むしろトランジットで有名なシンガポール、チャンギ空港での日帰り観光のような空港滞在を終え、次の目的地であるシドニー空港へ。

 

予定されていたフライト時間は成田からチャンギまでが7時間20分、チャンギからシドニーまでは7時間45分、そしてシドニーから最終目的地のブリスベン空港までは1時間半だった。(これに関しては入国して既に5ヶ月が経過した今現在もちろん細かく覚えていなかったのでKiwi.comアプリからE-Ticket引っ張り出して確認した)

 

そんでトランジットはというとチャンギが9時間40分、シドニーが6時間45分の滞在だった。(チャンギ空港という巨大なターミナル空港でのワクワクするような空港滞在は前回の記事に書いておいたのでまだ読んでない方はちゃんとその1から読みましょう。)

 

それにしてもトータルでこんなにも長いフライト旅行は人生で初めてだった、LCCのエコノミー7時間超えが2本に最後はまあオマケみたいなもんだけど。チャンギとシドニーでのトランジットが目的でわざわざこんな行程選んだのだけれどそのトランジットは間違えなく最高に楽しかった。ただ機内での時間は2本乗り終えた時には流石にちょっと長くて飽き始めていた。それなりにしっかり寝る時間とったにも関わらずね。

 

てかそんな前置きはここまでにして、次の目的地シドニーでのトランジット滞在についてをここから。

 

入国審査は恐らくあまりにも簡単に進みすぎた、というのもこれを書いている今現在全然覚えていないからだ。印象に薄く記憶に残らないほどの入国を終え(もしくは長旅で少し疲れていたか)荷物も受け取り空港ロビーへ。

 

なぜかここからいきなり文章のテンションが変わってたので後からこれ入れてます、なんか、変わります。

 

ここからはもちろんハッキリとした記憶を元に書いていく、まず何をするにしても一番最初に必要なみなさんご存じsimカード、そこではキャリアのカウンターどこだろうかなんてキョロキョロする必要もなく国際線到着ロビーについたその瞬間右手に大手キャリア数社のカウンターがドンっ。

 

色々細かい違いはわからないし調べるの面倒だったので違いもわからぬまま適当に一番右の会社へ並びまるでSubwayの注文行程くらいのスピードとエネルギー消費で見事simゲッツ、そして電話番号を手に入れた。

 

日本で電話番号を所有する時のカロリー消費ったりゃありゃしない。まあ、犯罪防止とか法律とか部屋とかYシャツとか私とか色々あるんでしょうけど。

 

フライト中に入っていたメーセージを軽く返信していよいよシドニー観光へ!

 

...

 

シドニー観光へ!

 

...

 

シドニー観光へ!

 

...

 

シドニーってどこに何あんの!?

 

これは今もそうなんだけど自分のシドニーに関しての知識は"オペラハウス的なのあるよね、あとあの映画撮影に使われて有名な大学"の2つだ。

 

そう、2つ。

 

そんでもって時間も限られているわけだしとりあえずオペラハウス最寄りの駅で降りればなんかあるだろうし、もし仮になんもなくても少なくともオペラハウスはあるだろう、というとてもスマートな発想から自分は電車でそのオペラハウスってところの駅に向かうことにした。

 

電車の乗り方はGoogle先生が全て教えてくれたのですぐ理解したんだけれど運賃がうんちんだった。20分の乗車時間で片道2,000円くらい。(まるでスマートな大人の表現ではないことをお詫び申し上げます)


そんなこんなで駅に到着し改札を出て初めてのオーストラリアに降り立った。目の前に広がった街の景色と共になんか少し"始まった感"みたいなものを感じたことを覚えている。ここへ来たことを実感した、スタートラインから歩きはじめた感覚は今思い返しても確かにあの日あの駅の改札を出て街の景色を見たその瞬間だった。



さあ今日から、わざわざ会社辞めてまできたここでの生活が始まる。

 

きっとテンション上がってたんだろうとも思う、今思うとその後の5ヶ月間、今日までの予定外を含む修行の日々を自分はまだ知らず、ただ旅行きたみたいに楽しかったあのシドニートランジット。

 

目の前に早速ハンバーガー屋さんがあった、確かチャンギからご飯食べてなかったのでとりあえず入って散歩でもしながら食べることに。

 


入ったらサンシャイン池袋の地下にあった夜10時までやってるハンバーガー屋さんマクドナルドと全く同じ注文パネルが置いてあった。にしても鳩多かった。

 

