中沢新一・・・
みそ萩や 水につければ 風の吹く
風に乗って帰ってくる人を迎える。
人ではなく風を迎え入れる。
母の初盆の供養は、7日に終わっている。
日程は、稼ぎ時の僧侶の勤務の都合と、2人の子供と4人の孫の仕事とレジャーの都合で決められた。
13日盆の入り。らしいけど・・・。
元々、葬式仏教と軽視される今の仏事には関心がないから、日程などどうでもいいのだけれど、なんだか、ええ加減。
母も、風になって、異界の様々な精霊と一つになってこの季節に舞い降りているのだろうか?
つむじ風に乗ってやってくる「マレビト」ともに、踊り明かす「一夜」。
それは、夏至と冬至の頃、一回りに巡る季節にたったふたつの夜、森からやってくる精霊との交わりの記憶なのだ。
一神教が誕生したことも、釈迦が涅槃を迎えたことも、この土地に生きる人たちが まだ知らなかった頃。
異界のもの・・・それは死んだ人の魂だったり、木や山や、海や、動物、全てに宿る精霊たちだったり・・・目に見えることなく存在するそれらのものと、現身のものたちは、同じ時間と空間を持って「ある」状態を作っていたらしい。
世界の原初の精霊信仰と同じように、この国の異界のものたちも、森や洞窟から、季節の一巡の返り点(冬至と夏至)に、風とともに現れて、その夜だけは現身のものといり混ぜになって踊りを踊ったようだ。つむじ風のように、ぐるぐる円を作って、その輪の中に現身のものも取り込んで一緒に踊る。
年に2度ほど、ごく稀に姿を現す「稀」の「人」・・・「マレビト」を祖霊、異界のもの と規定したのは折口信夫だっけ?
今なお残る盆踊りは、その名残かもしれない。
富山には「風の盆」なんて、まさにそのまんまやないかぁ!(ってこれは、突っ込み)
―宗教とは、「目に見えない」ものに心を合わせ、目に見えないものを感じることであり、美術とは感じるものを「目に見える形」として表そうとすることなのだから、宗教と美術はもともと相反するものとして存在する。―
という規定から始まった中沢新一さんの講演を、7月の東京で聴いた。
もともと相反するものでありながら、「宗教」と「美術」は同じところから生まれている。つまり、人類はその誕生と同時に「美術」を手にし「目に見えない力を信じた」
ボツナワの蛇祭祀跡(山奥の洞窟の中にある)が最近発見されたそうだが、旧石器時代に巨大な石のオブジェを用いて蛇祭祀を行った痕跡があるのだ。巨大な蛇に飲み込まれることによって若者が生まれ変わる・・・元服の儀式のようなものらしい。
洞穴・・・というのがパワーポイント(とは中沢さんは言わなかったけど)のようで、ラスコーの動物壁画(水牛などが沢山生まれて来ることを願うために描かれた壁画)など、とにかく洞穴に残された遺跡が多い。
異界からの通路としての洞穴という発想があったらしい。
それに「森」に精霊が宿ると考えられていたということもある。
これらは、古代においては、死人を洞穴や森に葬っていたことに因するらしい。
目に見えないもの(霊)と、目に見えるものの区別が明確にはなっていなかった時代は、夜になると洞穴や森から精霊がやってきて交差しながら暮らしているのだと考えられていたらしい。ラスコーの壁画についても描かれている水牛は、実際の水牛なのだけれど、その向こうに水牛の精霊を感じつつ描かれているのだ。
あちら側 と こちら側が混沌としていた頃に描かれていたはずの壁画やオブジェは、人類がその誕生とともに「美術」を手にしていたこと。目に見えない精霊の力を信じていたことを証明している。
やがて、都市が出現。昔の都市とは、外壁で周りを囲んでしまった中で人々が暮らす形をとっていたので、そこから、森は異界になってしまった。内と外が住み分けられ始める。
王が生まれ、王は自分の権力を絶対的なものにする必要があり、そこに、絶対的な存在。唯一の神が誕生する萌芽が生まれる。
周知のとおり、一神教においては、絶対的な存在である「神」を偶像化することは、固く禁じられた。
今でも、ユダヤ教や、後に生まれたイスラム教などでは、偶像崇拝を敵視しているのだ。何故なら、神は肉体を持たない宇宙的な存在なのだから・・・
唯一神を持ちながら、偶像崇拝を行っているのはキリスト教なのだが、それはイエスを「神の子」とし、神と子と聖霊との三位一体構図を構築することで、その矛盾をクリアしてしまうことによ」って可能になった。
「イコノクラスム」・・神の像を描くことを否定し、イコンを破壊しようとする動きと、それを過激派として弾圧した教会との闘いはちょっと有名かも?
