小説「N子」(2)
ドアをノックする音がした。
ドアをノックする音で、D棟から目を離したつた江は、青木の出現で、D棟を縦断する緑色をした女の事は忘れることになった。でも、N子を忘れたのはその一瞬だけで、10分後にはN子は新たな顔をしてつた江の前に現れることになるのだが。
「どうしたの?ぼんやりして」
私の返事を待たず、ドアを開け、中に入ってきた青木が、つた江の目に残ったD棟の白い靄を見つけてそう言った。
「雨の音を聞いてたのよ。この歳になると、雨の音に人生を感じたりするものなのよ。」
「何言ってるの。女子大生みたいに。」
がっちりした体格の青木は、哲学科には珍しくスポーツ好きで、操る言葉も簡単なので、つた江が無駄口をたたく唯一の相手になっている。
「女子大生が“この歳になったら”なんて言う?」
「言うさ。最近の女の子にとって、若いって言うのは、高校生まで。それ以上はもう年寄りなんだよ」
「へぇ。そうなの」
「そうさ。女子大生の事ならなんでも聞いてよ。こう見えても女子大生にはもてるんだよ。」
青木はつた江の肩に軽く手を置いて笑った。
「コーヒー飲む?私今入れようとしてたの」
つた江は立ち上がり、低いロッカーの上に置いたコーヒーメーカーにスイッチを入れた。
青木はつた江が接触を避けて立ち上がったと思っただろうか。と、10歳年上の同僚らしい思いやり方で、つた江は青木を背中で探したが、青木からは、コーヒーを待つ客人のような気配しか感じられなかった。
「さっきね。神学部に変わった女の人がいたわ。」
「へぇ。どんな人?」
青木は、つた江の話を楽しそうに聞く。つた江の話す内容にではなく、その声に包まれることが彼の心のどこかの部分を優しくさせている。それは話しているつた江にもはっきりと認識できるほど、そのような素振りを表すのだ。つた江の話を楽しそうに聞く、その事の意味をつた江は遠ざけて続けていた。
「緑色の服を着て、赤い麦わら帽子をかぶって」
つた江が、さっきD棟で見つけた赤い帽子の女のこのことを青木に説明しようとしたとき、いきなり部屋の入り口のドアが開けられた。
そしてそこに、緑色の服を着て、赤い麦わら帽子をかぶって、N子が立っていたのだ。
「青木先生いらっしゃいますか?」
青木が振り向く、N子を見つけ、緑色の服と赤い麦わら帽子を見つけ、驚いているつた江を見つける。そしてN子を彼の講義の聴講生として、つた江に紹介した。
「N子君。早いね。約束の時間まで、あと2時間もあるよ。」
「ええ、窓から落ちてくる雨を見てたら、何となくお散歩したくなって、どこまでお散歩しようかと迷っている内、大学まで来ちゃったんです。仕方ないからキャンバスを、お散歩してました。」
D棟で見かけたN子はお散歩中だったのだ。雨の日に赤い麦わら帽子。N子のお散歩は人目を引いた。
「そう。じゃあ、向こうの部屋に行こうか。」
青木がつた江に片手を挙げて、部屋を出ていくと、N子は、つた江に深くおじぎをして後に続いた。N子の左腕に包帯が巻かれているのに、つた江はその時気付いた。
岬、岬、岬。と心で呼んだ。
岬が何を考えているのか、私には分からない。髪を茶色く染める。爪を紫に染める。耳にいくつも穴を開ける。彼女が原チャと呼ぶ自動二輪を乗り回す。制服を改造する。
「成績も下がり続けています。今は、クラスでも最下位のグループなんですよ。」
担任は大きい目をした青年だった。「校則を守らないのは、彼女なりの理由があるんでしょうが、校則は校則ですから。」青年は、今まで一度も規則を破ったりしてこなかったような透明の大きい目でつた江を見つめた。
「お母さんからも彼女に話をしてもらおうと思ったんですが、お母さん自身が校則には疑問を感じておられるようですので、私も困っているんですよ。規則は規則ですから」
