昨日の記事で、2015年の記事を読み返した時、
当時「美しい緑の星」という映画を見て感じたという、このくだりで、
次元の高い星からの設定のようだし、この感情、“情”とは、人間独特の持ち味だから、
それがないということは、こんな感じになる、、ともいえるんでしょう。 気にしないっていうか。
自分の中にある、両方の記憶、両方の視点。
だから、どっちかにはよれないわ~ そしてよりたくもない。
と再確認しました。
そもそも真我に向かっていたら、どちらかではないんだった!と思いました。
カルマから来る感じ方だと思っていたものは、わたしを導くヒントになっていて、人間はハイアーセルフと統合することを目指しているのではなく、それを通過して、真我にアップデートしていくのだから、「(高次意識か人間意識の)どちらかにはよりたくない。そしてよれない。」という思い方自体はカルマによってズレていたわけではなく、もともとそれ自体はど真ん中の素直な感覚だったのだと思いました。
第一自我:低次の人間的自我(目覚めていない人間的自我)
第二自我:高次元自我(ハイアーセルフたち)
第三自我:真我
人間的自我と、高次元自我の統合で真我に至る。
そう思って進んできていたけれど、この映画を観た時はまだ痛みが前に出ていて、”捉え方自体はおかしかったわけじゃない”ということが見えてなかったのだと思いました。痛みに意識がいってたんですね。
カルマって向き合うと最高の(最も近道を示す)人生の羅針盤になっていて、すごい仕組みだなぁと思います。
その分向き合わないと顕在意識では望んでいない遠回りにもなるという。
”情”に関しては、純化させて落としていって”愛”へ、、、という取り組みを意識することをしてきているのですが、
慈悲とか慈愛は?
これが真我の秘密なんだろうな。
だから”情”を落として、善悪を超える第二自我(ハイアーセルフ次元、視点)にいってからの、慈悲や慈愛の域を知っていくことができるんだろう。真我とは、そういうものだろうと、、個の意識とワンネス意識を同時に持っている状態なので、そうなんだなと思いました。
そんな気づきがありました。
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