そうして生まれたキリスト教美術、いわゆる宗教画が、今の西洋美術史に大きな痕跡を残しているのもおもしろい事実なのかも・・・です。
当然、日本の神々に、色も形もなかったのです。名前すらなく、万葉時代になってから体系づけられた名づけられた。
色も、形もないのだから、像も描かれていません。神は、石や木など、自然界のものに寄せられて存在している。
ところが、例外がある。アカマタ・クロマタ(新城島)は、年に1回、死者の国から出てくる姿形のある神様。(折口信夫はマレビトと呼んだ)
今も伝わる「なまはげ」など、死霊と結びつくものは、偶像化されていた。
仏教が日本に入ってきたとき、多分日本の人々は姿なき絶対的存在の「神」としてではなく、死霊と結びついた「マレビト」として「仏像」の存在を受け入れたと思われる。
美術と宗教が、人類の誕生と同時に生まれ、対立し、矛盾を抱えながら関連性を持っている、というのが面白い。
なんていうのが、その内容。
本当はもっと詳しく面白かったのですが、もう随分時がたち、メモを頼りにここまで思い出すのがやっとなのです。
今朝、新聞に、一茶の句
「みそ萩や 水につければ 風の吹く」
が掲載されていて、死霊が風となって吹き抜けるというイメージを感じ、中沢新一さんの講演を思い出したのです。
日記に書きます。と書いていたことも・・・
日本で、夏至と冬至の頃にやってくる「マレビト」伝説は、お盆の祭りと、冬の「なまはげ」のような形だったのだろうが、中国から入ってきた「暦」で、冬至の祭りはかき消され、変わりに「お正月様」に餅を供える的な儀式になってしまったようです。盆踊りや夏の祭りは血が騒ぐけど、お正月は退屈・・・
そのとき「クリスマス」が入ってきたのだが・・・
クリスマスは、元々、ローマに古くからあった精霊伝説に基づくもので、やはり冬至の頃森から精霊がやってくるらしく、その精霊は、こどもと、17、8の青年の身体に、その夜は宿ると考えられていた。なので、一夜。こどもたちにお菓子を与えて、精霊をもてなすという風習があったらしい。それをイエスの誕生日と重ねて(実際、イエスの誕生日は6月だった可能性が極めて高いそうなのだが・・・)キリスト教が取り込んでしまったというのが、「クリスマス」の真実だと中沢氏は言っていました。
異界のもの、精霊のお祭りであるクリスマスに、元々「マレビト」をもてなす風習をもっていた日本人が飛びついたのは、自然な流れだと・・・
異界のものと、一夜を過ごすエキゾティックな風習。
踊りの輪の中で、風となって舞い続ける「マレビト」の手をとるダイナミズム。
きゅうりの早馬で、祖霊を招き、なすの牛のゆるい歩みで祖霊を送る。
こちら側 と あちら側 のボーダーが一瞬消え去り、現身の私の体に風が吹き抜ける。
お布施の額まで指定する、寺の僧侶の手短な読経のことはさておき、DNAに流れ込んだ異界との交流の時間を、少し味わってみようかと思う8月13日の私です。
風に乗って帰ってくる人を迎える。
人ではなく風を迎え入れる。
母の初盆の供養は、7日に終わっている。
日程は、稼ぎ時の僧侶の勤務の都合と、2人の子供と4人の孫の仕事とレジャーの都合で決められた。
13日盆の入り。らしいけど・・・。
元々、葬式仏教と軽視される今の仏事には関心がないから、日程などどうでもいいのだけれど、なんだか、ええ加減。
母も、風になって、異界の様々な精霊と一つになってこの季節に舞い降りているのだろうか?