すぐそこのオペラハウスの方へ歩いていく途中で路面電車の線路を横断し、そこからの景色を撮影、周りを見渡すと高層ビルの上にブランドホテルの名前が。



うわーあそこだけ東京みたーい、とか女子高生みたいにキャッキャした心理状況の中、顔は真顔で乗ってきた電車の線路をくくり抜け大きな川の方へ出た。




おー、ピーカンではないけどまあ、なんかストリートミュージシャンとかもいるしさ。

 

ベンチで先ほどの池袋サンシャインの地下のハンバーガー屋さんマクドナルドと全く同じ注文パネルの置いてあったお店のバーガーを食べ、いざお散歩。

 

川沿いを進んでいくと坂道の方におしゃれな街並みが、デカくて重いスーツケース引きずって坂を上がりながらそこを歩いたんだけどとても素敵な街並みだった。







煉瓦造りの素敵な建物が連なっていて、そこにテナントで飲食店やカフェ、雑貨屋などがたくさん。狭い路地なんか入っても雰囲気良くて、もううっとりしちゃってたと思う。

 

この日の思い出はただ楽しいだけ、まるで一人旅できた旅先の初日のような日だった。

 

しばらくその一帯を歩いて残り4時間くらいだっただろうか、元々予定していた通りどこかカフェに入って英語の勉強でもしようとスタバへ入った。



そこからは日本のいつもの日常でも散々やってきたただのカフェ勉。(とインスタグラムの更新)

 

今思うともうしばらく来ないシドニーの滞在でわざわざそれする必要あったかお前。とも思ったけど、なんか今でも、例えば丸一日観光するとか人と遊ぶとかむしろ不安になってしまってここでは全然、結局人と会ってもその前後で自分の時間を作らないと気が済まない自分になっている。少なくとも今は。

 

目標まで近づいている感覚がまだまだ足りないってのもあると思うし、とにかく何かやってた方が安心なんだろうとも思うし。

 

その感覚超えたら強いんだろうな、とか思いながらまるで芋虫のように歩いてる。

 

そんでいい頃合いの時間、夕方だったんだけどまた空港へ向かってしばらくバイバイのシドニーを後にした。

 

そのトランジットでの滞在が楽しかったせいか数ヶ月後また帰ってくるまでのモチベーションになってそこでまたやる気がチャージされた。

 

既に24時間以上の移動行程を進んできて後はもう少し、最後の短いフライトを終えたらいよいよ夜のブリスベンだ。

 

続く。



 




 

 

 

 

もうこの記事でこのシリーズが何回目かなんて忘れてしまっていて毎回前回の記事を確認してからタイトルにその数字を入力している。

 

その確認の前に記事を書き始めてしまった為後で確認してタイトルを完成させよう。

 

結構長いこと書いてきた。

 

なんでこの自分歴丸裸みたいな記事を記憶の底まで潜り込んでわざわざ引っ張り出して、そして細かく長々と書いてきたのか、その目的についてはこのシリーズ一番最初の記事の冒頭で説明したことがその全てだ。

 

今までここで書いてきたことの全てはその一つ一つが当時の自分の生々しいリアルだ、というかむしろそうすることでしか最初の記事で語ったその目的を消化することにならないわけだからとうぜんなんだけれど、ただ我ながら中々ヘンテコな人生を辿ってきたと、記事を書くたびに毎回改めてそう思う。

 

壮絶か?と問われたならハッキリとNoだし、

 

ではノーマルか?と問われたならそれもNoだ。

 

自分っぽさでしかないというか、今の日々の生活と比べてもそう、自分渡邊建介。としか形容しようのないそんなヘンテコな人生だと思う。

 

何事も最初は自分を含めた誰からも出来ないと思われることが多い人生だったと思う。

 

ただそれを一つ一つ出来るようにしてその人たちに認めさせた瞬間には最初から出来る人のシナリオよりなぜか気持ちがいい。

 

人生を優秀で生きてきた人はそう多く感じることのない瞬間かも知れない。(まあというより最初が圧倒的に出来なさ過ぎてその後が凄いわけじゃなくて成長率の伸びが大きいだけなんだけどな)

 

今も当然優秀とは真逆にいるようなおれの人生はそんな場面の連続だった。(要領の悪さでおれに勝てる奴、出てこい、想像以上だぞおれ)

 

一番最初に辞めると思われてたりとかね、そんなんばっか笑

 

でも何かができるようになったら始めは誰よりもそんなふうに思ってた人たちから

 

