次のシーンですが、えぐくてすみません。殺生丸が「犬夜叉」世界で最強設定であるならば、犬夜叉に最も強い恐怖を与えたのも殺生丸が一番だったという点ではこのシーンが一番ひどいのかもしれません。
荒魂しかなかった殺生丸。女でも容赦はしないので、この最初の殺生丸のイメージが犬夜叉一行の中ではなかなか抜けず、最後まで「下手すると殺される」という発想を皆が殺生丸に対して持ち続けるのですが、、
漫画7巻のこの恐ろしい殺生丸との闘いの後、テレビアニメの方ではエンディングがこれに変わってビックリしました。
殺生丸の雰囲気が原作とは随分違うのは登場時からだけど、これはすでに主役級の扱いじゃないか!と。
原作ではこの後まだ14巻までの7巻分、殺生丸「鬼か!」という感じな上に、しかも殺生丸ってそんなに登場すらしない、アニメで15話ぶんくらいは全く出てもこないがずっとこのエンディングが流れているという。
人は誰しも四魂を持ち合わせています。歪んでいたとしてもないわけじゃない。
「偉大なる大妖怪の血族である殺生丸は、生まれながらにして,幾多の妖怪が欲する完璧な力を備えていた。そのため常に余裕がある。執着する物がないゆえに、四魂は低い値を示し、大妖怪の一族の誇りから荒魂のみが突出している。(公式ブック)」
これまでが弱肉強食の妖怪の世界で生きてきた大妖怪殺生丸は荒魂だけが突出していて、他の3つ「幸魂」「奇魂」「和魂」は育っていない状態でした。アニメで描くのと漫画は勝手が全然違うから仕方のないところは沢山あるのだと思うけれど、そういう制作技術的な問題ではなく「荒魂でしかなかった存在が、慈悲を育てていく」というのがどういう感じになるのか、誰にでも簡単に想像できるようなものではないだろうと思います。
普通は”人のプロセス”では「慈悲」に至るまでに、恋をして傷ついたり、色んな形や愛の変化球を経験して、慈悲というものの端くれでも学んでいく、、、という感じじゃないでしょうか。OSHOの言葉でも、「恋から愛へ、愛から慈悲へ育つ」という表現がされていますが、これは人間のプロセスです。どうであったにしても、慈悲って甘いやさしさとは全く違う。厳しさを体現できる存在でしか、慈悲を知ることはきっとないと私は思います。
「荒魂」+「慈悲」がどんな感じの言動をするどんな存在となるのかを描いたら、まさに原作殺生丸は”らしい”描き方で面白い。
考えるより直観で動く、むしろ他者から見たら考えずに行動してるようにしか見えないくらいの決断の速さは、一見は思慮深いと感じさせれるような言動にはなりません。OSHOトランスフォーメーションタロットの「慈悲」の講話、そのイエスの感じに通じるものがあるので、原作の殺生丸は「慈悲」というテーマを持つ存在として、本当に的確に描いているように思います。
ここで、殺生丸×エネルギー的な話をしていますが、この貼っている画像が13巻のと16巻。妖怪刀鍛冶の刀々斎(とうとうさい)は、コミカルだけど、「犬夜叉」の物語では「賢者」の立ち位置。大妖怪の父の遺言を受けていて、実は全てを知っているけれど、この兄弟にはそれを自分たちで見出せるまでは明かさないという「導き手」の存在。
これまでの記事で殺生丸をギリシア神話のディオニューソス、インドのシヴァに置き換えることができることを書いているけれど、「殺生丸ーりん」「刀々斎」「桔梗ー犬夜叉ーかごめ」というのはこれらひとまとめでシヴァ神で説明ができるし、刀々斎に当たるギリシア神話の存在(ウゥルカヌス)は、シヴァ神に関わるというかシヴァ神の一部として置き換えることができる。ウルカヌス=アグニ。アグニ=ルドラ・シヴァ であり、シヴァの乗り物は牛。Wikipediaですぐに出てきます。
この刀鍛冶 刀々斎に対して、常に悪ガキ態度の殺生丸と犬夜叉。刀々斎はいつも、この喧嘩っぱやい兄弟を「バカ兄弟」と表現している。
犬夜叉はもともと半分は人間なので、反抗的な態度をしていても可愛い程度だけど、殺生丸は「殺す」「殺す」と殺しにかかる態度。慈悲の心が育っていってても基本性格は変わらない。
それがむしろ面白い。テンポも良いし、キャラとして面白く魅力的。ルドラ「荒魂」+シヴァ「慈悲」の存在は、間のグラデーションが育つまで神話の神そのもの。極端な個性の炸裂。
(13巻 7-9話「鉄砕牙と天生牙」)
上のエンディングの殺生丸ではこのバカ兄貴の雰囲気がない。人間世界だったら、この殺生丸の感じは、父も母も「この息子は、、うーん、、、」と頭を抱えていただろうと想像できる感じだし、心も大切にしていた大妖怪の亡き父が殺生丸に伝えたかったことは「もうちょっと優しくなれよ。心を育てろよ。」らしいので(原作者談)、困った息子感を根底に感じさせられます。
次のは42巻。りんが14巻で登場するので、この間にりんが人質に取られて云々のエピソードがいくつかあり、殺生丸に慈悲の心が芽生えていてそれを刀が認めた結果、慈悲の刀、天生牙(てんせいが)に呼ばれて、刀々斎がやってきます。
