ここ一月ほど、

右の中指の第二関節の

痛みに悩まされている。


病院で調べたら骨に異常もなく

リュウマチでもなかった。

要するに50代から70代女性にありがちな

指の痛みらしい。命に別状はない。


さっきふと夜中に目が覚めて、

湿布してテーピングした指を撫でていた。

あれ?痛みがすっかり消えている?

ひと月も湿布貼ってたからなあー!


あれ?あれ?あれれ?

テーピングしてあるのは薬指だ。


ワタシが痛いのは中指なのに⁈

なんてこったー。


当然、中指の痛みはまだある。


と言うか。


指の痛みよりも何よりも

自分のボケが心配だ。

あーあ。







生協のカタログを見ていて、

ふと思い出した。

 

「房総のし餅 1.8キロ 2980円

懐かしさが込み上げてきた。

 

私は九州人だから

餅は丸だ。

ピンクだったり、白だったり。

 

1985年に結婚して、

舅姑が毎年手に入れる餅が

四角いことにまずびっくりした。

夫のルーツ、

房総半島は四角い切り餅が定番だったのだ。

 

うちの千葉の田舎では

まずのしもちがやってくる、親戚筋からだ。

 

白くてぺったんこ。

これを嫁が切るのだ。正方形に。

舅(本家の次男)の実家から届いた餅を切ると、

50個はできていたと思う。

 

昔はカビたら、

そのカビを上手に包丁で取り除いて、

食べたもんだった。

 

今はどうだろう?

ピチーっとビニールがかかっていて、

カビなんか生えようもんなら、

ポイっだろう。

 

ひやぁ〜〜結婚40年だよ。

色々あったねー。

でもね、何を見ても

舅姑を思いだしちゃうのって

正直、結構しんどい。

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先日、毎年恒例の人間ドックに行きました。

バリウム検査後に処方された薬の説明が

英語で書かれていたため、これを教材にしました。

(しわくちゃで申し訳ありません💦)

 

はじめに、「人間ドック」は日本語です。

和製英語なので要注意。

普通に medical exam とかcheckーupで良いと思います。

 

タイトルは

The Use of a Laxative after the Upper G I X-ray (Barium) Exam 

となっています。

タイトルの3ワード目の Laxative は relax という言葉にもあるように

「ゆるい」とか「緩ませる」という意味があり、

つまりバリウム検査後の下剤の処方についていた紙切れというわけです。

 

この laxtive はタイトルなのでLaxative と

大文字になっていますが、

これはプリントをカッコよく見せるためで、

小文字の laxative で全く構いません。

 

Bariumは英語でも日本語でもバリウムです。

私がBarium exam のあと処方されたのは

Magmittという名前の下剤で、8 tablets、8錠でした。

 

1. 2 錠ずつ、4 dosages 4回分 

prescribe 処方されています。

最近、若い人の

overdose オーバードーズが問題になっていますが、

dose が一回分の用量ということです。

 

To help expel the remaining barium from the body, 

please take the laxative Magmitt as directed below.   

動詞のexpelは学校から退学させられた時などに

I was expelled from school  

追い出されたという意味で使いますよね。

残りのバリウムを体から追い出すために

マグミットという下剤を

方通りに飲みましょう、という意味です。

 

2。コップ一杯、180mlの水で飲む。

 

3。水分 fluids を沢山飲めとあります。

constipation を 

prevent 予防 するためとありますね。

もうお分かりですか?

constipation は便秘です。

 

最後の行のwhite or gray stool とあるのは

「白か灰色の排便」のことです。

椅子のスツールと全く同じスペルです。

犬のふんなどはpoop とかshit とか呼ばれていますが、

大人が便のことを話す時は

stoolと言った方が好ましいと思います。

 

この短い紙の中にとっても重要な単語が

いっぱい入っていますよね。

何かのお役に立ちますように。

 

聖路加国際病院にはこの20年通っています。

3年前にはここで胆嚢を摘出しました。

ちなみに聖路加の英語名は

St. Luke's (セイント・ルークス)です。

とても良い病院ですよ。

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母の90歳の誕生日まで4ヶ月を切った。

幸いまだ体が元気に動くので、

静岡の山の中で一人で楽しく暮らしている。

 

私は5つの業者さんやネットスーパーに

お願いして

毎日の食事や日用品を母に送っている。

 

