特養落ちた!にっぽん死ね!
雨上がりの午後。日差しに誘われてフラフラと買い物に出かける。
化粧もせず、フラフラと・・・。
前から楽しそうに笑いあう母娘連れ。娘は高校生くらいかな。革細工のイアリングが風に揺れているおしゃれな子だ。
ふと、母親に目をやる。
うん?この人見たことある。
面長な顔立ちに大きな眼鏡。大人になったアラレちゃんみたい。
そう、会社に通っていたずっと以前、毎朝バス停で出遭う人の顔に同じ感想を持っていた。
ああ、あの母娘なんだ。
最初、ふたりに出遭った朝には子どもはまだ母に背負われていて、母の手には自分のショルダーバッグ以外にもうひとつ大きな大きなカバンが。
ああ保育園用の着替えが入っているんだな。重そう。満員のバスの中で遠慮がちにカバンを抱える姿が見ていて辛かった。
それから何年かすると子どもは手を引かれて歩き始める。
母はいつも少しイライラしているようで、なかなか歩こうとしない娘を叱咤する。
「早く寝ないから朝起きられないんやろ。もう、あのバスに乗らないと会社遅刻するやん。はよ歩いて!」
余裕のある時は二人で手遊び歌を唄いながらバスに乗るのだが、バスの中ではまた
「静かにしなさい!他の人に迷惑やろ!」と叱ることになる。
母の苛立ちは他人事とは思えなかった。私自身若い頃、仕事をしながらの子育てはいつも時間に追われていたからだ。
夫が保育園に迎えに行ったと思っていたら、夜中気づくと娘が家にいない。ああ!私がお迎えの番だったぁ~!なんて夢にうなされて飛び起きることも一度や二度ではなかった。
「保育園落ちた!にっぽん死ね!」
なのだが、保育園に入れた後も、母の苦労は続いていく。
子どもを育てながら、社会の中で一人の人間として生きていく道を、この国は女に与えてはくれないのだ。
楽しそうに語らう二人の姿に、日差しが戻った冬の午後出遭うことができて、なんだか心まで温かい。
子育てが終わって、ほっとする時間だよね。
でも、その時間も長くは続かない。
今度は親が年老いてくる。子育て中には何かと面倒見てくれた親たちはすでに年老いて一人で暮らすことすら覚束なくなってくるのだ。
見渡せば、保育園の数より老人施設の数のほうが多い気がする。
それでも、お金がなければなかなか施設は利用しにくい。
入居時の費用、数千万。月々2、30万円。なんて所もざらにある。
そんなにお金がいらない施設は、満員で百人待ちなんていうのが現状だ。
面倒をみる側の私たち世代は、すでに核家族で育っている。
学校を出て企業で働く人が多く、親とは遠く離れて生活の基盤を持っている。
昔と違い、たった一人で老親を支えることなる人も多い。しかも長生きする親たちを支えている私たちにも老いは忍び寄ってきているのだ。
「特養落ちた!にっぽん死ね!」
って、つぶやこか?
と友人にラインしたら、
「特養に空きが出る時は誰かが死んだ時なんだから、シャレにならん」
と返信が来た。
舞踏稽古場日記 星空とムビラと…
膝を突き合わせるように、4人が円になって座る。
4人とは
2月に公演を控えた舞踏家・・・師匠田中誠司
ミュージシャンでプロジューサーで料理家で舞踏も踊るし整体もする・・・摩訶不思なヨウヘイ君
40年遅れて、舞踏に出逢い、40年遅れて何かを書こうと!と覚悟を決めている…63歳の私
そして、ムビラ(遥かの地ジンバブエの楽器でオルゴールのもとになったとも言われている)奏者・・・ユウコさん
基礎に立ち返って、空間を捉えて歩き止まり回り倒れ、死に、そして起き上がり歩いて止まる。という稽古を終えた夜11時前のことである。
稽古は充実していた。
ヨウヘイ君は、人間以前の存在のように舞台に立ち、得体のしれないものに怯え、そして再生してきたし、
初めて稽古に参加したユウコさんは、「途中から、カラダが欲する速度がつかめて、その速度で踊りました」という言葉通り、初めてなのに、「ソコニアル」カラダでいることが少し掴めかけていた。
私はどうやら、空間と闘わず、やわらかく空間に包まれる存在でいれたようだ。
師匠は、公演前の緊張の中、腹を括ったようで、変な力の入らない軽やかで深い動きが美しかった。
そう、良い稽古だったのだ。
