わたしがHSPを知った1年前より
最近ではHSPの情報はかなり多くなり、
目にする機会も増えるようになりました。
同時に「それってHSPなの?」と
首を傾げたくなる情報も多くなっているように感じます。
わたしはなんでもかんでも
HSPに結びつけて考えることに強い疑問を感じています。
HSPであることはシンプルに表すと
「敏感である」ということだけです。
それ以上でも以下でもありません。
特別な能力者でもないし、
人より秀でているワケでもありません。
ちょっとでも人と違うところがあると、
HSPだから、HSP/HSSだからとしているのも
違和感を覚えます。
HSPの生まれ持った性質ではないのに
HSPだとしてしまうことで危険なものもあります。
例えば「過敏症」
HSP=過敏症としているものもありますが違います。
「〇〇症」ということは
すでに症状として出ているということ。
「症状」とは
「病気や傷などの状態」のことを言います。
症状として出ているものを
「敏感なHSPの気質だから」としてしまい、
治療をしなかったらどうなるのか…。
適切な治療を受けないと、
症状がどんどん悪化する可能性があります。
なので、安易に個人で判断しない。
ましてや
HSPとイコールであると表記するのは、
あまりにも無責任な行為ではないのか?と思います。
うつ病も同じです。
HSPはうつ病とされてしまう、と言われていますが、
本当にそうでしょうか?
うつ病になったわたしだからわかります。
HSPの敏感さと
うつ病の敏感さはまったく異なります。
医師もHSPの敏感さだけでは、
うつ病とは判断しません。
うつ病と診断されるときは、
おそらく身体になんらかの症状が出ているはずです。
「症状がある」ということは、
HSPの気質の範疇ではないということなんです。
うつ病であることを受け入れることは、
とても難しいです。
わたしは、正直なかなか受け入れられませんでした。
でも、
「うつ病だと診断されたのは先生にHSPの理解がないから」
と、個人の判断で誤診だとしてしまうことはとても危険です。
症状の悪化につながる可能性も
十分に考えられるからです。
人の気持ちが自分の中に入ってくる、というのも
HSPの気質ではあり得ません。
相手の気持ちが入り込むような感覚があるのなら
それは「過剰同調性」というものかもしれません。
HSPは
他者と自分の境界線がもろいことも多く、
ゆえに、育った環境によっては
過剰同調性になりやすいと言えなくもありませんが、
「なりやすいこと」と
「生まれつきそうであること」では
まったく意味が異なります。
HSPと過剰同調性はまったく別のものです。
HSPの情報って一喜一憂するものが多くないですか?
当てはまれば
嬉しかったり安心したり、
当てはまらなければ
わたしって違うのかなと不安になったり。
それって、
個人的な見解が多いからじゃないかなって思います。
同じHSPという気質を持つからといって、
同じ行動や感情を持つとは考えられません。
100人いたら100とおりあって当然です。
先にも書きましたが、
ちょっとでも人と違うことや、悩みがあることを、
HSPだから、HSP/HSSだからと結びつけてしまうことが、
結局、一喜一憂につながっているように思えてなりません。
HSPの根本にある性質は
・物事を深く処理、考察する
・刺激を受けやすい
・感情反応が強く、共感力が高い
・些細なことに気がつく
→詳細はこちらをご参考くださいHSPの4つの性質
上記の性質以外の行動や感情、思考や捉え方を、
HSPの気質として語ることは誤解を招くだけです。
残念ながら誤った情報はなくなりません。
わたしも心がけてはおりますが、
100%正しい情報を伝えられているワケではありません。
なので偉そうに語ることはできませんが、
情報を受け取るときに
考えずに「当てはまるからそう!」と鵜呑みにするのではなく、
どうなんだろう?と疑問に思う視点や、
見極める力も必要なんだな、と思いました。
📖HSPを提唱されたアーロン博士の著書
翻訳本なので読みづらい部分もありますが、アーロン博士はどういったものを「HSP」と定義づけ、「敏感(sensitive)」と名付けたのかを知ることは、HSPの深い理解につながると信じています。
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HSPの認知が広がりつつある今、
HSP自ら誤解を広めてしまうことのないように
していきたいな、と強く願います。