宣伝になるが、イオンスーパーは

本当に素晴らしい。

命綱になっている。

母だけじゃなく、私の命綱でもある。

若い頃は実家まで車で往復8時間走れた。

こちらも高齢者となった今は

夜の運転が怖くて嫌なのだ。

私の代わりにネットスーパーの担当者さんが

注文通りに家に届けてくれるのだ。


宅配のお弁当やら日曜品の配達は

カードから自動引き落としになっている。

母は物が届くたびに、

「お金はあるの?」と心配する

カード引き落としだと

何度言っても忘れて心配する。

だから最近はもう「大丈夫だよ」とだけ

説明している。

 

月曜日にはいつもの通り、

母の大好きなお寿司と

バナナ3本とリンゴを届けてもらった。

 

品物が届いた頃、確認の電話をしている。

 

私「バナナ3本とリンゴ送ったよ。

お寿司はもう食べたかな?」

 

え〜〜お寿司?そんなものは来ていないわ〜

(と残念そうな声)

 

私「うーん、冷蔵庫の中にあるはずだから見てね。」

 

(冷蔵庫を覗いて)

あ!あったぁ〜〜!!お寿司、久しぶりだわ〜〜

 

私(毎週送ってるのにな・・・汗)

「リンゴとバナナ3本も食卓にあるでしょう?」

 

リンゴとバナナ?バナナは2本しかないし、

これはもう前からあったもので、

新しいものは来ていないわよ。

 

私「え?バナナ茶色いの?古いの?

今あるのは新しいバナナでしょ?

2本しかないなら、もう1本食べたのかも。

周りにバナナの皮があるんじゃない?」

 

ゴソゴソする母。

 

あ!バナナ一本分の皮がゴミ箱にあるわ〜!

笑笑笑

 

こういうやりとりが毎日。

ここ5年ほどはこんなかんじ。

料理はもうできなくなったけれど、

とりあえず、ヘルパーさんもなく、

一人で頑張って生きてくれている。

 

食材が届いた途端に食べてしまって

「今日は何も届いてない」と

文句を言う日も増えたけれど、

とりあえずはよしとする。

 

ちなみに母が

「何も届いていない」と文句を言っても

業者さんが間違ったことは一度もない。

母が食べたことを忘れてしまうか、

冷蔵庫の中にしまい込んで、

そのまま忘れてしまうかのどちらかだ。

 

160キロも離れて暮らす母に

とりあえず、毎日、温かいものも、

冷たいものも、

それなりに届けることができている。

 

事実上、ネットなしには

母は生きていけないのである。

テクノロジーから一番離れているはずの老婆が

山奥でテクノロジーのおかげで生かされている。

そして、もちろん、

毎日車で運んでくれる皆様のおかげ❤️

 

この生活はあと数年か?

いつまで続くのかわからないけれど、

父が残したボロ家で

母はハッピーに過ごしている。

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NHKの総合夜9時、ニュースTodayキャスター時代の映像が出てきました。

1988年冬、28歳。

この現場、ほとんど記憶がないし、体重が今の3分の2くらいです。

早口の喋りには我ながらがっかり。あーあ、今ならもうちょっと上手いんだけどなーと自分に負け惜しみ。

映像の冒頭は去年お亡くなりになってしまった記者の大先輩、平野次郎アンカーマン。平野さんは実に真摯で、本当に素敵な方でした。この貴重な映像を発掘してくださった同僚に感謝。家宝にします。



NHKの17代目の会長、

海老沢勝二さんが亡くなった。91歳だった。


私が生まれる3年も前から海老沢さんは

同じ福岡県で記者の修行を始めている。

私が就職した頃はすでに報道局長でいらしたか。

とにかく常に雲の上の偉い人だった。


名古屋局の二年生の時には、早朝のホテルに

2人の先輩記者と共に呼び出された。

たしか6時か、6時半集合で、

私が驚きと困惑でえ〜!と躊躇したら

先輩が、「政治の記者だった人には

当たり前の時間だ、来い!」と言う。

名古屋一の高級ホテルで慌ただしく

朝食を食べながら幾つかの質問に答えた。

後で「大村はあと1年(名古屋居残り)!」と

言われたと聞きた。

今思えば、ついでにしても

二年生の私に良く会ってくれたものだ。


平野次郎さんと一緒に

ニュースTODAYのキャスターに起用してくれたのも

海老沢さんだったそうだ。

今思えばTODAYがあったからこそのわたしだった。

なぜ突然指名されたのか聞いたこともないし、

一言のお礼も言わなかったけど(笑)。

ちゃんとお礼を言って後に続けば

私も出世できたのかな。


昔は廊下で会ってもいつも忙しそうに見えた。

トレードマークは扇子。

いつも動かしていたように記憶している。

職員によってはエビちゃんではなく、

エビジョンイルと呼んだり、

敵も多かったのか?

