府中市美術館で「世紀末、美のかたち」展を観た!
府中市美術館で「世紀末、美のかたち」展を観てきました。行ったのは9月23日、春分の日でした。チラシには、「ルドン、ゴーギャン、ドニなどの絵画と、ガレ、ドーム兄弟、ラリックなどの工芸作品、それぞれ約40点によって、世紀末という混沌こんとんとした時代が生んだ造形の魅力をお楽しみいただきます」とあります。出品された作品の所蔵を見ると、「北澤美術館」が最も多く、「神奈川県立近代美術館」や「町田市立国際版画美術館」、「川崎市民ミュージアム」の名が見られます。他に、「東京国立近代美術館」や「埼玉県立近代美術館」もあります。
「北澤美術館」は、長野県諏訪市の諏訪湖畔にある美術館で、ルネ・ラリックやエミール・ガレ、ドーム兄弟などガラス工芸品を数多く所蔵していることで、よく知られた美術館です。「サンリツ服部美術館」のすぐ隣になります。去年の8月に「サンリツ服部美術館」を訪れたのですが、時間に関係で「北澤美術館」には立ち寄りませんでした。
アルフォンス・ミュシャは5点ほど出されていましたが、今回、ポール・ゴーギャン、オディロン・ルドン、そしてモーリス・ドニの作品が数多く出ていたのには驚きました。ルドンといわれると、やはり世紀末の印象が強い画家の印象を強く持ちました。ドニの作品は石版がほとんどでしたが、損保ジャパン東郷青児美術館で開催されていた「モーリス・ドニ展」を観たばかりだったので、ドニの別の側面を観たようで、感慨深いものがありました。
ガレやラリック、ドーム兄弟のガラス工芸品は、バラではよく観るのですが、こうして纏まって観るのは、意外にもこれが始めてかもしれません。そうそう、思い出しました。つい最近では今年の7月に東京都庭園美術館で観た「皇帝の愛したガラス」展がありました。その前の敏の4月には目黒区美術館で「エミール・ガレの生きた時代」展を観ました。前者はエルミタージュ美術館所蔵のもの、後者は黒壁美術館所蔵のものが展示された主要な作品でした。
展覧会の構成は、以下の通りです。
自然とかたち
文字を刻む
異形の美
光と闇
「ルドン、ゴーギャン、ドニなどの絵画と、ガレ、ドーム兄弟、ラリックなどの工芸作品、それぞれ約40点によって」とある通り、時代的には合っているのでしょうが、やはり絵画作品とガラス工芸作品が同列に並ぶと、観る方は整理が付かなくて、少し混乱します。「アール・ヌーヴォー」という括りでも、あるいは「世紀末」という括りでも、同列に並ぶと、やや違和感を感じます。府中では、今回それを「新しいかたち」という括りでまとめようとしたのが、今回の「世紀末、美のかたち」というわけです。
「ルドン、ゴーギャン、ドニは象徴主義の作家として扱われるのが一般的である」と、音ゆみ子は図録の中で解説しています。ミュシャも象徴主義との関わりから説明されるという。ガレやラリックの作品も象徴主義と結びつけてとらえられるという。象徴主義は多義的に理解され、その定義は同時代から既に様々な議論がありました。それまでは退廃、悪趣味といった名の下で省みられなかった世紀末芸術が、20世紀以降の芸術の原点として見直され、象徴主義も再び脚光を浴びました。そして絵画と工芸それぞれの象徴主義を「ひとつの象徴主義」の下に眺めてみたいと、音ゆみ子はいう。
自然とかたち
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異形の美
光と闇
「世紀末、美のかたち」展
作品の「かたち」に注目しながら、世紀末の絵画や工芸作品をご覧いただく展覧会です。ルドン、ゴーギャン、ドニなどの絵画と、ガレ、ドーム兄弟、ラリックなどの工芸作品、それぞれ約40点によって、世紀末という混沌こんとんとした時代が生んだ造形の魅力をお楽しみいただきます。「世紀末」という言葉の響きには、どこか退廃的たいはいてきな香りが漂っています。しかし、19世紀末のヨーロッパはまた、活気にあふれた時代でもありました。終末思想にも煽あおられた言いしれない不安と、楽天的な華やかさとが混ざりあい、独特の雰囲気ふんいきに満ちていたのです。そんな時代、美術の世界では、新しいものを切り開こうとする動きが、次々と生まれました。「目に映るままに描く」という西洋絵画の常識に、真っ向から挑戦したルドンやゴーギャン。あるいは、「工芸」という枠をのりこえて、絵画や彫刻にも比肩するガラス器を生みだそうとしたガレ。ポスターという新しい広告に鑑賞する楽しみまでも与えようとしたミュシャ。この時代の絵画や工芸を、あらためて見渡してみると、作品の外見がとてもよく似ているという素朴な事実に気づかされます。たとえば、ゴーギャンやミュシャの大胆にデフォルメされた有機的な色面や曲線、あるいは、ルドンやガレが光や闇を単なる自然現象としてではなく、神秘的なものとしてとらえようとした表現。それらは、同時代でなければ生まれえない「何か」を、共有しているのです。立場も、表現手法も、背負った伝統も異なる作家たちが、未知なるものを目指した結果として、造形性で結ばれたひとつの世界が生みだされたということは、たいへん興味深いことです。それは、作家の理念や価値観をもこえた「時代のかたち」と言うべきものではないでしょうか。
企画・構成:音ゆみ子(府中市美術館)
金子信久(府中市美術館)
図録
編集:府中市美術館・東京新聞
発行日:2011年9月17日
発行:府中市美術館
東京新聞
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