いきょくのまねーじゃーのブログ

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市立砺波総合病院の整形外科医です

「病院で過ごす」

 

 「もう少し、もう少しという思いがある。もうこれでいいという気持ちにはならない。」

金曜日の夜、アパートに戻り遅い夕食を食べながら、NHKで「時をかけるテレビ〜今こそ見たい!この一本」という番組で日野原先生のドキュメンタリーを見た。(以前放送されたときにも見た記憶がある。)

 

 

 

 この番組を見ながら、いろんなことを考える。たまたま私が担当している患者さんの中に知り合いの医師のご両親が複数いる。私と同世代の先生のお母様であり、書くまでもなくご高齢である。失礼を覚悟で書くならば、加齢に伴う身体の衰えは否めない。今の医療では、解決できない問題点があることは書くまでもない。言葉を変えるなら、治療に限界がある。そんなことは説明しなくても理解されている。医学的知識があるだけに、わかっているだけに悩まれているかもしれない。残念ながら、ヤブ医者の私は、本人、家族の期待に応えきれていなく申し訳なく感じる。

 

 という私の父は、現在地元の病院で入院加療を受けている。昨日(土曜日)に面会に行くと、「今日の挨拶、まあ、前回と一緒でいいやろ。原稿がそこにある。それでいいか〇〇さんに頼んでくれ」(以前教職にあったため、全校集会で挨拶をするつもりでいるよう)「そこにお菓子がある。美味しいかどうかわからんが、富山に持って帰って食べろ」(家にいると思っている)と辻褄のあわないことをいう。入院前日には、弟家族と中華料理屋でチャーハンと野菜炒めを食べていたという。そこに戻って欲しい。期待はするが、限界がある。

 

 入院していれば、体幹を抑制されて、ミトンと呼ばれる手袋をつけられている。病院はトラブルを避けることを優先する。もしも私が主治医だとしてもそうするだろう。間違いではないものの、父にとってみればストレスであり、体力を奪う。自宅で過ごして欲しいがリスクがある。そして、父には病院で過ごしてもらうことに。それは父のためではない、私のために。

 

 話を戻す。日野原先生でも、奥様が病床にあるときに、残りの人生を自宅で過ごすことを選択するか、病院で治療を継続するかの選択に悩んでいる姿がテレビに映し出された。前回見た時には、こんなこと考えなかったように思う。まさに、「時をかけるテレビ〜今こそ見たい!この一本」だったわ。

 

 

スピンオフ

 

 海外学会のスピンオフ企画、私の師匠のK先生がこんなタイトルで新春セミナーの特別講演をされた。先週土曜日のことである。(色々ありすぎてブログを書けずにいた。)

 

 1年ほど前、「ジャマイカ行ったときの写真持ってないか?何に使うかは内緒だけど…」というメールをもらっていた。セミナーの案内を見た時、「これか!」とつぶやいたのだった。思い返すとK先生とは、海外学会に6回行ったと思う。そのうちの3回が講演の中で紹介されていた。

 

 ちなみにジャマイカに行ったのは、約27年前。現在名古屋市立大学で教授になった同期のM先生がアトランタに留学していた。その時にアトランタで学会があった。M先生に日本のお菓子と週刊誌をスーツケースに入れて持って行った。アトランタでは、M先生がチケットを用意してくれて、アトランタブレーブスの野球の試合を観戦した。その後、なぜかジャマイカにスピンオフしていた。

 

 当時スマホはもちろんなく、デジタルカメラも一般的ではなかった。フィルムのカメラで撮った写真があったのだが、引っ越しなどでどこへ片付けたかわからなくなっていた。写真がスピンオフ?と思ったが、昨年の年末に実家の掃除をしていたら不意に出てきた。急いでデータ化した画像をメールした。その写真も紹介されていた。

 

 私が結婚した時に、ギリシャのアテネで学会があり、妻を連れてくるように言われて、地中海にあるサントリーニ島でお祝いをしていただいた時の写真も紹介されていた。この写真は、一緒に行った他の先生が撮影したもの。スクリーンには、ファーストバイトの写真が映し出されて、ちょっと恥ずかしかったが、それも20年ほど前のこと。

 