ポテンシャルを見せてくれたから、期待してるとか

諦めないでやってきたことで実際に乗り越えられることを体現してる、だとか

ただただその成長に感動してくれたりだとか

 

最初は俺のことを最も出来ないと思ってた人たちからそんな言葉を聞けた時には何故か最初から応援してくれてた人たちからの言葉よりむしろ忘れられない一言になったり。

 

出来ないと思ってたと言うより、実際に壊滅的に出来なかったんだからまあただの事実なんだけどさ。

 

どんな人生でありたいかって聞かれたなら即答で

 

出来ないことを腐らず、小さく一つ一つ出来るようにしていく人生。

 

もっと理想的な言い方をすると、一つ一つ見返していく人生。

 

ほんとにそう思ってる。

 

自分含めってことが結構大事なんだけど、過去に自分を見積もってた自分がいたとしたらそんな自分さえも驚かすような、そんな人生でありたい。

 

なんてね。

 

なんで改まってこんなこと書いてるかというとこのシリーズにもとうとう終わりが見えてきたから、この記事の後であと一つか二つでとうとう留学へ旅立つことになっている。そこからの物語は語学留学日記というまた別のシリーズに接続していく形となっているのでこのシリーズの役目は留学へ旅立つその直前まで。

 

バカみたいに長くなってしまったけど、前回を続きをここから。

 

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日商簿記検定2級、試験から結果まで2〜3週間だった気がする。

 

試験のために毎日勉強した、苦になんて感じるわけもなく、ただひたすら問題を解いた。

 

部屋でもカフェでも塾でも、途中友達と二人で行った台湾旅行では一応テキスト持ち込んで、結局帰りの空港で数時間だけやったりとか。(友達横でゲームとかしてたんだろな)

 

試験の結果出るまでコンビニ派遣のバイト登録して色んなコンビニでレジしてたのも覚えてるし、それが渋谷のセブンとかで終わった後そのまま渋谷で友達と遊んだのも覚えてる。

 

とても気分よく過ごした。

 

結果発表はネットで指定された日時にそこへアクセスして確認する方法だった。

 

ページを開く前は流石に緊張していたかな。

 

家の中で、自分の部屋か部屋を出てすぐの場所だった記憶してる。

 

70点合格ラインの試験、点数が大きく74点と出ていた。

 

安堵だった。

 

直後には喜ばしい気持ちも。

 

5つの設問の中、壊滅的に出来てない設問もあったけど、全く同じ問題集を2巡した工業簿記の範囲が40点満点中40点満点だった。

 

出来ない箇所をカバーできるくらいの強みを仕上げておいて良かったとも思ったし、でも実はそれは計画的に2巡したわけじゃなくて前半の授業で習った工業簿記の範囲を後半の商業簿記の授業してる間にかなり忘れてて、仕上げ期間で壊滅的なことに気づき焦ってそんで追い込んで2巡しただけだから、計画的ではなく偶発的に仕上がってしまった。ってのが正解。

 

神様が味方してくれたのかもね。工業簿記のお陰で受かれたようなもんだ。

 

親に報告して、さあいよいよ夢にまでみた留学の準備だ。

 

2018年初夏、すぐ出発というよりは2〜3ヶ月英語の学校に通って語学留学がなるべく有効的に意味のあるものにできるよう、初っ端で苦労しないようにと英会話スクールに通いながらバイトして生活することにした。

 

今考えると贅沢な選択だ、これから半年の留学で結構な費用がかかるというのに加えてうん十万の英会話スクール費用までお願いするとは。

 

今とは感覚も状況も立場も何もかもが違ったあの夏。

 

まずは単発のバイトなんてすぐにでも辞めて前々から気になっていた豊島区の児童館の中高生バージョン、東池袋ジャンプでのバイトの面接に行った。

 

友達がやっててその話も聞いていたし、お客さんと関わるより楽で時給変わらないわけだからってすぐに。

 

サクッと職場を決めた、そこでは利用者受付したり、中高生の子供達と卓球したりボードゲームしたり、子ども食堂的なご飯の声かけたり、クソ生意気なのに頭くること言われたり、片付け注意したら、ただただ悩み相談みたいな聞いたりさ、

 

なんか、ずっげー楽しかった。一夏の思い出って感じ。

 

てかいい経験になったかも、色んな子がいて。

 

特別支援学級の子、懐いてくれててよく屋上でキャッチボールしてたな。

 

あの子ら、もう四年以上前だけどもう20とか、成長してるんだろな。

 

