『ちばぎんと私。』 | いつか地蔵になる日〜ライブとか介護とか生活とか

2010年の夏にハマリ、

9月の渋谷AXでの

『窓辺で手紙を調弦っす』が

初めて観た

かまってちゃんのライブです。


事前に配信やら

過去動画やらで

予習していたので、

ちばぎんのことはもちろん

知っていましたが、

その日ベース側で観たのは

たまたまでした。

「この人はマトモそう」と思いました。



その年は

私の子ども達が

それぞれ受験生だったので、

ペースは抑え気味に、

ぽちぽちとライブに通いました。


それまでも

Twitterは見ていましたが、

震災きっかけでアカウントを作り、

まずフォローしたのが

ちばぎんでした。

情報をいつも

わかりやすく

まとめてくれていたので


初めてちばぎんに話しかけたのは

2010年冬の『謎の日』です。

ライブも最初

の子さんが出てこないとか、

monoくんが

ファンキーモンキーベイビー歌うとか、

なんかカオスでしたが、

かまってちゃんはあの頃、

曲よりもMCが長いとか、

構成が何も決まってないとか、

大体いつもそんな感じでしたね。

(そういうところも面白くて好きでしたが)



話しかけた時、

ちばぎんは若干引いてた

と思いますが(なぜなら私は

かなり酔っぱらっていたから)

とても優しく応じてくれて

嬉しかったです。



ちばぎんと初めて

ちゃんと話したのは、

2011年の東扇島、

中止になったフリードミューンの

ゲート前です。

中止になっても諦めきれずに

会場まで来ていたファンのために、

みさこさんと出てきてくれました。

ちばぎんは

「せっかく来てくれたから」と言って、

なぜか

ミドリ時代の劒さんの

写真をくれました。

小雨の降る中、

赤外線通信で

写真を送ってくれる姿は

忘れられません。

当時私はガラケーでしたが、

よく受け取れたなと思います。

あの時は本当に楽しかったです。

良い思い出です。



ひとつひとつ挙げていくと

キリがないですが、

映画『わらわれもしない』の上映会、

デアデビのイベント、

しろくま、

ライブ後の特典会、

それからこのツアーでは

いちばん最初のチェキとか、

ちばぎんが

憶えていないことでも、

ほんのちょっとでも話せたこととか、

いろいろ、いろいろが

私にはとても嬉しかったです。


あと忘れていたら

ヤブヘビなのですが、

最初のしろくまの時に

何か持っていかなければと焦って

おにぎり握っていって、

本当すみませんでした。

あんまり話したこともないのに

すみません。

いや、忘れていたらいいんですが。

もうずっと忘れてください。

どこかで謝りたいと思っていたので

恥ずかしいですが

つい書いてしまいました。

ごめんなさい。


かまってちゃんと出会って10年目、

私自身いろんなことがありました。

重くて申し訳ないですが、

死や病や家族の問題と

否応なく向き合うことが

多かったです。

ライブに行けない時期もありました。

それを乗り越えられたのは

かまってちゃんのおかげですとか、

正直そんなことは一切なくて、

実際まだまだ

現在進行形なんですが、

2012~2013年頃に

たくさんあったちばぎんの

雑談配信には

本当に本当に救われました。

ありがとうございました。

楽しかった。


かまってちゃんと一緒に

歳を取り成長していけているのは、

私のように

40歳を過ぎてから

かまってちゃんに出会ったような

人間にとっても同じです。


かまってちゃんを

「懐かしい」ものにはしたくないです。

ちばぎんも、かまってちゃんも、

そして私達も

人生は続いているので、

またどこかで道が

交差することを願って。


どうかお幸せに、

いつまでも頼れる

カッコいい

ちばぎんパパでいてください。