 さらには、ベルリンでの学会の時には、アウトバーンをレンタカーで走り、フランスのリオンまで行ったことがあった。事故に遭わないようにお守りを車にかけて、まさに神頼みのスピンオフ。女子ハンドボール日本代表のロンドンオリンピック予選の試合を応援しに行った。スポーツ医学の研究をしていた私にとっては、現地研修ということにさせていただく。振り返ってみると、いろんなところに連れて行っていただいた。

 

  このような活動を「ブレジャー」というらしい。ビジネス(Business)とレジャー(Leisure)を組み合わせた造語で、観光庁は「出張等の機会を活用し、出張先等で滞在を延長するなどして余暇を楽しむこと」と定義している。働き方改革の形として注目されている。K先生と私がスピンオフしていた時には、こんな言葉があったかどうかはわからないが、お咎めはなかった。

 

 

 

 セミナーの後、懇親会があった。K先生には、「色々連れて行っていただきありがとうございました。」と改めていうと、「そうだな。」としみじみと言われたのが印象的だった。大学の研究室で、二人きりの時間が長かったからかもしれない。

 

 セミナーの後、同期14人のうち都合のついた6人で食事をしようということになり、会場から抜け出し、近くのお店でいろんな会話を楽しんだ。その内容は、ここで書くことはできないが…これもスピンオフ?

 

 

 

 

 

「ご縁だと思って…」

 

 今年も残り少なくなってきた。気づくと、ブログを最近書いていなかった。特に12月に入って、学会出張があり、手術が重なり、さらには、私の体力の衰えからだろうか、ブログをかけずにいた。

 

 数日前だったと思う。NHKのニュース9で、介護疲れによって家族を殺害するいわゆる「介護殺人」が話題になっていた。執行猶予中の当事者がインタビューに答えている様子が映し出され、経緯が伝えられていた。その中で、被介護者(被害者)である方は、事件に至るまでにいくつかの病院を受診されていたという。事件にならなかった方法はなかったものかと考えさせられる。もちろん、医療機関が全ての患者さんを救えるはずもない。どこかでうまく対応されれば、もしかすると事件は避けられたのではないだろうかと。

 

 加齢に伴う身体の衰えに対して、医学の無力さを感じることがある。言葉は悪いが、いい薬もいい手術もない場面が多い。そんな患者さんが、受診されても、期待されるような治療を提供できていると言える自信はない。これは、私のミッションではないと心の中で思ってしまっている感が否めない。

 

 診療していると、今までどうやって生活されていたんだろうかと、つぶやく場面がある。90歳代女性の一人暮らし、90歳代の旦那さんが運転する車で受診される80歳代後半の女性、などなど。介護申請もせず、家族のサポートも受けることなく、ギリギリの状態で生活されていたのだろう。時に外傷や疾患の悪化などで、活動性が低下し、生活がおぼつかなくなり、病院を受診されることがある。医学にできることは多くはない。(そこにビジネスチャンスがあるという専門家?の記事を最近目にしたが、そのような考えに同意しにくい。)

 

 言葉を変えるなら、医療の必要性が低い(治療効果は小さい)が、介護の制度にもアクセスできていなく、生活に支障をきたしている患者さんがいる。年末にたまたま「私が入院したら、旦那が生きてられなくなるから入院しない」「一人でなんとかなるから入院しない」という患者さんに出会う。私の診察はこれで終わってもおとがめないのかもしれない。

 

 冒頭紹介したニュースが私の頭をよぎる。せっかく病院を受診してくれたのに、そのあと問題になれば、責められることはないにしても気分がよくはない。考えすぎだと言われるかもしれない。患者さんにとっては、お節介だと思われたかもしれない。

 

 幸いなことに、当院には、信頼できるソーシャルワーカーさんがいる。連絡して、サポートをお願いした。再診のためのタクシーを予約してもらい、介護の手続きの方法を伝えてもらう。それが本当に私のミッションかと言われれば、そうでないのかもしれない。

 

 ソーシャルワーカーさんは、「先生、大変でしたね」と声をかけてくれる。「これもご縁だとお思っているから」というと、「ご縁ですか…」と返してくれた。この言葉にならないコミュニケーションで私の思いは十分につたわったと感じた。これが今年の私の御用納め。

 

 今日から、年末年始の休みに入った。来年も多くの患者さんと出会うはず。それもご縁だと思って…

 

 つたないブログを読んでいただいているみなさま、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。来年も引き続きお付き合いください。