そんな夜、帰える間際、誠司さんが
「ムビラ、持ってきてるの?聴かせてほしいな」
と言い出して、
小さな円の中、ユウコさんの演奏が始まったのだ。
私はムビラを聴くのは初めてなので、ほかの人の演奏とは比較でききないのだが、ユウコさんの奏でるムビラの音は、本当に優しい音だった。
その夜稽古場まで歩いてきた遊歩道には星が輝いていた。と言っても街灯が明るいので満天から降る星のごとく・・とはいかない。それでもカシオペア座くらいは認識できる。
桜や桑やねむの木が、葉を落とした後の、か細い枝を星空に向けて伸ばしている。
伸ばされた枝の向こうの、曇りのない闇に星が光っている。
ユウコさんのムビラは、彼女のカラダの鼓動が、直接音とリズムを作り出すような温かい音色だ。
それはまるで。裸の枝が追い求めている凍る空の星のように、私の胸に静かに落ちてくるかのようだ。音のひとつひとつが、星屑のように胸の中に落ちていく。
目を閉じて音だけを聴いているのだが、自然と、ヨウヘイ君の静けさを感じる。誠司さんが温かいものに包まれて安心を掴んでいるのが分かる。
ユウコさんの奏でる音の星屑を受けて、三人の魂が円の中ひとつになって踊っているのが分かる。
幸せな、温かい、ある冬の夜の稽古終わりのひと時のはなし。
処女公演「余白の月」
初めて舞台に立った夜の経験を、どんな言葉で表せばいいのだろう。
舞台は、その場に立ち会ってくださった沢山の人たちの愛に包まれていた。
稽古場でもある20畳の和室には、定員30名を超えて様々な人たちが客席に付いている。
古くからの友人、地域で何年も色んな活動をしてきた仲間たち、家族、そして舞踏を通して心通わせてきた人たち・・・。
その場はすでに、63歳で処女公演を迎える『L夫人』への応援と愛で溢れていたのだ。
2階の舞台まで、一歩一歩裸足で階段を踏みしめて登っていく。この時から足の震えが止まらない。まっすぐ立てずに手すりに身を預ける。舞台を横切り歩いていく。母の着物とともに・・・だが震えでカラダが揺らぎ続ける。
わぁ!私、緊張してる!どないしょう???
私が自分の心の声をしっかり聞いたのは、おそらくそれが最後だ。
そのあと、舞台で何が起こったのか?確かな記憶が残っていない。
ただ、何かわからない温かい息遣いに押されるように、緊張で硬くなりつつもカラダが動き続けていた。というのが正直なところだ。
稽古の中であれほど、「空間とカラダ」の関係について確かめ続けていたというのに。初舞台の緊張の中で、それらは身体の感覚から離れてしまって、それでも、観客の温かい魂に包まれて踊り続けていた。というのが本当のところだ。
癌の宣告を受けて4日目の公演。
印鑑細胞癌という進行性のそれは、所見では早期であるが、最悪の場合進行していることも考えられる。という不気味さを抱えての公演だ。
もしかしたら「死」が迫っているのかもしれない。とどこかで覚悟をしつつの公演だ。
最期の時を踊る・・そんな気持ちが何度か沸き上がってくる。というのが偽りのないところだ。
踊りのテーマや、「空間との関係」、大切なものを取りこぼし続けての踊りではあったけれど、とにもかくにも、最後まであきらめずに舞台で踊り続けることができた。
「未熟な踊りを、それでも凝視するように見続け、そして、私の身体のもつ様々な記憶を受け止めて、涙してくださった人たちの愛を私は忘れることができません。
もちろん、踊りは未熟で緊張しまくりで、後悔しきりですが、皆さんのおかげで、我が人生最高の夜!になりました。
そしてやはり、この夜のすべては、誠司さんによって贈られた宝物だと感じています。厳しいご指導。身を粉にしての援助。いっぱいの師匠の愛を受けたと思っています。
あの夜の時間の流れた温かいものに包まれて、この雨の降り続く夜、私は大げさではなく、生きることを素晴らしいことだ!と感じることができています。
生まれてきて良かったと。
あの公演を見てくださった方。見たいといってくださった方。
本当にありがとうございました。」
Facebookに記していたこの言葉こそ、私にとっての宝となった。そんな公演が終わったのは去年の6月。夏を前にした雨の季節のはなし。