私にはただ怖いだけの存在だったが、

会うと、おー元気かー!と

声を掛けてくださったし、

数年前まで年賀状もいただいていた。

ほとんど話したことはなかったが、

今思えばNHKで一番お世話になった人なのかなと

しみじみ思い出しているところだ。


去年のOB総会ではお会いできるかと思っていたら、体調があまり良くないとのことだった。

結局、ちゃんとお礼を言わずじまい。

海老沢さんのおかげで

何とか「元記者・キャスター」として、

仕事が続けられています。

出来の悪い後輩で、申し訳ありませんでした。

ご冥福をお祈り致します。

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いつも通りに11時に寝たら午前2時に目が覚めて、眠れなくて書いています。最近眠れないのは65歳という歳のせいなんだろうか?姑はいつも眠れない眠れないと言っていたっけ。思い返せば、小さい頃からあまり寝る子ではなかった。昔は幼稚園でお昼寝タイムがあったが、私は眠れなくて、いつも寝たふりをするのが大変だった。先生も寝てしまうと、20人ほどの雑魚寝の隙間で、自分だけ起きていて、とても寂しかったのを思い出す。大学生の娘も保育園のお昼寝タイムが嫌いだったと言っていて、親子って変なところが似ちゃうんだなあと私は感心しているw。


もしかしてあなたも眠れませんか?


眠れない時どうすれば眠れるんですかね?いつも困る。テレビは液晶画面で疲れるし、逆に目が冴えるからNG。ラジオのニュースは少しマシだけど、ウクライナとかガザの話が続くと悲しくなって来て目が冴えてしまう。ミルクを飲むと太りそう。お酒はのみすぎになる。ヒーリング音楽では私は癒されない。寝床の中でストレッチ?そもそも運動は嫌いだ。薬に頼るのは怖い。結局、毎日の様に同じことをあれこれ試して、朝を迎えて、あー今日も寝不足だあ!と嘆くのだ。


馬鹿だなあ。


でももう65だ。人生そう長くはないかも。だったら残された人生、なるべく起きていた方がお得なのかもです。


それに人間、眠れなくて死ぬことはないそうだ。必ず眠さに耐えきれなくなって、どこででも眠れるんだとか。だから多少睡眠不足でも、死なないのだわ。


眠れない眠れないと気にするのが最悪なんだな、きっと。


やはり、こうやって書くのが一番ですかね?あーおかげさまで、ちょっと眠くなって来たぞ(笑)。お先に失礼して寝ます。続きはまた。



名古屋局から東京の社会部に上がったばかりの

30歳そこそこのころ、

社会部の兄さん記者たちと5〜6人で

代々木八幡の方にあるスパゲッティ屋に

ランチに行った事が何度かあります。

30代から40代の脂の乗った男たち。

肩で風切って歩くから、まず速度が早い。

そして店のカウンターにずらりと並んで

ランチを物凄い勢いで食べ始めると、

兄さん達はものの数分で

あっという間にたべちゃうのです。

いつ事件事故が起きるかわからないから,

食べられる時にたべとけ、とか言われるんだけど、

私も結構な早食いなのに、

兄さん達の速度には到底追いつけないのだ。

必死で食べないと置いていかれちゃう。

んで、兄さん達は

食べ終わるとさあーっと席を一斉にたつんです。

で、また肩で風切って

すごい速度で局に帰るのです。


たかがランチも修行でした。

何度か利用している洋服お直し(リフォーム)業者から電話。2023年に袖つめを依頼されたジャケットが引き取られずにまだあります、と言う。店に急ぐと見覚えのある高校生御用達ブランドEast Boy の紺色のブレザーが!!

う、うえー!

