12/14
「ラストホラームービー」というB級ホラー映画を見る。
こんな内容。
「ラストホラームービー」というB級ホラー映画が始まってすぐに
突然ノイズが入って、口のデカい男のアップが写る。
「こんなクソホラー映画より、俺の撮った映像を見てくれよ」
どうやらこの口デカ男(マックス)がレンタルビデオの内容を上書きしてしまったらしい。
で、そこから延々とマックスが人を何十人も殺していくという
殺人自主ドキュメンタリーを観させ続けられるという訳。
僕が借りたのは大久保のゲオなのだが
アメリカ在住のマックスがわざわざ来てくれたということか。
しかもビデオならツメ部分をテープでふさげば上書きできるけど
ものがDVDだから技術的に大変だったろうと思う。
小説でも似たようなのがあった。
「この短編集の最後の短編、実は僕(犯罪者)がこっそり印刷所に忍び込んで差し込んだものだったんだよ。これを読んだ君の後をつけてるから今から殺しに行くよ」
という設定。(作者も短編集の名前も忘れた)
かなり昔の有名なミステリ小説だったから、映画はそれをパクったんだろうな。
そういうトリックは一回知れば、もう驚きやら恐怖やらはすぐに色あせちゃう。
んだけど、それとはちょっとズレたところで考えてみると
「複製品の中に一つだけオリジナルなものが紛れ込んでいる」という設定が、なんだか素敵に心くすぐられる。
特に、レンタルビデオも本も一人で鑑賞することが多いから、
世界に一個だけの本・映画と、自分との出会いというシチュエーションになる訳だ。
このトリックを恐怖路線じゃなくやったのが「ネバーエンディングストーリー」だな、多分。
読んでないから違うかもしれないけど。
ちなみに「ラストホラームービー」については、設定だけの映画で、別に面白くはないです。
それにしても2007年の映画なのに、向こうではまだVHSが主流なのか?
12/13
たまに人から「ツイッターを始めないの?」と聞かれたりもするが
有名人ならともかく、僕の日常に誰が興味を持つものか!
という理由から、やらないと断言している。
いやさ、もっと正確に言うと
「この吉田ってやつ、自分の日常に誰か興味もつと思ってるよ(笑)。どんだけ有名人きどりなの(笑)。もしくは友達が沢山いると勘違いしているようだけど、果たして向こうがそう思ってるかどうか(笑)。いや、たとえ自分の方でもそんなに好かれてる訳ではないと自覚していたとしても、ツイッターをやるという事実は少なくとも“僕はちょっとは有名人であると自覚しています”“僕には友達が一定数いると自覚しています”と周囲に宣言することに他ならず、ははん最低それだけの自信は持っているんだろお前は、と言われても反論できない状況を作り出してしまう訳で。いや別に分不相応な自信とプライドを持っている下卑た人間だと思われるのはいいんだけど、それを自覚してないと他人に誤解される形で提出してしまうのが嫌だというか。まあ確かに自分で自分を下卑た人間だと思ってるんなら、それを自覚してるかどうかを他人が分かろうがどうでもいいことのはずで、そこを気にしているとしたら本当は自分のことをそこまで卑下してないんじゃないか?もうちょっとマシな人間だと見られようとしてるんじゃないのか?自分で自分を貶めつつ、実は割りとすごい人間なんだぜ俺はっていう無根拠なプライドを心の底で持ち続けてるんじゃないのか?だとしたら、とことん卑怯で下卑た人間だよ僕は、ということになるからやっぱり僕は最低で、そんなヤツのつぶやきなんか誰が読むというのか。いや読む読まないは問題じゃなくて、読んでもらえるかどうかを気にしてる時点で、ちょっとは誉められたいと思ってるんだから、やっぱり自己評価は高いヤツだと思われてしまいそうだけど、そんなことはないんだよ、と皆に伝えたいんだけど、それを皆に伝えようとしてるってことは、やっぱり他人の評価を気にしてるってことで」
という、メビウスの輪のような自意識が邪魔をして、やらないのである。
うん、いいから、とりあえず近所を3周走ってこい。
で、風俗とか行けって。な?
まあでも、そもそもからして
僕がぼんやり思ったことを書き連ねて、誰の得になるというのか!
ということですよ。
じゃあこのブログはなんなのかというと、それはまあいいじゃないですか。
あと、ツイッターの説明として
「ブログに書くほどじゃないことを考えなしに書けばいいんだよ」
と、よく言われるのだが
それはそのまま僕のこのブログに当てはまることなので
じゃあもういいや、というのが本当の理由である。
12/12
男3人で忘年会&ラジオをやる。
今月、いくつか忘年会的な飲み会が控えているが、全て参加者が男オンリーである。例外は実家の家族と飲む会だけ。思えば、女子が混入された飲み会をしたのはいつが最後だったろうか。大学のサークル関係だったような気がする。大学生当事は気づいていなかったが、ナチュラルに男女混合で飲むというだけでもスゴイことだったのだ。今から考えるとずいぶんインモラルなことをしていたものだ。本当に大学生なんか大嫌いだ。噂によると会社員たちも、忘年会では男女混合で飲むらしい。ソドムか。学生連中ならまだしも、社会人が正しい男女関係の手本を示せないという、由々しきモラルハザード。飲みが終わって、一人、深夜の高田馬場を歩いていると、もう遅い時間というのに、大学生と専門学校生と会社員の群れがいくつも、さかえ通り近くで騒いでいた。
大丈夫。いつかこの街に、硫黄の火が降り注いで、みんな塩の塊になるはずだから。