いつか地蔵になる日〜ライブとか介護とか生活とか
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夫が倒れました。

文字通り転倒しました。

病名と症状は
頚椎損傷で
四肢不全麻痺です。
今まだ入院中で
手術を控えていますが、
今後も障害が残るのは
ほぼ間違いなさそうです。

いきさつは先週の土曜日、ゴルフの後
おそらく昼間から呑み始め
夜10時過ぎには
すでにかなり酔っており、
店を出て知人と別れ
駅のエスカレーターを
降りたところで
前のめりに転んだそうです。

そのまま立ち上がれなくて
駅から救急搬送されました。
頭をすりむきましたが、
頭部CTも異常なく、
骨折もありませんでした。

このコロナ禍で
医療が逼迫しているさなかに、
いい歳して酔っ払って転んで
病院に担ぎこまれるとは
申し訳ないやら情けないやら。
連絡を受けて病院に駆けつけた
私と娘はとにかく平謝りで、
本人もがっつりお説教され、
水分補給の点滴をしてもらい、
もう治療することはないので
お帰りくださいとなりました。

ただその時も立ち上がれず
病院の車椅子を
タクシーに横付けして
何とか乗り込ませ、
また自宅に着いても
降りてから玄関までが
それはもう大変でした。
親や親族で会得した
私の介助スキルが
まさか夫に対して
こんな早く役立つとは
思いませんでした。

ようやく玄関に入れたものの
夫は三和土から上がることができず、
そのまま倒れこみました。
てっきり泥酔してるだけだと
私も娘も思っていたので
ひたすら腹立たしかったのですが
それにしても
やはりどうしても足が動かない
指も動かない、と
しきりに訴える夫を見て、
確かに相当酔ってはいるけど
これはちょっとおかしいぞと
私も段々思い始めました。

そしてもう一度
救急要請をしたのですが
当然のことながら
酔っ払いをすすんで受け入れようと
いう病院などなく、
かかりつけの病院にも断られ、
最初に搬送された病院でさえ
検査で異常がなかった以上
うちでできることはもうないから
と断られ、
救急車の車内で
近隣の病院に次々と
断られるのを聞きながら、
酔っ払いの信用のなさを
つくづくと身に染みて感じました。

それでも
酔っ払いとはいえ
やっぱりいつもと違います、
このまま帰っても
私の手には負えません、
と粘り、
救急隊員のみなさんの
尽力のおかげで
地域で一番大きい病院が
受け入れてくれました。

しかしそこでの検査でも
やはり頭部に異常はなく、
ついでに腰のCTも
撮ってもらいましたが
これも大きな異常はなく、
原因はわからないままでした。

また水分の点滴を受けながら
救急外来としてはこれが限界で、
命にかかわる症状がない以上
一旦帰宅して、週明けに
かかりつけの整形外科を
受診されてはどうですか、と
言われたのですが

その時の夫はというと、
足や指が動かせないだけでなく
尿意はあっても排尿ができず、
加えて腰痛に苦しみもだえ、
酒が抜け始めたためか
頻繁に足がつり、
おう吐し、
そこそこ地獄のような
ありさまで、

これは連れ帰っても
自宅は介護できる環境ではないし、
車椅子もない、
週明けを待つのはどう考えても無理。
それに
かかりつけの整形といっても
レントゲンがあるくらいの
近所の小さな医院で、
そこで治療してもらえるとは
ちょっと思えませんでした。

申し訳ない気持ちはありましたが
何とかこのままここで
診てもらえませんか、と
食い下がり

整形外科のドクターに
来ていただいて、頚椎の損傷が
見つかりました。
緊急入院が決まりました。
もうすっかり朝でした。

それにしても
救急外来の診察室で
し瓶をあてたり
検査着に着替えさせたり
車椅子に移乗させたり
ここでもまた
私の介助スキルが役立って
しまいました。

夫は導尿してもらい、
痛み止めも入れてもらって
ようやく少し落ち着いたようでした。

手続きを済ませへとへとで
帰宅したのは
午後3時でした。
最初に救急隊員から連絡が来たのが
前夜の午後11時。
その間一睡もせず、飲まず食わず、
おそらくアドレナリン大放出の頭で
考えていたのは、
今までいろんな救急に行ったけど
この病院がいちばんよかったな、
ということでした。
人も設備もすばらしい…
ここに受け入れてもらって
ほんとによかった。
感謝しかないです。


夫のここ数年の呑みかたには
少し病的なものを感じていて、
いつかこういうことが
起きるのではないか、という
ぼんやりした予感が
ありました。

夫がストレスで苦しんでいる
であろうことは
なんとなくわかってはいたものの、
このコロナ禍で
ピリピリしていることもあり、
ここ半年の夫婦仲は
過去最悪の冷えこみようでした。