つむじ風に乗ってやってくる「マレビト」ともに、踊り明かす「一夜」。
それは、夏至と冬至の頃、一回りに巡る季節にたったふたつの夜、森からやってくる精霊との交わりの記憶なのだ。
一神教が誕生したことも、釈迦が涅槃を迎えたことも、この土地に生きる人たちが まだ知らなかった頃。
異界のもの・・・それは死んだ人の魂だったり、木や山や、海や、動物、全てに宿る精霊たちだったり・・・目に見えることなく存在するそれらのものと、現身のものたちは、同じ時間と空間を持って「ある」状態を作っていたらしい。
世界の原初の精霊信仰と同じように、この国の異界のものたちも、森や洞窟から、季節の一巡の返り点(冬至と夏至)に、風とともに現れて、その夜だけは現身のものといり混ぜになって踊りを踊ったようだ。つむじ風のように、ぐるぐる円を作って、その輪の中に現身のものも取り込んで一緒に踊る。
年に2度ほど、ごく稀に姿を現す「稀」の「人」・・・「マレビト」を祖霊、異界のもの と規定したのは折口信夫だっけ?
今なお残る盆踊りは、その名残かもしれない。
富山には「風の盆」なんて、まさにそのまんまやないかぁ!(ってこれは、突っ込み)
―宗教とは、「目に見えない」ものに心を合わせ、目に見えないものを感じることであり、美術とは感じるものを「目に見える形」として表そうとすることなのだから、宗教と美術はもともと相反するものとして存在する。―
という規定から始まった中沢新一さんの講演を、7月の東京で聴いた。
もともと相反するものでありながら、「宗教」と「美術」は同じところから生まれている。つまり、人類はその誕生と同時に「美術」を手にし「目に見えない力を信じた」
ボツナワの蛇祭祀跡(山奥の洞窟の中にある)が最近発見されたそうだが、旧石器時代に巨大な石のオブジェを用いて蛇祭祀を行った痕跡があるのだ。巨大な蛇に飲み込まれることによって若者が生まれ変わる・・・元服の儀式のようなものらしい。
洞穴・・・というのがパワーポイント(とは中沢さんは言わなかったけど)のようで、ラスコーの動物壁画(水牛などが沢山生まれて来ることを願うために描かれた壁画)など、とにかく洞穴に残された遺跡が多い。
異界からの通路としての洞穴という発想があったらしい。
それに「森」に精霊が宿ると考えられていたということもある。
これらは、古代においては、死人を洞穴や森に葬っていたことに因するらしい。
目に見えないもの(霊)と、目に見えるものの区別が明確にはなっていなかった時代は、夜になると洞穴や森から精霊がやってきて交差しながら暮らしているのだと考えられていたらしい。ラスコーの壁画についても描かれている水牛は、実際の水牛なのだけれど、その向こうに水牛の精霊を感じつつ描かれているのだ。
あちら側 と こちら側が混沌としていた頃に描かれていたはずの壁画やオブジェは、人類がその誕生とともに「美術」を手にしていたこと。目に見えない精霊の力を信じていたことを証明している。
やがて、都市が出現。昔の都市とは、外壁で周りを囲んでしまった中で人々が暮らす形をとっていたので、そこから、森は異界になってしまった。内と外が住み分けられ始める。
王が生まれ、王は自分の権力を絶対的なものにする必要があり、そこに、絶対的な存在。唯一の神が誕生する萌芽が生まれる。
周知のとおり、一神教においては、絶対的な存在である「神」を偶像化することは、固く禁じられた。
今でも、ユダヤ教や、後に生まれたイスラム教などでは、偶像崇拝を敵視しているのだ。何故なら、神は肉体を持たない宇宙的な存在なのだから・・・
唯一神を持ちながら、偶像崇拝を行っているのはキリスト教なのだが、それはイエスを「神の子」とし、神と子と聖霊との三位一体構図を構築することで、その矛盾をクリアしてしまうことによ」って可能になった。
「イコノクラスム」・・神の像を描くことを否定し、イコンを破壊しようとする動きと、それを過激派として弾圧した教会との闘いはちょっと有名かも?
