三太・ケンチク・日記 -8ページ目

「ピアノマン」、正体はドイツの農家の長男 英紙報道


英国の海岸で保護され、約4カ月にわたって沈黙を守り続けた謎の「ピアノマン」の身元が24日までに確認された。ドイツ南部バイエルン州の人口約50人の村の農家の長男アンドレアス・グラッスルさん(20)で、24日付の英各紙が一斉に報じた。高校時代はフランス語と生物学が得意だった。インターネットが趣味で、友人は少なかったという。 アンドレアスさんは精神障害者の施設で働いた後、家族に「パリに勉強に行く」と電話で告げていた。数カ月後、月1回程度の携帯電話での連絡が途絶え、父親のヨーゼフさん(46)が警察に捜索願を出していた。英国の病院に収容された息子が世界中に報じられていたことは知らなかったという。


アンドレアスさんが精神障害者のふりをし、英国の病院の医師らを欺いたとして、多額の入院費の返還を求められる可能性も報じられた。自殺を図ったとされる息子と対面したヨーゼフさんは英インディペンデント紙に「(英国での)体験を語る精神状態にない。息子をメディアから守らなければならない」と語った。ロンドン・シティー大学のロイ・グレンスレード教授(メディア論)は「ピアノマンの物語が世界の人々の関心を呼んだのは、弱った状態にある人でも特異な才能を発揮できる人間のように見えたことに魅了されたからではないか」と分析している。
アサヒコム:2005年08月24日

ピエール マントゥー、美脚3題!

いいですね、美しいですね、素晴らしいですね!たかが女性の脚なんですが、どうしてどうして、もう、これはアートですよ、芸術ですよ、感動しました!いやいや、もちろん、僕の専門外、そんなにフェチではないんですが、やっぱり、いいものはいい、それは世の常人の常、です!



パリ、ミラノの多数のメゾンのコレクションを毎シーズン手がける、イタリアの最高級レッグウェアブランドPierre Mantoux(ピエール マントゥー)」2005-2006年秋冬コレクションが8月上旬より随時展開を開始しました。今季のテーマは全部で4つ



女性らしさを追及したエレガントでロマンティックな『ロイヤリティー』、ロシアンスタイルを彷彿とさせる『ドクトルジバコ』、颯爽と履きこなしたいスポーティーでアクティブなオーバーニーやハイソックスが揃う『トラッパー』、マニッシュなブリティッシュテイストの『シェブリエ』とそれぞれのテイストがはっきりとした4ライン



グレーカーキパープル系ピンクボルドーといった秋冬らしい落ち着いたテーマカラーで洗練された大人の足元を演出します。秋冬は「Pierre Mantoux」のコレクションで脚を鮮やかに彩って
問合せ03-5467-1110(ピエール マントゥー ブティック 青山店)。

ピエール マントゥーHPはここ

「東京国際フォーラム」の「移動販売車」?


東京国際フォーラム」へ行ってきました。というか、ただ中庭を通っただけですが。ちょうど昼食時、特徴ある軽自動車が広場に乗り入れて、お昼のお弁当?を売っていました。丸の内界隈のOLさんが競って買ってました。


ここは丹下健三が設計した「旧東京都庁舎」があったところです。新宿西口の淀橋浄水場跡地の新宿副都心へ「新東京都庁舎」が引っ越して、代わりに「東京国際フォーラム」になりました。国際都市東京の新しい顔を創造していくという観点から、国際設計コンペで選ばれたラファエル・ヴィニオリの設計です。新都庁舎も指名コンペでしたが、なぜか丹下健三の案が選ばれました。




両国駅前にある「江戸東京博物館」と、旧木場にある「東京都現代美術館」と、この「東京国際フォーラム」は、東京都の三大「バカケンチク」とも呼ばれています。規模が大きくて、金食い虫だからです。いずれも元を正せば、都庁が新宿に移ったことへの代替措置なんですね。つまり下町に色目を使った政治的な取引の産物で、決して住民のためになっているとは思えない建築ばかりです。


