
自獄
自獄
地獄は、神だか仏だかを信じないと無いのかもしれませんが、自獄は確実にあります。
そして、地獄は地獄のような環境でないと成り立ちませんが、自獄は天国のような環境でも成り立つのです。
たとえば、ニートなんて、お金がある環境だから出来る、のです。
そしてもちろん自獄なのです。
で、ニートは自分は一人だから、陰キャだから、と思うのでしょうが、
自獄は、周りに人が居て、陽キャの人でも、なる、のです。
ほんと、繰り返しますが、ニートなんて、お金がある環境だから出来る、のです。
そもそもの大前提が、恵まれている、のです。
天国の自獄なのです。
そして、これは、女友達が多い理想が高い婚活女性でも同じだし、女友達の居ない理想が高い婚活女性でも同じ、なのです。
ニートでも、理想が高い婚活女性でも、
1 感謝しない
2 人に過大に要求する
が、同じ、なのです。
すると、自獄が出来る、のです。
それは、自閉症のように、当人が作っている、のです。
ところで、あなたは、
1 感謝しない
2 人に過大に要求する
そんな人が好きですか?
最初は、見た目や金で良いなと思っても、付き合うのは無理、だと思いませんか。
と言うか、客だってイヤ、ではありませんか?
でも、日本は、そういう人だらけになっている、のです。
お店に入って開口一番が「高い」「安くして」なのです。
それが、
1 感謝しない
2 人に過大に要求する
なのです。
それで、自分を好きになれって、無理がありませんか。
自獄の人も同じ、なのです。
自分がソレだと解ってないのです。
地獄は地獄のような環境でないと成り立ちませんが、自獄は天国のような環境でも成り立つのです。
むしろ、天国だから自獄が成り立つ、のです。
食べ物で言うと、豊富にあるから、あれが良いこれが良い、これは嫌い、これは食べないとか、好き勝手言える、のです。
親の作った物を残して、ジュースやらハンバーガーを食べられる、のです。
そして、そんな自分は間違ってない。
良いけど、親が死んで自分が馬鹿だと気がついても、もう遅い、のです。
結婚は、男性の年収が600万円以上のイケメンじゃないとしない、って、あーそうですか、なのです。
このように、自獄は天国のような環境でも成り立つのです。
自称ではなく、本当に、高望みしてなくて結婚出来ないなら可哀想ですが、高望みしてるなら、その自獄(不幸)は、自分が作っている、のです。
自分は高望みに見合うという傲慢が作っている、のです。
自分を左だと思っている右なのです。
そもそも、右は、豊かな環境でないと生まれない、のです。
ニートが不幸って言うのと同じ、なのです。
天涯孤独の人は、ニートみたいに、そんな甘えたこと言ってられない、のです。
でも、自獄の人は、自分は不幸なんだ(恵まれてないんだ)なのです。
だからそれが、
1 感謝しない
2 人に過大に要求する
なのです。
で、そんな自分は間違ってないと譲らない。
ところで、あなたは、
1 感謝しない
2 人に過大に要求する
そんな人が好きですか?
これが最「初」のチャンス
これが最「初」のチャンス
なんかさ、多くの人は、
これが「最後のチャンス」とかって、
始めから一回しかやろうとしない、よね。
本気とか、気合いとか、
一回しかしないことを何か偉い(凄い)と勘違いしているのです。
それをサボりと言うのです。
マラソンで言うと、これがラスト100メートルではなくて、ラスト42195メートルなのです。
100メートルを全力疾走したところで、
あと、42キロも足りない、のです。
受験で言うと、これが最後のチャンスとしても、それは300日の最「初」のチャンスで、あと299日ある、のです。
なに勝手にラスト1回にしてんだ、なのです。
ラストスパートは、42キロ走ってから、
299日やってから、なのです。
たとえば練習をろくにしないボクサーが、これで最後にする、これがラストチャンとか、
舐めたこと言ってないで、5戦でも、10戦でも、やれ、なのです。
ラストじゃなくて、最初の一戦なのです。
一流大学の学生が、就活で10社とか余裕で落ちてるのに、一社しか受けないで「これがラストチャンス」とか、舐めてんのか、なのです。
婚活だって、ナンパだって、複数にアプローチして振られるなんて普通なのです。
普通のことを自分だけ特別可哀想とか、馬鹿か、なのです。
野球で言うと、大谷翔平でも3打席中、2打席はアウトなのです。
なのに、次こそはラストチャンスで本気出すとか、馬鹿か、なのです。
なに勝手に一打席で済ませようとしてんだ、なのです。
しかも、それでアウトになって、その先の全てが「もう駄目だぁ〜」みたいに悲劇のヒロインになってる、のです。
野球で言うと、大谷翔平でも3打席中、2打席はアウトなのに!? なのです。
いくら自分がこれが最後のチャンスと思い込んでも、現実はこれからの最「初」のチャンスなのです。
良い「話」にしないで
良い「話」にしないで
最近は、「左でも個性、多様性!」みたいな良い「話」にするブームです。
が、言葉でどんなに装飾したって、
健康的と不健康は、覆らない、のです。
たとえば、不倫なんかも、当人は「たまたま好きになった人が結婚してただけ」みたいに言いますが、だから不倫が良いとは、覆らない、のです。
無職を家事手伝い、バイトを仕事してると言っても、無職は無職、アルバイトはアルバイト、なのです。
これは馬鹿にしてるのでも、責めてるのでもなく、現実、事実がそれで、
むしろ、それを良く言う方が、意識してる、気にしてる、悪いと思っている、のです。
最近だと、大聞きまで、
お客様の要望に応えて、とか、リニューアルを称した改悪をしている、のです。
悪いことが、良い「話」になっている、のです。
いやー、もう、大企業、一流企業まで、
それやりだしたら終わり、じゃないですか?
それ、粉飾決算と同じ、なのです。
同じ量で、値段が上がるのはわかりますが、
量が減って、質も下がって、値段は上がるって、
どこが「お客様の要望に答えて」なんだよ、なのです。
そんなこと誰も望んでない、のに、なに自己保身のために自分にとって良い「話」にしてんだ、なのです。
その声、誰の声なんだよ、よく聞いてみ、無音だから、なのです。
この左で言うと、いつか若くて可愛い女の子と付き合えるとか、
良い「話」にしない方がいい、良い「話」にしない方がいい、良い「話」にしない方がいい、のです。
良い「話」にすると、その話で満足して(良い気になってしまい)、良く(右に)ならない、のです。
巷にいっぱい居る、いつか大学に合格出来ると信じて勉強しない人みたいになる、のです。
だから、良い「話」にしない方がいい、良い「話」にしない方がいい、良い「話」にしない方がいい、のです。
企業で言うと、「いつか売れたら質や量を昔に戻す」と自社にとって良い「話」にしたら、そんな日は二度と訪れない、のです。
(高くしても良いから味や量を自社の利益のために落とすなよ、なのです)