あとはそんな伸びたわけじゃないけどクソ高かった24回程度の英会話スクール。

 

まあほんとにエントリーって感じ。

 

でも基本毎日楽しかった、なんてったって海外留学が控えてるんだからさ。

 

そんで最初は行く国も決まってなかった、オーストラリアとかカナダとかネイティブ圏を見ていたし、てんで無知なおれは自分で調べずにまずは留学エージェントの窓口に言って色んな話を聞いてみることにした。

 

目的はやっぱり英語をしっかり話せるようになりたいのその一つだった。

 

高校を3年間アメリカ留学して、大学でも国際教養学部、大学生活は同じ学部の英語ペラペラなたくさんの友達と楽しんで華やかな生活を送っていた姉をずっと散歩と精神科通院、時々地元の友達が遊んでくれた、みたいな生活してた自分は真横から見ていたわけだからただただ憧れていたのかもしれない。

 

英語話せるようになりたい。

 

能力や知識、経験もなくただ気持ちだけだったと思う。

 

だから国がどうとかネイティブがどうとかよりも滞在中にどれだけしっかりと授業を受けられてどれだけしっかりと言語を伸ばせるか、それが滞在先や学校を選ぶ基準だった。

 

だから国にこだわりなんてない。とにかく自分のの英語が一番伸びやすい環境ってのが判断基準。

 

当時新宿の東口エリアにあったエージェントにも通って色々とリストアップしながら、児童館でバイトしながら、英会話スクール、家族と旅行もしたし、友達ともよく遊んだ。

 

26歳にしてまた人生の潮目が大きく変わり始めたあの夏。

 

今もよく思い出す大切な、そして少し不思議な夏だった。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




文章を書くことが好きなんだと思う。


 

取り立てて好きな趣味っていえば音楽を聴く、手元のiPhoneで目の前の景色を撮る、知ってる街でも知らない街でも服やスニーカーの店、雑貨屋を自由気ままにふらふらと巡ったりおしゃれなコーヒーショップに滞在したり、あとは風の気持ちいい夜に散歩をする、というか昼間でも外を歩くことがただただ好きだ。

 

そんで文章を書くことが趣味かどうかって言われるとそれはまた少し違う、振り切れて極端な性格の自分という人間のバランスをうまく保つことに役立っていると思う。

 

以前はそれがガス抜きだったというか、人との距離感であるとか空気感とかそういうの認識する能力の乏しい自分の溢れ出て制御できなくなってしまった熱の放出場所だった。

 

まあそうしてても人との会話なんていつも全力で空振りしていることが多かったわけだからコミュニケーションに良い影響を及ぼしていたかというとそんなことはないと思う、ただ自分自身の精神衛生上熱を定期的に逃がせていたのは良かった。


(※トランジットで一瞬訪れたブリスベンにて)




(都市生活はまだお預け中)


そう、そうだ、以前は良く本当に小さなことをキッカケに一度ぶち上がってしまったテンションを制御できなくなる夜が多々あった。これはどういうことかというともちろん実際に暴れ回るわけではない。

 

例えば何か映画を観たとする。観た映画にすぐ、強く影響されてしまって20代後半とかのいい大人が運動会前日の小学生かのようにワクワクしてしまって眠りにつくことができなくなる、簡単にいうとそんな感じだ。

 

ちょっと良い曲でも聴こうものならその曲とかアルバム、バンドについての長い長い自己満レビューを書いてからじゃないと寝つけなくなってしまったり、だから最初で書いたように趣味でしっかりと腰を据えて計画的にやっていたわけじゃなくて暴走したその感情の吐口として自分を救済するためにやっていた、の方がしっくりくる。

 

そう、必要に駆られてやっている感じだ。

 

ただそんなブログが出来上がると誰が読んでくれるかわからないけどとりあえず人目につくところに、読め。と言わんばかりに貼っていた。

 

するとそのブログを楽しみに読んでくれる人たちが出てきたことに気がづいた。一番最初は留学日記、留学先では何人もの友達に"読んだよ、楽しみにしてる”とか"早く更新してほしい"とか"面白くて一気に読んだ"、“文章書くの上手い"とかあまり人生で言われたことのなかった声をたくさんかけられた。

 

自己満のために始めた自分の留学の記録にまさかそんなふうに読者がついてくれるなんてことは考えもしなかったから。

 