東京国際フォーラム」は、地上11階・地下3階、高さ約60m、延床面積約145,000㎡という巨大な建物です。特徴的なのは、大きな二つの建物ブロックの間に有楽町駅側から東京駅側へ通り抜けられる広場があることです。半年前にも通りかかったんですが、その時は凄い人数のおばさん連中が広場を埋め尽くしていました。さてなんだろうと思ったら、「氷川きよしコンサート」が終わったあとだったんですね。同じハッピを着て、ウチワを持ってはしゃいでいました。




この広場に改造された「移動販売車」が4台止まっていて、商売をしていました。たぶん、「東京国際フォーラム」公認の弁当屋?さんなんでしょう。いずれも、特徴ある形態でも競っていますので、ここに掲載しておきます。メニューや値段までは詳細にチェックしませんでしたが。


規模は小さいですが、近所のスーパーの敷地内に出ている「移動販売車」、協調して商売をしているところを、最近はよく見かけます。先日行った公園内でのイベントで「メロンパン屋」さんが、もの凄い売れ行きでした。もちろん、公道で営業している「クレープ屋」さんとか、「お弁当屋」さんなどは、今までもたくさんありましたが。特徴ある「移動販売車」、軽自動車のワゴンを改造する費用もけっこうかかるでしょうが、一説によると、軽自動車本体が100万円、改造費が250万円、燃料代、材料費、人件費、他に税金や保険がかかります。1日どれぐらい売れれば元が取れるのか?まったく商売的な観念のない僕には想像もつきませんが・・・いずれにせよ、しっかりと家賃を払ったお洒落なお店は美味しいでしょうが、その分高いのは当然です。しかし、たとえ都心部といえども、そんなお店だけでは、一般のサラリーマンやOLさんの要望には応えられないんでしょうね。

久々に「ピアノマン」関連記事、2題!


「沈黙のピアニスト」芝居だった?英紙報道
英大衆紙・デーリー・ミラー(電子版)は22日、同国南東部の海岸で4月に ずぶぬれのタキシード姿で発見され、「沈黙のピアニスト」として話題を呼んだ男性が、実はドイツ出身ピアノも満足に弾けないと入院先の病院医師らに語っていた、と報じた。同紙は、男性が芝居をして医師らをかついでいたと伝えている。同紙が病院関係者の話として報じたところでは、19日に看護師が「今日は話してくれますか」と声をかけると、それまで一言も発しなかった男性が「話しましょう」と答えたという。


医師らに自分は同性愛者でパリで働いていたが失業し、英仏を結ぶ特急ユーロスターで英国に渡ったと語った。プロ級と伝えられていたピアノの腕前も、実際は同じ鍵盤を繰り返したたく程度だと告白した。男性はかつて精神障害者とともに仕事をしたことがあり、医師らをだまそうとして障害者のまねをしたらしい。男性は20日に帰国したという。男性がなぜ語り出したのかについて、同紙は明らかにしていない。また、男性の名前と年齢にも触れていない。
アサヒコム:2005年08月22日



「ピアノマン」が沈黙破る…同性愛者のドイツ人
英大衆紙デイリー・ミラー(電子版)は22日、英南東部ケント州の海岸で4月初めに保護され、「謎のピアノマン」と言われた身元不明の男性がドイツ人で、一言もしゃべらなかったのは医師らをかつぐための芝居だったと報じた。男性は20日、ドイツに飛行機で帰国したという。同紙によると、男性は19日、病院職員がいつも通り「きょうは話をしてくれる?」と語りかけると、「はい。そうしましょう」と初めて口を開き、自らの正体について告白した。それによると、男性は同性愛者で、パリで失業し、4月に高速列車に乗って英国入りし、自殺を図ろうとしていた。

