2023年1月4日、オーストラリアのケアンズという街にいる。

 

親がよく家族チャットに甥っ子や姪っ子の写真を載せてくれるから例え自分の帰国が数年ぶりになってしまったとしてその間の会ってない期間も彼らの姿を見ることができる。久しぶりに会って大きくなったなぁ…なんて2年分の成長を少し寂しく思わなくてもいいくらいに彼らの成長はそこで全てみれてしまう。

 

一昔前だったらそんな枚数の電子ファイルをメールでやり取りしたら通信料は一体どんな恐ろしい事になっていたんだろうと思うと現代の海外渡航はイージー、昔に比べ本当にハードルが下がった。

 

さらに昔であればそもそもやり取りなんて基本はできない、現地の目の前にいる人たちとしか関われなかったことを考えると世界中どこに居てもどの世界とも繋がって情報をアップデートできたりコミュニケーションが取れるって幸せだ。居ない側での時間の空白を見事に埋めてくれる。

 

まあ兎にも角にも甥っ子や姪っ子が可愛くて可愛くて、いや元々子供好きだから基本は可愛いんだけど、自分ではあんまり認めたくないくらいに可愛く思う。自分の子でもないし、あと姉とはそんなにベッタリな関係ではない、特段仲悪くもないけど普段そんな密に連絡を取るわけじゃないし、そこにいたらまあ話すけど、でも家族だからお互い遠目に応援したり心配してるって感じかも知らん。

 

甥や姪がそんな風に可愛いのは子供の可愛い以外に身内の子である特別な感情があると思う。

 

送られてきた写真を見ながらこの子らが今後の人生で自由に物事を選べたり不自由なく良い環境で幸せに育てばいいなぁとか、親が思うような親心みたいなもんを感じていたり。

 

そんでもしこの子らが傷つくようなことがあったらおれは同じように傷ついて何か出来ることはないかと考えるんだろうなとか思う。

 

友達に遊んでもらう甥っ子



子供の頃に親とか近しい人たちが散々口にしてた事とか良く言われた事って当時は当然の事ながら全然ピンと来なかった。

 

大人になってみて初めてその気持ちがわかるだなんて事すら散々聞いてきたけど、子供なんて親の立場を理解するはずもなく、まあ特に俺は自分の頑なで曲がらない、そして極端に脆いメンタルとその戦いが10年以上にも及んでいた訳だからそんなこと考えてる余裕なんてなかった。

 

人間は成長とともに日々社会的立場が徐々に変化していくもんで、その時々に相応しい振る舞いや行動、言動を学びつつそんで気づいたら子供の頃にはピンと来なかったその言葉が少しずつ、ほんとそよ風くらいにふわっと感じ始める。

 

結局今も、親の言葉や立場なんてそんなのしっかりと感じるのは自分が同じような立場になった時、家族持って子供を持ってその時初めてわかるもんだろうから今も全然わかってないんだろうなってそう思いながら生活している。

 

でも甥っ子や姪っ子を可愛く感じる気持ちはそれを少しは想像するきっかけになり得るかもしれない。

 

今ですらその子らの苦しむ顔なんて、悲しむ顔なんて見たくない、本当に。

 

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自分がぶっ壊れたのは13の時、最初の一年は尋常じゃない壊れ方をした、そんでその後健康状態の上昇と下降を繰り返しながら、波打ちながら騙し騙し学校にも通っていたし高校にも合格した。高校上がってからは流石に騙し切れなくなって高二の6月に学校辞めた、そこから7年間24までなんもできなかった。

 

東京女子医大の小児精神科に初めて世話になったのは13歳の時で、そっから最終的に精神科通院を卒業できたのは語学留学に経つ直前の26の時、実に人生の半分を正常に機能せずに過ごしてきた。

 

一番酷かったには最初の一年、まだ子供だった、今思うと自分の実の息子があんなふうになって親がまともでいられるわけはないと思う。それは実感というより少し考えれば容易に想像できてしまう。

 

普段はしないけれど本当に時々親と当時についての話をすることがある。

 

母親は俺がなんとか良くならないかと色んなことしてくれた、合う医者を見つけるまでひたすら病院を探して連れて行ってくれたり精神薬について調べていたり(当時は連れて行かれていると思っていた)、後年は精神疾患患者についての月間雑誌の購読を登録して何年も読んでいた、その他地域の精神疾患患者の家族会へ参加など。

 

父親は万が一俺がその後もずっと社会復帰できない時のことを常に想定していた、だから金銭面での苦労を俺にも社会にも掛けさせまいと、かなりのロングスパンで色々考えて準備していてくれた。

 

人との会話もダメになっていた自分が24で恐る恐るアルバイトを始めそして2年後に精神科を卒業するその時まで、なんか欲しかったら言え、小遣いはやるから、お前が働けないのはしょうがないんだから、と言って俺の息が詰まらなように金銭面による苦労を感じないようにしてくれていた。酔っ払うとよく寂しそうになにかを言いかけてはやめ”しょうがない、しょうがないんだよ”って言った後に”でもなんかほしかったら言え、小遣いやるからな、ケンスケ、今度野郎二人で箱根旅行行こう”ってよく言ってた。

 

もちろん、当人の俺はいつも申し訳ない気持ちでいた。ただそんなことそんなことを伝えたこともないし態度にも出さない、どうすることもできないから。

 

それでも両親から無理に働けと言われたことは一度もない。

 

13歳で壊れ始めた当初父親はまだ子供だった自分を心配して日中仕事が手につかなったと、後になってから聞いた。

 

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俺は今身内の子に親心みたいなもんをうっすら感じていて、それを思った上で自分の当時を思い出して親の立場に立ったらそんなのはちょっと想像すらしたくないような気持ちだった。

 

性格上俺は小さい時から親の心配をたくさんしてきた、父親が酔い過ぎた時も、母親が夫婦喧嘩で泣いている時も。

 

ただ親の心配ってのはまた次元が違うんだろうな、自分ほどのことなんてまあまずあり得ることではないんだけど、そうでないにしても甥っ子や姪っ子になにかあったら俺はとても悲しい。

 

その子達が傷つく姿なんて見たくはない。

 

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世話になることしかできなかった、そんな自分が世話にならず自分自身の力によって何をどこまで達成できるのかとあれこれやってみようと思うのはそんな人生辿ってきてたら当然のことなんじゃないかと思う。

 

親というより自分が自分に証明したい。紙一重で精神疾患を抱えたまま終わるかもしれなかった自分がちゃんと生きれるということを、人生をどこまでひっくり返せるかということを。

 

正直連絡なんて密に取り合わなくていい、お互いちゃんと元気にやってるってわかっていればあとは時々会って話せばいいんだから。

 

きっと家族ってそういうもんなんだろうな。

 

それが正解なんだろうな。

 

距離が近いと母親とは毎日激しい言い争いをしてしまうことは間違えない、ちょっと離れてるくらいがちょうどいいんよ。

 

さ、引き続き楽しんでいきましょうか。