それが大体2019年の2月とか3月、そんで自分は嬉しくなっちゃってどんどん更新するとか色んな人に宣言してたんだけどさ、そもそも文章を書くモチベーションの原材料がぶち上がってしまった熱だから平熱の時には全く書かないんよな笑。

 

ブログを書きたくなるような状態の自分てのはそもそもどんな感じかというと"俺様のブログを読め"的な感じであったり"いやーおれ世界で一番いいこと書くわー"みたいなちょっとイカれ気味なマインドな時が多いのでなんか自分の二面性のうちの一面が見事に活躍されている時である。


一面さん大活躍である。


そんでもし平熱の時に書いたら少し退屈な文章が出来上がる、読んでいるものに少しでも熱さを感じないのなら少し落ち着いて書いている時だ。今回の記事も熱量60%と言った感じで書き進めている。(面白くなかった時の言い訳みたいになってんのウケる、うけるんですけどぉぉぉぉぉぉぉぉぉ)


手に負えない熱で書いている時の方が本物が出来上がるというか、多分その熱に読んで面白いって感情を引き出すほどの何かが潜んでいるんだと思う、具体的にそれが何かはまだ言語化してない、けどしようと思ったらできると思う、言語化得意なんで。

 

だからいつも思う、自分のために書いてるだけなんだなって。最近ではそんなふうに声かけられることも無くなってきてたんだど少し前にまた一人激褒めしてくれた人がいたの思い出したらなんかまた嬉しくなってしまって、3時とかに書き始めちゃったんだけどさ笑。


なんか褒められた時ってどう反応すんのが正解か未だによくわかんないんだよな。

 

いや、その、尻尾はブンブン振ってんだけどさ、その時顔と口では少し照れるように"いやぁ〜ほんと?、まじかぁ〜嬉しいなぁ照照"みたいな表現しかできなくて全然テンション上がってないしぎこちなくなってしまうんだよな、感情だけ遥か彼方でスキップしてるオージーザス。

 

褒められ慣れてないんで、人とのコミュニケーションは基本フルスイングで空振り、SNSはブログ同然好き勝手だし別にそれで良しとしてるしでまああああああああああああああああああああああああ普段の自分のやってることなんて人様に褒められたもんではないんですよ。まあSNSとか好き勝手やれてりゃそれでいいんだけどさ、ただ人からの票が入るかどうかっていう観点からはまあ一部の物好きは好きでいてくれてるかもなって感じ。

 

けどさ、そんなふうに時々ブログ一気読みしたとか言われるとなんか書いててよかったなって思う。

 

そんな風に感情が高ぶった時、褒められた時でもいい、良い音楽や良い映画に触れた時、それからマララのような激しくリスペクトする人とか物語に触れた時でも、最高な経験をした後でもそう。


それが最高すぎて居てもたってもいられず書くことを我慢できなくなってしまうような、そんな夜が自分を少年に戻してしまうし良い歳して夢がどうとか言わせてしまうんだよな。


なんか文章書いてる時の多くは感情昂ってイカれちゃってる時だと思うんだけど実はそんな時が一番楽しかったりする。

 

水を得た魚のように生き生きしてそんで誤字脱字の修正すらどうでも良くなってしまう。感情で書き切った直後には公開することを我慢できんくてよく公開してから少し時間置いて落ち着いて状態の時にゆっくり校正していくんだけど読み返してるとまぁーーー酷い。

 

ほんとさ、ADHDとか多動とかなんかわからんけど多分なんかあるよ俺、そのうちのなんか。

 

でもそんなもん誰にでもあると思う、人類は一人一人なんかの病気だ、だからもし俺がそんな傾向にあったとしてもそれは自分の中では92年生まれ、AB型、牡牛座、多動、好きな食べ物はバナナと牛乳です!くらいの並びで説明してしまうんだよな、いやまじで。

 

人間がふっつーに認識することまるで認識してないからな、まあ全然良いんだけど、そんなこたぁ自分にとって1mmも問題ではないのだから。(ただもし彼女がいたとしてその人が察してよ!的な人だったらもう大変、女性とかの前に人類の気持ち察せんから。)

 

書き出すと趣味多いのに趣味がなにかって聞かれるとなんでかうまく説明できないだよね、休みの日に何してるか聞かれた時は脳内ではすぐに"お散歩"って出てきますから、ただそれをしっかり大人の嗜好品とか嗜む素敵な彼らにそのままいってしまうとなんかただの不思議ちゃんになってしまうのでそれをどう説明しようかってことは良く考える、酒もタバコもよくわからんけど、そんなもんなくてもお散歩が最高過ぎるだろ!とか変人の極みだと思う。