男性については、当初、「身元を尋ねられると、無言でピアノの絵を描き、見事なピアノ演奏を披露した」とされていたが、実際には、ピアノは同じキーをたたき続けるだけで、ほとんど演奏できなかった。ピアノの絵は「最初に思いついただけ」と話した。男性は以前、精神医療関係の仕事に就いていたことがあり、2人の専門医や看護婦らはまったくだまされてしまっていたという。英医療当局は、4か月余りの診断費入院費などの返還を求め、男性を訴えることを検討している。男性について各国メディアが大きく報じたため、世界中から身元に関する情報が1000件以上寄せられたが、これまで身元は特定されなかった。
読売新聞:8月22日


*関連記事:

「ピアノマン」続報!

「ピアノマン」を書けと言われても・・・

ヒトラーが描いたスケッチ


ヒトラーが描いたスケッチ4枚と、署名入りのクリスマスカード2が19日夜、当地で競売にかけられ、落札された。落札総額は不明。すべて同じ人物が落札したという。競売人が20日、明らかにした。あるメディアは目撃者の証言として、落札総額は3万2400カナダドル(約300万円)だったと報道したが、競売人は確認を拒否。出品者および落札者の国籍についても明かさなかった。カナダ・ユダヤ人会議はこの競売について不快感を表明するとともに、ヒトラーの手によるスケッチやカードが、アンディ・ウォーホールなどほかのアーティストたちの作品と一緒に競売にかけられた事実について遺憾だと述べた。
モントリオール 20日 ロイター


上の2つは学校、左下はオペラハウス、右下は学校のモニュメント

これらは、1999年7月に、イランの地下室で発見されたものだと言われています。


ヒットラーは、1907年、18歳の時に、ウィーンの造形美術大学の試験を受けます。1次試験は合格したものの、2次試験のデッサンで落第しました。ヒトラーの自尊心は大きく傷つけられました。教授に作品を見せ不合格の理由をたずねると、「風景や建築物には才能が見られる。君には建築家のほうが向いている」と助言を受けます。その画風は写実的ではあったものの独創性には乏しかったとされ、画題として人物よりは建築物や風景などを好んだ、と評されています。


建築を計画するときは、この程度のスケッチはトレーシングペーパーに何枚も描くのが普通です。なぜか、ある巨匠が使っていた黄色いロール状のトレペがいいとされています。何枚も描いているうちに、イメージが少しづつ固まってくる、というわけです。もちろん、最初からイメージというか、アイデアが先行している場合もありますが。日付を書いておくと、いつアイデアが出てきて、決まっていったのかが分かります。


本末転倒ですが、巨匠というか、スターは雑誌発表用スケッチを描き直す人もいるようです。スケッチといってますが、人によってはエスキースという人もいます。建築の分野ではあまりデッサンという人はいません。肘から下の手の裏側が鉛筆で真っ黒になったものです。とはいえ、時代はコンピューターの時代です。いきなりCADで描き始める新しい世代の建築家も出てきました。

「リトミックを体験しよう!」に参加しました!

昨年は、愛子さまがリトミックをされているというのがテレビで放映され、「リトミック」が、小さいお子さまを持つお母様方の間で知れ渡り、入会者が全国的に増えました。最近では、音楽に合わせて、自分の「意志」で身体を動かすことで右脳を刺激し、活性化させることが出きる、ということで老化防止にも役立つとテレビで紹介されることも多くなりました。そこで流行に乗り遅れないよう、リトミックを体験する会を行います。講師はリトミックの教室をやっているミオコさん(バーバラ)その仲間の皆さんにお願いします。広い会場を借りてますので、お知り合いの方もお誘いの上、是非ご参加ください。


