「病気の原因」は何でしょうか?
僕は肺ガンになりました。
ガンと向き合っていた時は、原因のことなど考えたり探ったりする「ゆとり」はありませんでしたが、
その体験を「通り抜けたとき」いろいろと「腑に落ちること」がありました。
病気の原因はもちろん「ひとつ」ではありませんし、多岐にわたっていると思います。
でも、その原因の中で大きなもののひとつが「こころの在り方」だと思います。
心の中で、どんなことが起こっているか?
つまり、無意識のうちに、こころのなかでどんなことを「しゃべって」(しゃべりまくって)いるか。
約2000年前に書かれた「維摩経」という経典があります。
そこにズバリ!「病気の原因とは…」という部分があります。
(読むのであれば、この本をお勧めします。サンスクリット語からの直訳であること&解説が分かりやすいので)
この経典の内容というか、シチュエーションは、「ヴィマラキ-ルティ」という賢者(悟った人)が病気になり、ブッダがそれを聞いて弟子にお見舞いに行くように頼みますが、弟子たちはことごとく断ります。
なぜならブッダの弟子たちは過去にこの「ヴィマラキ-ルティ」と会って対談したことがあり、みんな全員(一人を除いて)が、自分の気づいていなかった様々な歪みや独りよがり、
いわゆる「エゴ」を指摘された経験があるので、話をしたくない、出来ません、というのです。
どんな隠れた「エゴ」を指摘されたのか、という部分も「解説」としての面白さですが、ほんとうに面白いのはここから。
唯一「ヴィマラキ-ルティ」と会ったことがなく、そして彼ならば対面しても大丈夫、と選ばれたのが「マンジュシリー菩薩」です。
ここから「ヴィマラキ-ルティ」と「マンジュシリー菩薩」の真理の丁々発止が始まります。
ちなみに「ヴィマラキ-ルティ」を漢字で表すと「維摩」、「マンジュシリー菩薩」は「文殊菩薩」になります。
維摩さん座像(法華寺)
維摩vs文殊菩薩
そのやりとりの中で、病気の原因の話が出てきます。
(P177)
ちょっと原文を飛ばしなながらですが、そのまま書きますと…
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(原文)
病気は、その病の原因から生じるものです。
病気の原因は何でしょうか?
それは、認識対象としての縁(えん)をとらえることを原因としています。
認識対象としての縁をとらえるという原因がある限り、それだけで病気の原因があるのです。
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(刀根超訳)
認識対象の縁(えん)とは何でしょうか?
それは目の前に起こったことを、「五感(目・鼻・耳・口・体感覚)」でとらえ、
それを「これってこいいうもんだ」と今までの自分の過去の経験からくる枠組み(モノの見方)に当てはめ、
そして、それに従って頭の中で自動的にしゃべり始め、
そのおしゃべりと並行して表情が変わったり、あるいは実際に行動が始まったりしすること、
と分解してとらえると分かりやすいです。
この3次元世界で生きていれば、誰でも「認識対象の縁」にとらわれます。
それは当たり前ですね。
(さとりをひらいた人は別ですが)
見る世界、聴こえる世界、あるいは感じる世界が真実、あるいは事実と認識します。
でも、人は「自分の見たいところしか見ていない」ということが脳科学で分かっています。
全てを「認識」してしまうと、脳がオーバーフローしてしまうので、自分が焦点を合わせた部分しか意識上にのぼらせない、ということを自動的に行っています。
つまり僕たちは「見たいもの」や「聞きたい」「感じたい」ものだけ捉えていて、他は削除しているということなのです。
自分という「サングラス」という偏った世界を「事実・真実」と認識(誤認識)しているのです。
維摩さん的に言うならば、さとりをひらいてすべてを「照らして」「見て」そしてそれがすべて「空」であることを「腹落ち」すれば、病気でも病気じゃなくても、おんなじことなんだから、気にすることはないじゃんか、あはは、なんですが(笑)
「我という、小さきものを捨ててみよ。三千世界がわが身となりける」
(指月禅師)
でも凡人のぼくたちは、中々その領域に達することは難しくもあり。
なので、その手前の段階としての段階的なポイントがあります。
これは、このあとの維摩さんの言葉からです。
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(原文)
認識対象として何をとらえるのかというと、【欲界・色界・無色界】三界をとらえるということです。
認識対象をとらえるということが病気の原因であることを知ることによって、そのひとにはどのような知が具(そな)わるのでしょうか。
それはすなわち、認識対象としての縁(えん)をとらえないということです。
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(刀根超訳)
三界とは…
①欲界はいわゆる「エゴ」の世界
②色界はエゴの執着からは自由になっているけれど、まだ私は「身体である」という認識から離れていない状態とのこと。
③無色界とは、さらにそこからも離れ、完全に意識のみの状態になっていること
らしいです。
①→②→③
まあ、つまるところ「エゴ」による幻想から自由になって「照見・五蘊・皆・空」という般若心経の境地に到達する順番みたいなものですね。
僕たちが住んでいるのは、ほぼ①の「欲界」です。
病気の多くの原因は「欲界」の縁(えん)に捕まってしまう、ということなのです。
では、欲界の縁とはいったい何でしょうか?
