去年、ついにシニアになって以来、

自分の心身にいろんな変化が起きている。

今回は眼の話だ。

 

数年前から手元の文字が見えづらくなり、

流行りのメガネの量販店で

いわゆる「老眼鏡」を10本近く作ってきた。

ところが2〜3年すると、

手元が綺麗に見えるようになった代わりに

今度は遠くが見えなくなってきたのだ。

 

周りの先輩や友人に聞いたところ、

どうも「白内障」らしい。

年齢のせいで目のレンズの形が

膨らんだり歪んだり曇ったりして

見えづらくなるのだ。

失明することもある緑内障ほど深刻ではないものの、

白内障は老化が大きな原因で、

薬などが全くない。治らない。

 

手術を受けて爽快になった人も多いと聞き、

私も近くの大学病院に行ってみた。

その病院は6年前の今月、

義母が亡くなった直後に角膜を提供した

アイバンクが併設された病院だ。

そうだ、あの時のTドクターに

診察をお願いしようと思いついた。

 

義母の両目は東京と埼玉の

二人の女性に移植されたと聞いている。

私もいつか誰かのお役に立てるかしら?

 

ところが、いろんな検査のあと

T先生は言い放った。

「あなたの場合は角膜の細胞が

普通の人より極端に少ないんです。

白内障の手術をしても、

効果が出るかは微妙です」と。

 

その時は事の深刻さがよくわからず

「私も角膜移植のために提供しようと

思っていたのですが」と先生にいうと、

「う〜〜ん、あなたは無理ですね〜

むしろ角膜移植が必要になるかも」と

一瞬で、夢が飛んだ..... (;;)

 

「昔から脳細胞は少ないと思ってきましたが、

目の細胞まで少ないのですか」と

思わず、ボケてしまった。笑

 

私の白内障はなぜか左だけで、

右目はまだよく見えるため、

また数ヶ月後に診察しましょう、と言われ、

計3回、診察を受けた。

が、普段見えないわけではないため、

左目の手術に踏み切れない。

悶々と悩むばかり。

特に私は160キロ離れた伊豆の実家に

最低毎月一回は車で通っている。

運転の時だけは「視力」が必要なのだ。

 

大学病院はメガネやコンタクトの処方は

行っていないそうで、

T先生に紹介された

ソフトコンタクト専門の眼科に行ってみた。

 

また細胞数を調べてもらったら

正常な人の3分の1以下の

800ちょっとしかない・・・

ソフトコンタクトに頼る望みは

即、却下された。

コンタクトをしていると、

どうしても細胞が減ってしまうそうだ。

 

 

診察した眼科医は

「なんでこんなに細胞が減ったんだろう?

目を打ったりしました?」と驚いていた。

300くらいにまで減ると、

全く見えなくなるそうだ。

つまり私は死ぬまでこの800の細胞を

死守するしかないわけだ。

 

「僕は絶対に手術したくないなー。

手術しても効果が出ないタイプだー。」と笑った。

つまりコンタクトも手術もNG。

メガネで最大限、

なんとかしようと言うことになった。

検査をしてくれた技師も

「コンタクトは無理で、

手術もリスキーですから、

メガネで最大限になんとかしましょう」と

クールに言った。

 

メガネ屋さんはあの有名な

「めめ」が宣伝しているあそこでは

ダメなのだそうだ。

私の場合は乱視がひどく

右目と左目のずれ方もひどい。

レンズの凹凸が逆らしい。

なので、もっと高度なレンズを作れる

メガネ屋を紹介された。

 

これまではメガネ量販店で

一番高価なメガネを作ってはきたが、

それでもまぁ2万くらいで、

今回の新しいメガネは

なんと8万を超えた。

背に腹は変えられないとは

まさにこのことである。

 

目に優しい加工もつけてもらって

出来るまでに10日かかるそうだ。

楽しみ❤️

なんとか、目の違和感がなくなって

外に出るのが楽しみになるといいなぁ。

 

私の左目が悪くなった

原因はわからないけれど、

みなさん、スマホやゲームに集中して

目を酷使しないように

普段から気をつけてお過ごしください。

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かつてテヘランに住んでいた。父は当時のパーレビ(Pahlavi )王の国営企業で技術援助をしていた。

四季があるテヘランは高地にあり、とても美しく住みやすかった……最初の3年間は。

私は市内南部のアメリカンスクールに通う18歳、高校3年生だった。1978年の夏頃から市内で暴動が始まり、ハロウィンのイベントが中止になってそのまま学校に通えなくなった。12月、父を残し、母と私はエア・フランスでパリに逃げた。事の重大さがわからず、私は3年半ぶりの一時帰国のつもりだったが、イスラム革命が起きたのはその2ヶ月後だ。以来、イランには帰れていない。