ケンタロウ先生、ルミコ先生、バーバラ先生

リトミックを体験しよう!」ということで、このようなメールが来たので、トレーナーとTシャツとタオルとそして着替えと、準備万端整えて背中に背負い、「中目黒GTプラザホール」まで行ってきましたよ。いやいや参加の理由は老化防止だけではないんですけど。少し早く着いたので、中目黒駅前のコーヒー屋さんでアイスコーヒーを一杯、なにしろ暑い日でしたから。再開発ビルを通り抜けて、まずはエスカレーターで地下広場へ。下りたところがGTプラザホール、何かの用事で図書館に調べものをするので来たことがありました。会場は図書館のお隣です。会場を覗いてみると、幹事役のハセピーさん講師の先生方3人が打ち合わせをしていました。


これが半分のグループです

若い友人のバーバラは、いろいろな会合でよく出会い、もうずいぶん長くおつき合いをしていますが、そうかミオコさんって言うんだと、初めて名前を知りました。まあ、それはともかく、あとの2人の講師の先生は、専攻はダンスですが、今回は身体をほぐすストレッチを担当するルミコ先生と、コントラバス奏者で、今回は楽器を使う以前に音で遊んでみる部分を担当するケンタロウ先生です。そういえば案内のメールには「何か音の出るものを持ってくるように」という指示がありました。言うまでもなく、カッコいいお二人です。いやいや、バーバラもカッコいいですけど。


そうこうするうちに6時半の集合時刻、続々と参加者が集まってきました。老若男女、と言っても、30代の若い人がほとんどですけど、20人ぐらいでしょうか。あれあれ、どうも僕が一番年上のようですよ。


コントラバスの即興演奏

リトミックとは、スイスの作曲家、音楽教育家であるエミール・ジャック・ダルクローズ(1865-1950)が考えた音楽教育法です。「リトミック」は、よりよいリズムという意味を持つギリシャ語のユーリズミクス(eurhythmy)という言葉に由来しています。と、バーバラが作ってくれた資料に書いてありますが、面白いのはリトミックの目的の項です。①注意力と集中力の改善。②身体の動きの熟達。③音楽と感情の関係性を見出すこと。そして④自分の要求と他者のそれとのバランスをとりながら、他者とのコミュニケーションを円滑にすること。とあります。集まったメンバーは「自己中」が多く、「注意力」と「集中力」に欠ける連中ばかり、これには全員大笑いしました。


今回の「リトミックを体験しよう!」は、もちろん大人用にプログラムを作って頂いたものです。2人組になって触れ合いながらストレッチを行ったり、これは、普段は使っていない筋肉を延ばすのですが、なかなか上手くできません。やはり2人組で合図によって即時反応入れ替えなどを行うこと、テニスボールを使ってリズムに合わせること、等々、これらすべてが出来そうで、なかなか上手くできないんですよ。「1歳児コース」からやり直しですねと言われたりもしました。


参加したという証拠の写真
 

メールには「さあ、身体を動かして夏の暑さを吹き飛ばし美味しいビールを飲みましょう!」とあったので、まあ、僕は半分はこれが目的で参加したようなものですが、しっかりと飲み会の席も確保してあり、飲んで食べて、楽しい夜を過ごしました。その席で、リトミックの1年後の成果を、大きな会場を借りて、家族や親戚をたくさん呼んで、大々的に「発表会」をやろうという話が出て、一同大笑いの一幕もありました。次回は、もうちょっと高度なプログラムにして、近いうちに行いましょう、ということなので、今から楽しみです。


南木佳士の「ダイヤモンドダスト」を読む!


映画「阿弥陀堂だより 」は、2003年の作品だから今から2年前の作品です。寺尾聰樋口可南子の共演、そして新人の小西真奈美と老婆を北林谷栄が演じて話題になった映画でした。長野県飯山市での1年に渡る長期撮影なども話題になりました。デビュー作「雨あがる」で絶賛された小泉堯史監督の2作目、南木佳士の小説「阿弥陀堂だより 」を脚色、映画化した作品です。売れない作家有能な医者の夫婦は、妻がパニック障害にかかったことを機に東京を離れ、作家の故郷・信州の山村に移り住むことになります。がんに冒された恩師や、難病でしゃべれない、そして阿弥陀堂で暮らす96歳の老婆など、村の人々との温かい交流の中、夫婦は生きる喜びを取り戻していく、というストーリーでした。


