沢田教一写真展
灼熱の太陽に焼き尽くされて8月が終わろうとしている。
豪雨、猛暑
日々繰り返し叫ぶような声で発せられた言葉の陰で、
それでも8月の血なまぐさい戦の気配ははっきり濃く流れ続ける。
8月が終わる・・・
ので、
大阪難波の高島屋へ足を運ぶ
「沢田教一展」
ベトナム戦争の現場を、米軍に同行し撮り続けたカメラマン。
ピュリッツァー賞を受賞した「安全への逃避」はあまりに有名だ。
この写真を中学生の時に見た。
母と買い物のついでに立ち寄った地元の銀行の、壁新聞?皇室写真や、日本のどこかで起きた災害の写真の横に、「安全への逃避」が貼り付けられていた。
川の中を逃げる家族の写真。怯えて震える女の子の拳は固く握られ、乳児を抱きしめた母親の髪は濡れ、男の子は不安げにカメラに目を向ける。
バスケ部でシュートが決まらないことや、好きな先輩から見向きもされないことを「苦しみ」と感じていた中学生の私の目に、その男の子の視線が突き刺さり、私はその場から動けなくなった。
銀行での用を終えた母から促されるまで、私はそこに棒立ちになっていたような気がする。
もちろん、ベトナムに参戦する米兵が日本の基地を経由地にしていたことも、ソ連とアメリカの代理戦争が展開されていたことも、その時の私は知ることもなく、自分の生活におこる様々にアップアップしているような頼りない中学生だったのだが。
沢田教一という人がその写真を撮ったこと、そしてその人はロバート・キャパや一ノ瀬泰造と同じように戦場で亡くなったこと。そんなことを知ったのは、それからずいぶん生きて様々な紛争の悲劇が絶えないことを報道で知った50に手の届く年になってからのことだった。
そして、65歳の高齢者にまで成長した私の8月の終わりに、再びその写真と対面することができた。
沢田教一という人は青森の人で、小学校と高校のとき寺山修司と同級になっているらしい。
青森、寒村の農民や漁民にカメラを向ける。
子守する少女や、子を負って働く親の姿に優しいまなざしを向ける。
寒村の人々がフィルムに収まるとき、中途半端な「笑顔」がないことにまず驚いた。
ふと、SNSや、TVコマーシャルで流れる家族写真になんと「笑顔」が溢れているか?とたじろいでしまう。
彼の写真の人々は、ブラインダーを覗くカメラマンに笑顔を振りまかない。
その表情は飄々と力強く、嘘のない生活に立脚している清々しさに満ちていた。
「自然」という言葉を思い出す。
それは、戦場でも変わらなかった。
行軍するアメリカ兵も、
休憩時間に家族の写真を眺めているアメリカ兵も、
ベトナムの市井の人々も、
津軽で暮らす人々と何一つ変わらない、
フツウの力強く嘘のない表情をしている。
「風が揺らす梢の音に、ふと手を止めて振り向いた」
そんな表情だ。
きっと、沢田教一という人が、カメラの向こうで、風のように自然に存在していたからなのだろう。
戦況の悪化に伴い、アメリカ兵の表情が変化していく。
恐怖に怯えるというより、まなざしが「虚ろ」になっていくのだ。
敗戦後、PTSDに悩まされ、自殺者を多く出したという戦士たちの苦悩が、手に取るように理解できた。
焼かれた村、焼けただれた母親にしがみつく乳児、捉えられ殺される人民解放軍の若者。
戦争の悲惨は、目を覆いたくなるくらい映し出されている。
砲撃の音まで、森の静寂まで、焼けた人体の匂いまで、戦争を感じて、展示場を歩く足が止まることしばしだ。
今なお世界で続く砲火を思い、心が痛み、
安倍政権が、戦争もやむなし!という路線に突き進んでいくことに暗く心が塞ぐ。
ただ、「安全への逃避」には後日談があって、母に抱かれた2歳の子供が成長してそれを語っている。
この写真を撮ったあと、沢田さんに川から救い出されて、安全な空き家に匿ってもらったと。
中学生の私に衝撃を与えた写真の、被写体の無事が、血なまぐさい8月に、なんとも救いとなった。
ちっぽけだけど命のすべて!踊ります!
L夫人舞踏公演「YOURS」
日時:2018年 7月 1日 (sun)
17:00 start
16:30 open
場所:奈良市音声館
音声館までのアクセスはこちら
http://onjokan.city.nara.nara.jp/access.html
前売:2,000円 当日2,500円
舞踏:L夫人
演出・照明:田中誠司
音響:田中庸平
申し込み
yyukami44@gmail.com
090-9990-5661 (ユカミ)まで
L夫人プロフィール
1953年大阪市生野区に生まれる。
2012年 59歳で舞踏家田中誠司に師事。
肢体障害がある自己の身体を避けるように生きてきた日々。人生の終盤に舞踏する時間を得て、身体だけが抱え続けてきた「まっすぐな風景」の出現を捉え始めている。
2016.6:処女ソロ公演「余白の月」
2018.2 群舞「目黒涼子写真展に捧ぐ」
わたしが舞踏に出逢ったのは59歳の秋でした。
決して早過ぎるということのない出逢いです。
そしてわたしは生まれて初めて「自分が身体を持っている」ことに気付いたのです。
決して遅すぎるということのない気付きでした。
身体はわたしに色々な景色を見させてくれました。
心が忘れたがっていたつらい風景
頭が改ざんしていた真実のことば
舞踏することは、身体だけが覚えていた景色の中に、たった一人佇むことでもありました。
しんと静まり返った景色の中で、わたしはとても暖かいものに触れていたのです。
つらい風景…真実のことば…
そこには、本当は、わたしが触れたくて、抱きしめたくて、求め続けている…そんなアナタがいたのです。
たったひとりのわたしは、たったひとりのアナタと出逢いたかった。
わたしがアナタで、アナタがわたしであるような
わたしもアナタも、yoursになってしまう
そんな場所でアナタに出逢いたいと…
劇場でお待ちしています。