この感性を所持している本人ですらおれ変人だぬぁとか思うんだから、自分で認識してるからすぐお散歩って言えないんだおれ。


音楽とかカフェとか楽し過ぎるだろとか思ってしまう。


趣味は文章を書くことです。なんてとてもじゃないけど言えないな笑、インテリ気取ってるみたいだ。


そう、好きだけど趣味ではない。


はい、自分にとっての文章作成がどんなものかを感じていることそのままに言語化しました。


そんな渡邊はもう寝ます。

 

次はシリーズ編の記事書き進めると思います。

 

おやす。













うーい。



2023年1月4日、オーストラリアのケアンズという街にいる。

 

親がよく家族チャットに甥っ子や姪っ子の写真を載せてくれるから例え自分の帰国が数年ぶりになってしまったとしてその間の会ってない期間も彼らの姿を見ることができる。久しぶりに会って大きくなったなぁ…なんて2年分の成長を少し寂しく思わなくてもいいくらいに彼らの成長はそこで全てみれてしまう。

 

一昔前だったらそんな枚数の電子ファイルをメールでやり取りしたら通信料は一体どんな恐ろしい事になっていたんだろうと思うと現代の海外渡航はイージー、昔に比べ本当にハードルが下がった。

 

さらに昔であればそもそもやり取りなんて基本はできない、現地の目の前にいる人たちとしか関われなかったことを考えると世界中どこに居てもどの世界とも繋がって情報をアップデートできたりコミュニケーションが取れるって幸せだ。居ない側での時間の空白を見事に埋めてくれる。

 

まあ兎にも角にも甥っ子や姪っ子が可愛くて可愛くて、いや元々子供好きだから基本は可愛いんだけど、自分ではあんまり認めたくないくらいに可愛く思う。自分の子でもないし、あと姉とはそんなにベッタリな関係ではない、特段仲悪くもないけど普段そんな密に連絡を取るわけじゃないし、そこにいたらまあ話すけど、でも家族だからお互い遠目に応援したり心配してるって感じかも知らん。

 

甥や姪がそんな風に可愛いのは子供の可愛い以外に身内の子である特別な感情があると思う。

 

送られてきた写真を見ながらこの子らが今後の人生で自由に物事を選べたり不自由なく良い環境で幸せに育てばいいなぁとか、親が思うような親心みたいなもんを感じていたり。

 

そんでもしこの子らが傷つくようなことがあったらおれは同じように傷ついて何か出来ることはないかと考えるんだろうなとか思う。

 

友達に遊んでもらう甥っ子



子供の頃に親とか近しい人たちが散々口にしてた事とか良く言われた事って当時は当然の事ながら全然ピンと来なかった。

 

大人になってみて初めてその気持ちがわかるだなんて事すら散々聞いてきたけど、子供なんて親の立場を理解するはずもなく、まあ特に俺は自分の頑なで曲がらない、そして極端に脆いメンタルとその戦いが10年以上にも及んでいた訳だからそんなこと考えてる余裕なんてなかった。

 

人間は成長とともに日々社会的立場が徐々に変化していくもんで、その時々に相応しい振る舞いや行動、言動を学びつつそんで気づいたら子供の頃にはピンと来なかったその言葉が少しずつ、ほんとそよ風くらいにふわっと感じ始める。

 

結局今も、親の言葉や立場なんてそんなのしっかりと感じるのは自分が同じような立場になった時、家族持って子供を持ってその時初めてわかるもんだろうから今も全然わかってないんだろうなってそう思いながら生活している。

 

でも甥っ子や姪っ子を可愛く感じる気持ちはそれを少しは想像するきっかけになり得るかもしれない。

 

今ですらその子らの苦しむ顔なんて、悲しむ顔なんて見たくない、本当に。

 

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自分がぶっ壊れたのは13の時、最初の一年は尋常じゃない壊れ方をした、そんでその後健康状態の上昇と下降を繰り返しながら、波打ちながら騙し騙し学校にも通っていたし高校にも合格した。高校上がってからは流石に騙し切れなくなって高二の6月に学校辞めた、そこから7年間24までなんもできなかった。

 

東京女子医大の小児精神科に初めて世話になったのは13歳の時で、そっから最終的に精神科通院を卒業できたのは語学留学に経つ直前の26の時、実に人生の半分を正常に機能せずに過ごしてきた。

 

