高野山のあと、ちょっと足を伸ばして「九度山」に行ってきました。

 

 

 

九度山とは、関ヶ原の戦いに敗れた真田幸村が(実際は長野県上田市で家康軍、家康の息子秀忠の大軍勢を足止め、勝利)所領の上田から追放され、幽閉されていたところです。

 

1600年10月9日、幸村父子は名将と誉れの高い父、昌幸とともに、真田家の菩提寺である高野山蓮華定院に身を寄せました。

 

その後、九度山へ。

 

14年ほど、そこで暮らしたそうです。

 

幸村はそこから大阪の陣(夏と冬)へ行ったのですね。

 

で、最初の大阪の陣は「夏の陣(1614年)」

 

そのときの有名な合戦図がこれです。

 

 

すごい人数ですね。

 

近年になって、この合戦図、かなり詳細にかつ正確に書かれていることが分かったそうです。

 

幸村はどこ?

 

真ん中ちょい下に、真田のシンボルカラー「赤備え」軍団がいます。

 

 

 

 

もともとは武田信玄の赤軍団。

 

それを真田が引き継いだんですね。

 

他にも同じく武田家から徳川家に行った赤備え軍団は「井伊家」もいます。

 

 

ま、それは置いておいて、

 

よく見ると、まるで「満員電車」状態(笑)。

 

どれが幸村?

 

どこに幸村?

 

 

 

さらに拡大

 

 

 

真ん中あたり

 

黒い鹿の角の兜をかぶっている人物

 

 

 

これが幸村だそうです。

 

 

ではでは、家康はどこ?

 

 

全体図の右下

 

幸村軍団の真正面

 

「五」と書かれた護衛に囲まれている人物

 

 

 

これが家康だそうです。

 

 

護衛が15人もいますね(^-^)

 

 

さすが、絶対に死んではいけない人物。

 

 

 

ああ、この時幸村が家康を打ち取っていたら…

 

歴史が変わっていたでしょうね~

 

 

でも、その後の平和で文化的な「江戸時代」はなかったと考えると、やはり幸村は悲劇のヒーローで良かったのだとい思います。

 

 

 

大阪城全体図

 

強固な堀に囲まれていることが分かります。

 

ここに幸村が作った「出城(城壁から突き出た前線基地)」が有名な「真田丸」ですね。

 

家康はその後、講和を持ちかけて、この堀を全部埋めてしまいました。

 

 

 

堀がなくなった大阪城は丸裸同然です。

 

 

 

実は豊臣秀吉の息子、秀頼はだめ2代目というレッテルを張られていますが、ほんとうはかなりの「智将」だったらしく、冬の陣で家康が再び攻め寄せて来たとき、周囲の川をせき止めて天然の堀を作ったことが最新の研究で分かったそうです。

 

 

まだまだ知られていない「歴史」の真実ってあるんですね。

 

結局はその天然の堀も、家康の工兵部隊に埋め立てられ、最後は大砲で外から砲撃されて、名城大阪城も火の海で落城、真田幸村も戦死、秀頼も自刃。

 

 

ここに歴史の1ページが終わります。

 

 

 

歴史ロマンに浸った後は、真田の赤にちなんで、柿ソフト。

 

ほんのり「柿味」でした。

 

 

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