それは目の前に起こった何かの出来事に対して、頭の中でどんな解釈をして、どんなことをしゃべり、どんな反応をするか、という、さきほども書いた「同じこと」なんです。
これを僕が伝えている心理学/交流分析/TAのエリック・バーン博士はこう言っています。
~~~~~~~~~
(原文まま)
人間の運命は、頭の外で出会った出来事に対して頭脳内で何が起こるかによって決まる。
人はそれぞれ、子ども時代の早期にどのように生き、どのように死ぬかのプランを立て、
そのプランを「すべきこと」「すべきでないこと」を告げる「親」の声の形で頭の中に持ち歩き、
また、どのようになりたいかという自分の熱望を「こども」の映像の形で持ち運ぶ。それは脚本と呼ばれる。
脚本はコンピュータのプログラムのように働き、
プログラムを書いた人がいなくなった後も、ずっとインプットされた順での反応を引き出す。
そして規定の結末に導いているのは自分だという幻想を抱きつつ、プログラムに沿って人生という題目を演じていくのである。
エリックバーン・人生脚本の全て エリック・バーン著
そう、エゴの書いた「幻想」なのです。
もし、このエゴのプログラムが「歪んで」いたら?
バーン博士はシナリオ(脚本)は3種類あり、そのひとち「敗者の脚本」の最悪の行きつく先は
①病院(病気になる)
②刑務所
③墓場
と言っています。
僕は①から危うく③に行きそうになりました(笑)。
維摩さんと同じことを約2000年後にバーン博士が言っているわけですね。
維摩さんの話を現代的に分かりやすく翻訳を続けると…
自分のエゴのおしゃべりに「気づく」ということで、どんな「知」が得られるのでしょうか?
それは「エゴ」客観視して、そのおしゃべりに巻き込まれないようになる「可能性」が高まる、ということです。
それが「自分を知ること」の「知」なのです。
縁(えん)をとらえない=気づいて、客観視して、流し、手放していく。
手放していくには、自分が何を「握りしめているか」を知って(認識して)いることが大切です。
そういう意味で「心理学」からの「自分のエゴを知る」というアプローチは欠かせないものだと、僕は思っています。
先週土曜日(17日)から心理学/TAを通じて徹底的にエゴを学ぶ「TAコンサルタント養成講座」が始まりました。
全8回、4か月に渡って、自分のエゴを仲間ともに学ぶ講座です。
4か月後、みなさんがどんな変化・変容を遂げているか、ほんとうに楽しみです。
そして、維摩さんの話はまだ続きます。
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(原文)
では、何を知覚しないのか?
それはひとつの見ることを知覚しないのです。
すなわち自己の内側を見ることと、自分の外のものを見ることです。
それが認識対象をとらえないことだと言われています。
まさにこのように、マンシュリー(文殊菩薩)よ、病気になったとき菩薩は、生老病死の【4苦】を断つために自分の心を観察すべきです。
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(刀根超訳)
見ることを知覚しない=その刺激に捕らわれない、執着しない、ひっかからない、いつかない、という事だと思います。
内側を知覚しない=自分の頭の中のエゴがしゃべることに「捕らわれない、執着しない、ひっかからない、いつかない」。
自分の外のもの=外側で起こる出来事に「捕らわれない、執着しない、ひっかからない、いつかない」。
内側にも、外側にも「捕らわれない、執着しない、ひっかからない、いつかない」。
病気になったら、まさにこのように「自分を知り」「観察し」そして流して「手放していく」ことが「病気を原因から解決」していく、という事なのではないでしょうか。
これは現代では「マインドフルネス」も同じですね。
まあ、そもそも「マインドフルネス」は仏教がルーツですから当たり前なんですが(笑)。
病気の原因=エゴ(世界のとらえ方・反応の仕方)の歪み
エゴの歪みを知る(認識の縁(えん))=自分を知ること
自分の中の歪んだ部分を知り、手放していくこと=内側にも外側にも、エゴのプログラムで反応しない
維摩さんとバーン博士は2000年の時を経て、同じようなことを言っていました。
(おふたりだけでなく、多くの方が同じこと、たくさん言葉で残されています)
ということで、今日は「病気の原因」のお話でした。
ではでは!!
