南の島に生きて 吾亦紅(われもこう) | 南 の 島 か ら の 日 誌

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  サトウキビ畑の中 ポツンと一軒家
  満天の星空 リッキーと私だけです 

庭で収穫した南国果樹をひとつでも食したいと思って 達成‼
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パッションフルーツ シークワーサー  ドラゴンフルーツ 

南の島に生きて 吾亦紅(われもこう)

 

先日 何年も前からブログを読んで頂いてる方からのコメントに

印象深いブログのひとつに3年前の

南の島に生きて 吾亦紅(われもこう)」 を記していただき

久しぶりに読み返しています  母への想いを綴った懐かしいブログです

編集で少し直して ブログ再アップしてみます 3年前の3月に綴ったブログです

 

 吾亦紅は山野に自生するバラ科の多年草

 

茎や葉に香りがあることから「吾木香(ワレモコウ)」になったという説もあります

ワレモコウの花言葉は 「変化」 「もの思い」 「愛慕」

地味ながら 毎年しっかり花をつけるその姿に 母親の生き方を見るのかも

 

母への思いは この歳になっても 変わりません

母の月命日 28日 いつもこの日 

叔母(母の妹91歳)から15年間以上も忘れることなく毎月電話があります

 

母は亡くなる前に叔母に頼んでいたことがあったようです

「ともちゃんの事だけが心配 お願いしますね」

幾つになっても親不孝者でした

 

 

 

醍醐寺にて  母が亡くなる2年前

 

心の風景を巡って 「黒い花びら」 母との想い出   ブログ 2016.10.22

 

90歳を過ぎた叔母はいまは病床ですが 叔父はまだ現役の医院医師

15年前にひとりになってからも ときどき叔母は 

大阪の駅前ホテル内の和風割烹店での食事を誘ってくれました

 

そして母のように 小遣い袋を 「これで美味しいものを食べなさい」

60歳にもなる私に・・・・・  母と居るようで嬉しいものでした

 

叔母の米寿を祝う ブログ  2016. 6. 5

 

もうそれも南の島に住み 逢えることはありませんが

病床から必ず 月命日28日には電話してくれます

母と同じ声で 同じ話し方で   

 

 子どもは白髪やシワだらけの老人になっても 母親の子どもです

親が亡くなった後でも 苦しいとき 悲しいとき 心のなかで助けを求めるのは

いつも母親ではないでしょうか    ここに父親は絶対出てきません

 

 

吾亦紅

作詞:ちあき哲也、作曲:杉本真人、唄:すぎもとまさと

 

マッチを擦れば おろしが吹いて
線香がやけに つき難(にく)い
さらさら揺れる 吾亦紅  
ふと あなたの 吐息のようで……
盆の休みに 帰れなかった
俺の杜撰(ずさん)さ 嘆いているか
あなたに あなたに 謝りたくて
仕事に名を借りた ご無沙汰
あなたに あなたに 謝りたくて
山裾の秋 ひとり会いにきた
ただ あなたに 謝りたくて…… 


小さな町に 嫁いで生きて
ここしか知らない 人だった……
それでも母を 生ききった
俺 あなたが 羨ましいよ……
今はいとこが 住んでる家に
昔みたいに 灯りがともる
あなたは あなたは 家族も遠く
気強く寂しさを 堪(こら)えた
あなたの あなたの 見せない疵(きず)が
身に沁みていく やっと手が届く
ばか野郎と なじってくれよ

 

 

 

 


親のことなど気遣う暇に
後で恥じない 自分を生きろ
あなたの あなたの 形見の言葉
守れた試しさえ ないけど

 

あなたに あなたに 威張ってみたい
来月で俺 離婚するんだよ 
そう はじめて自分を生きる

あなたに あなたに 見ていて欲しい
髪に白髪が 混じり始めても
俺 死ぬまで あなたの子供……

 

 

作曲家・杉本真人が母親を亡くして打ちひしがれているとき

友人の作詞家・ちあき哲也が彼の気持ちを詞にしたもの

それに杉本が曲をつけ、歌手「すぎもとまさと」としてみずから歌いました


 

宇治黄檗 自衛隊駐屯地内 桜満開 母とふたり 亡くなる1年前

 

吾亦紅の歌詞の内容について このような論評がありました

この言葉に私も同感せざるえません 

私も威張って ひとり初めて自分を生きると 亡き母に報告したものですから

 

「……あなたに威張ってみたい 来月で俺 離婚するんだよ」が

わからないという人がよくいます

離婚することをなぜ威張るんだ、というのです。

 

 誰しも多かれ少なかれ、思い通りにならない人生を送っています。

この詞の主人公も同じで、ままならないことのなかに結婚生活があったのでしょう。

泥沼化した夫婦関係が生活全般に重い影を落としていたかもしれません。

にもかかわらず踏ん切りがつかず、惰性で日々を送っていたと推測されます。

 しかし、彼はついに決心しました。

「あなたには後で恥じない自分を生きろ、と常々いわれていたけれど、

やっとけじめをつけて、自分本来の人生を取り戻すことにした。

胸を張ってそういえるようになったよ」と、亡き母に報告しているのです。
 これが「威張ってみたい」という言葉として表現されているのでしょう。

 


母さん

「ひとりになって恥じない自分を生きています

何者からも解放されて自分本来の人生を生きています

 

 

宇治川河畔 このあと再入院

 

 

  いま毎日幸せな瞬間を過ごしています

「人は それぞれの人生があります 

私は50歳末から こんにちまで 人生一番の充実の中

不安、心配のひとつもなく

山、川、海、自然の中で過ごしてこれたように思います」  

 

「そして毎日 日々の幸せの瞬間を感じて生きています

リッキーは 私のよき友となり 感謝あるのみです」

 

 

 

 

老いてこその歓びは 何なんだろう

 

日常の中に 心からの幸せの瞬間を感じられることがある

  健康で日々過ごせることの幸せを感じる瞬間は 老いてこそ


 

特別な日でなく日常日々 

幸せを感じる瞬間があるなんて最高の喜びです

願いが叶えられるのであれば いまの環境の中

リッキーと一緒に いま少し生かしてください

これから先  「幸せを感じる瞬間」  をより多く感じて

 

 

1945年戦時中  初めての母との写真

(先日叔母が93歳で亡くなりました

その叔母が2年前に大事に保存していた 上写真を送ってくれたのです)

                                                              2022. 3.22

 

 

あなたに あなたに 見ていて欲しい
髪に白髪が 混じり始めても
俺 死ぬまで あなたの子供……

 

 

 

 

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