が、この態度。妖怪年齢200歳以上、人間年齢にすると19歳設定の殺生丸は、見る者からすると、まだ反抗期か?という19歳らしい(バカ)兄貴風。
「犬夜叉」物語において、一番成長するけれど、刀々斎が言っているように、(慈悲の心が芽生え育ってきても)性格は変わっていない。りんはこの殺生丸もずっと見ていて、子どもだけどとても観察力のある女の子。その人がどういう感じなのかをよく見抜いています。
でも、殺生丸で「面白いな~それは。変人だな。」と私が最も思ったのは、、作品をほとんど忘れていた私が、「殺生丸と言えば、、」ですぐに上がってきた印象は、、「確か、、風来坊なヒトよね(人ちゃうが)。」だった。
なんで、そういう印象があるんだろう??と思って、今回殺生丸を見直す中で、原作読んでいた当時そのことをあまり考えてなかったけれど、「ぶらぶら歩いて旅してたヒト」と思った時に、この殺生丸の「ぶらぶら感」はどこから来ているのだろう?と思ったら、、あ~!それでか!と。
「犬夜叉」のこの舞台の設定は、武蔵野という地名が出てきたり、かごめが現代と戦国を行き来する「枯れ井戸」のある場所が今の東京なので、「東国」です。
けれど、殺生丸の父が根城としていたのは「西国」。西国を根城とする犬の大妖怪の純血妖怪の息子(犬夜叉の異母兄)として殺生丸が登場しています。
殺生丸は犬夜叉の鉄砕牙が欲しくて東国に来て、ずっと東国で犬夜叉を追いかけまわしているということ。そのうち奈落(ならく)に利用されてしまって腹が立ったことをキッカケに、えーい殺してやる!と今度は奈落を追いかけている。そこに深い理由はなし(笑)
おかげで人と関わったり、今までおそらく邪見以外はほぼご縁なかった強くない妖怪たち、、さほど強くはないからこそ強い弱いだけでは生きていない妖怪たちもいるので、そういう多種多様な存在に関わることで、慈悲の心を育てるのだけれど、、、。
妖怪の世界は基本が弱肉強食なので、西国で頂点に立っていた父が亡き後、西国はきっと荒れていたことだろう(笑)統治するといったことには殺生丸は興味がないのだろう。純血大妖怪であることにこだわっているのは、”強さ”においてだけであり、”家柄”みたいなものには関心がないのだろうなということが分かります。
それが実家なのかは謎だけども、刀のことで母を訪ねた時、同じく大妖怪の母が暮らしている大豪邸の屋敷が描かれています。
しかし殺生丸は、東国を旅中、そもそも家もないでしょ、という”さすらい人”、、ならぬ、”さすらい妖怪”。それで、風来坊だという印象が残っていたのだな~と。
「強くあること以外関心がなく、執着がない」ので、まぁ、こうなるものなのかと思うけれども、この感じからキザなタイプにはむしろなりえず、”めちゃくちゃ強くて、美麗だけども、ひょうひょうとした変わり者”、、というのが適切な印象になるように思います。
最後のシーンなので、後の記事で画像を貼ろうと思うけれど、、
奈落討伐の後の3年後の暮らしが少し描かれて「犬夜叉」の話が完結します。りんが人里でも暮らせるように村の長老巫女の楓のもとに預けているということになっているのですが、、殺生丸がりんに反物(贈り物)を届けに村まで来たというシーンがあります。
まだ東国にいる(笑)西国に帰る気、まだまだなさそうな風来坊。
人間の親だったら頭抱えるわ。幼女の護衛のために、西国の状況は放置して東国でぶらぶらし続ける由緒あるお家柄の長男、、。
ここが一番殺生丸の面白いところではないかと、思えてならないです。既存の体制には囚われない自由人、いや、自由妖怪。
インディゴソウルが既存の人間社会の体制を壊す魂であるならば、殺生丸は既存の妖怪社会の体制を深く考えず壊している魂です。孤高で我が道を行くというのは、強さというより生き方そのものなのだなと。
続編「半妖の夜叉姫」は高橋留美子さんの原作ではなくアニメオリジナルなので、そこは基本的に考慮に入れずに殺生丸研究(笑)をしていたのですが、りんと夫婦になったことは、私の中でもこの延長線上で自然だと感じたので違和感がありませんでした。純粋さと独特さにおいて、双方に他にいないから一緒になるのが自然なのかなと。
けれど、純血の血統が絶えるの?!(ふたりの子どもは半妖だから)とそこに複雑な気持ちになる視聴者や読者も沢山いたのだなと色々のリサーチの結果知りました。
それもまた人間らしい感じ方なんだろうと思いました。ただ基本執着のない殺生丸だから、純血の大妖怪血統が云々とそのことを少しは気にしたりしたのかどうか分からないけど、あれほど犬夜叉に対して「半妖」「半妖」とバカにしていたことは、おそらく気にしていないのだろう(笑)今に生きる兄の頭は犬夜叉以上にシンプルなのではと感じる。
次は、殺生丸が慈悲を育てていったプロセスにおいての漫画の描写が、私はすごく好きなのでそれを一部紹介します
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