その空気を打破したい
という思いもちょっとあり、
実は今日
本当は
近場の温泉に一泊するはずでした。
今日は私の誕生日です。
誕生日と土曜日が重なったので
新婚旅行ぶりに
夫と二人で旅行するはずでした。

夫の検査を待つ
救急病院の廊下のソファで
私は宿と列車のキャンセルをしました。

しかし私は
ちょっとおかしいのかも
しれませんが、
夫にお酒をやめてほしい、
煙草をやめてほしい、
そしてダイエットしてほしい、
という願いが
図らずも叶ってしまったのでは…
思ってしまうのです。
まあ、代償としては
大きすぎますが…

今後どうなるのか、
夫のこと生活のこと
母と義母のこと
考え出すとそれはもう
不安で不安でたまらないです。
何より面会が
できないのがつらい。

でも
いちばん不安でつらいのは本人ですね。

今まで私は
私自身の不安だけに
囚われすぎていて、
自分の気持ちを
わかってもらえないことに
苛立っていましたが、
それが夫を追い詰めて
しまったかもしれない、
という後悔があります。

思いやりの心を持ちたい。

時々叫び出したくも
なりますが、
できることをやっていこう。

今はまだ実感がわかない
だけかもしれず、
本当の地獄はおそらく
これからだと
思うのですが。

でも私は絶対
ドロップアウトするわけに
いかないので。

温泉はまた、
来年行けばいいかな
思ったりもしているのです。




神聖かまってちゃんのアルバム
『児童カルテ』が発売されました。

iTunesで先行配信は
していましたが、
店頭で展開されていたり、
リリースイベントや
発売に際する取材などで
かまってちゃんが
メディア露出するのは嬉しいです。


しかしPOPの
「オリジナルメンバー4人最後の」
「ちばぎんが脱退を発表し」
という文字が目に入り
もう、嫌でも思い知らされます。

取材記事や
テレビ・ラジオ出演なんかも
どうしても
脱退に触れた内容に寄りがちで
それをメンバーが
笑顔で語ってたりするのを
見るにつけ
あー あらためてこれは
円満脱退だなぁと
思うこと一入では
あるんですが

うううううううううう

すみません
ずっとこのように脳内では
呻いています。

いよいよ明日は
ツアーファイナル、
ちばぎんが
神聖かまってちゃんを脱退する、
最後のライブです。

それにしても
『児童カルテ』は本当に
名盤だと思うので
このアルバムを作り上げたこと、
それを冠したツアーで
ファイナルの日を迎えることは、
ちばぎんの
バンド活動の最後を飾るに
ふさわしいのではないかと
つくづく思います。

うううううううううう

呻いてしまうのはもう
そっとしておいてください。
しかたないです。

私ってほんっとに実は
保守的だったんだな、
と 思います。
ずっと変わらないでいてほしい
という
気持ちがこれほど
強かったとは…。

歳をとると保守になるしね。
いかんいかん
変化を受け入れ、
常に前を向かなければ。
メンバーはもう
前を向いているんだし。

大丈夫、
明日はライブ楽しみます。

ライブに来れる人、来られない人、
かまってちゃんをずっと好きな人、
昔好きだった人、
ひとりひとりの
様々な思いがぶつかり合う
ライブになるでしょうね。

うううううううう

大丈夫大丈夫。

2010年の夏にハマリ、

9月の渋谷AXでの

『窓辺で手紙を調弦っす』が

初めて観た

かまってちゃんのライブです。


事前に配信やら

過去動画やらで

予習していたので、

ちばぎんのことはもちろん

知っていましたが、

その日ベース側で観たのは

たまたまでした。

「この人はマトモそう」と思いました。



その年は

私の子ども達が

それぞれ受験生だったので、

ペースは抑え気味に、

ぽちぽちとライブに通いました。


それまでも

Twitterは見ていましたが、

震災きっかけでアカウントを作り、

まずフォローしたのが

ちばぎんでした。

情報をいつも

わかりやすく

まとめてくれていたので


初めてちばぎんに話しかけたのは

2010年冬の『謎の日』です。

ライブも最初

の子さんが出てこないとか、

monoくんが

ファンキーモンキーベイビー歌うとか、

なんかカオスでしたが、

かまってちゃんはあの頃、

曲よりもMCが長いとか、

構成が何も決まってないとか、

大体いつもそんな感じでしたね。

(そういうところも面白くて好きでしたが)



話しかけた時、

ちばぎんは若干引いてた

と思いますが(なぜなら私は

かなり酔っぱらっていたから)

