春萌え
萌えのことを書こうと思っているのだけれど、書けずにいる。
彼岸の土曜日、比叡山に登った。
登ったといっても、車で比叡山ハイウェイを走ったのだけど。
春霞の空、琵琶湖の水面も色を失っている。
走るほどに道路沿いの落葉樹の枝が朝焼け色に染まっているのがフロントガラス越しに見える。やがて朝焼け色の木立は視界一面に広がり、進んでいく車窓のほとんどをむらさき色の空気が支配する。
山が燃えている・・・
視界からもっと身体の奥深くへ、春に目覚める山の空気が入り込んでくる。
車の中にいて、山の空気もないものだとも思うが、車の中のわたしにはそんな風に思える。
大阪の下町に育ったわたしは、春の山を間近にする機会に恵まれず、それよりなにより身近に起こる人との摩擦が面白く、3月の山が萌えるということを知らずにいた。
晩秋の頃、葉を染めて落とし冬の眠りについた落葉樹は、早春に目覚めるその直前の一瞬に、芽吹く前の枝を再び赤く染めるのだが、そのことを知らずにいた。
眠りに付くのも、目覚めるのも、生半可ではないエネルギーを要するものらしいが、そのことをわかろうとしていなかった。
車はしかし、わたしの感傷を許さず、じきに木立を通り過ぎ、比叡山延暦寺へと身体は運ばれてしまった。
帰りの道でも山は燃えていたが、昼ごはんを京都で食べるか大阪で食べるか、そんな算段が会話を支配し、わたしは春萌えのことを書けずにいる。