備忘録(byエル) -17ページ目

舞踏稽古場日記12 ついに処女公演

舞踏公演

余白の月...



作:L夫人
演出:田中誠司




日時:  2016年6月26日(日)

       17:30開場、18:00開演





場所:  田中誠司舞踏スタジオ http://web1.kcn.jp/seijitanaka/workshop.html
住所 : 奈良県奈良市右京3丁目19-2 高の原田中整体院 2F

※近鉄京都線 高の原駅より、徒歩約5分。


料金:  無料

(終演後、ささやかなパーティーを行います。ご参加くださる方は別途1000円を頂戴します)




「わたし…なんか…」


稽古場で何度この言葉に閉ざされたか?

「わたしなんか、齢とってるし」「わたしなんか、指歪んでるし」「わたしなんか、まっすぐ視線保たれへんし」


キャンバスに塗り込められた極彩色の「わたしなんか」が私を閉ざし、

私のダンスは生まれる前に沈められる。

もしキャンバスの余白に浮かぶ月になることができたら、

出逢うあなたを映して、私は輝けるのかもしれない。


余白の月の光る時を…

ダンスが生まれる瞬間を…


観続け、見届け、身に受けていただければと、

この夜の公演のご案内をさせていただきます。



プロフィール
L夫人
1953年大阪市生野区に生まれる。
金蘭女子短期大学国文科卒後、大阪文学学校「小説の部」に2年間在籍する。
28年前、奈良の「高の原」に転居。「なまえで呼び合う女たちの会」結成。芝居(シナリオ演出)を行う傍ら、イベントを展開。その後「高の原で遊ぼうプロジェクト」を結成。ライブハウスで活動するアーティストによるジャズやアラブ音楽などのライブを開催する。また地元のアーティストを紹介するサイトを開く。
2012年9月。インタビューをきっかけに田中誠司の舞踏に触れ、心を掴まれたまま、4年近く稽古に通い詰めている。
肢体障害がある自己の身体を、避けるように生きてきた人生の、その最後に舞踏する時間を得て、身体だけが抱え続けてきた「まっすぐな風景」の出現を捉え始めている。




ご予約/お問い合わせ
電話番号 : 080-5473-4690

        090-9990-5661(由上) 
メール : seijitanaka1977@gmail.com
※お席に限りがございますので、観覧ご希望の方は、お早めにご予約をお願いします。


Madam L Butoh Solo Performance "The moon can not shine by herself"
produced by Seiji Tanaka

26th June 2016, 17:30 open 18:00 start
Fee: Free (After Party 1000yen)

Place:Seiji Tanaka Dance Studio http://web1.kcn.jp/seijitanaka/workshop.html
※The nearest station is Takanohara station of Kintetsu Kyoto line.5 min on foot from the station.
Address : 3-19-2,Ukyo,Nara-shi,Nara,631-0805, Japan

Information: 080-5473-4690 Mail : seijitanaka1977@gmail.com ※Reservations are required.


久しぶりの舞踏稽古場日記11

それとは知らず寄せ植えしたジャスミンが、雨に濡れて香り立つ朝。

久しぶりの稽古場日記を書こうとパソコンに向かっている。



実は、3月末、某出版社に何とか書き上げた小説を送った。その小説(と言えるものではないのだが・・・)で、主人公が『舞踏』に出逢う場面を書いてみたのだ。


ところが、何ともご都合主義的な『舞踏』の登場で、読んでくれた師匠から酷評されたのだ。

起承転結の『転』の為に、必然性もなく『舞踏』を入れ込み、しかも、読者への媚びからどこかで聞いたことのある舞踏の歴史を説明的に羅列していた。



師匠からの酷評を浴びながら、書いた小説の未熟さについてではなく、『舞踏』への思いが整理されていないことに、落ち込んでいる自分に、私は戸惑っていた。



いつの間にか、『舞踏』は私にとって、ものすごく大切なものになっている。




舞踏することはその場で「生きる」ことだ。と言われる。



命の形・・・。

見てくれる人と、踊る自分の、その「間」から立ち上がる、命の形の事を『舞踏』と言うのかもしれない。最近そんなことに気付いている。



私という日常性を一度静かに鎮めた時、「間」から確かに立ち上がる身体がある。その身体を感じて、それを信じて、零すことなく、「間」で他者と繋がり続ける。それが命の形なのかもしれない。







3月以降も稽古場では、佐賀県から、東京から、大阪から、京都から、もちろん奈良から参加してくる色んな人たちによって、沢山のドラマが繰り広げられている。

そのドラマをやはり書き留めておきたい。

ジャスミンの甘い香りに誘われて、そうして私はパソコンに向かうことにする。







「身体を開いて、感じて、零さず貯めていく。」



というのが最近、踊りのテーマになる事が多い。




身体を開く・・・空間に対して身体を閉じないで開く。

これは、ある時は、「身体を鏡にして空間を映す」と言葉を置かれる。




そして、ある時には「周りに起こる全ての音。隣の人の足音・・・空調の音・・・外を歩く人の話し声・・・遠くを走るバイクの音・・・そして、もっと遠くへと・・・耳ではなく身体で音を感じる。」とも言われ、