制服がなかった国立附属中の娘のために買ったものだった。娘はインターから地元千葉の中学に進学、うまく馴染めず、結局そのまま出席できなかった。だから三万前後したブレザーを、私は勿体無いから自分で着ようと思ったのだろう。袖丈を短くするために業者に持ち込み、そのまま忘れていたのだ。

何という間抜け…。

丸2年預けたままだった真新しいブレザー。不登校になった悔しさや虚しさが一瞬で蘇ってしまった。

でも過ぎてしまえば、結局どーって事ないのね。娘は元気いっぱいで大学生やっています(笑)。不登校さんを抱える親御さん、大丈夫ですよ。
最近歳のせいか、新しい事は全く覚えられなくて、昔のしょーもない事を思い出すばかり。(長尺注意)

けさのニュースでJackson Hole ジャクソンホールでパウウェル氏が利下げについて語ったニュースを聞いて、30年以上も前の出張を思い出した。

入局から10年も経っていない、30歳ちょっと。社会部の駆け出し記者の頃の古い話だ。私は突然、当時のスター記者だったHキャスターのNHKスペシャルの小間使としてワシントンに出張した。確か「石油は誰のものか」と言うタイトルで、私には複雑難解な長編もののロケだった。

ワシントン支局の机で上院議員のインタビューを申し込むわけだが、アメリカじゃあNHKなんて、極東の何処の📺テレビ?って感じだったのだろう。申し込んでも申し込んでも次々断られ、途方に暮れていたある日、Jackson Hole で、関係者が秘密裏に集まるらしいからお前いけ!と言う指令が東京から来た。

え〜⁈ワイオミング?って何処?つまりロッキー山脈の中のSnow King Resortって場所に1人で行くの⁈

青ざめた。

冬のロッキー山脈は寒そうだ、と言う事で私より4年後輩のワシントン駐在員、田中淳子ちゃん(田中邦衛さんの娘さん)がトレンチコートを貸してくれた。それを着こんで、どこでどう乗り継いだのかも忘れたが、Jackson Hole 行きの飛行機に乗り込んだ。が、セスナだったのか?座席が、10席くらいしかない。途中、窓の外を見たら真っ暗なブリザードの中で翼の赤いランプが点滅していた。赤く照らされると、翼が氷柱で凍っているではないか。私も凍った。見ず知らずのアメリカ人と共に遭難する事を覚悟した。😱

しかしそのフライトは小1時間と意外に短く、私は安堵した。のも束の間、木造のキャビンのような深夜の空港には係員が1人しかいない😱。公衆電話で宿に電話すると、「あーやっと来たあ?」ってな軽いノリで地元の兄さんがでかい四駆でやってきた。後ろの席に座ったが、2人きり。窓の外は大雪。途中、本物のムース🫎と遭遇。ヘッドライトに照らされた目が赤い。もう生きた心地がしなかった。

Snow King Resort と言う名前に相応しく、宿は暖かく快適だった。なるほど、こんな山奥で秘密会議かと納得。そして次の朝、雪の上を鹿達が走るのをみながら朝食。あーなんでこんなところに私はいるの?と嘆きながら😱。

その後アメリカ人カメラクルーとやっと合流、さあ撮影だ。秘密会議が行われているに違いない部屋の前で張り込む。当然、なんでここにアジア人のわっかいねーちゃんが居るの?的な反応。秘密の会議なんてないヨとテキサス訛りのおじちゃん達が笑う。テキサスの油田関係者に違いないっ!でも全く取り合ってもらえない。そこに見覚えのある日本人が!駐米大使だった!大使は「良くこんなところまで来たねえ」と関心してくれた❤️。でもどんな会議か、中身は全く語ってくれず…。放送に使える映像は1秒も撮れていない。私達は建物の外から窓の中を望遠で狙う事にした。

え?でも、アタシ、スーツにハイヒールなんですけど…。と言う訳にも行かず、雪の上を歩いて反対側の小高い場所に移動した。三脚を立てて、窓を撮影していると、気づかれたのだろう。さーっとカーテンを引かれてしまった。雪のロッキーをハイヒールで登った馬鹿はこの世で私くらいだろうな、と悲しくなった。

散々苦労して結局ひと月も出張ロケ。Nスペが完成してみると使われた映像は、このカーテンを閉められたカットの数秒だけだった。😱😱😱

ロッキー山脈を軽装で登って遭難しなかったから、いまこれを書いているのです。笑笑笑