あれから延々と48年も宗教指導者によるイスラム政権が続いていたわけである。テレビで私と同い年のレザ皇太子を久々に見たが、父親のパーレビ王に気味が悪いほど生き写しだ。怨念を感じる。

イスラム革命で国を追われた皇太子は当時はティーンエイジャーだった。アメリカに亡命していた彼に政治の経験はないため、いまさらパーレビには戻れないし、戻る必然性はないだろうが、とにかく、とにかく、平穏に問題を解決してほしいと切に願っている。

年末年始を一緒に過ごすため、

静岡で一人暮らしの母を迎えに来た。


楽しみに待ってくれてるかとおもいきや、

母は「私はここでいいんだけど」と

うちに来たくなさそう。

でも年末年始は宅配弁当も止まる。

それに

来年は90になる母にとって

最後かも知れないから。


そう思って

母を無理やりこっちにつれてくるのは

私の自己満足にすぎないかも知れない。


母にはいくつかのお歳暮が

とどいていた。

毎年恒例の

大きなパンペイユは熊本の叔母から。

だけど銀座の洋菓子と、

もち吉の立派な詰め合わせは

誰からかわからないと言う。

御礼も言わないといけないのに、

うーむ困った。


積み重なっている

伝票やら領収書の束をあさり、

もち吉の宅配便の宛名書きを

探し当てた!

なんと、母の若い頃からのお友達の

三好さんだった。

良かったー!母と一緒にでんわして

お礼をいわせなきゃ。


かなりボケてきた母だけど、

私のスタイルを見て

「なんでそんなにお腹が飛び出してるの?

なんとかしなきゃ」と

憎たらしいけど本当のことを言ってのける。


が、尻拭いもしないといけない。

今回は1080円の請求書が

ダイニングテーブルの上に。

母が電話で脳のためのサプリを

買ってしまっていたのだ。

本人はそんなもの知らない

買ってないと言い張る、

いつものパターンだ。


サントリーに電話して

何をどんな契約をしたのか確認したら、

母が電話で申し込んでいた事がわかった。

89歳が勝手に買ってしまうことを伝え

これ以上の今後の注文は

拒否してもらうことにした。


サントリーさん、

1080円、あす、必ず払います。

2ヶ月遅れで御免なさい。


掃除洗濯をこなし、

家の中には花も飾る母だが、

お取り寄せが大好きだったから、

その癖は治らないらしい。

この3年で

10ほどの業者に

契約破棄をお願いした。

お菓子、ジュース、サプリ、化粧品、

黒ニンニク、石鹸、健康スープ

最高額は4万円を超えるセーター。

など。


いつまで1人で

いさせられるのか。

1人でいさせて良いのか?


何も頼んだり買ったりしてないわよ〜

と穏やかに微笑む母を見て

叱っても仕方がないなと

ただ頭を抱えている。





ここ一月ほど、

右の中指の第二関節の

痛みに悩まされている。


病院で調べたら骨に異常もなく

リュウマチでもなかった。

要するに50代から70代女性にありがちな

指の痛みらしい。命に別状はない。


さっきふと夜中に目が覚めて、

湿布してテーピングした指を撫でていた。

あれ?痛みがすっかり消えている?

ひと月も湿布貼ってたからなあー!


あれ?あれ?あれれ?

テーピングしてあるのは薬指だ。


ワタシが痛いのは中指なのに⁈

なんてこったー。


当然、中指の痛みはまだある。


と言うか。


指の痛みよりも何よりも

自分のボケが心配だ。

あーあ。







生協のカタログを見ていて、

ふと思い出した。

 

「房総のし餅 1.8キロ 2980円

懐かしさが込み上げてきた。

 

私は九州人だから

餅は丸だ。

ピンクだったり、白だったり。

 

1985年に結婚して、

舅姑が毎年手に入れる餅が

四角いことにまずびっくりした。

夫のルーツ、

房総半島は四角い切り餅が定番だったのだ。

 

うちの千葉の田舎では

まずのしもちがやってくる、親戚筋からだ。

 

白くてぺったんこ。

これを嫁が切るのだ。正方形に。

舅(本家の次男)の実家から届いた餅を切ると、

50個はできていたと思う。

 

昔はカビたら、

そのカビを上手に包丁で取り除いて、

食べたもんだった。

 

今はどうだろう?