とても優しく応じてくれて

嬉しかったです。



ちばぎんと初めて

ちゃんと話したのは、

2011年の東扇島、

中止になったフリードミューンの

ゲート前です。

中止になっても諦めきれずに

会場まで来ていたファンのために、

みさこさんと出てきてくれました。

ちばぎんは

「せっかく来てくれたから」と言って、

なぜか

ミドリ時代の劒さんの

写真をくれました。

小雨の降る中、

赤外線通信で

写真を送ってくれる姿は

忘れられません。

当時私はガラケーでしたが、

よく受け取れたなと思います。

あの時は本当に楽しかったです。

良い思い出です。



ひとつひとつ挙げていくと

キリがないですが、

映画『わらわれもしない』の上映会、

デアデビのイベント、

しろくま、

ライブ後の特典会、

それからこのツアーでは

いちばん最初のチェキとか、

ちばぎんが

憶えていないことでも、

ほんのちょっとでも話せたこととか、

いろいろ、いろいろが

私にはとても嬉しかったです。


あと忘れていたら

ヤブヘビなのですが、

最初のしろくまの時に

何か持っていかなければと焦って

おにぎり握っていって、

本当すみませんでした。

あんまり話したこともないのに

すみません。

いや、忘れていたらいいんですが。

もうずっと忘れてください。

どこかで謝りたいと思っていたので

恥ずかしいですが

つい書いてしまいました。

ごめんなさい。


かまってちゃんと出会って10年目、

私自身いろんなことがありました。

重くて申し訳ないですが、

死や病や家族の問題と

否応なく向き合うことが

多かったです。

ライブに行けない時期もありました。

それを乗り越えられたのは

かまってちゃんのおかげですとか、

正直そんなことは一切なくて、

実際まだまだ

現在進行形なんですが、

2012~2013年頃に

たくさんあったちばぎんの

雑談配信には

本当に本当に救われました。

ありがとうございました。

楽しかった。


かまってちゃんと一緒に

歳を取り成長していけているのは、

私のように

40歳を過ぎてから

かまってちゃんに出会ったような

人間にとっても同じです。


かまってちゃんを

「懐かしい」ものにはしたくないです。

ちばぎんも、かまってちゃんも、

そして私達も

人生は続いているので、

またどこかで道が

交差することを願って。


どうかお幸せに、

いつまでも頼れる

カッコいい

ちばぎんパパでいてください。









はい。

最初の決意はどこへやら。

完全に滞っていましたブログ。

正直、ブログを書く精神状態では
ありませんでした。

年明けましたね、完全に。
しかし令和元年とやらは
母は倒れるし
ちばぎんは脱退発表するしで
私的には
もう
発狂しそうでした。
したかもしれない。
一生忘れない年だと思います。

あまりにもドタバタ過ぎて、
私の中では全然まだ
年が明けてませんが

あけましておめでとうございます

メモ帳に
ブログが滞っている間に
何があったかを
メモしていたようです。


ざっくりです。
自分メモなので。
しかしそれにしても、
メモですら10月で止まってますね。

いや、
ブログ書く精神状態じゃない
とか言いながら、
ちばぎん最後ということもあり、
11月に始まった
かまってちゃんのツアーは
久々に地方まで行ったり、
他のライブもそこそこ行ったり
きっと、私はまあまあ元気です。

母も新しい病院で、
体調は安定しています。
毎日愚痴をこぼせるだけ
元気なのかもしれません。

おそらくこの生活は長くなるので
どうにかこうにか
折合いをつけつつ
がんばります。

それよりも、
今日は兄の誕生日です。
兄はもういませんが。

昨日ベッドで寝たきりの母が、
カレンダーを見て
そう言いました。
そんなことを言ったのは
ここ何十年も聞いてなかったので
少し驚きました。

母を療養型病院に転院させて
ほぼ1週間が過ぎた。

「転院して」ではなく
「転院させて」というのは、
母の介護のキーパーソンが私で
決定権のほとんどが私で、
少ない選択肢の中から
よく考えて調べて
そしてまた考えて
その上で私が判断したことだから。

私が決断したということ、
それもまた私を病ませます。

わかってはいたけど、
これでいいのか、
これで良かったのか、
ダメなんじゃないか、
自分は大変な間違いを
してるんじゃないか、
という不安と逡巡と
自責の念の日々で
おかしくなりそう…

いやおかしくなってる場合じゃないから
おかしくはならないけどね。

誰かに相談、とも思う。
でもすでに私わりと
あちこちに話しまくってはいる。
こうしてブログでも弱音吐いてるし、
心配かけまくって
甘えまくっているな。

どうしたらいいのかわからない不安、
信用しなければ、という焦り、
そして週末来る台風ハギビス。

ハギビスめ。

病院に宗教(お高い壺とか買わせる系)の
勧誘が多いのわかるなー

不安な時、病にある時、
八方塞がりだと思っている時、
揺るぎない方向に
導いてくれる存在がいたら
いともたやすく
コロッと頼ってしまう気がする。
それがたとえ
自分から搾取することだけが
目的な存在だとしても。

あーやだなー やだやだ


これは
母のアパートの壁にいたカマキリです。