青年は会話というものを知らないようだ。マニュアルのように同じ言葉を繰り 返す。校則が彼の持っている言葉の中で、最も美しく確かな真実になっているようだ。青年の大きな瞳の中に、つた江は疲れた自分を見つけた。
入学式の翌日、スカートの長さが3センチ短い事で、この青年から、腕を捕まれ、指導室に連れ込まれたと、岬が話していた事がある。体育の教師とこの青年の二人から、校則違反をした罪を宣告され、1時間被告人のように罪状を並べられた。と岬は口を尖らせた。スカートの長さは自分で決めます。と宣言した岬はその日から、毎日この青年の指導を受け続け、指導の数だけ、自分の姿を変えていった。髪を染め、爪を染め、耳に穴を開けた。その青年が今度はつた江を指導している。
「校則ですから」
つた江は大きく息を吸った。教室の中の何かの生き物のような匂いが、つた江の肺一杯に広がり、つた江は一瞬息苦しさを感じた。
遠くグランドから、スポーツをしている高校生たちのかけ声が響く。違う方
角からサックスの音が重なる。時々アクセントを付けるように、女の子たちの奇声がそれに混じる。
校庭の複合音。
「では、よろしくお願いします。」
何かを大きな瞳の青年からお願いされてから、つた江への指導は終わった。
岬は毎日この教室で何を考えているのだろう。岬。岬。岬。太陽と土と草いきれと汗の匂いを一杯体中に詰め込んで岬が学校から帰ってくるのを抱きしめた。その時の記憶に心が占領された。
校庭の複合音を背に、校門を出たのは夕暮れだった。郊外の閑静な住宅街を横切り、私鉄の駅へと向かう。岬が毎日通う道は、家々の垣根に紫陽花、つわぶき、紫欄を咲かせ、しっとり夕闇に濡れていた。つた江と同じ様に帰路にある高校生たちが、三々五々夕闇に濡れた道を歩いていく。制服から、汗とコロンの匂いが立ちこめ、つた江の鼻孔を充満させて通り過ぎる。岬もこんな風にこの道を歩くのだ。汗とコロンの匂いでまわりを桃色に変えて。
つた江は軽いめまいを感じ、目を閉じた。目の奥の熱い固まりが、顔を火照らせる気がした。更年期、又この言葉が浮かんだ。つた江からは汗の匂いも、きついコロンの匂いも漂うことはない。
JRへの乗換駅で途中下車して、夕食の買い物を済ませる。疲れた足と気持ちを癒してから家に帰ろうと、入った喫茶店でN子に出会った。
コーヒーを注文したらウエイトレスの女の子がつた江の名を呼んだのだ。N子がN子だと自分の名を告げるまで、つた江はN子を識別することは出来なかった。N子は赤い帽子も緑のワンピースも身につけていなかったから。
N子はお店の紺の制服を着て、つた江の前で微笑んでいた。
「N子です。大学の資料室で、5月15日午後1時25分頃お会いしました」
N子はそんな風にしてつた江の前に現れた。
コーヒーを飲むつた江に、N子は仕事の合間に時々振り返っては微笑みを送って寄こした。
えくぼが両の頬に浮かび、可愛い微笑み。機敏に客の間を歩き、注文を聞き、飲み物を盆で運ぶ。それでも、紺の制服の半袖の下に巻かれた白い包帯が、大学で見たN子をつた江に思い出させた。つた江が、コーヒーを飲み終わり、席を立とうとした時、N子がつた江に近づいてきた。
「何だか淋しそうですね。」
えくぼを浮かべた微笑みのままN子は低くそう言った。
「そう。ちょっと疲れたかな。」
「疲れてるんですか?」
「ええ。ちょっとね。ここで働いているの?」
「今はここで。5月17日からですからちょうど一週間です。」
「へぇ、よく覚えてるわね。」
「どうでも良い事なんですけど、覚えてしまうんです。ほんとにどうでも良い事なんですけどね。」
「私と会った日も覚えてた。」