一番酷かったには最初の一年、まだ子供だった、今思うと自分の実の息子があんなふうになって親がまともでいられるわけはないと思う。それは実感というより少し考えれば容易に想像できてしまう。

 

普段はしないけれど本当に時々親と当時についての話をすることがある。

 

母親は俺がなんとか良くならないかと色んなことしてくれた、合う医者を見つけるまでひたすら病院を探して連れて行ってくれたり精神薬について調べていたり(当時は連れて行かれていると思っていた)、後年は精神疾患患者についての月間雑誌の購読を登録して何年も読んでいた、その他地域の精神疾患患者の家族会へ参加など。

 

父親は万が一俺がその後もずっと社会復帰できない時のことを常に想定していた、だから金銭面での苦労を俺にも社会にも掛けさせまいと、かなりのロングスパンで色々考えて準備していてくれた。

 

人との会話もダメになっていた自分が24で恐る恐るアルバイトを始めそして2年後に精神科を卒業するその時まで、なんか欲しかったら言え、小遣いはやるから、お前が働けないのはしょうがないんだから、と言って俺の息が詰まらなように金銭面による苦労を感じないようにしてくれていた。酔っ払うとよく寂しそうになにかを言いかけてはやめ”しょうがない、しょうがないんだよ”って言った後に”でもなんかほしかったら言え、小遣いやるからな、ケンスケ、今度野郎二人で箱根旅行行こう”ってよく言ってた。

 

もちろん、当人の俺はいつも申し訳ない気持ちでいた。ただそんなことそんなことを伝えたこともないし態度にも出さない、どうすることもできないから。

 

それでも両親から無理に働けと言われたことは一度もない。

 

13歳で壊れ始めた当初父親はまだ子供だった自分を心配して日中仕事が手につかなったと、後になってから聞いた。

 

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俺は今身内の子に親心みたいなもんをうっすら感じていて、それを思った上で自分の当時を思い出して親の立場に立ったらそんなのはちょっと想像すらしたくないような気持ちだった。

 

性格上俺は小さい時から親の心配をたくさんしてきた、父親が酔い過ぎた時も、母親が夫婦喧嘩で泣いている時も。

 

ただ親の心配ってのはまた次元が違うんだろうな、自分ほどのことなんてまあまずあり得ることではないんだけど、そうでないにしても甥っ子や姪っ子になにかあったら俺はとても悲しい。

 

その子達が傷つく姿なんて見たくはない。

 

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世話になることしかできなかった、そんな自分が世話にならず自分自身の力によって何をどこまで達成できるのかとあれこれやってみようと思うのはそんな人生辿ってきてたら当然のことなんじゃないかと思う。

 

親というより自分が自分に証明したい。紙一重で精神疾患を抱えたまま終わるかもしれなかった自分がちゃんと生きれるということを、人生をどこまでひっくり返せるかということを。

 

正直連絡なんて密に取り合わなくていい、お互いちゃんと元気にやってるってわかっていればあとは時々会って話せばいいんだから。

 

きっと家族ってそういうもんなんだろうな。

 

それが正解なんだろうな。

 

距離が近いと母親とは毎日激しい言い争いをしてしまうことは間違えない、ちょっと離れてるくらいがちょうどいいんよ。

 

さ、引き続き楽しんでいきましょうか。





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金。


人を狂わす。とか言われてる。


金が人を狂わす。ってのは違うな。


金に狂う人がいる。だ


沢山いる。


金以外にも、沢山の欲。


欲に狂うとも言えるね。


欲に忠実なことが悪いことじゃないんだけどな。その欲を楽して、ズルして、嘘ついて、人を傷つけて取りに行くことがいわゆる欲に目が眩んで狂っている状態だ。


誰か二次的な被害者を出してまで欲にまみれることは人間として生きている上で最も恥ずかしくて悲しい、尊厳もプライドも見当たらない最底辺の行為だと思ってる。


そこには優しさがない。


自分自身に発生している二次的被害はそりゃ当然、欲で動いて嘘ついたりズルしたり、バレなきゃ良いやなんてことやってたらいつかはしっかりとその代償や負債、その十字架を背負って生きていくんだから。おれはそれって金ではない、何かもっと取り返しのつかない借金をし続けるような行為だと思ってる。


