いきょくのまねーじゃーのブログ

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市立砺波総合病院の整形外科医です

怒られてもいいかな

 

 規則は守らなければいけない。それは当然のことであるが、あえて書いておく。しかし、「例外のない規則はない」という言葉もある。そんな言葉も思い出した。少し前になってしまったが、日本ハムファイターズの新庄監督が、阪神のユニホームを来て球場に出場されたニュースを目にして考えさせられた。

 

 野球では、監督が選手と同じユニフォームを着ることになっているため、NPBから注意を受けたと報道されている。野球規則を調べてみると、『 自チームの他のプレーヤーと異なるユニフォームを着たプレーヤーは試合には参加できない。』(3-03-C)とあるが、監督のユニフォームの規則はない。しかし、『出場停止処分中の監督、コーチ、プレーヤーは、ユニフォームを着てクラブの試合前の練習に参加することはかまわないが、試合中は、ユニフォームを着ることはできず、プレーヤーが試合にたずさわる場所から離れていなければならない。』(6-04)とある。つまり、監督がユニフォームを着ることが試合に参加することになるとも解釈できる。そんな小難しいことはこれくらいにしておく。

 

 新庄監督のパフォーマンスは、観客を喜ばせて、プロ野球を盛り上げることにつながるように感じた。一方で、新庄監督は、「…いくら怒られてもいいかなって」とコメントが記事にある。

(https://www.sankei.com/article/20240529-JPCV3BWN7RJNRPXW4UN3E7MIOU/)

 

 子供の頃から、「お利口さん」でいることを求められてきたように思う。みんなと同じように、行儀良くすること求められてきた。しかしながら、私自身は、規則破りの名人だとある意味自負している。「保育園を逃げ出して家に帰った」というのは、まだ保育園児だったからと許されたのだろう。高校時代は、ひどかった。校則違反の制服を着ていたし、授業時間にお菓子を食べて怒られたことが何度かあった。遠足をサボって、友達と麻雀していた、教室に野良犬を連れてきて、お弁当を分けてあげた、…書けばキリがない。ただ、休学処分を受けたことはない。許容される規則違反だったのかもしれない。(喫煙で休学処分を受けた同級生がいたが、これは未成年喫煙禁止法という法律の違反であり、許容されない違反だろう)

 

 話は変わるが、「病院内ではマスクを」というのは規則だろうか。そんな法律はどこにもない。もしもそんな法律があったら、今頃、私は法律違反で病院に立ち入り禁止になっているだろう。最近、よくマスクを外して診療している。流石に手術中はマスクするけど。

 

 診察室に入ってくると、マスクを外す高齢者は少なくない。マスクをして挨拶をすることは、無礼だと思っているようだ。その通りである。その証拠に新庄監督は、試合中、ずっとマスクをされているが、タイガースのユニフォームをきた時ばかりは、マスクを外されていた。礼儀ということだと思う。

 

 感染対策はいらないとは言わないが、病院だからといってマスクをしているのは、ある意味無礼だと思う。無礼を許してもらえるときは、過ぎていると思っている。そもそも、マスクで感染が防げるなんて本当だったら、逆にマスクをしない現在の世の中で、感染が広がらないのは、科学的にどう解釈すればいいのだろう。こんなことを書いて…「怒られてもいいかなって」ね。(笑)

 

追記 ちなみに「怒る」って感情的なことなのよね。科学的ではなくてね。

 

働き方改革に思う(3)

 

 「全員『主治医』医師の働き方改革」

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6499679

紹介されている新潟医療センターの佐藤卓先生は、膝関節外科の分野で有名な先生であり、学会で何度か直接話をしたことがある。いつも人工膝関節のマニアックな話ばかりで、残念ながら、働き方改革の話はしたことがないのだが。

 

 当院では、診療科によっては全員主治医に近い体制の科があるように見える。一方で、完全主治医制(一人の医師が主治医)に近い科もある。あえて、「近い」と書いたが、全員主治医と言っても、その中の誰かがイニシアチブをとる。逆に完全主治医制であっても、時間外や学会出張で、主治医の先生が留守の時は、他の先生が指示を出される。一言で言うなら、いろんな文化がある。

 