ピチーっとビニールがかかっていて、

カビなんか生えようもんなら、

ポイっだろう。

 

ひやぁ〜〜結婚40年だよ。

色々あったねー。

でもね、何を見ても

舅姑を思いだしちゃうのって

正直、結構しんどい。

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先日、毎年恒例の人間ドックに行きました。

バリウム検査後に処方された薬の説明が

英語で書かれていたため、これを教材にしました。

(しわくちゃで申し訳ありません💦)

 

はじめに、「人間ドック」は日本語です。

和製英語なので要注意。

普通に medical exam とかcheckーupで良いと思います。

 

タイトルは

The Use of a Laxative after the Upper G I X-ray (Barium) Exam 

となっています。

タイトルの3ワード目の Laxative は relax という言葉にもあるように

「ゆるい」とか「緩ませる」という意味があり、

つまりバリウム検査後の下剤の処方についていた紙切れというわけです。

 

この laxtive はタイトルなのでLaxative と

大文字になっていますが、

これはプリントをカッコよく見せるためで、

小文字の laxative で全く構いません。

 

Bariumは英語でも日本語でもバリウムです。

私がBarium exam のあと処方されたのは

Magmittという名前の下剤で、8 tablets、8錠でした。

 

1. 2 錠ずつ、4 dosages 4回分 

prescribe 処方されています。

最近、若い人の

overdose オーバードーズが問題になっていますが、

dose が一回分の用量ということです。

 

To help expel the remaining barium from the body, 

please take the laxative Magmitt as directed below.   

動詞のexpelは学校から退学させられた時などに

I was expelled from school  

追い出されたという意味で使いますよね。

残りのバリウムを体から追い出すために

マグミットという下剤を

方通りに飲みましょう、という意味です。

 

2。コップ一杯、180mlの水で飲む。

 

3。水分 fluids を沢山飲めとあります。

constipation を 

prevent 予防 するためとありますね。

もうお分かりですか?

constipation は便秘です。

 

最後の行のwhite or gray stool とあるのは

「白か灰色の排便」のことです。

椅子のスツールと全く同じスペルです。

犬のふんなどはpoop とかshit とか呼ばれていますが、

大人が便のことを話す時は

stoolと言った方が好ましいと思います。

 

この短い紙の中にとっても重要な単語が

いっぱい入っていますよね。

何かのお役に立ちますように。

 

聖路加国際病院にはこの20年通っています。

3年前にはここで胆嚢を摘出しました。

ちなみに聖路加の英語名は

St. Luke's (セイント・ルークス)です。

とても良い病院ですよ。

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母の90歳の誕生日まで4ヶ月を切った。

幸いまだ体が元気に動くので、

静岡の山の中で一人で楽しく暮らしている。

 

私は5つの業者さんやネットスーパーに

お願いして

毎日の食事や日用品を母に送っている。

 

宣伝になるが、イオンスーパーは

本当に素晴らしい。

命綱になっている。

母だけじゃなく、私の命綱でもある。

若い頃は実家まで車で往復8時間走れた。

こちらも高齢者となった今は

夜の運転が怖くて嫌なのだ。

私の代わりにネットスーパーの担当者さんが

注文通りに家に届けてくれるのだ。


宅配のお弁当やら日曜品の配達は

カードから自動引き落としになっている。

母は物が届くたびに、

「お金はあるの?」と心配する

カード引き落としだと

何度言っても忘れて心配する。

だから最近はもう「大丈夫だよ」とだけ

説明している。

 

月曜日にはいつもの通り、

母の大好きなお寿司と

バナナ3本とリンゴを届けてもらった。

 

品物が届いた頃、確認の電話をしている。

 

私「バナナ3本とリンゴ送ったよ。

お寿司はもう食べたかな?」

 

え〜〜お寿司?そんなものは来ていないわ〜

(と残念そうな声)

 

私「うーん、冷蔵庫の中にあるはずだから見てね。」

 

(冷蔵庫を覗いて)

あ!あったぁ〜〜!!お寿司、久しぶりだわ〜〜

 

私(毎週送ってるのにな・・・汗)

「リンゴとバナナ3本も食卓にあるでしょう?」

 

リンゴとバナナ?バナナは2本しかないし、

これはもう前からあったもので、

新しいものは来ていないわよ。

 

私「え?バナナ茶色いの?古いの?

今あるのは新しいバナナでしょ?

2本しかないなら、もう1本食べたのかも。

周りにバナナの皮があるんじゃない?」

 

ゴソゴソする母。

 

あ!バナナ一本分の皮がゴミ箱にあるわ〜!

笑笑笑

 

こういうやりとりが毎日。

ここ5年ほどはこんなかんじ。

料理はもうできなくなったけれど、

とりあえず、ヘルパーさんもなく、

一人で頑張って生きてくれている。

 

食材が届いた途端に食べてしまって

「今日は何も届いてない」と

文句を言う日も増えたけれど、

とりあえずはよしとする。

 

ちなみに母が

「何も届いていない」と文句を言っても

業者さんが間違ったことは一度もない。

母が食べたことを忘れてしまうか、

冷蔵庫の中にしまい込んで、

そのまま忘れてしまうかのどちらかだ。

 

160キロも離れて暮らす母に

とりあえず、毎日、温かいものも、

冷たいものも、

それなりに届けることができている。

 

事実上、ネットなしには

母は生きていけないのである。

テクノロジーから一番離れているはずの老婆が

山奥でテクノロジーのおかげで生かされている。

そして、もちろん、

毎日車で運んでくれる皆様のおかげ❤️

 

この生活はあと数年か?