そうして生まれたキリスト教美術、いわゆる宗教画が、今の西洋美術史に大きな痕跡を残しているのもおもしろい事実なのかも・・・です。
当然、日本の神々に、色も形もなかったのです。名前すらなく、万葉時代になってから体系づけられた名づけられた。
色も、形もないのだから、像も描かれていません。神は、石や木など、自然界のものに寄せられて存在している。
ところが、例外がある。アカマタ・クロマタ(新城島)は、年に1回、死者の国から出てくる姿形のある神様。(折口信夫はマレビトと呼んだ)
今も伝わる「なまはげ」など、死霊と結びつくものは、偶像化されていた。
仏教が日本に入ってきたとき、多分日本の人々は姿なき絶対的存在の「神」としてではなく、死霊と結びついた「マレビト」として「仏像」の存在を受け入れたと思われる。
美術と宗教が、人類の誕生と同時に生まれ、対立し、矛盾を抱えながら関連性を持っている、というのが面白い。
なんていうのが、その内容。
本当はもっと詳しく面白かったのですが、もう随分時がたち、メモを頼りにここまで思い出すのがやっとなのです。
今朝、新聞に、一茶の句
「みそ萩や 水につければ 風の吹く」
が掲載されていて、死霊が風となって吹き抜けるというイメージを感じ、中沢新一さんの講演を思い出したのです。
日記に書きます。と書いていたことも・・・
日本で、夏至と冬至の頃にやってくる「マレビト」伝説は、お盆の祭りと、冬の「なまはげ」のような形だったのだろうが、中国から入ってきた「暦」で、冬至の祭りはかき消され、変わりに「お正月様」に餅を供える的な儀式になってしまったようです。盆踊りや夏の祭りは血が騒ぐけど、お正月は退屈・・・
そのとき「クリスマス」が入ってきたのだが・・・
クリスマスは、元々、ローマに古くからあった精霊伝説に基づくもので、やはり冬至の頃森から精霊がやってくるらしく、その精霊は、こどもと、17、8の青年の身体に、その夜は宿ると考えられていた。なので、一夜。こどもたちにお菓子を与えて、精霊をもてなすという風習があったらしい。それをイエスの誕生日と重ねて(実際、イエスの誕生日は6月だった可能性が極めて高いそうなのだが・・・)キリスト教が取り込んでしまったというのが、「クリスマス」の真実だと中沢氏は言っていました。
異界のもの、精霊のお祭りであるクリスマスに、元々「マレビト」をもてなす風習をもっていた日本人が飛びついたのは、自然な流れだと・・・
異界のものと、一夜を過ごすエキゾティックな風習。
踊りの輪の中で、風となって舞い続ける「マレビト」の手をとるダイナミズム。
きゅうりの早馬で、祖霊を招き、なすの牛のゆるい歩みで祖霊を送る。
こちら側 と あちら側 のボーダーが一瞬消え去り、現身の私の体に風が吹き抜ける。
お布施の額まで指定する、寺の僧侶の手短な読経のことはさておき、DNAに流れ込んだ異界との交流の時間を、少し味わってみようかと思う8月13日の私です。
真夏の正午の夢(宮崎進氏の絵画へ)
死んでいた。いつの間にか。
荒川修作のオブジェのような、棺にビロードの緑色の布が敷かれた上に、茶色の布で出来たいくつもの異形の物体となって転がっているのが、多分私なのだと気づいていたから、しばらく私の形を見ておこうと思っていた。
汗だくになって家を掃除した後、お風呂洗いのついでにシャワーを浴びて・・・そのあとベッドに横になったら眠ってしまったようだ。
眠っていることはカラダのどこかの部分で気づいていたので、「これは夢だ」と文節を作って考えていた気もする。
異形の茶色い物体は、それぞれがてんでに存在していて、それが一つの「私というカラダ」を作っていたことなどなかったかのように、無関係に転がっていて、そのことがどうしても納得できない私は、なんとかそれらを結び付けようと「気」を送り続けている。
送り続けているのは「気」なのか?
