【家を追い出されたばーちゃん】がウチに来ちゃった!
~★介護日記★~
”親切にする。でも、その見返りは他のヒトからもらえるのかも”
☆うちのばーちゃん(姑96歳)は、
昨年秋、高熱が出て、病院へ運ばれてそのまま入院。
重篤な状態が続いたけど、そのあと何とか病状が安定。
普通の点滴を入れる血管が無くなり、夫が中心静脈栄養を決断したら、最も重い状態の医療区分3にあたり、療養病棟に入ることができた。
でもそれまでの急性期病棟と違って、スタッフの数は少ない。走り回っている感じ。ばーちゃんに床ずれができ、手も委縮?硬直?が出始めた。
☆ばーちゃんは寝たきりで、
食べることも飲むことも、喋ることもできない。
面会時間は平日の2時半から4時の間の30分だけ。その時間に手のマッサージをし、ひ孫の動画を一緒に観る。ばーちゃんもその時間を楽しみにしているみたい
☆ほぼ1日おきのペースで面会へ
面会が許される時間が中途半端な午後だから、1日の流れが分断、自分の仕事もかなり制約される。こっちの体が弱っている時は、病院の何かに当たって自分のエネルギーを取られ、病院から帰ったとあと何もできなくなることも
ばーちゃんに出来るだけしてあげても、もうばーちゃんから何かしてもらう事なんて何もない。
つまり、自己満足に近い?
今出来ることをしていれば、後悔も少ないはず。。。そんな感じ?
そんな時、このあおあか先生のブログに出会って(少し前ですが)、なんだか嬉しかった👇
以下抜粋
↓↓↓
やった事は、その後 自分もやられる。
いい意味でも、悪い意味でも。
ここで重要なのは、やった相手から、
やられるという訳では、ない事です。
以前は、相談され誠実に対応した相手は、
自分に対してもピンチの時にサポートしてくれると
期待していました。
でも、実際は違いました。
こちらが施す相手と、こちらが施される相手は、
違うのです。
大きくとらえれば、自分の外の世界に
プラスの事をすれば、外の世界のどこからか
同じプラスを受ける事ができる。
これを感覚的につかむ事は、人生において重要です。
👆このブログを読みながら、「なるほど!」と思うことがいくつか
こちらがピンチの時に、手を差し伸べてくれる人が現れて、その場を何とか切り抜けることができる・・・そんなことが何回かあったっけ。
たとえば↓↓↓
👆たまたま介護タクシーが予約できなかったから介護サービスのグループに連絡して、介護スタッフ3人で迎えに来てくれていたから、○○○○まみれでグショグショ、人工股関節がはずれていた(と後でわかった)ばーちゃんを無事、着替えさせて病院へ連れて行ってもらうことができた❣ もし介護タクシーの運転手1人と、座骨神経痛だった私だけでは、完璧お手上げだった💦
こういうとき、 偶然、とかラッキー
だけではない「何か」を感じる✨
つづきはこちら↓↓↓