「ええ。でも、つた江さんと合った日はどうでも良くないんです。大切だから覚えてた。」
低い声に好感が持てる。N子はその声で一言一言大切に話した。
「大切?」
「とっても」
N子はえくぼをきゅーっと窪ませて顔に笑みを広げた。
「何だか嬉しそうね。」
つた江の方もつられて笑顔を膨らませる。
「良かった。つた江さん笑った。」
N子はそう言うと、言葉を待つつた江を残して、仕事に戻ってしまった。
N子がもう一度戻ってくるかもしれないと思って、つた江は立ちかけたその緑色の椅子にもう一度腰を掛け、空っぽのコーヒーカップの淵を指でなぞったりしてN子を待ってみたが、N子はもうつた江の事は忘れてしまったように喫茶店の中を銀色の盆を手に駆け回っていた。
つた江は、溜息をつき、コップに残った、氷の溶けてしまった水を一口飲むとレジに向かった。レジで釣りを待つ間、つた江はもう一度N子の姿を探した。N子は、つた江の立っていたばかりの席を片づけていたが、つた江にあのえくぼの微笑みをもう一度向けることはなかった。
家に帰ると岬はもう帰っていた。
「遅かったね。」
岬の肩の向こうに、担任の大きな目をした青年の顔が浮かんだ。
「うん、帰りに買い物してきたからね。」
「どうだった?なんて言われたの?」
形のいい二重瞼でつた江をまっすぐ見る。
「お嬢さんに校則守るように言って下さいだってよ。」
岬が買い物袋を受け取り台所に向かう。後ろ姿から柑橘系のコロンの匂いが立ちこめた。
「岬、コロンきついよ。」
岬の背中がつた江の言葉を拒否するのが分かる。岬を抱きしめて、茶色い髪を手で撫でてみたい衝動に駆られる。抱きしめた岬からは、太陽の匂いも土の匂いも草いきれの匂いも感じることは出来ないと分かっているのに。
「お母さん、なんて言ったの目玉に」
担任の大きな目をした青年を、岬は目玉と呼んでいる。
「校則で子どもを縛るのが教育だとは思えないって言ったけど。」
「でも話はかみ合わなかった。分かるでしょ。あんな学校で目玉と毎日不毛な話し合い続けてる私の苦労が。」
岬は冗談を言う様な口調でそう言った。でも岬の目はどこかうつろで、つた江には岬が見えない何かを見ている様に思えた。
岬が買い物袋から、食べ物を一つ一つ出し、キッチンのテーブルに並べる。林檎、豚肉、キャベツ、ほうれん草、わかめ、人参、パン、牛乳、一つ一つを丁寧に手にする。その手の爪は紫色のマニキュアで染められている。細い白い指が、切り取られた絵画のピースを元の形にはめ込むような、愛し気な動きで、夕食の材料を並べていく。
紫の爪が10匹の虫のようにつた江の目の中で這い始める。
緑のほうれん草の上を、赤い林檎の上を、虫は這い回り、紫の卵を産みつける。キャベツの葉の間にも無数の卵を産み、葉がレース状になるまで、紫の口で食い尽くす。豚肉を腐敗させ、異臭をまき散らす。
つた江は目を固く閉じ、指で瞼を強く押さえた。目の奥で未だ10匹の紫の虫が乱舞していた。手足を振るわせて、黒い闇をバックに踊り、踊る。闇はやがて虫の発する紫の光線で紫色に塗り替えられる。紫の闇。紫の闇の中、虫が身体を振るわせ、4枚の羽を振動させる、かすかな羽音。それから羽を擦り合わせる。澄んだ音がする。金属のような音、機械で作られてそのまま今の空気に馴染んでしまったような音。
機械で作られた虫と金属との複合音。
「カアサン、電話よ。」
岬の声に閉じた目を開ける。
電話が鳴っていた。
「つた江さん。N子です。」
N子という名で、つた江は、えくぼを両の頬に置いた幼い笑顔を一番最初に思いだした。記憶がその後、腕に巻かれた白い包帯へと続き、最後に、緑のワンピースと赤い麦わら帽子にたどり着く。
「済みません突然。」
「あら。どうしたの?」
「手帳忘れて行かれたので。」
「えっ?」
