に囲まれた小さな空間でしかなかった。彼が、隣の孤独な老人のところで新しい生活を始めるまでは、「ラッキーボーイ」ではなかったし、比べるべき幸せの基準もなかった。老人も、妻を亡くしてから人との関わりのほとんどない生活が続いていた。お互いの出会いは、お互いの生き方を変えていった。アンラッキーが2つであったら、2倍以上のラッキーになった。この話の流れの結末は楽しいものである。虚構の世界でも、やさしい気持ちになれる。

 現実の犬は、今日も無意味に鳴いているのか、命を永らえている。おっと、私たちは有意義に、自由な世界に生きたいるかって?

トッペイのブログ-酉の市1

トッペイのブログ-酉の市2

 年の瀬が迫る。最近は、年の瀬でなくてもせわしない。人生の後半で忙しいのは、ある意味、我は幸い哉と思ったりもする。透析患者の平均余命は、健常者と比べれば短いという。でも、今こうして生きられることに感謝せねば、かつての患者の若い命が奪われていった過去の腎不全の歴史を振り返ることができまい。
この国の、この時代に生まれたことも幸い哉。

 今朝、クリニックに行く途中で、今日は酉の市であることに気がついた。今年は、今日の二の酉でお仕舞だ。朝から、露天商の作る食べ物の匂いがする。

 子供の頃のお酉様は、ひどく寒かった。近頃は、地球温暖化のせいで、体の芯まで凍えるようなことはなくなった。

 今日の帰り道の匂いは、たこ焼きやらお好み焼きやら、べったら漬などと人々の匂い。子供の頃は、カーバイトの匂いが強く匂っていた。売られるものも、また変化している。記憶の話を、と思ってみても、今日はこれ以上、文は書きたくはない。
 街は身近な所だが、様々な表情を持っている。人がたくさんいても、群衆の中の孤独をいやというほど味わうこともある。目が合うだけで、何かを感じながらお互いに通り過ぎていく人もいる。

 昔の人の行った辻占や橋占も、他人がたくさんいる街だからこそできることであったのだろう。行う時刻も黄昏時、行う場所も二つの場所をつなぐのにふさわしい所だから、境界を表現している。その時刻にそこに立ち、はじめに聞く人々の会話が自分の運命を教えてくれると考えた古の人。

 黄昏時は、懐かしい人に会えるような時でもある。ただし生者ではない。周りの視界がぼんやりとした中、会えることがあるようだ。といっても、彼ないし彼女ではない。彼らの面影に会うことができるのである。半身麻痺の杖をつきながら歩く中年男性の姿。装着しやすいのかジャージを着ている。運動用のタイツをはいている。そのシルエットから、昨年亡くなった私より2歳若かった透析仲間の姿を見たような感じたした。お通夜に行った時も、本当に命の火が消えたなどという実感がわかなかった。
 結局、面影に対しては何も働きかけることはできない。生き残った者にできることは、思い出すことだけである。
 身近な街は、異界ともなりうる不思議な場所である。幸い、自分の面影に出会ってはいない。
風の中を歩きながら、とりとめのない事を考えたりする。時たま、風がさまざまな香りや匂いを運んでくる。その時に現れる感情の波や忘れていた記憶の断片。懐かしかったり、嬉しくなったり、寂しくなったり。この匂いは何だったのだろうか。何時も思い出せる訳でもない。思い出せなくても、切なくなる。記憶の匂い。
生活の匂いは、リアルなものだ。黄昏時、消防署の横を通ると、何時もカレーの匂い。やっぱりねと納得する。カレーライスは、消防署の匂い。
香りと匂いのない世界は、どんな世界だろうか。
考えながら、日に日に早く訪れる黄昏の中を、風を受けながら、帰り道を歩いている。
食欲は失せている。匂いだけで十分だよ。


第7回の古本まつりも、無事終了しました。今回は、途中で胃カメラ検査や、上野公園での臓器移植キャンペーンのお手伝いもあって(その日は、午前中雨で、お祭りのこと、心配でした。今までも、前回の5月は特別でしたが、いつも会期中は1日は雨が降っているようです)、販売活動、本来は八王子市地域腎友会のPR活動にエネルギーを注げませんでした。でも、たくさんの人と話ができるのは、商品が売れなくても楽しい事です。でも、被災地からの手作り作品が値段が高い、自分も作っていると盛んに毒を吐いて話し終わったら、何も買わずに会って言った人もいたそうです。また、手にとった和風のトートバッグの値段を聞くや放り出すおばあさんがいました。地震のことも、記憶から薄れているのでしょうか。原発も未だ放射性物質を震災後、出し続けています。忘却という形で、人の心もすさんでいるのでしょうか。でも、多くのお客さんとその場だけかもしれませんが、縁を結ぶこともできました。子どもたちの「おじさん。おじさん」という声に負けて、商品の値段までまけて赤字商売もしてしまいました。でも、子供たちにも、このお祭りに楽しく参加してもらいたいという気持ちの方が勝りました。

 アナログの本の、なおかつ古本の市場という時代に逆らうようなイベントですが、私達人間の歴史の中で大先輩が、ある時は命懸けでも守った文化を、私たちもしっかりと受け止めたいと再認識する機会です。読書という習慣が、いつまでも続きますように。

 今回のお祭りでは、われらがおやじバンドの”TAXI”も、フルメンバーではありませんでしたが、去年の機材トラブルによる突然の出演中止というアクシデントにめげることなく参加しています。ハープというハモニカ奏者が、演奏途中でやっと現れるという冷や汗場面もありましたが、彼らの曲を楽しめた人は、ハッピーですね。

 それから、僕らのテントの隣でライブをしていた坂本明宏さんも、いつもは駅前のデッキ場で歌っているので、身近で歌っていたのはびっくりしました。動画を最初にアップさせてもらいました。

 色々な行事やら幼児やらをこなしての参加なので、今回はいささか疲れました。でも、学ぶべき点やふれあいという得るところの多いイベントでした。来年は5月です。体調を整える、そして明日へつなげることの大切さを実感しました。

 さあ、次は今月21日日曜日の「触れ合い運動会」です。透析患者も、赤手帳を持った障害者です。見かけは健常者ですが。当事者なので、今年の運動会も参加者は、数名かもしれません。その分、お手伝いで頑張ろうと思いますが、今年は去年と比べて、時間が忙しくなっています。なんとか、クリアしたいと思っています。まずは、古本まつりを無事終了!!


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 そう、地元の新参のゆるキャラのタキ坊のしっぽを触ると、願いが叶うとか。ということで、しっかりタッチしておきました。いいことが起こるといいですが。

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