月夜の晩は
先日、7月の満月の夜のこと。
近くの絵本屋さんで、ライブがあった
「セロ弾きのゴーシェ」の朗読と、チェロの生演奏。
木でできた山小屋みたいなお店に淡いオレンジの照明をともし、長嶺知永子さんの朗読に耳を傾ける。
チェロの音色のその表現に悩む若者が、夜来訪する動物たちの魂との掛け合いの中、心に溢れる音を表現として掴んでいくという、有名なお話。
動物は必ずしも、かわいいものではなく、郭公などはガラス戸の身を打ち付けて血まみれになったりもする。
日本の芸能者が、とり憑かれる宿神のような感じなのだろうか?蹴鞠をしていると猿の精霊が降りてきて、一緒に鞠を蹴り、競者を勝利に導く・・・というような話を読んだことがある。
チェロの精霊??なのかもしれない。
芸術には、現実とは違う、もう一つ見える世界があるのかもしれない。
そんな物語を、チェロの生演奏で聴く。
ベートーベンの田園。バッハのチェロ曲。そしてシューマンのトロイメライ・・・
帰り道は、満月の光の中。
不良の友人と二人。
まっすぐ家路に着くわけもなく・・・
秋に予定している地元の「アラブ音楽のライブ」の打ち合わせと称して、会場となるブティックに立ち寄る。
お店はすでに閉まっていたが、オーナーは帰り支度の最中。その足を止めさせて、少し喋る・・・・
帰り道は、満月がもっと上空に・・・
不良の友人と二人。
それでもまだ、帰れない気がする。
住宅街に、一軒だけある「焼き鳥屋」で飲むことにする。
朱雀・・・ってお店。
いつものように、ウダウダ喋りつつ、ビール飲みつつ・・・更けていく夜に、隣の席にいたおじさん二人から声をかけられる。
お二人は、地元にある、ちょっと先進的な老人介護施設の、理事さんたちで・・・
市会議員でもある不良の友人も含め、話が盛り上がる。
地域に解放された福祉施設のあり方とか・・・朱雀って手作り感の強いそのお店の進路とか・・・焼き鳥屋さんの若い店主も一緒になって、話し込む
合間に、おじさんの吹くハーモニカに合わせて、懐メロ歌ったり・・・・
満月の夜はどんどん更けていく.。
夫にお迎え頼んで、家についたら、すでに日付は変わっていた。
満月。芸術。福祉。食。酔い・・・
ちょっとええ夜でした。
7月の夜
くちなしの花の香りがリビングに立ち込めて・・・
こんな夜は、テレビを消して、音楽でも・・・
ZAZ 「モンマルトルからのラブレター」
まだ、大丈夫。ため息がつけるやん~
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映画「阪急電車」
先週、近くのショッピングモールにある映画館で、「阪急電車」を観た。
原作は有川浩という人の同タイトルの小説らしいが、私はその作家ものことも知らず、もちろん小説は読んでいない。
大学時代のなじみの路線だった「阪急電車」が映画になっているのと、岡田恵和さんの脚本だという情報で、なんとなく映画館に足を運んだのだ。
映画は、阪急今津線の沿線で暮らす女性たちの物語。
こども、高校生、大学生、20代前半、30代、中年、そして老年期を迎えた・・・様々な女性達が、様々な「しんどい」思いを抱える日常に、必然的に利用する「電車」という箱の中で、なにげにすれ違っていく。
すれ違っていくのだが、ふとしたきっかけで、すれ違いが、すれ違わず、ぶつかっていくのだ。
その「きっかけ」の設定の仕方が、自然で違和感がない。
原作がそうなのか、岡田恵和マジックなのかは分からないのだけれど・・・・
隣り合わせに座る他人の人生の、ほんの一瞬に見える「せつなさ」に、寄り添い、抱きしめる・・・そんなことができたら、やはり美しいなぁ~と思わせる。
「泣きなさい。あなたは悪くないのだから泣いてもいいのよ」
という宮本信子さんの台詞に、この映画の主題があるのだろう。
泣いてもいいよ。
そう、映画が言ってくれている。
なので、気づくと涙があふれてきた。
泣いてもいいのだ。
私のこの日常の数知れぬ 「すれ違い」 や 「行き止まり」 や 「むなしさや」・・・そんなものを涙にして流しても、許されるのだ。
映画館の暗闇の中、私は私を抱きしめて、オイオイ涙を流していた。
「けれど、自分で涙を止めれる女になりなさい」
とは、また宮本信子さんの台詞。
映画館の暗闇から、日常に戻るその時には、涙はぬぐっていきなさい。
思うに、今を生きる女は「しんどい」のだ。
時代は女に「甘え」を許さない。
女としてではなく、「人間」として生きることを求めている。
同時に、時代は女を「人間」として認めるところまで成熟してはいない。
自分の足で、自分を抱きしめて、スカっと前を向いて生きる決意ができないことも「しんどい」し、でも、凛と前方を捉えて生きる女もまた、「しんどい」のだ。
だから、時々、泣いてもいいよ。
映画「阪急電車」は、究極 「女を泣かせる」 作品です。
しんどかったら、泣くために映画館の暗闇をご利用ください。って、そんな映画です。