「歩くごとに変わっていく光を感じて」と言われ、




「前で見てくれている他者と繋がり続ける」とも言われる。



稽古場に立つ、その身体を取り巻くすべてを、身体で受け止める、受容したものを大切に零さぬように、身体を動かす時、瞬間ごとに変容していく空間を、また体に浸透させる。





そうして、どんどん受け止めたものを身体に感じて、貯めて・・・その時、「踊りが生まれる」



初めて稽古に来た人に、師匠田中誠司は、

「踊りの生まれる瞬間を感じて帰ってください。」

と言葉を掛ける。

そして、稽古の後、階段を下りていく後ろ姿に、

「今日の事は、全て忘れてください。」

と言うのだ。




一期一会・・・。

踊りは、その夜の、その空間でしか生まれない。

別の夜には別のメンバーが、光が、音が、風が存在し、踊りもまた変容する。

それを感じることを、仲間の一人が「身体に染み入る」と表現した。「岩に染み入る蝉の声」だ。





本当に時々ではあるが、私でも「身体に空間が染み入る」瞬間を持続させ踊れる夜がある。



その時は、恐らく私の身体は、「私」を一度捨てて、その場に在るだけの静かな身体だけの存在になる事が出来ているのだろう。自意識の様なものを消し去り、静かに自己と対面する。


そして、そんな身体で、踊りを見てくれている人たちと、繋がることが出来ているのだろう。



そんな夜にだけ、覚醒された意識の中から、深い揺らぎが起こってきて、身体が透明になるような感覚を持つことが出来る。



多分その時、私の身体は、私が生きてきたすべての時間の記憶を、反対に映し出しているのだろう。



嘘のない、身体に残された様々な記憶が、私の身体から立ち上がって、それで、初めて、見てくれる人と深く繋がれているのだろう。




私は、その瞬間の為に稽古場に通っているのだ。



「開き、感じ、零さず、貯める」・・・その次にある瞬間に出逢うために


























































庸平くん。わたし私に気づくことができました。

「僕の整体を受けて感想聞かせてください。」



庸平くんからメールを貰って、出向いたのは先週土曜日の事。

サクラはらはら散る道を歩いて、ゆったりした気持ちで待ち合わせの、稽古場に出かける。





庸平くん。田中庸平1981年生まれ。私の娘と同い年の青年だ。


東京在住。田中誠司舞踏スタジオに時々顔を出す彼の事を語ると、どれほど沢山の言葉が必要だろう。ミュージシャン。「食と呼吸」コーディネーター。ヴィパッサナー瞑想(呼吸を通して身体を観察し続ける?)の達人?(今年30日間瞑想を達成)。舞台音響。舞踏。様々なアーティィストのコラボなどをコーディネートしている。etc・・・。


ああ、やっぱり言葉では足りないようなので、経歴を考えるのはやめよう。


因みに、彼の整体の案内は↓ 田中庸平 整体+クラニオセイクラルワーク

https://twishort.com/mHskc





彼の身体からは、不思議な平穏さが溢れる。


偶然観光客で混乱する近鉄奈良駅の構内で彼と遭遇したことがある。雑多な言語が飛び交うカオス的な駅の中で、遠くからそこだけ異質に静けさを感じる空間を見つけ、ふと目をやると、そこに大きなリュックを背負った彼が立っていたのだ。まるで修行僧のように、しかも飄々と。





小さいころからピアノをやっていたという彼は、大学受験を途中で放棄。音楽の道に進む。

バンドを組んで活動する日々の、音楽の一回性というか、即興性に魅かれはじめる。



―全ての芸術は音楽の状態に憧れる―



なんていう古典的命題の意味を、20代にして直感した彼は、一回性の音楽を生み出すものが、『身体』に他ならないことに気付いていく。



そこから、彼の『身体』に対する飽くなき追求が始まる。

身体とは何か?呼吸とは何か?食べるとはどういう事か?

そして、インプットしたものを、色んな形でアウトプットしていく。

もちろん。基本は音楽なのだが・・・。



アウトプットの一つとして、彼は不思議な「整体術」を編み出したのだという。



それを、経験して感想を聞かせてほしい。まえがきが長くなったが、そうして私は彼の整体を受けることになった。

「舞踏の様な整体」とも彼は言葉にした。




不思議な時間だった。


別に身体のどこかの筋肉を伸ばすとか、揺さぶられるとか・・・そんなことは何もない。

ただ、身体のツボのような場所に、彼の指が静かに触れる。

時間は止まってしまったかのように、指の感触だけが身体に温かい。



ゆっくり腕が回されていくのだが、それは舞踏を踊る時の、身体の「ねじり」とよく似ている。日常にはない、集中した身体が自然に作り出す動きだ。それを彼は再現している。


興味深い時間だった。

深く集中して身体の全てを知覚して踊る。その時にだけ体験できる「身体の揺れ」が彼の手によって再現されるのだから。

「舞踏の様な整体」というのはこういう事なんだ。

ある集中した時間にだけ起こる微妙にねじられた身体の再現?

そんな感触を味わった。




その後は、身体を横たえて、彼が顔や頭の様々な神経を刺激してくれるという、施術。

これはとても気持ちいい。


「眠る人もいます」


という事だったのだが、私、せわしなく意識が飛び交う大阪のオバハンは、このリラックスタイムにも、あらゆる思考を巡らせてしまう。日常のあれこれとか(例えば今夜のおかずとか・・)、書き上げて、散々だった小説のあれこれとか・・・。



そうか、こんなに静かな時間にも、あれこれ慌ただしい!これこそ、私なんだと、再認識する。リラックスするのが不得手な「おっちょこちょい」が私なんだ。私の描く小説のバラバラ感も、こんなところから来ているんだろう。




庸平くん。わたしは私に気付くことが出来ました!






なんて、施術の後に感想を述べた。

せっかくのリラックスタイム。貴重な時間を無駄にした私のこんな言葉を、彼は優しい微笑みで、静かに受け止めてくれた。

それもまた、良い時間でしたね。というように・・・。




こうして、サクラはらはら散る朝に、彼と過ごした時間は、不思議なゾーンに私を入り込ませてくれたのでした。