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禁断の別居生活

溜まりにたまった心労から、別居を提案しました。
この先、離婚に進むのか、復縁するのか、全く分かりません。

まだ本来ならお伝えする時期ではないのですが、と前置きした上で報告した。


彼女の第一声は、、









『はぁーーーーーーーーーーーーー
(ながーいため息)』










焦って言い訳をする。

一人目を不妊治療(体外受精)で一年かかって授かったので、今回予想より早く(人工授精)できてしまって、、、





『不妊治療してたの?
それなら尚更、何で今…。』




…、体外にしなきゃできないと思って…
引っ越しで転院もしたので、新しい病院にも慣れたかったし…
仕事しながら、一人子供がいる状態で病院通えるかのペースにも慣れたかった。
それに、早く二人目欲しかった。



不妊治療のこと、上司には話していなかった。

特に聞かれなかったし、
前回の経験から、人工授精の間はあまり休まなくてもなんとか通えると思っていたし、
何より、
復帰してすぐから二人目を望んでいる気持ちを分かってもらうのは難しいと思っていたから。

でもどこかで、上司の年なら不妊治療してる友達の話とか聞いたことあるだろうし、労ってもらえるかも、と期待してた。




子育てしてるとそれまで知らなかった世界がたくさんあって、私はそれに甘えてた。

そんなことを気付かされた二人目妊娠でした。
忙しい時期、思うように病院に行けなかったこともあって、仕事の区切りがついたところで久しぶりの治療周期。




転院して、4回目の人工授精で思いがけず妊娠した。


年度変わりの人事異動は確定しているが、内示はまだ、そんな微妙な時期だった。



上司の判断で人事に掛け合うこともできるのかな、と検査薬で陽性が出た日に、上司に報告した。




私の勝手な気持ちとしては、人工授精で授かれた喜びと、上司からの圧に耐える期間が定まった喜びとで浮き足立っていた。

勿論、時期や前の休職からの期間を考えると歓迎されないことは分かっていた。

でも、忙しくなる直前の妊娠疑惑のこともあって、自分の中では、あの時期よりは良いよね、という甘えがあった。
二人目ということもあり、検査と平行して人工授精が始まった。



比較的余裕のある時期は、上司からのストレスも少なかった。

しばらくして、妊娠したかも、という予感があった。


でも仕事は、これから一年のうちで一番忙しくなる時期。

悪阻で迷惑をかけるかもしれないから早く伝えた方がいい、でも、早まって流産にでもなったら気まずい。

どうしよう。。




↑この間、検査薬はしませんでした。

治療中のいつもの『できた気がする』と同じ感覚でしたので。




我慢して我慢して、生理予定日ちょうどに検査薬をしまた。

すると…時間がたってから、うっすら色づいた。

もう、私の心はすっかり妊娠した気になっていました。




職場に言うのは病院で姿が見えてからにしよう、と思って、それから毎日、検査薬をつかった。


しかし、その線は濃くなることはなく、消えていきました。




忙しい時期に迷惑をかけずにすむホッとした気持ちと、ダメだったとがっかりする気持ちと、このときは前者が少し勝っていました。

復帰して一年たたないうちに、一番忙しい時期に、なんて、回りからどう思われるかわからん。と。



でも後で知ります。
私の考えが甘すぎたってこと。