「Tugumiにですよ。」
N子は自分が勤めている喫茶店の名を言った。
「あっ、そうか。」
「手帳に電話番号が書いてあったので、お知らせしよう思って。」
それが、N子との始まりだった。
明日Tugumiに取りに行くというつた江に、N子は明日はTugumiの定休日だから、どこかで合おうと提案し、つた江はそれでは申し訳ないから、N子のアパートまで出向くと返す。仕事が休みだからと、つた江は午後1時を訪問の時間に設定した。
「誰?」
岬が問いかける。本当は答を待ってはいない。それはつた江に分かった。つた江の声が聞きたいのだ。つた江の声が岬を優しくさせる。それは岬の気配で分かった。
青木がつた江の話を聞きたがるのと似ている。そうつた江には思えた。
「N子さんていうの」
岬にN子のことを話す。雨の日の神学部のお散歩から、TugumiでのN子の言葉まで。N子の言葉。ー何だか淋しそうですねーのぞき込むようなN子の表情を思い出す。
私は淋しそうだったんだろうか。とつた江は自分の心を振り返る。岬の担任から呼び出され、お嬢さんの生活が乱れていると聞かされた。校則を守らないし、指導に対して反抗的だと。茶髪。ピアス。化粧。その結果成績が落ちていく。家庭での指導が足りないとつた江も青年から指導を受けた。岬は校則と、それに縛られている教師に反撥している。とつた江は説明した。青年はマニュアル通りとしか思えない口調で、校則は規則であり、社会に出ても規則は大切と繰り返した。たとえ意味のない規則でも、守ること自体が大切であると繰り返した。私はそのことに疲れを感じてはいたが、淋しくはなかったはずだと自分を眺める。
でも、N子から、淋しそうと言われたとき、そうか。私は淋しかったのだと変に納得したりしていた。
小説「N子」(1)
5月という華やかさの所為か、私は外へ出掛けず、1LDKのアパートにこもって一日を過ごしています。午前中のまっすぐな日差しも陰を見せはじめ、私の窓辺の上の空も明日に迫った雨の準備にかかったようです。
日々の日本と世界に起こる様々な出来事に批判的です。
日々出会うこの街の人々の生活振りにも批判的です。
私が正しいと信じ、組織も正しいと言い、出会う人ごとにその正しさを押しつけていたあの頃のわたしの暮らしぶりと言葉にも批判的です。
でも、私は批判的ではあり得ますが、批判の言説からは逃げています。
否定には必ず、否定の否定が用意されており、否定の否定にもまた角度を変えた否定が用意されているのが、今を生きる人たちの言葉の出してきようらしく、私もその例外ではなく、そんな風に、批判する定点が決まらないまま、垂れ流す言葉は批判の言説にはなりえず、私は批判的な心を心のママにして、世界を眺めています。
眺める世界は、私の力の及ぶはずもないほど広く、一夜にして、アフリカ東南アジア北欧アメリカ南米オーストラリアとほぼ地球を一周するいきおいで眺め続け、ときどき、それは神の視座ではないかと考えることもあるくらいのものなのですが、神の視座にしては人の心にたいしては小説ほどの想像力もないくらいの眺めかたで、やはり、これは通信衛星の視座でしかないと気付かされたりします。
通信衛星に心があるのか疑問なのですが、世界を眺める私の視線にも、記号的な心しかないので、同じ様なものだろうと納得したりしています。
心が記号的というのは、心理学の所為だろうか。人を想像するのがあれほどおもしろかった気がするのに、心の科学が心を不確かなものに変えてしまった。記号的な心はその奥行きを隠して不確かな表情になっているのか、心の奥行きが見透せるほどの不確かさになっているのか、心が記号的になったから、心理学が科学になったのか、心理学が心を科学したから、心が記号的になったのか、これは一種卵か鶏かというのと似ているのですが、決して問題は同一ではないのです。何故同一では無いかというと、心の記号化は卵の誕生とは違って、言葉か介在出来るものであると思うからで、それは(歴史的にとは違う意味の)言葉で整理整頓ができるという意味でであるのです。