(お知らせ)
ジョンがこの3次元世界に「出版」というかたちで顕現してから約9か月経ちました。
おかげさまで5つ星の4.5、レビューも180(9月19日)と、多くのみなさまに愛され、この物語を「記述者」として媒介した者としては、嬉しい限りです。
ほんとうに、ありがとうございます。
ある日、僕の頭の中にインスピレーションとしてやってきた「ジョンの物語」が、こんなにも多くの方々に読んで頂ける日が来るなどとは、書き始めた当時は思いもよりませんでした。
あの当時は、ただ書きたくて書き始めた、いや、書かされているといった感じでした。
そして、その後の「肺ガンステージ4からの生還」という体験が、それ以前に書いていたこの物語をさらに深く、ほんとうの物語にしてくれました。
「体験を通り抜けることで、Beingが変わり、世界が変わる」
結局、僕たちは自分の「身体」「こころ(エゴ)」と「魂」でこの3次元世界を体験し、学んでいくということしか、出来ないのかもしれません。
全ては「体験」という「学び」であり、それはまた魂にとっては「遊び」なんですね。
この世界は「苦しみ」ではなく「遊び」です。
「生死は菩薩の園林(おんりん)なり、生死は菩薩の遊戯場なり」
この世界を、エゴが創り出す恐れと不安とサバイバル世界の幻想世界でなく、魂の遊び場として、徹底的に「遊び」尽くしましょう!
昨日、出版社の方から「さとりをひらいた犬、本当の自分に出会う物語」がkindleの30%ポイントアップのキャンペーンの対象になっていると連絡を頂きました。(~9.22まで)
紙媒体ももちろんですが、kindleでもジョンと旅をご一緒したい方がおられましたら、ぜひ旅のお供にお加え下さい。
※まだジョンとの旅が始まっていない方は、これを機にぜひ「本当の自分に出会う物語」の旅にご出発してくださいね。
愛と感謝と喜びのアホウより(笑)
さとりをひらいた犬 ほんとうの自分に出会う物語
Amazon(アマゾン)
1,568円
別のショップのリンクを追加・編集
★生還体験記です。
ベストセラーになりました。
僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則
Amazon(アマゾン)
810〜3,300円
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★講演などの画像です。よろしければ。
★オススメのお水やお茶など
よくご質問いただくので、以前書いた記事をリンクしておきます。
オススメの本①(読むと元気になる)
おススメの本②(劇的寛解事例)
おススメ本③(生還者たちの体験記)
おススメ本④(食事関連)
★講演会など
①リーらの会 #12(ZOOM開催)
9月30日(金)の開催です。
時間は午後20時から22時くらいまで。
主に仲間づくり、情報の交換、悩み相談などが目的の会です。
「がん」を含めて(ガンでなくても、もちろん歓迎)、病気や気持ちや環境など、その中で感じていること、悩んでいることなどを語り合える仲間がいるだけで、心が軽くなります。
共通の悩み(病気)や、目の前に起こっているトラブルなど、話し合い、聴き合うという体験は大切です。
人は、話すことによって癒されるのです。
(カール・ロジャース談)
前回(8月26日)は約50名のみなさんにお越しいただき、楽しい時間を過ごさせて頂きました。
この日は僕の話(只管ということ)の他に、大腸ガンステージ4生還者Gさん(寛解してもうちょっとで5年)、
エンディングノートを書いて生き方変えてガン消えて社会復帰の、上顎ガンステージ4から生還したOさん、
そのエンディングノートのご指導をされたリボーン洞戸のセラピスト池田ユリさんの話をお聴きしました。
みなさん、すばらしい。
人の可能性は無限大です。
また、グループのシェアでも、たくさんの仲間と良い交流が出来たようです。
ご参加いただいた皆様に、感謝です。
途中参加、途中退出OKです。
参加方法はZOOM、無料です。
②周波数をあげよう会(リアルお話会)
10月4日(火)13時30分~16時30分
お話会を開催します。
毎月第2火曜日開催予定です。
参加費:5000円(税込み)
お申し込みは㈱ホルミシスメディカルまで。
お電話: 03-5542-0743
③「時空の杜」サレンダー瞑想キャンプ
10月20日(木)~23日(日)
お申し込みはこちらから