福島の小学校が東京の幼稚園に! | 三太・ケンチク・日記

福島の小学校が東京の幼稚園に!


渋谷から東横線で3つ目、祐天寺の駅から歩いて3分の位置にある、信じられないような大きな木立に囲まれた平塚幼稚園、その園長先生である平塚通彦さんの話を聞き、移築された建物を見学する機会がありました。


「増築といっても、ただ単に今風の新しい建物を建てるのではなく、何か平塚らしい形でできないか」という園長先生の発想で、卒園生のお父さんでもあり近所で設計事務所を営む相子芳也さんと、廃校の移築もいいけど、それが出来なければ、とりあえず新築でと検討をし始めた矢先に、「壊される予定の廃校がある」という情報が舞い込み、さっそく二人で福島県大沼郡金山町へ飛び、その場で金山町の教育長と交渉をして急転直下、旧本名小学校校舎を譲り受けることになったそうです。



その校舎が再利用できればいかにも平塚らしいものになるだろう、また移築の過程に何らかの形で子供たちを関わらせることが出来れば、それはかけがいのない経験になるだろう、といった思惑もあったようです。相子さんによると、旧本名小学校の実測調査を3日間かけて行い、昭和8年に建てられた部分がちょうどよい大きさだったので、南北を逆転して長さを4m縮め、2階だけ高さを1.5~2.5m低くして現在の建物になったようです。もちろん敷地も限られており、防火地域でもあり、小学校でなく幼稚園で使うといことで、設計は相当悪戦苦闘したようです。


百聞は一見にしかず、実際見学してみると、骨太な構造体や父兄が洗って柿渋を塗った羽目板は、日頃メンテナンスフリーのきれいな建材しか見慣れていないものにとっては、圧倒的な存在感で迫ってきます。それらの移築に関わるすべての経緯を園長先生は「移築ごっこ」と称して、移築をめぐるさまざまな関わりを園児や、父兄、幼稚園関係者が体験すること、また地元の方と相互に交流すること、そして素人が建設に関わることそのものが「ごっこ」であると言っていました。



結果的には、通常、木造で建てるここと比較して、運搬や様々な経費がかさみ、建設費は2割増しだったそうですが、園長先生は決して後悔してないようで、それ以上に、移築された骨太木造の幼稚園で学び育つということは、園児たちの心に長く焼き付くことでしょう。ただ単に建物の性能や保証を重要視する昨今にあって、平塚幼稚園の「移築ごっこ」は建築するとはなにかを無言で提示し、建築生産に従事するものに対して大きな批判にもなっているように思われます。なお、環境負荷を与えず、住まい・建築・都市を持続可能な社会にするかということを基準に選定する「エコビルド賞」を、2003年に受賞しました。

*画像は建設時のメーリングリストからお借りしました。


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