その行為は人が見ていない状況下で顕著に現れるもの。


人間関係を綺麗なまでにぶち壊すのは欲の中でも金と性欲よるものが挙げられる。


睡眠欲や食欲で人との縁が切れるなんてそんなの聴いたことないからね。


最近そんなふうに思うことがあったんで、あと今日はとあるニュースを耳にした、いつも部屋の中でイヤホンして垂れ流しにしてるYouTubeのANNニュース、絵に描いたかのようなねずみ口による詐欺被害がニュースになっていた。


被害者側の怒りのコメントが動画で流れていたけどいくら人物を分らないようにしているとはいえ自分の恥を大々的に大きなメディアでお披露目しているようなもんだなって思った。


ネズミこうのプレイヤー側が可哀想な被害者として報じられていることに違和感を感じたんだと思う。


"楽して儲かる!"を理由に乗っかった架空の儲け話に蓋開けて怒りのクレームってのはちょっとそれはどういうことなんだろうか。


判断力の鈍ってきた老人が家族を名乗る詐欺師に騙されるのとは話が違う、違いすぎる。


シンプルに"お金をあげるよ、でもそのためには最初にしっかり先行でお金払ってね"、と言われた人が"ありがとう!楽しみにしてる!"と言って支払った後予定してた見返り金を受け取れなくて詐欺師にキレる。という心理、おれは被害者側に感じたことの方が大きかった。


欲にまみれてんなぁー、なんなら浸かってんなって思ったね。


詐欺師側はもう言及するまでもないというか、お札に埋もれて息できなくなって4...


まあちょっと暴走は良くないな、そんな奴らがどこで何していようがおれにとってはどうでもいいことなんだから。


欲基準で動いて被害にあった場合にその人たちがせめて正しくその物事を受け取るとしたら自分のことがとてつもなく嫌になる。激しい自己嫌悪に陥る、だと思う。


詐欺被害だなんてキレてる時点でもうお望みなしで救いようがない。という事をつらつらと考えていた。まあまさに欲、楽して大金を。とかそういう考えから起こることの一番綺麗な例え。


自分の脳内にあるイメージを近い言葉に表すなら欲を満たすために正当なステップを踏まない。だとか禁止されているショートカットをコソコソと選ぶ。になる。


欲までのプロセスにどれだけ労力を注ぎ込むか、という思考と


その欲をいかに楽にどんな手を使ってでも手にするか、と言う思考。


結果目先の成果をいち早く手にしたとしてもその時の自分の中身は何を手に入れたんだろうか。


そもそも根元には必ず欲がある、欲ってのは例えば浮気とか不倫とかに該当する場合もあるし、そしてそれは人にとてつもなく大きな傷を負わすものになり得るし


当事者からしたら結構怖い一大事になったり。


人を傷つける可能性のある行為、これも自分の欲を相手を顧みずに優先すること。


その場合は優しさってやつはないんだろうかと感じるし、そんなこと言ってると社会経験が少ないからお前はまだわからないんだ、とか思われたり言われたりすることがあったんだけどおれはそこだけは絶対に譲らない、ハッキリ違うと思ってる。


人間だから仕方ないよねー。じゃねえよクソが。って思う。


金が欲しくてもズルすんなよ、浮気とか不倫したかったらしっかり関係を終わらせてからしろよって、シンプルに思う。


自分がその立場になったらわかるって、みたいな発想されるのは悔しいね、お前はおれの何を知ってるんだ、他人の感情や脳みそのぞかんのか?って思うね。


欲に目が眩む、バレるとかバレないとかでもないというか、例えばあなたが万引きをしない理由は法律で禁止されていてバレたら捕まるから。ではないと思う。


そもそもそんなこと人としてしたくないからしない。だと思う、だからバレるバレないは関係ない。


誰も見ていない場所で自分の行いが好きになれるかどうか、嫌いになれるかどうかなんだから。


欲を元に起こしたズル行為なんて年取った時何も残らんマジで。


目の前の金とか、美女とかイケメンとかなんとか。


仕事でも何でも、自分の得のために目の前の人たちが見えていないかのような方々。


そんなんで手に入れるくらいなら貰わない方がマシだ全て。


それによって失うものを理解してないやつはダメだ。


今日しか見えてねぇ。


優しさがないやつはカスだ。


それは結果的に自分への優しさすらないってことだ。あるように見えて一番ない。


今日だけは"じゃあそんなお前は完璧に優しいのか?"の意見は全て無視する。


まあお人よしなんてロクなことないから、あげて返ってこなくて良いことしかしないけどね。


なんか、欲を元にしたズル行為に対しての怒りが爆発しかけた夜でした。


した夜でした。


ひよこひよこ🐣🐤🐥