僕は公開と同時に観に行きました。気になったのは、映画の中での「説明」が多すぎると言うこと、医者の2人、樋口可南子と吉岡秀隆がしゃべりすぎ、しゃべらせ過ぎ、もっと控え目にした方がよかったと思いますが。


さて、原作者の南木佳士、それまで僕はまったく知りませんでした。「阿弥陀堂だより 」のような静謐な作品を書く作家とはどんな人だろうと興味を持ちました。調べてみると1988年の「文学界」9月号に載った「ダイヤモンドダスト 」で、第100回目の芥川賞を受賞しているんですね。17年も前の作品です。なんとなんと芥川賞の候補に4回も選ばれ、5回目でやっと受賞となったそうです。


南木佳士という人が、地域の医療に従事する医者だということや、難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境近くに派遣された、ということにも興味を持ちました。そんなわけで、たまたまブックオフにあったので買っておいた「ダイヤモンドダスト」を、読んでみました。僕が買った本は、1989年に第1刷で、それから7年目の1996年で16刷ですから、じわじわとそして相当な売れ行きだったんですね。なぜか僕の記憶からすっぽりと抜け落ちているんですが。南木の芥川賞受賞の言葉が素晴らしい。「学校を出たての24、5歳の若者が、多くの想い出を抱え込んだまま旅立つ死者を見送ることは、苦痛であった。この苦しみから抜け出したくて小説を書き始め、もう10年になる」


南木佳士は1951年生まれの内科医で、現在でも文筆活動を続けながら長野県の佐久総合病院に勤務し、肺癌を専門分野として診療にあたっています。月~金は臨床医、土日は作家というような日常生活だそうです。「理想的な生活」と言えるかどうか、本人も「心身を病んだ」ようですが、詳しくはわかりません。この本「ダイヤモンドダスト」は、芥川賞受賞作「ダイヤモンドダスト」の他、「冬への順応」「長い影」「ワカサギを釣る」という短篇3作、計4作品からなっています。主人公は医者の場合と看護士の場合があります。


冬への順応」は、カンボジアから帰って赴任した地方病院での初恋の人との再会は、病棟勤務医と末期の肺癌入院患者という悲しい行く末を予感させながらも、若かった頃の二人を思い出すというもの。「長い影」は、難民医療団から帰国後1年が経ち、久しぶりにスタッフが再会した泊まりがけの忘年会での話。泥酔した色白で痩せぎすの看護婦が男性浴場まで追っかけてくる。特殊な状況下で医療に関わる人たちの国家や組織とのズレが浮き彫りになります。「ワカサギを釣る」は、大阪の看護学校に入学したカンボジア難民「ミン」と信州で看護士を続ける種村が、凍った湖でワカサギ釣りをするという心の触れ合いを描いた小品。どの作品も難民医療日本チームに参加した体験が色濃く反映しています。


芥川賞受賞作の「ダイヤモンドダスト」は、浅間山麓の高原に建つ町立病院の30代の看護士和夫が主人公です。母は早くに他界し妻もガンで早逝、父と主人公と息子、三世代男のみの所帯が描かれている。ベトナム戦争ではファントムに乗っていたというアメリカ人宣教師と、昔は草軽電鉄の運転手だった和夫の父が、2人病室で一緒になり話が展開していきます。生と死家族関係老人問題都市化していく山村、等々、という現代の病根が詰まった重いテーマです。和夫の同級生悦子との対話や若い院長香坂との関係も、さらりと描かれています。僅か63ページの短編です。


