プラクティス -18ページ目

弾丸 マシンガン

弾丸 マシンガン


セックス・ピストルズ



セックス・マシンガンズ


名前のイメージだけで、どちらが強そうですか。






で、この歌とかとても良いのですが、イメージとしては良いでしょうか。


弾丸だと、当たるか当たらないか、当たりかハズレか、一か八か、みたいな発想になりませんか。


仮に、本気の魂を込めた?一発が外れたら「もぅだめだぁ〜」みたいな。



たとえば妊活にしても、ヤリまくることが重要であって、1回1回当てることが重要ではない、のです。


それすると落ち込むのです。


10回やって1回出来れば良い、のと、1回やって1回出来れば良い、ではプレッシャーや不安が全然違う、のです。


仮に、妊娠の確率が同じだとして、1回1回「懐妊しない」と落ち込まれたら数ヶ月でイヤになる、のです。


女性に解るように説明すると、女性が射的で一発の弾を渡されて、必ず当ててとプレッシャーをかけられて、なおかつ外したら落ち込まれるを繰り返されたら、もう射的はしたくない、のです。


で、こういうのもイメージが悪い、のです。



自分の持つイメージが間違ってると、上手く行かない、のです。


ですから、まず、自分の持つイメージがそもそも合ってるか、なのです。


で、結果が良くなければ、自分の持つイメージが間違っている、のです。



たとえば、白馬に乗った王子様が迎えに来るなんて浮世離れしたイメージを持つと、自分の持つイメージが間違ってるので、上手く行かない、のです。


特に結婚生活なんて、誰と結婚したとて、そんな夢みたいなファンタジーではない、のです。


男女を逆にすると、スタイルの良い美少女が、何故か冴えない男が大好きで、向こうからアプローチしてくる、くらい無い、のです。


でも、そんな人は、自分のイメージが間違っている(現実に存在しない)のを認めないし希望してる、のです。



何と言うか、野球で言うと、ろくに練習してないのにホームラン希望、みたいなことなのです。


その自分のイメージが間違っているのに、認めないし、改めない(よって上手く行かない)のです。



で、やるにしても、ピストルのように1発、良くて数発ではなくて、マシンガンのように何十発、何百発とやらないと上手く行かない(上手く行く人はソレしてる)のです。



こういう風に、マシンガンのようにしているセルフイメージを持たない限り絶対に上手く行かない、のです。







イメージの差

イメージの差


素人が思いっきり振りかぶって大振りに出すパンチは、威力が強そうで、そうでもありません。




一方で、ボクサーが出す小振りのパンチは、思いっきり振りかぶって無いのに馬鹿みたいに威力が強いのです。


この差は何でしょうか。


もちろん技術の差ですが、その前に


イメージの差


なのです。


ムチは素人が使っても音速に達するそうですが、鐘撞きの丸太は絶対にそんなこと無い、のです。




で、もっとわかりやすく、ボールを投げるとしましょう。




このイメージで投げたら、スピードも遅く、短距離にしか飛ばない、のです。


普通のボールを砲丸投げのように投げるようなもの、なのです。


一方、自分の体をムチのようにしならせて投げたらどうでしょうか。


球のスピードや飛距離が伸びるのです。


つまり、ボール力(パンチ力)が上がる、のです。


キックで言うと「うぉぉぉ」と力を入れる、ではなくて、足をムチのようにしならせて「ビチン」なのです。






で、何が言いたいのかと言うと、パンチや物を投げることではなくて、


あなたがイメージしているものが間っていたら、上手く行かない、のです。



婚活難民女性で言うと、自分のイメージしていたものが間違っていた、のです。


登山の遭難者で言うと、自分のイメージしていたものが間違っていた、のです。


試験の不合格で言うと、自分のイメージしていたものが間違っていた、のです。


試合の敗者で言うと、自分のイメージしていたものが間違っていた、のです。


商売の倒産で言うと、自分のイメージしていたものが間違っていた、のです。


なのに皆、自分のイメージのせいにはしない、のです。



逆に言うと、間違ったイメージを持つと失敗する、のです。

(特に、自分に都合の良いイメージほど危ない(松本人志、中居正広、ギャンブラー、ニート、メンヘラ、結婚からの離婚etc )のですが、皆が持ちたがるのがソレなのです)