そんな大仰なものではない。
てんでに「ある」のではない、間の関係を
ツカミタイ
という「ことば」を送っていた
やがて、それらが少しずつ立ち位置(転がり位置)を移動し始め、ひとつひとつの間に空間と統合が生まれ始める。それは間の関係に「ことば」が生まれたということかもしれないのだけれど・・・
いつか異形の物体は、「ドンゴロス」で作られた「顔」に姿をなし始める。
「ドンゴロス」の「顔」は、間違いなく、日曜美術館で取り上げられていた「宮崎進」さんの絵画なのである。
広島の隊にいた彼は、満州に出兵することで原爆を体験することから逃れ、終戦後ラーゲリの収容所送りとなるが、奇跡的に帰還することができ、それらの体験をもとに絵を描き続けている。パーキンソン病に冒されたカラダと老いを抱えつつも、制作を続ける宮崎さんの姿は、日曜の朝からずっと私のカラダを支配している。
原爆からも収容所生活からも「生きて」帰ってきた自分を責め続ける中で向かい合う「絵」。
収容所で、ドンゴロスをカンバスに、異国で命を落としていく兵士の顔を描き続けたという。
ドンゴロスの顔は、確かに「私」なのだけれど、眼光鋭く、寂しげで・・・恨みがましく、ここにいる私を睨んでいるのだ。
目が覚めると、開け放たれた窓から蝉の声がせわしく、汗だらけの私は額に皴を寄せてベッドに転がっていた。
振り返りの8月。
基地問題すら日々のニュースに上らなくなってしまったこの国で、私の異形の物体は、ドンゴロスの顔に近づくことができるんだろうか?
「生きて還って来てしまった」私を、見つめ続けることは可能なのだろうか?
荒川修作のオブジェのような、棺にビロードの緑色の布が敷かれた上に、茶色の布で出来たいくつもの異形の物体となって転がっているのが、多分私なのだと気づいていたから、しばらく私の形を見ておこうと思っていた。
汗だくになって家を掃除した後、お風呂洗いのついでにシャワーを浴びて・・・そのあとベッドに横になったら眠ってしまったようだ。
眠っていることはカラダのどこかの部分で気づいていたので、「これは夢だ」と文節を作って考えていた気もする。
異形の茶色い物体は、それぞれがてんでに存在していて、それが一つの「私というカラダ」を作っていたことなどなかったかのように、無関係に転がっていて、そのことがどうしても納得できない私は、なんとかそれらを結び付けようと「気」を送り続けている。
送り続けているのは「気」なのか?
そんな大仰なものではない。
てんでに「ある」のではない、間の関係を
ツカミタイ
という「ことば」を送っていた
やがて、それらが少しずつ立ち位置(転がり位置)を移動し始め、ひとつひとつの間に空間と統合が生まれ始める。それは間の関係に「ことば」が生まれたということかもしれないのだけれど・・・
いつか異形の物体は、「ドンゴロス」で作られた「顔」に姿をなし始める。
「ドンゴロス」の「顔」は、間違いなく、日曜美術館で取り上げられていた「宮崎進」さんの絵画なのである。
広島の隊にいた彼は、満州に出兵することで原爆を体験することから逃れ、終戦後ラーゲリの収容所送りとなるが、奇跡的に帰還することができ、それらの体験をもとに絵を描き続けている。パーキンソン病に冒されたカラダと老いを抱えつつも、制作を続ける宮崎さんの姿は、日曜の朝からずっと私のカラダを支配している。
原爆からも収容所生活からも「生きて」帰ってきた自分を責め続ける中で向かい合う「絵」。
収容所で、ドンゴロスをカンバスに、異国で命を落としていく兵士の顔を描き続けたという。
ドンゴロスの顔は、確かに「私」なのだけれど、眼光鋭く、寂しげで・・・恨みがましく、ここにいる私を睨んでいるのだ。
目が覚めると、開け放たれた窓から蝉の声がせわしく、汗だらけの私は額に皴を寄せてベッドに転がっていた。
振り返りの8月。
基地問題すら日々のニュースに上らなくなってしまったこの国で、私の異形の物体は、ドンゴロスの顔に近づくことができるんだろうか?
