いきょくのまねーじゃーのブログ

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市立砺波総合病院の整形外科医です

「年金の予約?」

 

 「年金の予約をお願いできませんか?」そんなふうに聞こえた。先日、実家の会社の所用である金融機関へ行ったときのことである。会社の口座の手続きを済ませて、帰ろうとすると、窓口の職員さんにそう言われて、驚いた。「誰の年金のことですか?」「あなたのです。口座はお持ちですよね。」「まだ年金もらう年でもないですが…」「それでいいんです。」そんなやりとりをした。

 

 毎日忙しくしていると自らの人生を考える暇などない。いや、考えようとせずに、仕事に逃げているというのが本当のところだろう。心のどこかで、まだまだ仕事ができると思っている自分がいる。しかし、いつまでも今のようには仕事ができなくなる日が来る。その証拠に10年前に比べれば、仕事が遅くなったように思う。さらには、マルチタスクができなくなった。

 

 「いいですが、いつになるかわかりませんよ。もらえるまでに死んじゃうかも…。」とおどけて見せる自分がいた。年金をもらうことに抵抗しているわけではない。どこか、まだまだ先だと思っていたが、迫ってくる老いに恐れているのかもしれない。「いつになってもいいんです。もらわれる時にぜひうちの口座で受け取ってください。今なら、キャンペーン中で、会員になっていただくと、定期預金を優遇金利でお預かりします。そのほか優待施設もあります。」とパンフレットを目の前に広げられて、説明された。「せっかく勧めていただいたので、申し込みましょう」と言って書類を書いた。「粗品です」と、アルミホイルとタオルとテッシュをいただいて帰ってきた。

 

 このシステムを私の仕事に活かせないものだろうかと考える。「手術の予約をしていただけませんか?いつになってもいいんです。気が向いたら、私のところで手術を…それまで湿布出しましょ」こんな感じだろうか。どこかおかしいが、私が扱う疾患は加齢に伴い症状が悪化し、手術を行うことがあるから。「いや、もうすぐお迎えが来ますので」と断られるだろう。または、「燃やさないと治らんから」と言われる患者さんもいるだろう。そんな妄想をしながら帰ってきた。(念のために書いておくが、もちろんこんなキャンペーンはしないです。)

 

 話を戻す。実家に戻り、年老いた母に報告すると、「あんたもそんな年になったんだ」と貰ってきた粗品を手にしみじみとつぶやいた。「母さんは、生きているだけで儲けもんだから、長生きしてお金儲けして。死んでしまったら年金もらえんからね。あてにしてるから。」と決して褒められることはない言葉をかけたが、笑っていた。そんなこんなで、年金をもらえる日が近づいているということを実感したのよね。

夜を徹して…

 

 

 昨日の夕方、手術を終えて、手術室のラウンジのテレビが、熊本地震を伝えていた。「電気止まったら熱中症で命を落としてしまうわ。」とつぶやいた。テレビが伝える状況は、あまりにも悲惨である。被災者にお見舞いを申し上げたい。

 

 そんなニュースで、「夜を徹して」救命救助に取り組んでほしい、という言葉が気になった。高市首相の睡眠時間が、先日話題になっていたが、自らが「夜を徹して」仕事をされているから、言えるのかもしれない。状況がそう言わせているのだろう。いずれにしても、「夜を徹して」仕事をすることが、どこか憚れる空気がある。その空気に私も毒されているから、こんな言葉が気になるのかもしれない。

 

 話は変わる。私の仕事の性質上、「夜を徹して」仕事をすることがある。働き方改革という言葉を盾に、「夜を徹して」仕事をすることを避けようとする。私自身は、「夜を徹して」仕事をしても、翌日いつも通りに仕事をした時代に生きてきた。その癖が治らずにいるとも言える。

 

 熊本の地震の被災状況に比べたら、比べものにならないが、仕事が重なり(患者さんが続けてきて)仕事が時間外になることがある。緊急性のある患者さんの時には「夜を徹して」仕事をせざるを得ない、いや仕事をすべきであろう。それまで、はばかれる空気がある。「時間外ですから」「夜ですので」という言い訳が、今までより力を持ってきているように感じている。働き方改革を労働時間短縮と読み違えているのかもしれない。

 

 話を戻す。熊本の状況を見ていると、なにかできることはないだろうかと考える。もしも熊本にいたならば、「夜を徹して」手術していたかもしれないが。以前の能登の震災の時にも同じことを考えていた。その時の結論は、いつも通りに目の前の仕事をすることが回り回って支援になる。そう信じる。そして、今日も、明日も、「夜を徹して」仕事できるように体調を整えておくことに…。そんな、矛盾の中で生きているんだなあ。

 

 

ジャスミンティーは…

 

 「ジャスミンティ、好きなんです」と研修医の先生がつぶやいた。聞き流せはよかったのに、おじさん(私)は黙っていられなかった。「ジャスミンティーは、眠りさそうくすり、だよね。」と言ってしまった。「そうなんですか。知りませんでした。」どうやら、医療の指導をしたと思われたようだ。

 

 近くでそのやりとりを聞いていたベテランの先生は、「先生、無理ですよ。ジェネレーションギャップです。」と。時代が変わり、私の常識が常識でなくなったのだ。

 

 以前許されていたことが許されないことがある。例えば、遅くまで仕事をさせることは許されない。私が研修医だった頃は、夜中まで仕事するのが当たり前だった。もちろん無給で。帰り道に先輩が夕ご飯をご馳走してくれたのだが。

 

 そもそも、その頃研修医の仕事は、今の判断基準からすれば、自己研鑽だと言えなくもない。誰に命令されたわけでもなく、先輩の手術の助手(じゃまだったかも)をしたり、カンファレンスの準備をしたり。それで、力をつけてきたように思う。しかし、そんな昔話は通用しない。これもジェネレーションギャップ。

 

 さらに論文検索だって、図書室に言って、電話帳のような(この言葉も死語?)文献集を開いて、キーワードから文献を見つけて、その文献を探して、参考文献をさらに探す。そんなアナログな作業をしていた。今では、インターネットで、それもAIにキーワードを入れれば、論文が2秒で出てくる。ジェネレーションギャップである。

 

 話を戻す。「部屋に帰って、ググってみます」と研修医の先生は言ってくれた。「チャッピーでもいいけど」と答えておいた。ちゃんと答えを教えないと、指導医としては失格かもしれない。もちろん医学書にその答えはない。

 

 今頃、答えを見つけているだろうか。以前、尾崎亜美さんのコンサートに言ったときのMCで、「ジャスミンティーには、カフェインが入っているので、眠れなくなるんです。みんなに嘘つきって言われているんです…」と話をされていたのを思い出す。おそらく、私も「嘘つき〜」って言われているだろうなあ。

 

 

この写真は、医局ラウンジの冷蔵庫です。

このジャスミンティーを冷蔵庫に入れながら…