舞踏稽古場日記 そうして舞台の幕は開いた
稽古場に通い始めて4年、田中誠司の舞踏と、スタジオで夜な夜な繰り返される稽古の深さに魅せられ続けいている。
魅せられ続けて4年。まさに泣いたり泣いたり(笑ったりではない!)・・しながらの稽古の時間は、これまでの長―い人生で、ついぞ味わったことのない高次元の世界に誘われ続ける時間の連続だった。
DNAに組み込まれた古い記憶を呼び覚ます温かさ。
消し去ったはずの過去の風景と、身体の中のある部分が出逢う痛み。
世界に包まれていることを、素直に体が受け止める柔らかさ。
そんなものが幾重にも自分を取り巻き、瞬時に次元を移動することが、身体を稽古場の重力に委ねながら、静かに…確実に…そして目まぐるしく…途絶えることなく起こり続ける。
「踊る」とは、身体を高次元な世界の空気に委ねきること。なんて感じる時間の連続だったのだ。
私には絶対無理!と思い続けてきた公演を、夏が訪れる前。63歳の梅雨の季節に何とか実現することができたのだ。
6月に舞踏の処女公演をすることができた。
そのことを、『日本列島がこの冬最大の寒波に見舞われています。』この午後、やっとブログにアップしようとしている(笑)
公演をする!
そう決めた日から、師匠田中誠司との様々な激論が繰り返された。
何を踊るのか?
「女は原罪を血の匂いで感じるねん。」
なんていう未熟な63歳の文学少女の言葉を、師匠が木っ端みじんに打ち砕く。
「そんな言葉胸に刺されへんわ!今聞いてる僕にわからんようなもんで、観てくれた人に伝わるわけないやん。」
「死ぬとき何を感じるかを思ってみてん。そしたら、自分が生んで育てた子に対する愛おしさと一緒くらい、申し訳なさがあふれてくる。あの時怒ってごめん。あの時あなたを置き去りにしてごめん。とか…。
もしかしたら、子のない女は臨終の場に不在のままの子のことを思うのかもしれん。生まなくてごめん。とか…。
何らかの理由で子を失くした女は、子の代わりに長生きしてしまった自分の生に詫びるのかもしれんし。…とか。
堕胎した経験のある女ならなおのこと、殺した罪に震えるかもしれん。とか…。
『何かを殺して生きるしかない人間の現原罪』
なんて抽象的な概念とは違って、女の感じる原罪には血の匂いがするって思うねん。」
と私。
「それで?それ踊れるん?
それって、『いかにも』やけど結局なんかから逃げてるんちゃうん?
もっと切実なあなただけの問題があるはずや。」
と師匠。
何度目かの稽古の夜、私の選んだ衣装が、亡き母の娘時代の着物だったことに、師匠が気付く。
それは偶然箪笥から見つけ出した着物で、舞台に映えるかもしれないと軽い気持ちで選んだ赤い紗の着物だ。
それを師匠が掘り下げる。
「初めて踊る舞台にその衣装を選んだのは何か意味があるねんきっと。自分では気づいてない無意識の選択。なんやよ。きっと。」
そうかもしれないと私も思う。
母が死んだのは5年前だ。
どんな母だったのか?と聞かれて話し出すうちに、さまざまな言葉が生まれては消えていく
抽象的なカッコつけた言葉が、ことごとく師匠に破られていく。
どれほどの言葉が私の口から生まれては消えていっただろう。空っぽになった私のカラダは、小説に書こうとして書き切れなかったある言葉に、突き当たった。
「ショウガイを持って生まれてきて、私は辛かったよ。」と母に言ってみたかった。
「ショウガイを持って生活する娘の悲しみを受け止めて、おかあちゃんも辛かったね。」と母を抱きしめたかった。
そして、踊りのテーマ「つらかったよ。つらかったね。」が生まれたのだ。
公演の4日前に癌の告知を受けるという、ありえない状況の中、迎えた公演当日。
リハもそこそこ横になる私。舞台の設営のために何時間もトンカチを打ち続ける師匠と仲間。東京の舞踏家から送られてきた励ましの花束。赤ちゃんを母親に預けて白塗りを手伝ってくれる仲間。受付をするため大阪から早めに会場入りしてくれる仲間。
そうして、舞台の幕が開いた。
舞踏稽古場日記めっちゃ贅沢な稽古!2-2
腹が切り開かれていく
胃切除の手術のように?