幅1メートルの溝を

幅90センチしか跳べない人が、自分を信じて自分らしく自分の好きなように跳んだら

落ちる、のです。


現実は、どんなに自分が思い込んでも、自分の跳べる分しか跳べない、のです。


特に、かつて自分は幅1メートルの溝を跳べていとしても、も跳べる、ではない、のです。




時と勢い

時と勢い


当たり前ですが、今から米の種まきをしても、種は芽を出しません。


これが時。


で、今からたくさん米の種まきをしても、種は芽を出しません。


この「たくさん」が勢い。


これが時勢です。


よって、私の言うことはネットの情報のように不変ではなく、人によってわります。



たとえば、左が、たくさんの男性にアプローチしたらその効果は絶大ですが、右が同じことしたら…なのです。


もちろん、これは女性だけではなく、男性も同じ、です。



日本人は、「いつか」と先送りしますが、それをすればするほど不利になる、のです。


セルフ不利化を日本全国でやっているのですが、皆、認めない、のです。


で、当人が理解してようがしてまいが、現実は変わらない、のです。


たとえば、結婚相手を見つける時に、どちらが有利かなんて、当人の考えはどうでも良い、のです。



何故なら若い方が(「いつか」とか先延ばししない方が)有利に決まっているから、なのです。


このように「時は絶対」なのです。


「時が先でも何とかなるだろう」と言う人がいくらでも居ますが、ならない、のです。


な、ら、な、い、のです。


でも、多くの人はなると思ってたし、今もなると思っている、のです。


なるのは「勢い」なのです。


で、たとえば来年の2月に試験があるとして、それは動かず、動かせるのは「自分の勢い」なのです。


具体的には、単語を1日に10個覚えるか、100個覚えるか、なのです。


が、10個で「えー」とか言って放り投げる、後回しにする人が、それ以上やるかって話なのです。


このことを「運勢が悪い」と言うのです。


セルフ「運勢が悪い」のです。



たとえば、童貞が来年の2月まで成果ゼロ(童貞のまま)なのに対して、動く男性は何人かの女性とやっている、のです。


そして、それは当人の行動量次第なのです。


もちろん、「いつか」なんて思ってたら来年の2月まで成果ゼロなのです。


で、さらに言うと、時を過ぎたら、もう手遅れ、なのです。






そうなったら、私の言うことだって、(現実なんて見ずに)「好きなように生きたら良い」になる、のです。




こうなったら、左は左のままの方が幸せなのです。


現実は他者との関わりが無いなら、教えなくて良い、のです。



これで言うと、他者に公表することなく勝手に個人でそう思っている分には何も問題がなかった、のです。



SMAPや嵐が、これまでデビューしておらず、いま結成しても(日本中に旋風を起こした本人達でも)何も起こらない、のです。



時と言うのはそれくらい重要なのですが、皆、「いつか」と不意にしている(捨てている)のです。


さらに、そんな自分は間違ってなく、正しい、のです。


理由は、自分が正しいと思うから、なのです。



根拠は、自分が正しいと思うから、なのです。


いや、だから、時は個人の考えなんてどうでも良くて、絶対なのです。



左が、自分はいつでも結婚出来ると思っても、いつでもではない、のです。


令和の一般男性も、若いうちに勢いつけてやらないと手遅れ、になる、のです。


でも、省エネとか、コスパとか言って、やらない、のです。


やらないとどうなるかって、手遅れになる、のです。


最低限しか練習しない部員、最低限しか勉強しない学生、それが年とったらどうなるか、なのです。


これは時代や社会情勢の問題ではなく、当人の問題なのに、時代や社会情勢の問題にすり替えている、のです。


で、すり替えて自分を騙しても良いけど、失った時間、チャンスは戻って来ない、のです。


これが、いつでも結婚出来ると思ってた(若いうちに婚活を頑張らなかった)と同じになる、のです。



サッカーで言うと、最低限しか練習しない30歳超えの選手なんて、どんなに才能があっても、どのチームも要らない、のです。


なんとかなるって、な、ら、な、い、のです。


なんとかなるんだったら、婚活難民もなんとかなってる、のです。


那須川天心で言うと、30歳には成功し終えている、のです。



「いつか」と思う人が、何もしない中で、那須川天心はメチャクチャ練習して、成功して、引退している、のです。


一方で、省エネ、コスパで、何もしてこなかった何も身についてない人が、30歳からゼロからのスタートで「いつか」って、マラソンで言うと先頭集団はもうとっくにゴールして家に帰って風呂入ってくつろいでいる、のです。


なのに、とても悪い意味で、当事者感覚がなく、現実を見てない、現実が見えてない、のです。


脳内が、ゲームのように時が止まった(年とらない)世界に居る(と思っている)のです。


で、「いつか」とか「そのうち」とか、そういうものは無い、のです。


喩えるなら、30歳が、「いつか」東大とか「そのうち」東大とか、思っている感じ、なのです。





で、何とか日本人は、政治や経済、社会情勢のせい(自分のせい以外のせい)にしようとしていますが、


同じ条件下で、やってる人はやってきたのですから、お門違い、見当違い、どこまでも現実逃避なのです。


受験で言うと、勉強して大学に落ちたならわかりますが、勉強しないで不合格になっているのですから、当たり前なのです。


で、それでしばらくしてから、社会が悪いとか、親が悪いとか、男が悪いとか、上司が悪いとか、スゴイな現代人なのです。




勉強せず、運動せず、遊んでおいて、大人になったらそういう自分に優しくしない周りが悪い、のです。