と そんなことを考えていたら、急に貴女を思い出して、私は思わず、貴女に電話をしてしまったのです。貴女の声だと思って、私は話を始めたのに、つまり鶏と卵の問題と、記号化された心と心理学の関係について貴女の意見を聞こうとして話を始めたのに、貴女の声に聞こえたその声は、貴女ではなく貴女の娘の岬ちゃんだったんです。それで彼女が言うには、言葉というものは、元々脳細胞の複雑な運動(単純な運動の複合と言う意味で)によって言語化されたものを言うのだから、それはある意味で卵や鶏と同じ蛋白質の運動といえるのに、言葉の介在だけを根拠に卵と心を分けるのは滑稽だということで、私も岬ちゃんが正しいのかもしれないという気がしてきています。彼女は大きくなったんですね。貴女に私からの電話のことを話しましたか?
私は、岬からその電話の事は聞いていた。岬は私に「久しぶりにN子さんから電話があって、またややこしい事で悩んでいるみたいだったから、お母さんならこんな風に言うかなと考えて、答えておいたよ。N子さん納得してたみたいだから、大丈夫だと思うよ。」
と言った。N子という名に一瞬懐かしさを感じないでもなかったけど、岬の前で私は素知らぬ顔をした。
N子の心がまた浮遊し始めたのだろうか。神の視座ではなく報道衛星の視座だとか、それでもN子はあのころより落ちついている気もする。浮遊し続けるN子の部屋で、私がベッドに篭もって丸まっていたあの頃より。
雨の音が聞こえていた。雨が窓を打つ音。6m下にある植え込みの芭蕉の葉にはねる音。
植え込みの向こうのアスファルトの道路に落ちる音。落下の途中、わずかな風に舞わされ、雨滴どうしがぶつかる音。それぞれが確かなリズムを作りだし重なり合う、雨の複合音。
3階の資料室の窓辺のつた江の机の上に置かれた資料の上を追っていた目を、つた江はぎゅっと閉じて、雨の音を聞きながら両の瞼を指で押した。最近、目が疲れやすい。更年期なんて言葉を遠くに感じていたのに、いつの間にか、つた江自身がその歳になっていた。
瞼を押していた指を静かに離して、窓の外に目をやる。D棟4階の風景が、3階の資料室にいるつた江の目の高さにあった。なだらかな丘陵を利用して建てられたこの学校は、丘陵の形のまま建物を背に乗せていたので、つた江の勤める哲学科の研究室のあるC棟と向かい合うD棟はちょうど階一つ分の高低差があった。
D棟4階。それはカトリック系のこの大学の神学部の教室が並んでいて、気のせいかいつも静かで黒い色をしていた。
つた江が哲学科の資料室で、資料の整理と閲覧担当の仕事を初めてから5年が立とうとしていた。岬の出産で、日曜日も勤務のある図書館司書の仕事を辞め、時間だけで仕事のけりを付けるパートと言われる職場を転々とし、5年前ここにやはりパートで就職した。D棟4階はその日からつた江の安息の空間になってしまっていた。
神父でもあるいつも黒い服を身に纏った教授や、分厚い本を手に静かに廊下の窓辺にたたずんでいる学生を見ていると、成熟できないままつた江に忘れ去られてきた、心のある部分が反応し、つた江は、更年期を迎えようとしているこの肉体を遥かに越えたどこかに、丸ごと運ばれていくような解き放たれ方をする。特にこんな緑の季節に突然訪れた雨の日には。
廊下を歩く学生たちの姿が雨の外側との隔たりを持ち、温もりをこもらせて、つた江の視野に入ってくる。温もりがつた江を捉え、包み込み、大事に抱え上げ、つた江を身体から引き離そうとする。上へ上へ上へ。雨の冷気との温度差の分だけつた江は天へと蒸発し続ける。