いや皮膚ばかりではない
カラダという概念がすでに切り開かれていく
腹の中からはどろどろのコールタールがとろけて流れ出始めているのです
気づけば
地を這う虫けら
草むらの湿度に怯える
草むらの広さの前では 「ない」の嵩にすぎない
羽と触覚
湿度はそれを枯れ草なんかと一緒に咀嚼し続けるから
どろどろになって土に溶け始めてもうすでに羽でも触覚でもない
・・・どろどろになってしまうのです
草むらの湿度から逃れようと
身をくねらせて
皮膚はすでに赤子のよう
せつなく柔らかい
赤子の声で産声
私は見たのだろうか
産道の向こうに広がる色がごちゃ混ぜになったどろどろの世界を
どろどろの方へ泳いで来ようと決めたのだろうか?だが
・・・どろどろへと糞尿にまみれて生まれたのです
で、そうこうしている間にも
少女の色香が身を包みこみ
処女の生臭い匂い
血の匂いの中で
少女は透明にほほえんで
ほほえむほどに
ほほえんでみるほどに
透明はどろどろを内包し
どろどろを抱えたまま生きていくのです
どろどろを
どろどろへと
どろどろに
後生大事に抱えているのですが
舞を踏むその人が
腹から流れ出たどろどろ共を
思いもよらず
かき集め
口に含み
飲み込むと
はーっと
息を吐き
思いもよらず
それらは
天空へと
地の底へと
地平線のかなたへと
舞を踏む人が
それらを
浄化していっていたのです
コールタールは
透明な氷菓子のような月を映し
漆黒の夜空へ流れていこうとするのです
その夜、田中誠司のカラダに起こったことは、私の無意識に入り込み、私はすでに踊っている誠司さんと私の魂の境を感じることができなくなっていた。
踊り手が見ているものは、確実に受け手に伝わる。
でもそれは何か具体的なものをイメージとして踊り手が伝え、それを受け手がそのまま受け取る。というのとは明らかに違う。
誠司さんが、空間の中でカラダが捉えているもの、無限に広がる空間のエネルギーをカラダでしっかり受け取って無意識の層に響かせ、それを体現している。
そして、体現されたそのものを、私の無意識が捉え、響き、私の腹の中にある景色を生み出させる。
世界の中で、その夜の田中誠司の言葉を超えたその踊りを、見届けたのは、私一人。
ただ私だけが、その夜そこにいた。
わぁ!めっちゃ贅沢やん!
舞踏稽古場日記 めっちゃ贅沢な稽古!2-1
初稽古の夜
月がきれい。漆黒の空に浮かぶ氷菓子のように濡れて輝いている。
地元のこどもたちが「赤道」と呼ぶ遊歩道を、ゆっくり歩いて稽古場へ。
掃除機をかけて雑巾がけ。他の人が来る前に・・・と急いで準備をするが、8時を過ぎても誰も来ない。
ええ?まさか初稽古は師匠とマンツーマンか?
緊張が身体を走る。
師匠とマンツーマンというのは4年半の稽古の中で4度くらいは経験している。
後から考えると、それはいろんな発見があるとても貴重な稽古なのだが、それでもやはり緊張は半端ないのだ。
大丈夫。今夜は氷菓子のような月に見守られて歩いてきたのだ。身体は澄んでいる。
その夜の稽古は
「360度に開かれた景色をカラダで見る!」
というもの。
「即興を踊るというのではなく、カラダで見る感覚を掴んでみて」
という師匠の言葉を受けて踊り始める。
ひとりなので時間はたっぷりある。
カラダのあらゆる部位で、360度の景色を見続ける。私は思う存分、360度を意識しながら空間にカラダを放っていった。なんだか濃厚なまったりした空気の中で、カラダが温かく喜んでいるのが分かる。
「踊ってみてどうやった?」
と師匠に聞かれ、
「濃厚な空気の中で、カラダを細かく意識することができました。」
と私は答える。
でも師匠は
「そう感じているのは大切だし、それが始まりだけれど、観ているものにはカラダが360度を見ているとは伝わってこなかった」
と指摘される。
そういえば、私は自分のカラダの周辺にある空間の中で閉じてまったり過ごしていたと気づく。見てくれている誠司さんのことすら頭から消えていた。360度意識できてなかったということだ。反省。
そのあと、
「360度見続けながら起き上がるというのをやってみましょう」
と、誠司さんが踊り始める。
この夜の誠司さんの踊りを、なんと伝えればいいのだろう?
すごかった!と・・・
(2-2へ続く)