 全員主治医をとなると、時間外にトラブルがあって対応が必要であった場合、当番の先生が判断して指示を出す。働き方としては、時間で区切りがつくから働き方改革になる。例えば、終末期の患者さんが、亡くなった時の対応は、主治医であるべきかというのはよく話題になる。一方でデメリットもあるように思う。

 

 ときどき研修医の先生などにこんな話をする。「最良の治療選択肢は一つのはずだが、正解はいくつもある。」と。ちょっと極端な言い方になることはご容赦いただきたいが、小学校から大学受験、さらには医師国家試験まで、一つの正解を当てる教育を受けてきた。いつの間にか、思考回路が正解を当てようとしてしまう。それが悪いという意味ではない。医療は、そんな問題とは違うと思う。

 

 治療選択の「正解はいくつもある」のだが、それぞれの場面では、選べるのは一つで、それが、他の医師にとって、さらには、その患者さんにとっては、正解ではないということがある。さらに結果的には、その選択が正解ではないこともある。時間外のトラブルに対して、「どうして、そんなことしたの…」と、結果が悪かったことをきっかけに、翌朝に口論になっているのを目にしたことも少なくない。(単にその医師のマウンティングにすぎないのかも)

 

 患者さんからしても、例えば、時間外にトラブルが発生した時の当番が、新人ドクター(必ずしも悪い選択をするわけではない)だった場合に、ベテランの先生の方が良かったなんて思うことはないだろうか。少なくとも私が患者ならそう思うだろう。

 

 全員主治医制の成功の鍵は、個々の選択を尊重することだと思う。仮にその選択があまり良くなくて結果が悪くても。そして、尊重するのは、スタッフ同士ばかりではなく、患者さんもふくまれる。尊重できるかな?、まさに改革が必要かもね。

働き方改革

 

 「あー、やっとついた。」今週火曜日、ジャイアンツ戦観戦のために富山アルペンスタジアムへ行ってきた。一緒に行く予定だったK先生は、午前中の仕事のあと半日の年休を取って、出かけていかれた。年休を使うことも働き方改革かもしれない。

 

 午後から原則外来はしていないのだが、午前の診察で積み残した予約患者さんの診察をした。その後、退院患者さんのご家族が話を聞きたいとのことで、病状説明と今後の診察の相談ををした。入院中に十分に説明できなかったことの罪滅ぼしである。さらに、別の患者さんの家族は、退院に不安を訴える。コロナ対策というコロナ禍の後遺症とも言える(わかるかな?コロナ禍は終わっている)が、緩和されたというものの面会制限は続いている。さらには、原則試験外泊を禁止している。高齢者の場合、病院での生活はうまくいっても、自宅は段差もあるし、身の回りの動きも多くなる。本人や家族の不安は尽きない。私の働き方改革に「コロナ禍後遺症」(私の造語;コロナウイルスによる後遺症ではない)は、働き方改革には邪魔である。

 

 話を戻す。球場についたのは、19時をすぎていた。理由の一つは車の渋滞だが、カーナビが抜け道を教えてくれた。もう一つが、駐車場に車を停めて、シャトルバス乗り場へ行くと長蛇の列だった。今までなら、5分ほど待ってバスに乗れたのに、なかなかバスが来ない。想像するに、コロナ禍で、大型バスの数が少なくなったのだろう。さらには、働き方改革で、運転手さんも人手不足なのかもしれない。

 

 球場に着いて、約1時間で試合終了となった。同じチケット代を払ったのだから、もう少し楽しみたかった。それでも、球場ならではの臨場感と開放感でリフレッシュできた。ヒーローインタビューを見届けて球場を後にした。

 

 K先生と一緒にシャトルバス乗り場に向かうと、帰路に着く人で長蛇の列だった。運営に問題があるように思うが、3年ぶりの富山でのジャアンツ戦だから仕方ないとも思う。1時間以上待って、バスに乗ることができた。確認はしなかったが、運転手さんは、超過勤務だったはず、たくさんお手当て出たのかな、無料シャトルバスだからなあ、などなど、想像しているだけで時間は過ぎた。いずれにしても、バスの運転手さんが途中で帰ってしまわなくて、よかった。「働き方改革だー」って言ってね。