いつまで続くのかわからないけれど、

父が残したボロ家で

母はハッピーに過ごしている。

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NHKの総合夜9時、ニュースTodayキャスター時代の映像が出てきました。

1988年冬、28歳。

この現場、ほとんど記憶がないし、体重が今の3分の2くらいです。

早口の喋りには我ながらがっかり。あーあ、今ならもうちょっと上手いんだけどなーと自分に負け惜しみ。

映像の冒頭は去年お亡くなりになってしまった記者の大先輩、平野次郎アンカーマン。平野さんは実に真摯で、本当に素敵な方でした。この貴重な映像を発掘してくださった同僚に感謝。家宝にします。



NHKの17代目の会長、

海老沢勝二さんが亡くなった。91歳だった。


私が生まれる3年も前から海老沢さんは

同じ福岡県で記者の修行を始めている。

私が就職した頃はすでに報道局長でいらしたか。

とにかく常に雲の上の偉い人だった。


名古屋局の二年生の時には、早朝のホテルに

2人の先輩記者と共に呼び出された。

たしか6時か、6時半集合で、

私が驚きと困惑でえ〜!と躊躇したら

先輩が、「政治の記者だった人には

当たり前の時間だ、来い!」と言う。

名古屋一の高級ホテルで慌ただしく

朝食を食べながら幾つかの質問に答えた。

後で「大村はあと1年(名古屋居残り)!」と

言われたと聞きた。

今思えば、ついでにしても

二年生の私に良く会ってくれたものだ。


平野次郎さんと一緒に

ニュースTODAYのキャスターに起用してくれたのも

海老沢さんだったそうだ。

今思えばTODAYがあったからこそのわたしだった。

なぜ突然指名されたのか聞いたこともないし、

一言のお礼も言わなかったけど(笑)。

ちゃんとお礼を言って後に続けば

私も出世できたのかな。


昔は廊下で会ってもいつも忙しそうに見えた。

トレードマークは扇子。

いつも動かしていたように記憶している。

職員によってはエビちゃんではなく、

エビジョンイルと呼んだり、

敵も多かったのか?

私にはただ怖いだけの存在だったが、

会うと、おー元気かー!と

声を掛けてくださったし、

数年前まで年賀状もいただいていた。

ほとんど話したことはなかったが、

今思えばNHKで一番お世話になった人なのかなと

しみじみ思い出しているところだ。


去年のOB総会ではお会いできるかと思っていたら、体調があまり良くないとのことだった。

結局、ちゃんとお礼を言わずじまい。

海老沢さんのおかげで

何とか「元記者・キャスター」として、

仕事が続けられています。

出来の悪い後輩で、申し訳ありませんでした。

ご冥福をお祈り致します。

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いつも通りに11時に寝たら午前2時に目が覚めて、眠れなくて書いています。最近眠れないのは65歳という歳のせいなんだろうか?姑はいつも眠れない眠れないと言っていたっけ。思い返せば、小さい頃からあまり寝る子ではなかった。昔は幼稚園でお昼寝タイムがあったが、私は眠れなくて、いつも寝たふりをするのが大変だった。先生も寝てしまうと、20人ほどの雑魚寝の隙間で、自分だけ起きていて、とても寂しかったのを思い出す。大学生の娘も保育園のお昼寝タイムが嫌いだったと言っていて、親子って変なところが似ちゃうんだなあと私は感心しているw。


もしかしてあなたも眠れませんか?


眠れない時どうすれば眠れるんですかね?いつも困る。テレビは液晶画面で疲れるし、逆に目が冴えるからNG。ラジオのニュースは少しマシだけど、ウクライナとかガザの話が続くと悲しくなって来て目が冴えてしまう。ミルクを飲むと太りそう。お酒はのみすぎになる。ヒーリング音楽では私は癒されない。寝床の中でストレッチ?そもそも運動は嫌いだ。薬に頼るのは怖い。結局、毎日の様に同じことをあれこれ試して、朝を迎えて、あー今日も寝不足だあ!と嘆くのだ。


馬鹿だなあ。


でももう65だ。人生そう長くはないかも。だったら残された人生、なるべく起きていた方がお得なのかもです。


それに人間、眠れなくて死ぬことはないそうだ。必ず眠さに耐えきれなくなって、どこででも眠れるんだとか。だから多少睡眠不足でも、死なないのだわ。


眠れない眠れないと気にするのが最悪なんだな、きっと。


やはり、こうやって書くのが一番ですかね?あーおかげさまで、ちょっと眠くなって来たぞ(笑)。お先に失礼して寝ます。続きはまた。