「生きて還って来てしまった」私を、見つめ続けることは可能なのだろうか?
雷鳴の「マラルメ プロジェクト」
空がなんだか怪しく曇り始め、ベランダの夏の草花が吹く風に激しく揺らされる夕方。
窓の内。クーラーに冷やされた部屋から、渡り来る黒雲を見ている。なう、、、(笑)
先週の土曜日、京都造形美術大学での「マラルメプロジェクト」というイベントを思い出している。
いつもの通り浅田彰さんがコーディネート。
古来、声に出して劇として公衆の前で語られるものであった「詩」というものが、詩人や読者の密室に閉じ込められた「近代特有の現象」。
としてマラルメの難解な詩を、劇場への彼の夢を根拠に朗読・音響・映像で、立体的に結び付けてしまうパフォーマンス。
とか、いうもの・・・
マラルメの難解な詩は、とても退屈で、私はちょっと苦手だったのですが・・・
ブランショのマラルメ論も、当時のフランス文学の知識もあまりない私にはとても難解で、読破すらできなかった記憶があるのですが・・・
浅田彰、松浦寿輝、渡邊守章、阪本龍一、高谷史郎・・・って出演者をネットで見つけ、ミーハー根性でチケット購入したのです。(あくまで試験的な試みなので完成度は期待できないらしく・・・チケットは1500円って、安い!)
1部は、松浦寿輝さんの「吃水都市」の中の詩の朗読。
松浦さん本人の朗読はとても味があり、桜の中の都市の孤独・・・も幻想かもしれない・・・という思いすら幻想かもしれない・・・的な雰囲気が、散文詩という形態の中、ぐいぐい聴くもののカラダに入り込んできて・・・ええやん!って感じでした。
で、その後、「ぐいぐい行きます」と浅田彰さんと、渡邊さんが松浦さんの詩を朗読されたのですが、正直、読むの下手すぎて・・・言葉が全然入ってこない・・・ごめんなさい
やっぱり「詩の朗読」は朗読の技術が大事なんだ!と思い知った時間でした。我らが愛する京都の詩人chori君の、声美しさと空間の割合の妙を思い出したりしていました。
で、2部に入って・・・
阪本龍一さんの音響(シンセサイザー)で、高谷史郎さんの映像をバックに、渡邊さんがマラルメの詩を原語で朗読。
1部で日本語訳で朗読されたとき、微妙に噛んだりあやふやだったり・・・なのに、原語になると人が変わったように噛むこともなく(第2外国語で、フランス語に触れたことがある程度の語学力のわが夫が、噛んでない!と言い切っていたので、そうなのかと・・・)
高谷さんの映像。砂のように流動的な点描で、花なのか魔物なのかの形が作られては流れて消えて、消える瞬間にそれらが「言語」として「文節」としての波形に変わり、波形はすぐ砂嵐に飲み込まれて無へと移行する。
にかぶさるように
渡邊さんの朗読するフランス語の声の、その音の美しさ。(意味は私には分からないので・・・)
に呼び出されるように
静かに坂本さんのシンセサイザーのメロディが生まれていく。
試験的に・・・だそうですが、2部はかなりの完成度で、密室にある現代詩が、外に出ることもありかもしれない・・・ってちょっと興奮。
で、その夜の予定に合わせて急いで会場を出て、京都造形美術大学の大階段を下りようとしたその時。いきなり閃光が下からカラダを包み込み、同時に爆音が階段を揺らした。
雷!