昇天。
天に近づく身体のないつた江が感じるのは、つた江の固まりの中一杯に、空の風が吹き抜ける気配だ。吹き抜けた風がつた江を溶かし始める。身体を地上に留めたまま、つた江は天の中に溶け出していく。風が吹く毎に。溶けて流れ出すのか。天と一体となる為に。
しかし、そこで昇天劇はいつも中断される。太陽と土と草いきれと汗の匂いを一杯体中に詰め込んで岬が学校から帰ってくるのを抱きしめた。その時の記憶が不意に浮かび、つた江の昇天を妨げるのだ。いつもそう。岬の匂いがつた江を切なくさせて全てが終わる。
白い靄のような温もりでD棟が浮き上がる。それを切なくさせた心のまま、見るともなく見ていたつた江の視界に、突然N子が飛び込んできたのだ。
N子はD棟の廊下を縦断していた。N子の来ている緑色のワンピースが白い靄の中に突出して、季節を先取りしすぎた赤い麦わら帽子が緑色の上の定点表示の様に、N子の縦断位置を示していた。誰なんだろう?N子の派手な服装は、黒一色の、D棟の人々とは趣を異にしていた。
モンゴルに?
経済省が米エネルギー省と共同で、使用済み核燃料の国際的な貯蔵・処分施設をモンゴルに建設する計画を極秘に進めていたという内容です。
中国、インドなど新興国に圧され気味の日本の輸出産業への転換として、日本政府が原発産業を中心に据えていたことは周知の事実です。
ところが、廃棄物処理をセットにして原発の売込みをかけるロシア、フランスに対して、処理場を持たない日米は不利な展開となっていたらしいのです。
この記事は、そういう状況の中、打開策として、日米が共同でモンゴルに国際的な核処分場を建設することを計画し、今年2月にはワシントンで3カ国の包括的な外交文書への署名が予定されていたことを示しています。幸い?日本外務省が官主導の計画のあり方に一時ストップをかけたことで、署名は実現しなかったと書かれています。
モンゴルはその見返りとして日米から原子力技術支援を受けることになっていたらしい。
1993年から、20年近くの年月と2兆円以上の建設費を使って、トラブルを繰り返し、試運転状態の、六ヶ所村の処理施設や、世界各国が建設を取りやめているのに動かし続け居ている「高速増殖炉もんじゅ」など、原子力技術は極めて不十分。
東京を中心とした日本の莫大な電力消費を支える為の原子力発電所。それを地域に建設する代わりに、政府から受けることになる助成金は、不況に喘ぐ、産業を持たない地方都市にとって必要不可欠な収入となるのです。危険はあっても、受け入れざるを得ないのでしょうね。
海とともに自然の恵みを大切に暮らしてきた地方都市の人々は、資本の流れの中で生き方を変えていく選択を余儀なくされていたのだと思います。
そして、それと同じ文脈が、「日米が核処分場を極秘計画」の記事には流れているのです。
グローバル化する世界経済の中、取り残されていくことを懸念するモンゴルが、原子力技術支援を受けることと引き換えに、危険を覚悟で核処理施設建設に同意する。
同じ日。テレビのニュースを見ていると、西成の「あいりん地区」の日雇い労働者の男性が、「女川地区での車の運転」という仕事に応募したところ、事故のあった原発での作業に付かされた。という出来事が報道されていました。
福島原発で臨界状態になるのを防ぐ為、放射能汚染と戦いながら作業してくれているのは,、自衛隊員や、東電社員とともに、派遣で働く日雇いの人たちなのです。
日立、東芝、三菱重工とともに、原子力産業を「国の経済の柱」においたのは、日本政府で、それによって莫大な利益を得ていたのはこれらの企業なのではないのかな?
