八王子夢美術館で「土門拳の古寺巡礼」展を観た!
八王子夢美術館で「土門拳の古寺巡礼」展を観てきました。土門拳記念館の設計は谷口吉生、中庭の彫刻はイサム・ノグチ、 銘板・年譜は亀倉雄策、造園設計・オブジェは勅使河原宏と、そうそうたるメンバーが参加して建てられました。世界で初めての個人の写真展示館として、昭和58年(1983)10月に開館しました。
酒田の「土門拳記念館」へ行ったのは、2008年3月のことでした。僕は、小雪が舞う中、ホテルからタクシーで記念館まで行きました。記念館を見ている時には小雪も止んで、池の周りも散策できたのですが、帰るのにバス停でバスを待っていたら、大粒の雹が降ってきて、見る見るるうちに駐車場一面に霙が積もってきました。バスが来る頃にはなんとか雹も止んだのですが、一時はどうなることかと、冷や汗ものでした。土門拳記念館のいい思い出です。
土門拳は、「きらいなものはいくら金を積まれても撮らない。そのかわりいったん気に入ったとなると、その仏像の、その建築の顔を見るために何回も何回も通いつめることになってしまう」と記しています。土門が好きなものとして取り上げるのが、建築では三仏寺投入堂、薬師寺三重塔、室生寺五重塔、高山寺石水院。仏像では、木像は神護寺薬師如来、混合物は薬師寺東院堂聖観音、石仏は臼杵の摩崖仏群。いずれもが非常に個性的」というのがその理由です。
土門拳記念館では、「古寺巡礼」「風貌」を見た記憶があります。「こどもたち」はそ「の時は見なかったと思いますが、後日、吉祥寺美術館や、日本橋美術館で観ることになります。「三仏寺投入堂」は、僕は8月末に、念願叶って観に行ってきました。土門の写真と自分の撮った写真を比べたりもしました。土門は投入堂へは昭和37年、40年、41年と、何度か行っているようです。ただでさえ投入堂下まで1時間弱かかるところを、最後は雪の中を右半身不随の土門は、3時間かけて登ったという。「投入堂」まで登ったようで、「蔵王権現立像」の写真も展示してありました。
「室生寺」は、僕は4、5年前に、友人たちと連れ立って行くことができました。「古寺巡礼」の最後に土門が選んだのが室生寺でした。彼を駆り立てたのは、終戦の翌年に当時の室生寺管主から聞いた言葉「白皚々たる雪の室生寺が第一等」だったという。車椅子を使えない石段を助手に負ぶさって上り、撮影を敢行、ついに念願の雪の室生寺を撮り、「女人高野室生寺」(1978年)を完成させたという。土門は「雪の五重塔」が撮れた時、次のように書いています。室生の定縮から葛城山麓の病院に移り、1ヶ月も待機してようやく巡り会った雪の室生寺。これで室生寺を卒業した、と。
チラシの画像は、「室生寺弥勒堂 釈迦如来座像右半面相」です。「明るく秀で、りりしい風貌は何か水際だったするどさを感じさせる」。土門が受けた「実に利口な面相」という印象が、観る者にそのまま伝わる仏像写真の傑作です。会場で「土門拳の撮影した主な寺院、史跡等」という、地図にプロットした資料をいただきましたが、北は中尊寺、南は臼杵磨崖仏まで、やはり京都、奈良、大阪が圧倒的に多いのですが、95カ所の寺院、史跡が載っています。僕が行ってないところがほとんどで、今後の寺院巡りの参考にしたいと思っています。
「土門拳の古寺巡礼」
ドキュメント、人物、古美術、建築、風景、そのいずれも忘れがたい作品を残し、日本の写真史に巨歩を記した土門拳。そのなかでもライフワークとなった「古寺巡礼」は、1939年の暮れに室生寺を訪れたことから始まりました。奈良県の山間にひっそりと建つこの美しい寺は、平安時代初期の木彫仏(弘仁仏)の宝庫であり、土門はそのたたずまいにひと目で魅了されます。以後、北は東北から南は九州まで、仏像撮影の行脚を続けることになりました。鋭い眼差しで被写体を凝視し、自らが惹かれたものだけを撮り続けた。その独自の視点は、仏像の手や足、口元など細部にクローズアップした写真で象徴的に表されています。二度の脳出血により車いすでの撮影を余儀なくされても、強い信念で写真を撮り続けた不屈の写真家・土門拳。日本を愛し、日本人を愛した土門拳が撮影した永遠の名作「古寺巡礼」から、大型作品を含む約170点で、その魅力に迫ります。
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