こんなに近くに雷を感じたことは、初体験。
あっという間にゲリラ豪雨に襲われた京都の街を、日傘を頼りに車を止めてあったコインパーキングまで走り抜ける。
なんか、詩の試みも、豪雨も・・・今までに体験したことのないものばかり・・・この年になっても、まだまだ未体験のことがあるんやろなぁ~
とか思いつつ、パンツまで雨でびしょびしょになったカラダが車のクーラーで冷えてしまわないように、後部座席に積んでいたバスタオルにくるまれて帰路につく。
窓の内。クーラーに冷やされた部屋から、渡り来る黒雲を見ている。なう、、、(笑)
先週の土曜日、京都造形美術大学での「マラルメプロジェクト」というイベントを思い出している。
いつもの通り浅田彰さんがコーディネート。
古来、声に出して劇として公衆の前で語られるものであった「詩」というものが、詩人や読者の密室に閉じ込められた「近代特有の現象」。
としてマラルメの難解な詩を、劇場への彼の夢を根拠に朗読・音響・映像で、立体的に結び付けてしまうパフォーマンス。
とか、いうもの・・・
マラルメの難解な詩は、とても退屈で、私はちょっと苦手だったのですが・・・
ブランショのマラルメ論も、当時のフランス文学の知識もあまりない私にはとても難解で、読破すらできなかった記憶があるのですが・・・
浅田彰、松浦寿輝、渡邊守章、阪本龍一、高谷史郎・・・って出演者をネットで見つけ、ミーハー根性でチケット購入したのです。(あくまで試験的な試みなので完成度は期待できないらしく・・・チケットは1500円って、安い!)
1部は、松浦寿輝さんの「吃水都市」の中の詩の朗読。
松浦さん本人の朗読はとても味があり、桜の中の都市の孤独・・・も幻想かもしれない・・・という思いすら幻想かもしれない・・・的な雰囲気が、散文詩という形態の中、ぐいぐい聴くもののカラダに入り込んできて・・・ええやん!って感じでした。
で、その後、「ぐいぐい行きます」と浅田彰さんと、渡邊さんが松浦さんの詩を朗読されたのですが、正直、読むの下手すぎて・・・言葉が全然入ってこない・・・ごめんなさい
やっぱり「詩の朗読」は朗読の技術が大事なんだ!と思い知った時間でした。我らが愛する京都の詩人chori君の、声美しさと空間の割合の妙を思い出したりしていました。
で、2部に入って・・・
阪本龍一さんの音響(シンセサイザー)で、高谷史郎さんの映像をバックに、渡邊さんがマラルメの詩を原語で朗読。
1部で日本語訳で朗読されたとき、微妙に噛んだりあやふやだったり・・・なのに、原語になると人が変わったように噛むこともなく(第2外国語で、フランス語に触れたことがある程度の語学力のわが夫が、噛んでない!と言い切っていたので、そうなのかと・・・)
高谷さんの映像。砂のように流動的な点描で、花なのか魔物なのかの形が作られては流れて消えて、消える瞬間にそれらが「言語」として「文節」としての波形に変わり、波形はすぐ砂嵐に飲み込まれて無へと移行する。
にかぶさるように
渡邊さんの朗読するフランス語の声の、その音の美しさ。(意味は私には分からないので・・・)
に呼び出されるように
静かに坂本さんのシンセサイザーのメロディが生まれていく。
試験的に・・・だそうですが、2部はかなりの完成度で、密室にある現代詩が、外に出ることもありかもしれない・・・ってちょっと興奮。
で、その夜の予定に合わせて急いで会場を出て、京都造形美術大学の大階段を下りようとしたその時。いきなり閃光が下からカラダを包み込み、同時に爆音が階段を揺らした。
雷!
こんなに近くに雷を感じたことは、初体験。
あっという間にゲリラ豪雨に襲われた京都の街を、日傘を頼りに車を止めてあったコインパーキングまで走り抜ける。
なんか、詩の試みも、豪雨も・・・今までに体験したことのないものばかり・・・この年になっても、まだまだ未体験のことがあるんやろなぁ~
とか思いつつ、パンツまで雨でびしょびしょになったカラダが車のクーラーで冷えてしまわないように、後部座席に積んでいたバスタオルにくるまれて帰路につく。