本の帯では、三浦哲郎が「100回記念にふさわしい出色の作品だと思う」と絶賛していますが、僕が嬉しかったのは、もうなくなって何年になるんだろう、吉行淳之介がまだ元気に選評を書いていることです。作品をナイフの切れ味にたとえて、切れすぎるのも困るが、この作品は過不足なくしっかり切れたと言い、「地味だが文学の本筋をゆく作品で、このところ『文学の王道』とか『』とかいうと顔をしかめてみせる風潮がある。しかし、それは大きな間違いである」と断言し、南木佳士を褒め称えています。


「そうか、吉行さんも、『文学の王道』とか『』とか言う人なんだ」、そして「そうか、吉行さんはこんな作品が好きだったんだ」と、今更ながら新鮮な驚きを感じました。最近、特殊な状況下を設定した、奇をてらった作品が多い中、「文学の王道」を歩き続ける作家に拍手を送りたいと思います。そうそう「阿弥陀堂だより」も映画だけではなく、本でも読んでみたいと思っています。


「阿弥陀堂だより」
2002年 東宝 128分
監督:小泉堯史
原作:南木佳士

福島の小学校が東京の幼稚園に!


渋谷から東横線で3つ目、祐天寺の駅から歩いて3分の位置にある、信じられないような大きな木立に囲まれた平塚幼稚園、その園長先生である平塚通彦さんの話を聞き、移築された建物を見学する機会がありました。


「増築といっても、ただ単に今風の新しい建物を建てるのではなく、何か平塚らしい形でできないか」という園長先生の発想で、卒園生のお父さんでもあり近所で設計事務所を営む相子芳也さんと、廃校の移築もいいけど、それが出来なければ、とりあえず新築でと検討をし始めた矢先に、「壊される予定の廃校がある」という情報が舞い込み、さっそく二人で福島県大沼郡金山町へ飛び、その場で金山町の教育長と交渉をして急転直下、旧本名小学校校舎を譲り受けることになったそうです。



その校舎が再利用できればいかにも平塚らしいものになるだろう、また移築の過程に何らかの形で子供たちを関わらせることが出来れば、それはかけがいのない経験になるだろう、といった思惑もあったようです。相子さんによると、旧本名小学校の実測調査を3日間かけて行い、昭和8年に建てられた部分がちょうどよい大きさだったので、南北を逆転して長さを4m縮め、2階だけ高さを1.5~2.5m低くして現在の建物になったようです。もちろん敷地も限られており、防火地域でもあり、小学校でなく幼稚園で使うといことで、設計は相当悪戦苦闘したようです。


百聞は一見にしかず、実際見学してみると、骨太な構造体や父兄が洗って柿渋を塗った羽目板は、日頃メンテナンスフリーのきれいな建材しか見慣れていないものにとっては、圧倒的な存在感で迫ってきます。それらの移築に関わるすべての経緯を園長先生は「移築ごっこ」と称して、移築をめぐるさまざまな関わりを園児や、父兄、幼稚園関係者が体験すること、また地元の方と相互に交流すること、そして素人が建設に関わることそのものが「ごっこ」であると言っていました。



結果的には、通常、木造で建てるここと比較して、運搬や様々な経費がかさみ、建設費は2割増しだったそうですが、園長先生は決して後悔してないようで、それ以上に、移築された骨太木造の幼稚園で学び育つということは、園児たちの心に長く焼き付くことでしょう。ただ単に建物の性能や保証を重要視する昨今にあって、平塚幼稚園の「移築ごっこ」は建築するとはなにかを無言で提示し、建築生産に従事するものに対して大きな批判にもなっているように思われます。なお、環境負荷を与えず、住まい・建築・都市を持続可能な社会にするかということを基準に選定する「エコビルド賞」を、2003年に受賞しました。

*画像は建設時のメーリングリストからお借りしました。


*過去の関連記事:東江幼稚園は夢のある幼稚園だ!