事故の危険性を指摘する学者の研究や、懸念を表明していた市民の声を無視して、グローバル化する経済の中での要求を一番に置いて、エネルギー政策を進めてきたのは誰なんだろう?
しわ寄せを受けているのは、やはり資本主義の経済活動と遠くある地方都市で暮らす人々や、日雇い労働者なのですよね。
私は、原発反対運動をしてきた市民運動の活動家でもないし、世界同時革命を考える革命家でも、ないです。
政治的な発言をするには、無知だし、結果への責任も取れないし・・・なので、mixi の日記ですらそういうことを避けてしまうような、オバハンです。
でも、でも・・・やっぱり変です。
東電もだけど、日立、東芝、三菱重工だって・・・組織的に責任を取って欲しいです。
以下は、2007年に書かれた原発推進派の人のブログです。
誇らしく宣言されている日本の技術なのですが、皮肉にも、誰が原発を推し進めてきたのか、その責任のありどころが分かってしまうのでコピーしてしまいました。
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ところが周知のように日本というのは原子力アレルギーが強い国です。「原子力」というと、すぐマスコミが叩く。そんなことが続いておりましたが、それでも電力会社の人たちはコツコツと原子力発電の技術を磨いてきました。そうした人たちのおかげで、いまや日本の電力の三分の一は原子力になっています。しかも原子力は「プルサーマル」に移行しようとしている。これも心強い話です。
プルサーマルというのは和製英語で、通常使われるウラン燃料にプルトニウムを加えた混合燃料(MOX)を熱中性子炉(軽水炉)で燃焼させる技術を指します。プルトニウムとサーマルリアクター(熱中性子炉)を合成して、こういう名称ができました。そしてこのプルサーマルの技術では日本が断然優位に立っているのです。
アメリカはスリーマイルの原発事故(一九七九年)以降、新しい原発設備をつくっていません。ヨーロッパも、ソ連(当時)のチェルノブイリの原発事故(一九八六年)で震え上がってしまい、ドイツなどは二〇〇二年に「原子力エネルギー利用を廃止する」ことを決めた改正原子力法を施行しています。ところが先ほど述べたように、今年ロシアがヨーロッパ向けのガスのパイプラインを閉めるという資本主義国のレベルに達しないような暴挙に出たものだから、ドイツの国会も「原発廃止」を決めた法律の廃止に動き出しています。「他国に依存しない原発のよさを見直すべきだ」という意見が高まってきました。
しかし、アメリカはここ数十年間、新しい原発を作っていない。ドイツも原子力エネルギーの利用廃止を決めたくらいですから、技術は進んでいない。
そこでふと気がついたら、世界で最新式の原子力発電所をつくれる技術をもっている会社は三つしかない。全部、日本の会社です。すなわち、日立製作所、東芝、三菱重工業。あとは日本の三社と提携している会社だけ。
・日立+ゼネラル・エレクトリック(米)・・・・・・戦略的提携
・東芝+ウェスチングハウス(米)・・・・・・東芝が買収
・三菱重工+アレバ(仏)・・・・・・技術提携
この三つの連合だけです。言い換えれば、全部日本が押さえている。いまアメリカは原発を三十基ぐらいつくりたいといっておりますけれども、そうするにはどうしたって日本の手を借りなければならない。ドイツが「ふたたび原発を」といっても頼みにできるのは日本です。これからは日本の三社が中心になって世界中の原発をつくることになるはずです。