今日、ファンデーションを購入するために街をウロウロしました。


今まで使っていたものではなく、カバー力のある夏の汗に

強いものを探していました。


店員さんが声をかけてくれたので、

カウンターでお化粧をしてもらうことに。



私は商品販売力をアップさせる研修などもやっているので

どんな接客をしてくれるのか興味深々。( ´艸`)



店員「どんなお悩みがありますか?」

私「Tゾーンのてかり。べたつきですね」

店員「夏は本当にべたつきが嫌ですよね」



ちゃんと共感してくれています。



店員「他に気になる点ありますか?」

私「べたつきが嫌なので、乳液とかも塗るのが嫌で・・・」

店員「それなら、良い商品がありますよ!」


きたきた~。

ファンデーション以外にも買わされそう?と思う私。


そこから、延々と乳液の説明が始まります。

乳液の成分、他社との比較、製造工程、お客様の評判etc…




これは、ブッブ~なのです。




まずは、お客様が聴きたいことをお話するのが鉄則。


「いや~別に今日は乳液買いに来たわけではないし」


と言われちゃいますね。


お客様は、「必要な情報は欲しい」と思っています。


このお客様にとって必要な情報と、店側の売りたい商品が

マッチングしない時は哀しい結果になりますね。


これを解消するには、


どんどん質問!


するしかないのです。


「とにかく、べたつくのがおイヤなのですね?」

「べたつくと感じる時はどんなときですか?」

「お化粧はどのくらい持ちますか?」



色々聴いてもらった後に、


「そうですか。それではそんな○○様のお悩みを解消するような

ピッタリの商品をご紹介させていただいてもよろしいですか?」


と言われると、こっちもワクワクする。



とにかく、お客様のニーズを質問する⇒共感する⇒質問する。

それで、「それならば!」とお客様のお話を聴いて選びましたよ!

という風に商品を出されると、いいですね~。


それから、イメージできるようにお話するのも大切です。


「この乳液をつけると、あっつい夏に汗をかきながら塗っていたファンデ

 が、全く苦にならなくなるんですよ」


「夕方にTゾーンのてかりが気になって、お化粧室に直しに行くことも

 殆んどなくなりますよ」


と言われると、へ~と興味が持てます。


これって、ちょっとカウンセリング技術に似ているかも。


そんな風に思った今日なのでした。

今日は、学生さん達の「採用通知授与式」でした。


インターンシップから1年。

内定もらってホッとして、仲間とくつろぐホテルでのパーティ。


その懇親会の前に、ワークショップを行い、発表してもらいました。



・私は入社してからもずっと

 「相手の笑顔を引き出すこと」を考え、身につけていきます。


・『お客さまから教えて頂く』というキモチを持ち続けたい。

 困った時、迷った時には「お客様」という原点に戻ります。


・「ここにずっといたい」というお店にします。

 そのためには、どうしたらお客様に回遊していただけるか

 居心地の良いお店はどんなお店か、他社を見て、研究し続けます。



入社前ですよ~。

なのに、すごく本質的な事を言ってると思います。

具体的で破天荒で、型破りな提案も沢山でてきました。


でも、そのままでいい。

そのまま入社して欲しいと思いました。


私はコメンテーターとして参加したのですが、

最後に言った言葉は、私が尊敬する先生の




『夢をカタチに』




という言葉でした。


私には、彼らが種からヒョッコリ芽を出した双葉に見えます。

これから、一緒に大樹に成長していきましょう。



toddの成長ブログ~My point of view~




大河ドラマ「江」。私の好きなドラマです。


主人公は浅井三姉妹の江(徳川2代将軍秀忠の奥さん)。

長女の茶々は豊臣秀吉の奥さん。

次女の初は京極家に嫁ぎます。


江も茶々も男子を産みますが

次女の初には一生子供はできません。


今、子供ができない(作らない)夫婦が増えているとのこと。

かくいう私も、30代半ばを過ぎて子供がいないので、

恐らくこのままいない人生を過ごすのではないかなぁと

ぼんやり思っています。



「子供がいない」という人生



戦国時代などは「家の存続」という重大事だったので

子供ができない女性のつらさは、現代の比ではなかったでしょうね。


肩身の狭い、つらい思いをしたに違いありません。



子供どうするの?



と聞いてこられる方は、親に限らず、周りに沢山います。

すると、自分が悪いわけでもないのに



居心地の悪いキモチ



になったりする。(;^_^A

私はもう慣れたけど。

「女性=子供を産むのが当然」という概念のせいでしょうか。


次回以降、この


「子供がいない」という人生


について、ちょっとばかし書いていきたいと思います。






先日、ある女性と「死」について話しました。


テーマ、…お、重たい・・・。(^_^;)


でも、私たちはこれについて話す必要があったんです。(いつか書くかも)



その女性は、


「『もっとやりた事があったのではないか』という意味で、死者に対して哀しい

 と強く感じるんだよね」


と言いました。私はそれを聴いた時に驚いて、


「私は、『もう会えない』という意味で、残された者に対して哀しいと感じるんです」


もちろん両方だという人もいるでしょうね。


でも、死についての捉え方だけでもこんなに違うんだ~と驚きました。



死について考えることは、生きることについて考えることと同義だ。

とうちの旦那様などは言います。

私は、死はやはりまだ哀しいというとらえ方しかできないのですが、

そうではないという捉え方をいつかできればいいなと思っています。



「死ぬまでは生きていようか」


という受け身的な生き方ではなく、


「とにかく精いっぱい生きた」


といえる人生にしたい。



死について考えることは生きることについて考えることと同義だ



その意味がほんの少し分ったような気がする先日だったのでした。




さきほど②を書いて読み返したら



あれまぁ、なんの解決にもなっとらん∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



と思ったので、③を書きます。(笑)


女性が苦手だという心理の裏には


  ・嫌われたくない(仲間はずれにされたくない)

  ・悪口を言われたくない

  ・かといって、自分らしさは失いたくない


のような悶々とした気持ちが隠れている気がします。


でも、気持ちって不思議なもので


こちらが気を使うと

相手もそれを敏感に察知してるんですよね。


うまくやっている人ほど



「あっけらけ~ん」



とこだわっていない気がします。

こだわるものを「こだわるな」って言うのは難しいですけどね☆