入場者、目標の1500万人達成 愛知万博147日目

家族連れなどでにぎわう万博会場

愛知県で開催中の愛知万博(愛・地球博)は、18日午前11時時点での入場者数が7万8383人に達し、3月25日の開幕以来の総入場者数が1500万人を突破した。1500万人は万博協会が会期を通じての目標としてきた入場者数で、会期の5分の1を残して147日目での達成になる。1日の平均入場者数は、開幕からほぼ右肩上がりに上昇。8月9日に10万人台に達し、以降も増加傾向が続いている。会期末の駆け込み来場者を見込むと、9月25日の閉幕ごろには2000万人に迫る勢いだ。


万博協会の会長を務める豊田章一郎・トヨタ自動車名誉会長は「出展者が特色ある展示に取り組んでこられ、一丸となって日々改善に努めてきたことに高い評価をいただいた。最後まで精いっぱい力を尽くしたい」などとする談話を発表した。神田真秋・愛知県知事も「大きな目標の一つが達成され、正直ほっとしています。あと1カ月余り万全の体制で取り組んでまいります」とのコメントを出した。
アサヒコム:2005年08月18日

「ボテロ野外彫刻展」再掲!


ボテロの作品がションゼリゼにドンドンドンとある日現れた~なんともふとっちょ!でもでも変でも汚くも哀れでもない。そのころは笑って観ていたのに、ふとっちょになった今みると…親近感?やばい 肉体を現実にデフォルメしてはイカンよね。


このようなdaidai-2005 さんの記事を見かけたので、2005年01月16日の記事、恵比寿ガーデンプレイス で開催された「ボテロ野外彫刻展」をトラックバックしておきました。その記事を書いた頃のアメーバブログは、画像が1枚しか張り付けられませんでした。その時は頂いた「ボテロ展」のチラシの画像だけを掲載しました。なにしろ20体ものボテロの大型彫刻が勢揃いしたのですから、画像を載せないと意味はありません。そんなわけで、遅ればせながら、記事の一部と、選りすぐりの画像を10枚ほど載せておきます。誰ですか、「あら、私だわ!」、なんて言っている方は?



以下は、過去の記事の一部の再掲です。
まずは画像を見て下さい。皆さんに、是非とも見て欲しかったんですよ。「アダム」と「イヴ」の彫像です。ダイエットなんてなんのその、堂々としたもんでしょう。ということで、やや旧聞に属しますが、去年の3月31日から7月11日まで、恵比寿ガーデンプレイスで「ボテロ野外彫刻展 」が開催されました。ガーデンプレイス誕生10周年記念行事、かな?



大型彫刻が20体、恵比寿ガーデンプレイスの広場を中心に並べられていました。各地の美術館にも1体、2体、見かけましたが、これだけまとまって見られるのは珍しい。なにしろ、1体、1トンを超えるといいますから。ということで、見に行きましたよ、僕も、しかも3回も。屋外での展示ですから、当然、入場無料です。その辺が太っ腹でいいですね。いやいや、ボテロだからではなく。しっかりと写真も、行くたびに撮ってきました。




フェルナンド・ボテロ、1932年、コロンビア生まれ。貧しい幼少時代、闘牛学校にはいるが、絵画に目覚め、画家を志し、渡欧。マドリッド、フィレンツェで絵画学校に学び、ルネサンス芸術の影響を受ける。1960年にニューヨークに移住。翌61年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が絵画作品「12歳のモナリザ」を購入、対象に大胆なデフォルメを施し、ふくよかに表現するボテロ独特の作風が一躍注目される。1973年に、彫刻の製作を開始。絵画同様、「量感」と「質感」を追求した巨大な彫刻作品が世界的な評判を博す。



と、まあ、チラシにはそう書いてあります。今、ボテロは72歳かな?現在も精力的な創作活動を続けているようです。ボテロの彫刻は、圧倒的な存在感と量感、そして生命力溢れるユニークな豊満さは、見る人に微笑みをもたらすと同時に、元気をも与えてくれます。


過去の記事:「ボテロ野外彫刻展